4月
「こりゃやっちまったかな」
高校の入学式を明日に控え、念のため自宅からの通学ルートをなぞって高校まで来てみたのだが、思いの外大変だと言わざるを得なかった。
自宅から最寄り駅まで自転車で10分、その後電車で高校の最寄り駅まで1時間、そこから高校まで徒歩10分。中学が自転車で5分の場所にあったので、余りの落差に入学する前から早くも心が折れそうだった。
このルートを三年間も通うことになるのか。
こんなことならもう少し受験勉強を頑張って、地元の高校に入ればよかった。
地元の高校は軒並み偏差値が高かったので、あまり勉強せずとも受かりそうなところが、この千葉県阿佐田市にある、県立阿佐田北高等学校、通称阿佐北くらいしか見当たらなかった。
いや、本当は探せばもっと良い条件のところはあったのかもしれないが、それすらも億劫になってしまい、なかば逃げるように阿佐北へ願書を提出していた。
もちろん受験当日も今日と同じルートは通ったのだが、あの時は通学の大変さよりも、何としてでもこれで合格し、さっさと受験地獄から解放されたいという気持ちしかなかったので、通学のことまで気が回っていなかった。
とはいえ今更どうこうできる問題でもない。受験勉強から逃げた対価だと割り切って、心を無にして通うことにしよう。
それよりも今は、もう一つの問題の方が頭を占めていた。
地元から遠い高校に通う以上、高校に知り合いがほぼいないだろうということだ。
中学で仲の良かった友達は、何故かみんな頭が良く、全員地元の高校に入学することになっていた。元々あまりコミュ力に自信がある方ではないので、また一から友達を作っていく工程を思い浮かべると、陰鬱とした気分になる。
かといって高校三年間ずっとボッチというのも嫌だしな。
どうしたものかと学校の周りをブラブラしていると、人通りが少ない路地裏で背の高いイケメンが、三人の男に取り囲まれているのが見えた。
カツアゲか!?
年齢は四人とも俺と同じくらいに見える。ノッポのイケメン君には悪いが、厄介事はごめんなので、そーっと通り過ぎようとしたその時。
「オイ、そこのメガネのチビ。テメェ今俺らのこと見てただろ」
と、カツアゲヤンキーの一人が俺に言ってきた。
「……チビ?もしかしてチビってのは俺のことか?」
「オメェ以外に誰がいんだよこのチビ!テメェちょっとこっち来いよ」
「……確かに俺の身長は156cmだ。まあ背が高いか低いかでいったら、決して高い方ではないという自覚はあるよ。だが俺はひとからチビって言われるのが、この世で一番嫌いなんだ……よ!!!」
「なっ!?」
俺は全速力で俺をチビ呼ばわりしたヤンキーに突進した。そしてそのまま馬乗りになり、ヤンキーの顔面を何発も殴りつけた。
だが所詮は多勢に無勢だった。残りの二人に引き剝がされ、その内の一人に、腹に思いっきりパンチを喰らい、うずくまったところを三人掛かりで袋叩きにされた。
最後にガツンと頭を蹴られたところで、俺の記憶は途絶えた。
気が付くとノッポのイケメン君が、泣きそうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
ヤンキーの姿は見当たらなかった。
「あーよかった~、目が覚めたんだね!今救急車を呼ぼうとしてたんだけど……本当ゴメンね、僕なんかのために……」
「いや、別にお前のためにやったわけじゃねーよ。あいつらが俺のことチビ呼ばわりするからさ……。てかあいつらは?」
まだ全身のあちこちが痛い。口の中も切れているようで、鉄の味がする。
幸い、メガネは何とか無事のようだ。
「一塚君達は、君が動かなくなったのを見たら、怖くなったみたいですぐ逃げちゃったよ」
「別に俺はあれくらいじゃ死なねーよ。てかお前、あいつらと知り合いなの?」
「……うん。同じ中学だったんだ……。中学の時からよくイジメられてて……。明日から通う高校も同じだし、本当僕どうしたらいいか……」
「お前も明日から高校生なのか。どこの学校だ?」
「阿佐北だけど」
