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Dirty×dirty!!  作者: D'or
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淵上今日子の憂鬱〜逆周編〜

「え、えっと。では、盗んだものを拝見させていただきますね」


ひ弱そうな、見た目からして約40代辺りであろう中年太りのおじさんが、机を挟んで向き合う形になっている相手に対し、半分おどおどするような立ち回りでそう告げる。

相手………つまりギャル達は、本来ならこの威厳も希薄なおじさんの言うことなど、しかもこの態度であるならば聞くまでも無く反抗しまわり、文句や罵詈雑言、汚らしい悪態をついた後に立ち去り、後にお得意の『先輩呼び』でこのおじさんを闇討ちするのがやり口なのだろうが。

ここぞとばかりに彼女達は、うつむいたままバッグから商品を事務室の机におく。

この豹変ぶりは、駐車場の出来事を垣間見てしまったからこその変わりぶりだと言える。

弱々しい男性が座っている椅子の背後に聳え立つように、例の男『鬼島荒太』は存在している。

睨めつけるように彼女達を見つめ、視線だけで傍若無人で厚顔無恥な彼女らを圧迫させていた。

その雰囲気を感じ取っているからこそ、彼女達はここまで静かなのかもしれない。

次もし怒らせたりしたなら、今度は自分たちが壁にめり込む番なのではないか、という心配が彼女達を不安にさせる。

お得意の先輩様も今は駐車場の金網フェンスに叩き込まれ、完全に失神状態だった。

頼れるものをなくした彼女達は、まるで荼毘に伏した老父母のようにおし黙っている。


尚、その中に淵上今日子はいた。

なぜか濡れ衣を着せようとしたギャルのせいで、ついてくることになったのだ。

アンラッキーだと言える。

あの時コンビニに寄らなければこうならなかったのだ。


「お、お嬢さんはなにか盗んだんじゃないですか?」


おじさんが淵上今日子を指さしてそう言うが、場の静まり返った雰囲気を前に、彼女は小さく「盗んでません」と返す。

聞きえたか聞こえてないのか、おじさんが首をかしげている様子を見た鬼島はしびれを切らしたかのように呟く。


「店長、俺が見ていた様子だと、お嬢さんはとってないようでしたよ。つか、コンビニに来店したのも、そこのギャルトリオとほぼすれ違いのようでしたしね。盗る暇っつうか商品を手に取ってさえいなかったッス」


店長だったんかい。

そう淵上今日子はツッコミを入れたかった。

だがまあ雰囲気が雰囲気であるので、その場違いなツッコミは結局喉元で詰まったが。


「とりあえず、万引きの品は全部出してね。余さずにね」


店長が弱々しい声で言っている間にも、まるでロボットかのように、しかしロボットにはない感情を、ひいては不満をたぎらせたような顔で盗品を次々に出していくギャルトリオ。

化粧品、美容用薬品、お菓子、飴にガム。

反省しているとはあまり取れないような表情で机に並べ出す彼女らの手から開放された品々は、凡そ高校生になる女子が手を伸ばしそうなものばかりだった。

いつの間にこんなに盗んだんだろうと思わんばかりに敷き詰められた盗品の数々。

正直、間近で見ていた淵上今日子は、最初は野次馬心に駆り立てられて、不謹慎にも興味津々で彼女らのバッグから現れる品々を見ていたわけだが、化粧品の数が累計8個、菓子類はすべて含めて10個ほど姿を現した時は流石に顔が青ざめた。

引いたのである。

盗みすぎであると言う感想と同時に、常日頃から目の前に立ちふさがっては邪魔立ていたすギャル達がこうもひどい醜態を撒き散らす姿を、肩がぶつかるほど近くで見ていたのだから仕方が無いことだろう。

もとより彼女らになんら特別なものを感じてはいなかったし、何なら消えてしまえとも思っていた淵上今日子だったが、この事実を知ってしまった以上、彼女らに失望したというか、幻滅したと言う感想を抱く他なかった。

それよりも、こんなに弱いギャル達に苛まされていた自分に対し、そしてこのギャル達に対し、同じくらいの激しい憤りを感じつつある彼女は、いつの間にか膝の上に乗せていた拳を力いっぱい握りしめていた。


