世継ぎを押した一派―――陽遡国(ようそこく)
建国理由
綺虹国の北東に位置し、翔聖王の第一皇子・龍堂を支持した一派が新たな概念を持つ同志たちと共に建国した国。
当時の皇王の第一子、第一皇子として誕生したが、生母の身分は低く、決して豊かではない地方豪族の娘であった。誕生時有力貴族の娘が懐妊中であったため、彼女の配慮のために母子共々実家での養育を余儀なくされた。その後15歳になるまで母の実家で育ち、一般市民に混じって春から初秋までは田畑を耕し、冬になると放牧の民として生活していた。
15歳の時に、後の虹羅王となる第二皇子、麗央が誕生するが、彼の生母の身分は龍堂よりもさらに低い元遊女であった。それ以外の皇王の子はみな女子であったため、皇位継承に危機感を感じた臣下たちが彼を宮中に呼び戻したのである。次期皇王として宮中に戻ったはずの龍堂であったが、そこで彼を待っていたのは生母の身分の低さを蔑む冷たい視線だった。それに耐え必死に行事作法や帝王学を学ぶ龍堂だったが、23歳の時父翔聖王に新たに若く身分も釣り合いのとれた女性が正妃として嫁いでくると知り、我が身があくまでも控えの存在であると悟る。
そのころから彼は、日ごろから一部の特権階級が国を動かす政治の在り方に疑問を抱き始めた。市井を知らない者たちが己の都合で新しい税を国民に押し付け、自らは贅沢に溺れた暮らしをしている貴族たちの様子を見て、地方出身者を母に持つ彼はその有様に心底軽蔑していたのである。その10年の月日をかけて「王」を中心とした政治から「民」を中心とした国作りを目指す仲間を増やし、国家転覆をはかろうとしたが、御使降臨によりその夢は潰えた。実際に行動には移されなかったものの、国家に対しての反逆を目論んでいた彼には麗央の即位前日に処刑という裁きが下るが、御使がその措置に異を唱え、綺虹国北東部の山間部にある古城に生涯幽閉されることとなった。
北東に追放される日の前日の夜、御使が彼の元を訪れ一冊の書物を授けた。それを元に、彼はそれまでこの世界になかった共和主義という概念で政治を動かす国を作り上げたのである。
彼には正式な妻の存在は認められていないが、乳母の娘であり幼馴染である女性との間に2人の女子を、幽閉後に結ばれた御使の異母姉との間に1人の男子を儲けたと記録に残されている。この3人の子供たちの血脈が今も陽遡国に受け継がれているとされる。
この国では聖虹神を主要な神とし、20年に1度龍堂の血を受け継ぐ者の中から名代を立てている。
人口男女比は5.5:4.5の割合である。夫婦別姓、夫婦別産制を取る。
宗教
彗宮教を信じる国民が多いが、国教としては定めていない。聖虹神を主要の神としているが、最高神として祀っているわけではなく、神像などは赤虹・紫虹と差を付けず同じ高さに設置されている。
政治体制
王や貴族といった特権階級は存在せず、代わりに総統と呼ばれる国の代表が国民の選挙によってえらばれる。選挙権は男女ともに15歳から55歳までの国民に限られる。
その者を中心に「将」と呼ばれる地域ごとに選挙で選ばれた者たちが政事を行う事になっている。
総統の任期は1期4年、連続して3期まで務めることができるが、それ以後は一切政治に関わることができない。
将は20に分かれる州の地域から陽将、光将が各4名ずつ選ばれる。陽将の任期は1期4年、連続して3期まで務めることができ、光将の任期は1期6年であり、連続して2期まで務められる。その後期間をおいて再度将に立候補することは可能だが、2回目当選の際は1期までしか務められず、その後立候補の資格はなくなる。
保守党と革新党の二大政党制を取っており、無所属の将は少数派である。
しかし、そのような政治体系であっても世継ぎの家系は途絶えずに今も存在し、影に身を潜めつつ政事に参加していると言われている。そして、その家系をたちを守る為に政治にはかかわりを持つことはないが、人々から尊敬の念を集める「爵位」の家格を持つ家が複数存在している。
龍堂家の継承権
龍堂の血筋を重んじているため、近親者の結婚が一般的に行われている。兄弟姉妹間での結婚に関しては、同父異母兄弟姉妹のみが許されており、異父同母兄弟姉妹、同父母兄弟姉妹の婚姻は建国当時は行われていたが、現在では禁止されている。末子の男子が龍の名を受け継ぎ、当主となる。当主に男子がいない場合は当主の兄弟の子と当主の娘が結婚し、最初に生まれた男子を後継とする。