「マジで!?俺もだよ!」
「えっ、そうなの!?どこの中学だったの?」
「いや、俺の家は肘川の方なんだ。高校はいろいろあって阿佐北になったんだけどさ」
「へー、ここから肘川だと大分遠いね」
「ああ、予行練習で試しに家からここまで来たんだけど、通学はキツいし、知り合いはいないしで、早くも辞めちまいてーよ」
「……じゃあさ、よかったら僕と友達になってくれない?」
「えっ?いいのか?」
「もちろん!僕なんかでよかったら」
「いいに決まってんだろ!よろしくな。俺の名前は戸川閃。閃って呼んでくれていーぜ」
「僕は小森元親。元気の元に、親で元親だから、みんなからはゲンって呼ばれてるよ。よろしくね、閃ちゃん」
「閃ちゃんって……まあいいか。何か閃とゲンって響き似てるな」
「あはは、そうだね」
「じゃあさ、ゲン。レインの友達登録しよーぜ」
「うん!」
その場で俺はゲンとトークアプリに友達登録をし、明日の入学式に一緒に行く約束をして別れた。
ヤンキーにボコられたのは、いろんな意味で痛かったが、期せずして一番懸念していた友達ができたことは望外だったと言えるだろう。
ただあのヤンキー達も阿佐北らしいので、それは新たな懸案事項ってところか。
さて、これからどうするか。
とりあえずもう、やることはやった気がするし、さっさと帰るかと駅に向かって歩いていると、川沿いの空き地に背の低い女の子が入っていくのが見えた。
俺よりも背が低かったから150cmくらいかな?
何となく気になったので空き地の中を覗いてみると、先程の女の子が野良猫に餌をやっているところだった。
今時珍しい良い子だなと微笑ましい目で見ていると、不意に女の子がこちらを向いて目が合った。
ショートカットで優しそうな顔をした、とても可愛らしい子だった。
「あっ、ゴメン。覗くつもりはなかったんだけど……」
しどろもどろになりながら苦しい言い訳をすると、女の子の顔にサッと警戒の色が浮かんだ。
そりゃそうだよな、突然知らない男から声を掛けられたら。
適当に誤魔化してさっさとこの場を去ろうとしたが、今度は女の子の顔が急にこわばった。
「どうしたんですか、その顔の傷!?」
「えっ?ああ、これは……」
どうしよう。今さっきヤンキーにリンチされたなんて、恥ずかしくて言えない。
「ちょ、ちょっとさっきそこで盛大にコケちゃってさ。全然大したことないから気にしないでよ」
「ダメですよ!傷からバイ菌が入ったら化膿しちゃうかもしれません!ちょっと待ってください。私、絆創膏持ってますから」
「いや、いいよ。本当に大したことないから」
「ダメです!」
「あ、そう……」
余りの剣幕に圧倒されてしまい、俺はされるがままに女の子に絆創膏を貼ってもらった。
スマホの画面を鏡代わりにして自分の顔を覗いてみると、顔は絆創膏だらけで、しかも絆創膏にはカワイイ猫のキャラクターが無数にプリントされていた。
うわぁ、どうしよう。スゲー恥ずかしい。
かといって、この子の前で剝がすわけにもいかない。
この子と別れたら、後で剝がせばいいか。
「いやー、ありがとう。ちょうど絆創膏がほしいと思ってたとこだから、とっても助かったよ」
「いえいえ、どういたしまして。ところで、この空き地には何か御用だったんですか?」
「えっ、それは……」
君の後をつけて来ただなんて言ったら、絶対ドン引きされる。
今度こそ、何としてでも誤魔化さねば。
「実は俺、家は肘川の方なんだけどさ。明日からこの近くの阿佐田北高校に通うことになってて。でも全然知らない土地だから、下調べしとこうと思ってこの辺ブラブラしてたら、たまたまこの空き地に辿り着いたんだ」
「そうなんですか!偶然ですね。私も明日から阿佐北生です」
「えっ!マジで!?」
「マジです」
なんてこった。こうも偶然が重なるとちょっと怖くもなってくる。
でもこんな可愛い子が同じ学校なら、毎日一時間以上かけて通学する価値もあるかもしれない。
「そっか、じゃあ学校でも会うかもしんないね」
「ふふ、そうですね」
「あ、俺の名前は戸川閃」