「……流石に取りすぎっしょ。さすがうちのコンビニの万引き常習犯ってところすかね。うちの被害総額だけでどんくらい行ったんでしょうね店長」


ギャル達の手から織り成される『商品』達の止むこと無きエレキトリックパレードが終盤を迎えたあたりで、この様子を無言のまま表情を崩さずに見ていた鬼島は、気だるげな姿勢を崩さぬままに、言うなればふてぶてしい態度で店長に問うた。

机上に置かれた盗品の列を見て呆れたのか、彼の心の底を覗くことは到底叶わないが、彼が見せる態度の一片ずつには隠そうともしない彼の感情が見え隠れしている。

怒りを通り越し呆れのようなもの。

淵上今日子は鬼島のその様子に気づきはしなかったものの、しかし彼の言ったある1文を聞き漏らさずに聞いていた。

恐らく、重要なところを。


―万引き常習犯?こいつらが?―


ともなれば、このコンビニにはこいつらはよく来ていたということか。

たしかにここまでの盗品を盗めているあたりでは、常習犯らしく緻密な計算やら、とってもバレないように済ますテクニック、このコンビニの、四面八方死角になるところなど知っていたなら、ここまで豪胆で大胆な万引きも頷ける。

もちろんそんなものがあるならだが。

というか、万引き云々で何円分取られたか、などという鬼島なる若者であるが、彼のあの行動を見る限り、わざと泳がせて釣る作戦のようだったが、まるで今までは失敗していたかのような口ぶりだった。

彼なら初発の万引きで摘発することは容易だったのではないか、と疑問が浮かぶ。

彼の性格―と言えどもそれほど多く語れるほど付き合った中でもないし、強いて云えばこれが多分初対面だが―からして、万引きの一部始終は見たが、めんどくさくて捕まえなかっただけ、という考えもあるのだろうか。

万引きされた品を取り戻そうが、店員の時給に影響しないのなら面倒事は放って置く、という生き方なのかもしれない。

一方、店長は鬼島のその問にはぴくりとも反応しなかった。

聞こえてないのか、聞こえてないふりをしているのか、判断しがたい。

ひととおり盗品がで終わったところで再び鬼島が口を開く。


「さって、このギャルトリオがいかなる領分でこんな大罪を犯したかについて聞きたいんですが、どうしましょう」


さっきからトリオと略されている事に眉をひそめるギャルトリオ。

淵上今日子を万引き主犯だと、咄嗟とはいえ嘘をついて仕立てあげた事が、バレそうになる事に眉をひそめるギャルトリオ。

同じような行動だが中身がまるで定まっていない彼女達の様子に、内心までは気付けなくとも店長は察している。

そんなことを店長は口はおろか顔にさえ出さず、苦笑しながら鬼島の話を繋ぐ。


「どう……たってねえ。まあ確かに今から尋問する訳だが。どっからどう聞くべきかなあ……あ、そうだまず聞きたいことがあるのだよ鬼島君」


「……?俺に?なんスか店長」


「外の金網フェンスに青年がめり込んでたわけだが。あれはめり込んでまだ新しい様子なんだ。特に君がレジ番していた頃合が一番外がうるさかったわけだが何か知らないかい?」


「………」


「………」


「「「………」」」


店長の何気ない質問が、場の空気をもっと沈ませる。

目の前で起きた到底喧嘩にさえなっていなかったあの路上ファイトの一部始終を見てしまったからこその反応だと言える。

鬼島という名前のコンビニ店員が、ネームプレートを壊された事に腹を立て、胸ぐらを掴んで『持ち上げて』、そのまま金網フェンスに『ぶん投げた』。

圧倒的な膂力が物語る一連の殺陣は、さしもその場にいた少なくもここに座るギャルトリオ+淵上今日子の4人の目にしかと焼き付けられ、そしてその映像は早くも脳裏にさえしっかりと植え付けられた事象となった。

店長の素朴な疑問であるだろうこの質問は、同時に彼女らのトラウマ心というものに近い何かを駆り立たせるには十分なものであり、そしてだからこそこういう反応に陥ったわけだ。

ただ1人、当本人の鬼島の反応は沈黙は沈黙でも、何とか切り抜けようというコスずるい考え丸出しの呆け面だったが。

淵上今日子も、あの出来事を未だに信じられないでいる。

と言うより、到底信じられるものでもないだろう。

UFOや宇宙人など、囁かれる都市伝説などは信憑性やらなにやらを差し引いても信じ込む人は現れるが、しかし確実にこのコンビニで起きたあの喧嘩は信じ込む人はいないだろう。

