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7月

 夏休みに入って間もないある日。

 ソフトテニス部はいつも以上に活気付いていた。

 それもそのはず、薫子先輩のペアが、我が校始まって以来のインターハイ出場を決めていたのだ。

 ソフトテニス部は顧問の先生がまったくテニスの知識がなく、実質薫子先輩がコーチの役割も兼任している。そのため、薫子先輩は部活中はあまり自分のことには時間を使えていないのだが、自宅に帰ってから敷地内にあるテニスコート(!?)で、専用のコーチ(!?!?)指導の下、毎日遅くまで練習に励んでいるそうだ。

 これを金持ちが金に物を言わせた結果と取るか、努力の賜物と取るかは意見の分かれるところだろうが、俺は素直に薫子先輩のことを尊敬している。

 少なくとも、俺が薫子先輩と同じ立場だったら、同じ様には振る舞えないだろうから。

 ちなみに男子は全員、地区予選で敗退しており、既に三年生は引退していた。

 俺とゲンのペアも、二回戦まではストレートで勝てたのだが、三回戦で後一歩及ばず敗けてしまった。

 だが俺は、これが現状の自分の実力なのだと受け入れ、あまり悲観的な気持ちにはならないように努めた。

 むしろ、先月図書館で江藤の話を聞いて以来、俺は今まで以上にテニスの練習に打ち込むようになっていた。

 江藤みたいな明確な将来のビジョンはまだないが、まずは目の前のテニスくらいは、精一杯やりきったと言えるような男になろうと思ったのだ。

 その甲斐あってか、最近は二年生の先輩達にも勝てることが多くなってきたし、先日は薫子先輩に自宅のテニスコートで一緒に練習しないかと誘われたりもした。流石にそれは緊張するので、返事は保留にしているが。


 その日の練習の帰り、ゲンと別れて駅へ向かって歩いていると、柴犬を散歩しているオジサンとすれ違った辺りで、道の反対側にちくわがテクテク歩いているのが見えた。

 今まで例の空き地にいるちくわしか見たことがなかったので、勝手にずっと空き地にいるものだと思っていたが、野良猫なんだから、そりゃいろんなところを歩いてるのが普通だよな。

 何とはなしにちくわのことを見ていたが、ちくわは俺に気付くと、道路を渡ってこちらに駆け寄ってきた。

 えっ?数回しか会ったことのない俺のことを、覚えててくれてるの?何だお前メッチャカワイイやつじゃん。

 こっちに来たらたっぷり撫でてやろうと、両手を広げて待っていると、視界の端にトラックが高速で向かってくるのが見えた。


 ちくわ!危ない!!