「私の名前は江藤藍花です」
「江藤藍花かあ、良い名前だね。てかタメなんだからタメ口でいいよ」
「あ、うん、そうだね。よろしくね戸川君」
「こちらこそ。江藤は猫が好きなのか?」
「うん。猫だけじゃなく動物は全部好きだけどね。本当はこの子も私の家で飼いたいんだけど。私の家のアパート、昔はペット可だったんだけど、去年何かトラブルがあったみたいで、今はペット飼えなくなっちゃって。だからこうして、たまにこの子に餌をあげに来てるの」
そう言って江藤は、慈愛に満ちた顔で猫の頭を撫でた。猫は喉をゴロゴロとならし、とても気持ち良さそうにしている。
本当に動物が好きなんだな。
こんな子と将来結婚する男は幸せものだろうなと、ふと思った。
「そいつ名前はあるの?」
「えっ、うん……笑わないで聞いてくれる?」
「笑わないよ」
「……『ちくわ』って私は呼んでるの……」
「ちくわ」
「あっ!やっぱり変だって思ったよね!?私おでんのちくわが好きで……だから……」
「いやいや!全然変だなんて思ってないよ!俺もおでんの具では、ちくわが一番好きだし!」
「本当?ふふ、気が合うね」
「そうだな」
トイプードルに『ショコラ』とかって名前を付ける様なものだろうか?
いや、それとはちょっと違う気もするな。
この流れでレインの友達登録をしてもらえないか聞いてみるか?
でも、もし断られたら……。
「じゃあ俺はそろそろ帰るわ。また明日、もし会えたら学校でな」
「うん、またね」
結局言い出せなかった。
俺のヘタレ!
でも同じ学校なら、そのうち会う機会はあるだろう。そう自分に言い訳し、俺はまた一時間以上かけて家に帰った。
家では両親に傷のことや、猫柄の絆創膏のことなどをアレコレ聞かれたが、説明が面倒くさかったので適当に流した。
ただ俺は一つ、重大なことに気が付いた。
明日江藤に会うかもしんないから、絆創膏剝がせないじゃん。
一晩悩んだ末、結局絆創膏はそのままで登校することにした。
もしも江藤に会った時、絆創膏を剝がしていたらどんな顔をされるか想像したら、周りの人間に笑われるくらい我慢できると思った。
慣れない満員電車に揺られ、フラフラになりながら阿佐北の正門前に着くと、既にゲンは到着していた。俺に気が付くと、長い手をブンブンと振ってきた。
「おはよーゲン。お前デカいから見付けやすくていいわ」
「えへへー、ありがとう閃ちゃん。僕達同じクラスになれたらいいね。あれ?随分カワイイ絆創膏してるね」
「ああ、これは……家にこれしか絆創膏がなくてさ。あんま見ないでくれ」
「えーいいじゃん。カワイイと思うよ僕は。ところで閃ちゃんのパパとママは来てないの?」
「ああ、恥かしいから来んなって言ったんだよ。結構距離もあるしよ。ゲンの親御さんは?」
「うちのパパとママは、どっちも仕事が忙しいから来れないって……」
「そっか……まあ周りをざっと見る限り、親と来てる人のが少ないみたいだし、気にすんなよ」
「うん、ありがとう」
ゲンと話しながらも俺は、何気なく江藤の姿を探していた。人通りが多い上に、江藤はゲンと逆でちっちゃいから見付けにくい。
まあ焦って探すこともないかと、ゲンと並んで入学式会場の体育館へと向かった。
会場の席もゲンと隣同士だった。つくづくゲンとは縁があるらしい。
同級生達の顔ぶれを見渡していると、斜め後ろの少し離れたところに、江藤が座っているのが見えた。
俺の視線に気付いたのか、江藤もこちらを見てニコッと微笑んだ。
俺も笑顔を返そうとしたが、緊張して引き攣った笑顔になってしまった。
入学式の後はクラス割りの発表だ。
廊下に全生徒の名前が張り出され、自分がどのクラスになるかをそこで確認する。
緊張しながら自分の名前を探すと、俺は一年二組だった。
なかば予想していたことだが、ゲンも二組だった。
これはもう疑いようがない。どうやら俺とゲンは赤い糸で結ばれているようだ。
そして江藤の名前も探したが、これは予想に反して何と江藤も二組だった。もしかして俺は江藤とも縁があるのかな?