ジャンルが違うのだ。

都市伝説あたりは、目星をつけようものなら『伝説の一種』であると同時に、しかし虚言妄想であると確証することがかなわないからこそ伝説を保ち続け、また信用の有無をほしいままに掌握している。

だがどうだこのケースは。

逆にあまりにも『現実味を帯びた』ケースである。

逆に、現実味を帯びすぎたからこそ、信じられない。

伝説でも何でもなく、確証も取れる、ごく単純に日常内に存在したものであるが、信じられない。

信じたくない、ともいうべきか。

あの路上ファイトがあって、しかも終わったからこそ、この尋問へと円滑に進められたわけではあるが、しかしもしかしてあれは夢だったんじゃ、などと思えてしまうほどだ。

結局そのまま放置に晒されたあの男性はどうなったか知る由もないが、駐車場金網フェンスといえどもあんなギャグ漫画みたいなめり込み姿のまま、ひいては気絶したまま公然の場でお茶目な姿を晒し続けている所を考えれば、少しは同情してやってもいいかななどと淵上今日子は思い始める。

そんな淵上今日子の心情も知らず、鬼島荒太は非道な程に、しかしそれでいて清々しいほどシンプルに、かつ自然な様子でケロッとこう言い出す。


「ああ、ありゃアレっスよ。あの青年が、『僕はメジャーリーガーになるのが夢なんス!』って高笑いしながらフェンスに突っ込んでいきました。んで、成れの果てがアレっす。若いっていいですね。どうしようもないことに命かけれてて」


どう突っ込んだら背後から金網フェンスにめり込むんだよ!!

という淵上今日子の心からの糾弾は、ついに胸中のみで再生されるだけであった。


「あ、そうなの?僕もメジャーリーグ大好きだからねえ。その子とは仲良くなれそうだ。強そうだよねレアルマドリード」


メジャーじゃねえ。

少なくとも店長と呼ばれるこの小太りしたおじさんは金輪際球技スポーツの話題を提唱するなと釘刺しておきたかった淵上今日子だった。

淵上今日子も実際は球技に対してなんの興味も湧いてはいない方ではあったが、逆をいえばそんなに素人同然の淵上今日子でさえ憤りを感じつつあるほどの知ったかぶりを決め込むおじさんである。

この場に熱烈なファンがいたらば今頃乱闘騒ぎに発展していたかもしれない。

一方のギャルトリオもついていけなさそうな顔をしていた。

色々とツッコミたそうにうずうずする数人。

この時ばかりは気持ち的に同調してただろう。


「俺、あんま球技自体好きでもなかったッスけどね。サッカーはまあ得意っちゃ得意でしたけど。んで雑談はここまでッス。取り敢えずこいつらの処分を下してから話しましょうよ」


自ら乱したはずの前髪をかき揚げながら、鬼島はそう言う。


「そうだね、弁償代は君の時給から賄うとして」


店長の放った無慈悲な言葉のレバーブローを真横からまともに喰らった鬼島は、前髪をかき揚げた状態のまま数秒ほど固まった。

彼の死んだような表情が悲しく歪んで見えるのは私だけなのだろう、と淵上今日子は苦笑する。


「さて、まず彼女らの言い分を聞こう。正直に言って君たちが行っていた『万引き』についてはずっと前からしっていた。君たちはきっと見つかってないだとか、店員がヘボいだとか、そう思っていたのだろうが、どうであれ君たちが日々横行してきた万引きという行為が犯罪に当たることは分かってるね?」


店長の言葉は、先程よりも確実に刺々しく、そしてより戒める力を滲ませたものとなっていた。

先程まで見せた、なにかたどたどしくさっぱりとしない口ぶりを見せていた彼の姿とは相反し、何処までも実直な姿勢だと言える。

しかしこれは結局、彼女達と彼の関係性に基づけば至極真っ当な関係であることは明らかなのだ。

あくまで今の状況は、万引き犯と万引きされた側の店の店長なのだから。

糾弾する側がいつまでも下手にいるような会話では、もはや人道的、ひいては民事的にも刑事的にもどの点から見ようと、店側が被害を被ったのにも関わらず、不利な光景であると一目瞭然となる。

起こした犯罪は何より事実であることは確証されているので、店側が尋問中に不利になろうと有利になろうとその後に続く処理に支障がきたすことなど、あっても微々たるものになるだろう。

