君はまるで春風のようにすり抜けていく
常軌を逸した行動――と言うのは、彼女の死にたがりを意味するのではないか、そう思うようになったのはいつからだったろうか。
出会ってそんなに長い付き合いでもないけれど、兎に角普通じゃないことだけは分かった。
ふわふわの柔らかそうな髪を風に遊ばせながら、チャリチャリと手の平の中で鍵を転がして遊ぶ姿を見付けて、声を掛ける。
やっぱり、ちょっと普通じゃないかな、と思う。
だってココは学校の屋上で、出入り禁止のはずなのにそこの鍵を持ってて、フェンスを越えた先に立っているんだから、普通じゃない。
「……どうしたの?」
鍵を握り締めたまま、顔を上げた彼女は、目を瞬いて俺を見た。
少し強い風で彼女の体が揺れる。
ちょっと、本気で危ない。
「こっち」
づかづかとフェンスの方へ歩み寄り、ガシャンッ、と音を立てて掴む。
こっち、とはフェンスの中の方――つまり俺のいる方。
だが、彼女は少しだけ眉を顰めてから、考えるように背後にある空間を見た。
後一歩でも踏み出せば、その足を支える面積がなくなり、その高さから真っ逆さまに落ちるだろう。
早く、と若干急かすように言えば、小さな溜息が聞こえて、ガシャンガシャンと音を立ててフェンスを超える彼女。
制服なんだけど、スカートなんだけど、迷うことのない動きにこちらの方が恥ずかしくなる。
それに、普段のんびりしていて、運動も苦手なのに、こういう時だけやたらと機敏に動けるのは何でなんだろう。
ぼんやりと降りて来る彼女を見ていると、後少しのところで、ストン、と飛び降りて来る。
「危ないから、ちゃんと降りてね」
「……うん」
間があったけれど、素直に首を動かして頷く彼女は、可愛いと思う。
だけれど、そう思えたのもつかの間で「それで……止めに来たの」と酷く面倒臭そうに吐き出された言葉に、がくり、肩を落とす。
彼女は冒頭で言ったように、俗に言う『死にたがり』というやつだ。
理由は分からないけど、兎に角死にたくて、取り敢えず死にたいらしい。
手首に傷とかは付いておらず、特に自傷らしきものは見当たらないけれど、自殺未遂による傷はたまに見掛ける。
初めて見たのは、首吊りに失敗した時。
元々白い首にぐるぐる巻きにした白い包帯を見て、何事かと思ったのを覚えている。
その次は飛び降り。
下が芝生だって気付かなかった、と言った彼女は下手くそな手付きで松葉杖をついていた。
まぁ、つまり、彼女は何度も自殺未遂を繰り返し、今日も生きているのだ。
俺としては喜ばしいことこの上ないが、彼女はそれが許せずに今日も死にたがる。
しかも、今日は学校の屋上だ、流石に止めるだろう。
「崎代くんくらいだよ。ボクが死ねないの知ってて、そんなに必死に止めようとするの」
ほら、と彼女の手が伸びて来て、俺の前髪を梳く。
浮き出ていた汗で額に張り付いていた前髪を見て、走って来たんでしょう、と彼女が言う。
その通りだけれど、実際に言われると何だか居心地が悪い。
「作ちゃんは、さ……もっと大切にしなよ。自分とか……周りの人とか」
「……だから生きてるんじゃない?タイミングも悪いけど、ボクの確認不足もあるけど、そうやって周りがボクの生を望むから、ボクは今日も生きてるんじゃないかな」
人形みたいに表情が変化しにくくて、特に笑顔なんてなかなか見れない彼女の顔に、嘲笑にも似た笑みが浮かんだ。
俺が見たいのはそういうのじゃないんだけど。
どう言うべきか分からなくて、俺の髪をふわふわと撫で続ける彼女の腕を掴んだ。
思ったよりも細い腕に、驚いたけれど、実際は彼女の方が驚いたようで、肩が揺れる。
目が合った時に、僅かに動いた唇からは、吐息だけが漏れていた。
「崎代くんは優しいねぇ」
唇だけに浮かんだ笑みは、やっぱり俺が求めた笑顔とは少し違う。
満面の笑みがみたいよ、作ちゃん。
俺が眉を下げれば、そっと掴んでいたはずの腕が離されて、逆に俺の腕が掴まれる。
小さな金属音が手の平に落ちてきて、見下ろせば屋上の鍵があった。
何故かしろくまのキーホルダーが付いているが、もしかしなくても勝手に作った合鍵か。
作ちゃん、そう呼びかけようとしたけれど、言葉にならずに飲み込んでしまう。
「今日は、止めておくね」
あくまでも強調された『今日は』が耳に残る。
ふわりふわり、サイドに結わえた髪を揺らしながら、彼女は俺に背を向けて屋上を後にした。
今日も俺は止められなかったらしい。
俺には彼女の死にたいが理解出来ないけれど、彼女には生きていて欲しいだけなのに。
上手くいかないなぁ、としろくまのキーホルダーと鍵を握り締めて目を閉じる。
その翌日、彼女は飛び降り自殺をして、俺の知る限り、初めて入院した。