少なくとも、これでクラスに知り合いが一人もいないという事態は避けられたので、俺はホッと胸を撫で下ろした。
もちろん俺とゲンは席も隣同士だった。しかもゲンは窓際の一番後ろの席、俺はその右隣だ。なかなか良い席と言えるだろう。
江藤の席も探すと、江藤は一番廊下側の後ろから二番目だった。緊張しているのか、少しもじもじしながら下を向いている。まあそりゃ最初は誰でも緊張するよな。
例のヤンキー三人衆はどうやら違うクラスのようだ。
クラス割りはほぼ満点だなと、ほくそ笑んでいると、急に教室の扉がスパーンと大きな音を立てて開かれた。
そしてどう見てもチンピラにしか見えない、やたらガラの悪い男が教室に入ってきた。
ただ着ている服は異様だった。子供向けアニメの『魔法少女ヴァチキャブリ』のキャラクターが描かれたTシャツを着ていて、下はジーパンで、足元はサンダルだ。
背も高く、筋肉質でTシャツはピチピチだし、髪と瞳は鮮やかな金色だった。
左眉の上に刀で斬られた様な傷があり、メガネを掛けているが目付きがやたら悪い。
不審者が紛れ込んでしまったのかと思ったが、もしかして……。
「俺がお前らの担任のレーヴェンブルク琥太狼だ。ドイツ人と日本人のハーフだが、日本生まれの日本育ちだからドイツ語は一切喋れん。レーヴェンブルクって苗字は言いにくいだろうから、琥太狼先生って呼んでくれて構わねーぜ」
マジか。
最近の教師はアニオタのチンピラでもなれるのか。
時代が遂にグレートティーチャーに追いついたのだろうか。だとしても、それは他所のクラスでやってほしかった。
動物園のライオンは檻の外から眺めているから楽しいのであって、檻の中に入れられたら堪ったもんじゃない。
クラスメイトは満点でも、担任は零点っぽいなと嘆息した。
今日はこれで解散となったので、俺はゲンと一緒に帰った。
ただ、その帰り道でヤンキー三人衆とバッタリ会ってしまった。
「ゲッ」
「アッ、テメェ!」
昨日俺に腹パンをした男が啖呵を切ってきた。
くっ、入学初日に問題は起こしたくなかったが、やるしかないのか。
「オイ、そんなやつに構うな。いくぞ」
「えっ!?イッチャンどうしたんだよ?待ってくれよイッチャン!」
三人ともアッサリ引き下がって拍子抜けしたが、イッチャンと呼ばれた、俺が殴った男の頬が、パンパンに腫れてガーゼが貼ってあったのを見て合点がいった。
俺って意外と力強かったんだな。
翌日から授業が始まった。
勉強自体、受験が終わってから一切していなかったので、ハッキリ言って内容はチンプンカンプンだ。
まあその内わかるようになるだろう。
まったく根拠はなかったが。
昼休みになったので、ゲンと机を付けて一緒に弁当を食べることにした。中学の時は給食だったので、何だか新鮮だ。
今日のおかずは俺の好物のハンバーグだった。弁当初日ということもあり、母さんも気合を入れてくれたのかもしれない。
「うおっ、ゲンの弁当メッチャ豪勢だな。エビフライ一本くんない?」
「いいよー。まあこれは家政婦さんが作ってくれたんだけどね」
「お前ん家、家政婦さんとかいんのかよ!さてはお前ボンボンだな」
「あははー、僕なんて大したことないよ。この学校には僕なんか目じゃないくらいのお嬢様がいるし」
「そうなのか?」
ただ、今の発言は自分も言外にボンボンだということを認めた様なものだ。
とはいえゲンの醸し出す雰囲気から、ボンボンだからといって、それだけで幸せなわけではないということは何となく感じた。入学式に両親が来なくて、寂しそうにしてたしな。
ふと江藤のことが気になって廊下側の席を見ると、江藤は一人で弁当を食べていた。
江藤はこのクラスには、知り合いはいなかったのかな?