しかし、刑事的にも民事的にも、と言うように、警察に連絡をしておらず、店の独断で処断を下す場合に限っては、彼女らの言い逃れに上手く釣られて見逃してしまうなども考えうる。

第一、彼女らも捕まった日には大胆にも言いがかりをつけたりだのと筋の通らない抜け道を利用して巻こうと考えていたわけだ。

先程からずっと睨めつけるように静止する若者、鬼島に出会うまでは、だが。

だからこそ鬼島の膂力を知らなかった彼女らは、妙な言いがかりのような悪態をつき、仕込んでおいたのかどうなのか、コンビニの駐車場で待っていた知人にやっつけてもらおうという魂胆だったわけだ。

なんとも常人には理解出来ない内容ではあるものの、結局はその頼りの知人は呆気なくこれまでに無いくらいの惨敗に喫し、失敗に終わったことでこの尋問室に繋がっているわけだが。

さて、そのような彼女を相手取った対談なのだ。

店長が彼女らの性格のどこまでを知り、理解しているかはわからないが、悪態やなにか筋の通らないデタラメなことを言い出すことを予想して、その点を回避するための対策で急にあんなに態度を変え始めた可能性もあり得るし、もしくはこの会話による緩急自体が彼の性格なのかもしれない。

どちらにせよ、何故かギャル達と一緒芥の一括りにされた淵上今日子は、いい危機回避だと心中で賞賛する。


問われたギャル達は何を答えるわけもなく、俯いたまま口を開こうともしていない。

表情を確認できないまでも、恐らくそに表情に反省を帯びていることはまず無いだろう。

淵上今日子はそう思う。


「今回ばかりは、いつも深夜勤務してもらっている鬼島君に夕方のレジを頼んだんだ。今日ばかりは運が悪かったようだよ、君達」


運が悪かった、というのであれば、須らく淵上今日子はそれ以上に悪かったのではないか。

友達のことで悩みさえしなければコンビニに寄らなかったかもしれないし、まさか寄った矢先にギャル達と遭遇を果たし、挙句の果に鬼島なるコンビニ店員がちょうどレジ番をしていた日であったなどと、どこの誰がここまで毅然と計算し尽くされて執り行われたような偶然の連鎖を想像することが出来たのか。


「それじゃ本題に入らせていただくけど、この万引きはそこのお嬢さんが差金って言うのは間違いないの?」


店長はそう言いながら淵上今日子を見つめてくる。

ここで彼女はこの状況を再度確認するハメになる。

目線が自分に向けられている現実に、淵上今日子はキュッと口を結んだ。

冤罪であるはずの彼女が、片棒はおろか切れ端さえ担いでいないはずの彼女が、なぜ尋問室及び事務室に連れてこられたのか。

そもそも尋問室などという場所など、いい意味で連れてこられる所じゃないのは明らかだ。

一般人で入れるのはせいぜいそこで勤務する店員くらいのものではないか。

通常の一般市民で行き続ければ、まずお目にかかれない場所を拝見することはできたのだが、しかしいい気がしないのはやはり今の状況があるからだろう。

俗にいえば濡れ衣。

やってない事を、あたかもやったことにされた。

自己責任ならぬ、事後責任を負わされたのだ。

あっていいはずのない、人のイタズラの度を過ぎた行いであった。

この場合は犯罪になるかならないか、というかなるであろう線であるので、こうした責任転嫁をした際は十分に法律で罰することさえできる。

そういう考えを持っていないのか、もしくは咄嗟に道連れにしようとしたのか、淵上今日子の名を使い、まるで万引きをする事を強要したかのように言い出したギャル。

なんとも自分勝手で救いようのない弁明である。

情けない姿を見せたあたりから、あとは小さな隙をかいくぐれば淵上今日子の勝利は約束されるのだが、しかし今の状況はとてつもなく淵上今日子に不利なのは言わずもがな場がそう表している。

それは仲間の数だ。

例え淵上今日子が真実を、濡れ衣を着せられてここにいるという事実を申し立てたところで、この3人は認めることはおろか、むしろギャルのついた虚言を正当化にするべくして歯向かってくるのがオチだろう。

真犯人を強制的に樹立させることで、ギャル達には本来受けるはずの罰が少なくなるというメリットがつく。

勿論、裏で犯罪を犯せと命令した真犯人が最も大きな罰を受け、なにか弱みにつけこまれ、嫌々片棒を担がされたとの供述をすれば、情を制して罰も軽くなるという安易的な考え。