 気が付いた時には、俺は道路に身を投げ出していた。




 目が覚めると、目の前には知らない天井があった。

 メガネを外されているのか、視界が少しぼやけている。

 その途端、涙と鼻水で顔をグシャグシャにした母さんが、俺の顔を覗き込んできた。

 母さんが大声で父さんの名を呼ぶと、目を真っ赤にした父さんが駆け寄ってきて、同様に俺の顔を見て破顔した。


「よかった……閃……本当に……もう目覚めないかと……」

「母さん、俺は先生を呼んでくるから閃のことを頼む」

「ええ、お願いあなた」

「母さん……ここは?」


 まだ意識が少しぼーっとする。


「覚えてない?あなたトラックに撥ねられたのよ……。丸一日目が覚めなくて……もう目覚めなかったらどうしようかと……。ああ、でも本当によかった……」

「……そっか」


 段々記憶が確かになってきた。

 俺はちくわを助けようとして、道路に跳び出したんだ。

 だがその後の記憶が一切ない。

 まあ、母さんが言う通りトラックに轢かれたんだろうが、麻酔が効いているのか、全身の感覚が全然ない。

 ただ、漫画みたいに全身が包帯でグルグル巻きになっていて、身体のいろんなところから線が伸びて、点滴やら、電子機器やらに繋がっているのが見えた。


「俺の身体は今、どんな状況なの?」

「それは……」


 母さんが言い淀んでいると、父さんが医師の先生を連れてきた。

 まだ比較的若い、男の先生だった。

 先生は俺の瞳孔の開き具合を確認した後、俺の年齢は何歳か等の、いくつかの簡単な質問をした。


「意識は問題ないようです」


 先生は誰にともなくそう言った。

 『意識()』という言い方が、少し気になったが。

 俺は先程母さんにしたのと同様の質問を先生にした。


「先生、俺の怪我の具合は、どんな感じなんでしょうか?」

「……落ち着いて聞けるかい?」

「……はい」


 ただ、その口振りから、何となく内容は予想がついた。


「……日常生活を送る分には、然程問題はないよ。ただ、残念だけど、もう激しい運動をすることはできないと思った方がいい」


 先生がそう言った瞬間、ワッと母さんが泣き出した。

 父さんは必死に涙を堪えようと、歯を食いしばっている。


「それは……二度とテニスはできないってことですか?」

「……そうだね」


 正直なことを言うと、それを聞いても、いまいち俺は実感が湧かなかった。

 むしろ車椅子生活になるとか、もっと言うと一生寝たきりとか、そういうのを想像していたので、思っていたのよりはマシだったなくらいの感想しかなかった。

 ただ、それは頭が現実を受け入れたくないから、そう思い込んでいるだけだということも、片隅では理解していた。

 そうか、もうテニスはできないのか。


 先生の話を詳しく聞いてみると、他の怪我は然程でもないが、右足の損傷が激しく、リハビリをすれば歩くことはできても、走ることは難しいだろうとのことだった。

 その後も今後の生活のこと等を、いろいろと説明してくれたが、あまり頭に入ってこなかった。


 先生が今日はもう寝た方がいいと言うので、母さんだけを病室に残して、明日も仕事がある父さんは車で帰った。

 その時初めて時計を見て、今が深夜の一時だということに気が付いた。

 部屋は個室だった。集中治療室とかいうやつだろうか?

 母さんは俺が眠りにつくまで、ずっと俺の横でシクシクと泣いていた。

 そんな母さんを見ていたら、不思議と俺の方は涙が出なかった。




 一夜明けて翌朝。

 俺は改めて脳波等に異常がないことを検査した上で、一般病棟に移された。

 病室は四人部屋だったが、俺以外に患者はいなかった。

 これは不幸中の幸いだ。

 こんな時に赤の他人と、四六時中顔を合わせたくはない。


 夕方ぐらいに母さんが、着替えを取りに家に戻ると、病室はシンと無音になった。

 俺は何も考える気が起きず、ぼーっと天井を眺めていると、コンコンと病室の扉をノックする音が聞こえた。

 俺がハイと応じると、扉を開けてゲンと薫子先輩と琥太狼先生が入ってきた。

 ゲンは俺の顔を見ると、途端に号泣しながら擦り寄ってきた。


「ぜ、ぜんちゃん~。ぜんちゃん~ううう~。ぜんちゃんぜんちゃん~」

「わ、わかった。わかったから泣くなよ。俺はこの通り生きてるからさ」

「ぐすん……でも……閃ちゃん……足……」

「ああ……もう知ってんのか」

「俺のところに戸川の親御さんから連絡があったんだ。小森と曼珠沙華には俺から伝えた」

「……そうですか」


 江藤にも伝えたんですか、という言葉が喉まで出掛かったが、飲み込んだ。


「閃ちゃん、僕にできることがあるなら何でも言ってね!僕何でもするからね!」

「ありがとうゲン。そう言ってもらえるだけでメッチャパワー出るよ」

「……戸川」

「……薫子先輩……すいません。先輩の大事なインターハイ前なのに、余計な心配掛けて」

「何が余計なものか!!」

「!」

「あっ!すまん……大きな声を出して……。だが、余計だなんて悲しいことは言わないでくれ。お前は私の大切な後輩だ。その後輩に心を砕くことは、私にとっては何よりも大切なことなんだ」

「……ありがとうございます。……あの、薫子先輩」

「何だ」

「こんなこと俺が言うのは、おこがましいかもしんないですけど、インターハイ頑張ってください。俺、先輩が優勝するところ、見たいです」

「……ああ、任せておけ。必ずやこの病室に、優勝旗を持ってきてやる」

「いや、それは周りの人の迷惑になるんで、勘弁してください」

「そ、そうか」

「……戸川」

「……はい、先生」


 琥太狼先生が、今までに見たことのない真剣な表情で言った。


「泣いてもいいんだぞ」

「えっ?」

「本当に辛い時は泣いたっていいんだ。お前には代わりに泣いてくれる仲間がこんなにいるじゃねーか。辛い時に寄り添ってくれる仲間がいるってのは、人生において最高の宝だぜ」


 見ると、ゲンは相変わらず号泣しているが、いつの間にか薫子先輩も奥歯を嚙みしめながら大粒の涙を流していた。

 二人を見ていると、急に視界が潤み、今までが嘘だったかのように、とめどなく涙が溢れてきた。

 俺が泣くと、ゲンと薫子先輩は更に泣いた。

 琥太狼先生は、そんな俺達をただ黙って見守っていた。




 涙も枯れ果てた頃、俺は江藤について重大なことに気が付いた。


「先生、江藤には俺のことはもう伝えましたか?」

「いや、あいつスマホ持ってねーから家電に掛けたんだけどよ。留守だったみてーだから、後でもう一度掛けてみるわ」

「……江藤には俺のことは言わないでもらえませんか?」

「……何でだ?」

「俺が道路に跳び出したのは、江藤が可愛がってる野良猫を助けるためだったんです。多分あいつの性格上、それで俺がテニスができなくなったって知ったら責任を感じちゃうと思います。ずっと隠しておくのは無理でも、せめて夏休みが明けるまではそっとしておいてやりたいんです」

「……そうか、わかった。俺からは何も言わねえよ」

「ありがとうございます」


 その時だった。

 扉を背にしている先生達には見えなかっただろうが、扉のすりガラスの奥に、背の低い女の子の様な影が見え、直後に足早に走り去っていった。

 ……まさかな。



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