江藤にも声を掛けようか迷ったが、ゲンに何て言っていいかわからなかったし、明日になれば江藤も友達ができるかもしれないと思ったので、そっとしておくことにした。
「そーいえばゲンはもう入る部活決めたか?」
「ううん、まだ迷ってるんだよね。中学の時は野球部だったんだけど……」
「へえ、意外だな。じゃあここでも野球やればいいんじゃねえの?」
「うん……そうなんだけど……」
「……?」
あっ、そうか。多分ヤンキー三人衆も野球部だったんだ。
もしかしたらゲンは、主に部活中にイジメられていたのかもしれない。
「……なあゲン、よかったら俺と一緒にテニス部に入らないか?」
「えっ、テニス?」
「ああ、つっても俺が入ろうとしてんのは、硬式テニス部じゃなくてソフトテニス部だけどな」
硬式テニスというのは、プロが使っている中までぎっしりゴムが詰まった、硬いボールを使うテニスだ。
それに対してソフトテニスというのは、中が空洞の柔らかいゴムボールを使うテニスで、身体に当たっても硬式ボール程は痛くない等の理由で、中学校の部活ではソフトテニスの方が主流だ。
俺も中学の時に親に勧められて何となくソフトテニス部に入っていたのだが、他にやりたいこともなかったので、高校でも部活はソフトテニスにしようと思っていた。
これでゲンも一緒に入部してくれれば、尚部活が楽しくなるだろう。
何よりソフトテニスは、硬式と違ってシングルスはなく、ペアで戦うダブルスしか試合は無いのだ。
俺とゲンは赤い糸で結ばれている。ゲンとだったら、阿佐北のゴールデンペアと呼ばれる日も夢ではないかもしれない。
「……やっぱ嫌か?」
「ううん!せっかく閃ちゃんが誘ってくれたんだもん。テニスは未経験だけど、僕やってみるよ!」
「そうか!阿佐北のゴールデンペアの誕生だな」
「んっ?何それ?」
放課後、部活動見学があるというので、俺とゲンは裏庭にあるテニスコートに向かった。
既に結構な人数が集まっており、少し圧倒されたが、何より異様だったのは圧倒的な男女比だった。男子の一年生は、俺とゲンを入れても六人しかいない。
まあ、それはそこまで異常ではないのだが、女子の人数は、一年生だけで優に五十人以上はいる。これはいくら何でも多すぎないか?