その薄っぺらくわがままに無理やり付き合わされたのが、しかも真犯人という大罪役に担がれたのが淵上今日子という事なのだ。

どの点から考えても、淵上今日子のどこに落ち度があるのか激しく問いたくなる場面ではあるが、如何せん淵上今日子の勝率は見方の数を考えてもやはり少ない。

3対1である。

総人数のうち過半数が申し立てに対し反発する事で、嘘さえ真実に変わってしまうのがここの所の現実なのだ。

確定な証拠がない限り、人数で負けている淵上今日子の勝ち目は薄い。


なんとか、ギャル達が嘘であると自告してくれるならどれだけ嬉しかったことか。

だが勿論、そんな一縷の希望さえ現実を前にしては淘汰されるべき光だったようだ。


「………はい……。淵上さんが……彼女が私たちに、盗んで来いって言ったんです」


ついにギャルのひとりがそう呟いた。

いかにも被害者ぶったような小さな声だった。

男子を呼びかけるときに使う猫なで声でもなく、仲間内の時に使う話し声でもなく、蚊のなくような消え入る声。

その声の意図が、演技でやったのか淵上今日子を陥れるという事実の後ろめたさから出たのかどうか分からなかったが、だがしかし、その言葉の意味は間違えようのない確かに淵上今日子を追い詰める一言だった。

淵上今日子は口を結んだまま、そして顔をうつむかせたまま目を見開く。全身から冷や汗という冷や汗が吹き出て、事態を把握すると同時になにやら身をよじらせる感情が体の中心から吹きいでるように湧き立ち始める。


ギャル達が、自分を主犯として追いやったという事態を。


その一言を筆頭に、堰を切ったかのように言葉がギャル達から発せられる。


「そうです!私たちはやりたくなかったのに!彼女が無理にでもやれっていうから……!」


「今までだってそうです!本当はしたくなかったけど!やらないとどうなるかわかってるなって脅されて……」


「学校でも彼女にいじめられてました!何かあったら呼び出されたり」


「本当はやりたくなかった!私たちは「彼女がやれっていうから「彼女が全部指示を「私たちは悪くない「今日だって寄るつもりは「ずっとこんな日々が続いてて…「仕方ないじゃないですか!脅されてたんですよ!彼女に!!!」


並び立てられた言葉はすべて嘘八百だった。

何の真実も含まれていない、悪意の塊。

しかし、彼女らの現実的な関係性を知らない者達からすると、ギャル達の必死さを帯びたその糾弾の声は信用する範囲ではあるだろう。

彼女らの連投する言葉の意味を全て理解しつつ、淵上今日子はなおも俯いたまま聞き続ける。

いつの間にか、スカートを握りしめていた手の甲に水滴が落ちた。

たとえ嘘であるとしても、悪意は彼女の心をえぐり続けているのだ。

第三者からみれば友達、いや使い魔に裏切られて主犯であることをバラされて泣く哀れでなんとも自業自得な少女だろう。

しかし、肩を震わせて静かに咽ぶ彼女は裏切られることはおろか自業自得以前に無罪なのだ。

その事を知っているのは、この場に何人いるのだろう。


「フフ……………ハハハハハッ!」


と、なんとも邪な感情蠢く室内で、男が急に笑い出した。

わざとらしく笑い始めたのは、店長の後で構えていた鬼島なる店員である。

その笑いが室内に響き、場が静まり返った。

それが下手だからなのか、この男だったからなのか、なぜなのかは分からないが、しかし止まない虚言の雨あられは一時的に収まる。


「あー、鬱陶しい。店長や俺を聖徳太子だのなんだのと勘違いしてねーか?そういっぺんに喋りこまれても入ってこねーよ耳に」


あくまでも上からな物言いを止めない鬼島の態度に、ギャル達が一瞬ムッとした気がしたが、しかし彼は気にしない様子で話し込む。


「まーでもよ。アレだ。話ん中で何個か疑問に残る点があったんでそこ聞いといていいか。事後処理っつか、色々と整理するのに必要なことだろうからよ。まず一つ目」


鬼島が人差し指を立てて、こう問う。


「そこの嬢ちゃんが盗めって言ったんだろ?菓子ならともかく、なんでそんなに化粧品が入ってんだよ。どう見ても嬢ちゃんはすっぴんで、逆にお前らの顔面見る限り化粧類が施されてるじゃねえか。納得いかねーっつか、説得力がねえと思ってな」


鬼島の言葉にギャルのひとりが反応する。


「それも彼女の命令です!きっと、化粧品が必要だったんでしょう!」


「なんで?」


「なんで?………って」


本当にわからないと申し上げたそうに鬼島は首をかしげている。

反応したギャルも、困惑気味になった。


「だってよ。化粧品つっても、オメエらの話じゃ全部嬢ちゃんの命令みたいだったろうが。3人いっぺんに詰め込んだその全ての化粧品が嬢ちゃんのものになる予定だったのかって話だよ。要らねーだろそんなには」


「女子はいっぱい使うものなんです!きっと必要だったんですよ!」


「お前ら学校帰りだろ?見るからに嬢ちゃんはすっぴんなんだ。学校に化粧して登校しない人間が必要とする化粧の量を超えてると思うんだが。どっちかっていうとお前ら個人個人の必要とする量と言われた方が納得いくんだがなあ」


「今日はきっと彼女の化粧品が切れちゃったんです!たまたますっぴんで登校したんですよ!」


ギャルはいともたやすく淵上今日子の日常風景の一つを歪曲させた。

淵上今日子は登校はおろか出掛ける時すら化粧をしない、という事実をだ。

そんなギャルに対し、さすがに殺意さえ覚え始める淵上今日子だが、鬼島の尋問はまだ続いていた。


「いや、そんだけ化粧品を盗らせといてなんで切れんだよ。お前らは常習犯って呼ばれるくらいにはここで万引き働いてんだぜ?常常そんな量とって行くんだったら正直全然減っていかねーだろ。切れることもなけりゃ使い果たすこともねーと思うんだが。どんだけ厚塗りで毎日化粧していくんだ?そんな高校生見たら俺でも気付くわ」


「だから!!こいつはいつも厚化粧していくっつってんだろうが!!」


ギャルがしびれを切らしたか、机に掌をバンッと叩きつけながら激を飛ばす。

淵上今日子は思った。

厚化粧してねえよ、と。

どうやら少しの非も背負う気は無いらしく、全部淵上今日子のせいにしようと躍起になっているようだ。

そんな熱に当てられたギャルを前にしながらも尚、鬼島尋問タイムは終了しない。


「顔の化粧に見合ったけばけばしい性格だな。まーいいや。んじゃ続けざまに質問二つ目」


鬼島は人差し指と中指をたてて、こう問う。


「どうやら主犯格の淵上さんとやらに学校内でのイジメがエスカレートしてって万引きにつながった、みたいな感じに解釈したのですが。さてここで意味がわからないのがひとつ。そんな淵上さんはなぜお前らにあんだけ罵詈雑言を叩きつけられていたのか。あと、万引き現場となったこのコンビニを彼女がなぜわざわざ立ち寄ったのかも知りたい。普通は心理的に考えて来ねえはずなんだが。主犯であるならばまず現場に来たりしねえだろ」


「………」


鬼島の問いにいきり立っていたギャルが押し黙る。

なかなかに的を射た質問だったのだろう。

確かに、淵上今日子が主犯であり、常日頃からギャル達に対していじめを行っていたとしたならば立場をいえば淵上今日子の方が女子的なランクも上のはず。

ギャル達の言い分からしても、淵上今日子という存在に脅されていただの、まるで逆らいようのない存在という印象を与えるほど担ぎあげられていた。

そうであれば確かに、淵上今日子があれだけ罵詈雑言罵られること自体あるはずもない光景だろう。

弁解の仕方としては、店員がその罵詈雑言の内容さえ知らなければどうとでもすり替えられたはずなのだろうが、この尋問者の鬼島はこの質問をする時点で恐らく罵詈雑言の内容を把握しているはずである。

そうでなくても、レジ番をしていたのは他でもない鬼島荒太その人なので、しっかりとコンビニで入口付近で始まった出張版言葉責めは確実に耳に入っているはずなのだ。

そしてもう一つおまけとして付け加えられたような質問。

それが、彼女達の主張と大きく矛盾する点となる淵上今日子の来店の真実だ。

真実、と言えども淵上今日子はこの万引きの件には一切関与していない言わば無関係者のひとりであり、あくまでギャル達の濡れ衣を羽織った形でこの場にいるだけなので、そもそも『一般人』であった彼女がコンビニによること自体、自然であって何一つ咎められたり嫌疑にかけられる謂れもない。