だが、その理由はすぐに判明した。
一人の先輩と思わしき女の人が、前に出てきてこう言った。
「我が校のソフトテニス部は、代々練習を男女混合で行うことを通例としている。そして部長も、男女の中から一名だけを選出することになっている。今年は私、曼珠沙華薫子が部長になった。よろしく頼む。曼珠沙華という苗字はあまり好きではないので、みんなは下の名前で呼んでくれ」
「「「キャー!!薫子様ー!!!」」」
……えぇ。
曼珠沙華先輩、もとい薫子先輩は高身長で、凛々しく美しい顔立ちをしており、長い黒髪を侍の様にポニーテールにしていた。
パッと見、ヅカの男役にしか見えない。
なるほど。女子はみんな薫子先輩が目当てだったのか。
「あの人がさっき僕が言ってた、とんでもないお嬢様だよ。曼珠沙華財閥って聞いたことあるでしょ?薫子先輩はそこの御令嬢なんだ」
「マジか!?」
曼珠沙華財閥と言えば日本有数の財閥の一つだ。
だが。
「何でそんな凄い人が、うちみたいな平凡な高校に通ってんだよ?」
「噂では、『家から近いから』ってのが理由らしいよ」
「スラムダ○クのル○ワかよ!」
まったく、雲の上の人間の考えてることは、凡人には理解できん。まあ薫子先輩くらいの存在になれば、通う高校に貴賤はないのかもしれない。
薫子先輩の登場に多少気圧されはしたものの、俺とゲンは予定通りソフトテニス部に入部届を提出した。
次の日の昼休みも、俺とゲンは一緒に弁当を食べるために机を寄せた。
だが、江藤の方を見ると、今日も江藤は一人で弁当を食べようとしていた。
俺は大分迷ったが、剝がれかけてきた絆創膏をそっと一つ撫でると、意を決してゲンに言った。
「なあゲン、もう一人一緒に飯食うやつ誘ってもいいか?」
「えっ?ああ、いいけど。誰を誘うの?」
「サンキュ!ちょっと待っててな!」
「あ、うん」
心の中だけで深呼吸をしながら、俺は江藤の席まで歩いていく。
「よう、江藤」
「あ、戸川君、どうかした?」
「ああ、うん」
「……?」
ええい、クソッ!勇気を出せよ俺!ちょっと一緒に飯食おうって言うだけじゃねーか。
「……戸川君?」
「よっ、よかったら、俺達と一緒にでしくぐふあっ」
「でしくぐふあっ!?」
「間違えた!め、飯食わないか、一緒に!」
「えっ」
一瞬にして江藤の瞳に、明るい色がさしたような気がした。
「いや、いいよ、気を遣わなくて。私なんかとご飯食べても楽しくないよ」
「いや、気なんか遣ってないよ!俺が江藤と飯食いたいって思ったんだよ」
「……でも、お友達と一緒に食べてるんでしょ?」
「あいつもいいって言ってるよ。なっ、だから頼むよ」
「う、うん。そこまで言ってくれるなら……」
こうして俺と江藤は二人で、もじもじしながらゲンのところに戻った。
ゲンは俺が女子を連れてくるとは思ってなかったらしく、目を丸くしていた。
「あれ?江藤さん……だっけ?」
「うん。小森君と直接話すのは初めてだね」
「何だ?お前ら知り合いだったの?」
「中学が同じなだけだけどね。同じクラスになったことはないし。小森君は背が高いし、カッコイイから結構有名だったんだよ」
「えーそうなの?何か照れるなぁ」
「ふーん」
何だろう、今ちょっとだけ胸がチクッとした気がしたけど。
気のせいか。
「おっ、江藤の弁当美味そうだな。江藤の母さんは料理上手なんだな」
「ああ、うちお母さん死んじゃっていないんだ。これは自分で作ったの」
「あ……そうなんだ。ごめんな」
「ううん、気にしないで。よかったらこの玉子焼き一つ食べる?」
「いいのか!?サンキュー!」
その玉子焼きは今まで食べた玉子焼きの中で、ダントツで一番美味かった。
その日は三人で、とても楽しくおしゃべりをしながら弁当を食べた。
「そういえば、江藤は部活決めた?」
「あ、私は部活は入ってないんだ」
「何か入んないの?」
「うん、ちょっと……」
「?あ、そうだ。江藤、よかったらレインの友達登録してくれないか?」
「うん、ありがとう。でもしたいのはやまやまなんだけど、私スマホ持ってなくて……」
「……そっか。じゃあしょうがないな」
「ごめんね」
「ううん、気にすんなよ」
ひょっとしたら父子家庭だから、いろいろと生活が厳しいのかもな。
この日以来、俺達は休み時間もよく三人で話すようになった。