だが、ギャル達の告発した内容通りで言うならば、淵上今日子が万引きの主犯であるならば、確かに彼女がこのコンビニによること自体があまりにも不自然なのである。

よるとしても、使い魔として使ったギャル達と鉢合わせしないような場所のコンビニに寄るはずである。

そう言った分でも、おかしいと鬼島は提示したかったのだろう。


「おい……さっきから何が言いたいんだよ……店員さん」


押し黙っていたギャル達の1人が、怨み連なるような表情で、憎しみ抜いたような表情で、ただ1点だけを射抜くように眼光で捉える。

鬼島という店員の顔を。

一気に立ちこもる、爆発しそうな感情の火薬の匂いを感じてか感じずか、鬼島は頭を掻きむしりながらため息をつき、諭すような感じでギャル達に言い放つ。

外見的には、玩具をねだる子供に対し、優しく諭す親のような表情で。


「まあ、正直いってしまえば嬢ちゃんは何も関係してないって思うんだよな。つまりはあんたらが主犯、嬢ちゃんは可哀想にも濡れ衣っつってな」


一瞬だけ、場が凍りつくように静まり返る。

ギャル達は目を見開き、自らの虚言を暴かれたこの現状に戸惑うように。

淵上今日子も目を見開き、乾ききった眼球に自らの受けた濡れ衣を暴いた鬼島という人物に戸惑うように。

淵上今日子も、ここに来た、事務所に来た辺りから覚悟をしていた。

恐らく言いくるめられて、ギャル達のいい餌にされて、のうのうと軽い罰を、もしくは軽い忠告を受けて、のうのうと帰宅するギャル達を尻目に、自分だけは厳しく処罰され、悪ければ警察保護の対象に追い詰められるのでは、という覚悟を。

途中で受けた罵詈雑言の数々には、あまりにも心無いでっち上げの数々であったので心を砕かれそうになったが、それでも、淵上今日子がどれだけ傷つこうがギャル達からすればそれさえいい餌にされて、ひいては笑い話にされる事くらい想像していた。

だからこそ俯いてまでして泣く事を拒絶していたのだ。

自分の横に座る連中は、救われる意味の無い害虫であると。

そして私自身はその害虫に冒されて死ぬ植物であると。

そう淵上今日子は考えていた。


だが。


だが、負の連鎖を運命なのだと甘んじて受ける覚悟を決めていた淵上今日子に、言うなれば一縷の希望が見え始めた瞬間だった。

鬼島が言い出した、この仮に出された彼の推理は、淵上今日子自身が皆に訴えたかった溢れんばかりの虚言虚実の中で光る唯一の真実だったのだから。


「………ざけんなよ!クソ店員が!!全部こいつのヤラセだっつってんだろうが!いつまでも気取ってんじゃねえぞこの……」


「うるっっせえんだよ黙れコラァ!!」


鬼島が、苗字通りの鬼面を浮かべ、店長の座る机の若干横部分に掌を叩き込む。

バガアァン!!というたいそうな破壊音が鳴り響き、吠えまくろうとスイッチの入っていたギャル達がまたも静まり返った。

彼の行った行動は言うなれば警察ドラマでの尋問でよくやる流動的な意味合いの行動だったのだろうが、彼が叩きつけた掌が原因で机が大きく片方だけひしゃげてしまった。

彼がどの力量で叩いたかは終ぞ知ることもないのであろうが、下手をすれば圧壊する机に座ったままの店長の脚が巻き込まれる可能性さえあった瞬間である。

その様子に、先ほどのものとは程遠い感情にかられて目を開かせたままギャル達+淵上今日子の4人は黙って机『だったもの』を見ていたのだが、店長は彼女らが怯えていることを察してか、もしくは鬼島の無茶な行動を諭すためなのか、静かに猛禽類の怒りを顕にしたかのような表情で固まっている鬼島に一瞥をくれる。


「………鬼島君。君ってやつは」


「あ、しまった………すいません……」


鬼島の目が店長を捉えた瞬間、その荒々しい表情は既に無く、ケロッとしたまるで関さない表情に戻っていたあたり、おそらく彼は店長に諭され慣れているものなのだろう。

威厳を見せたかったのか、コントを見せたかったのか、よく分からない行動ではあったが、ギャル達の余計な吹き込みを増やさなかったあたり、淵上今日子の中では感謝が芽生えただろう。

結局、ギャルはバツが悪そうにうつむいた。


「鬼島君。怒るだけじゃなんにも解決しないんだよ。もっとこう、話し合いに必要なことをしなきゃ」


「すんませんッス。面目ない。あまりギャーギャー騒がれんのも好きじゃあないんで」


鬼島もギャル達までとはいかなくとも、バツの悪そうな、雰囲気の悪い表情でボリボリと頭を掻き始める。

数秒滞ったような雰囲気で場が静まり返るが、鬼島が続いて淵上今日子の方を見やりこう言い放つ。


「つかよ、そこの嬢ちゃんはどうなんだよ。まるで黙っていやがるから、こいつらなんかつけあがっちまってボロクソ言いやがってんだぞ。黙秘は最悪肯定の意味でさえ取られちまうんだ。あんたからも言ったらどうなんだ」


「わ、私……!?ですか……」


俯いたままやり取りを全部聞いていたような立場の淵上今日子であるが、まさか話が振られるとは思わなかった、と言うのが正直な感想なのだろう、素っ頓狂なリアクションと共に鬼島の方を見やる淵上今日子である。

普通なら尋問される対象に淵上今日子がいるのだから、話が振られないと考えるのも酷く他人主義な気もするのだが、今までの話から察しても蚊帳の外だったおかげで、本人も自分が空気に成り下がっていること自体に感づいていたのだ。

結果がこういった形で現れたということになる。


「わ、私……は……」


急に話を振られたことが祟ってか、頭が働かない彼女は、次なる言葉を紡ぐために周りを見渡す。

当然、見回そうとも景色が変わるはずもなく、どうしようもないくらい淵上今日子の心を照らしたかのような真っ白い壁紙に、カレンダーやコンビニ広告用のチラシが貼られているだけの殺風景な壁を見渡した後、改めてここにいる人物を眺める。

鬼島、店長、そしてギャルトリオ。


皆が淵上今日子に注目している事は明白であったが、そのうちギャルトリオだけは他二名とは違う意味の眼差しを向けていることを淵上今日子は察した。

彼女らの目線は明らかに自分の告白を望んでいる目線ではなかった。

眼光鋭く淵上今日子を睨めつけるようなその目線の意味、淵上今日子には痛いほどに正しい解釈をすることが出来ていた。

ここまで来て、彼女らは淵上今日子に上手いこと出し抜けと目で訴えているのだ。

鬼島たる店員を、淵上今日子が欺けと。

この場に及んでもまだ懲りずに諦めていないようだ。

自らが言った嘯きを強引に通そうとして。

自らの嘯きによって発生した矛盾を突きつけられて。

諦めればいいものを、今までの立場を利用して、出汁に使って利用し、ぬけぬけと責任転嫁させようとしていた彼女に助けてもらおうとしているのだ。

付け加えるならば、目力から察するに『助けてください』ではなく、あくまで『早く助けろ』といったニュアンスだろう。

未だに治らないその態度。

この沈黙内で苛立ち始めたか、貧乏ゆすりまでし始めるギャルがいる中で、淵上今日子は心うちでこう思う。

いつも考えていたような感情を、今1度胸の中で咲かせる。


―本っ当に、助ける価値ないんだな。こいつらは―


いつもなら情けないほどの負け惜しみにしか取れない言葉だろう。

繰り返される陰湿なイジメに際し、なぜこんな奴らにこんな目に遭わされなければならないのかなど激しい自問自答を繰り返し、最後に辿り着く弱者の思想だったとも言える。

しかし、今の淵上今日子は恐ろしく冷静だった。

いつもなら湧き上がる無数の感情を前にして、圧迫された胸に独りではち切れそうなほど、狂ってしまいたいほどの衝動に駆られ、身悶えするはずなのに。

唯一の親友にさえ言うことも出来ず、あれだけ頼っていいと肩を貸してくれた美琴にさえ打ち明けることが出来なかった、心の深層の編み出したこの答えを胸にしても、まだ淵上今日子は冷静だった。

先程まで湧いていた感情も既に胸中にはない。

言ってしまえば清々しいくらい晴れ晴れした気持ちが淵上今日子の体に染み渡る。


普通なら怯えて、ギャル達の望むような発言をしていただろう。

だが、ギャル達からすれば場が悪かった。

逆を取れば淵上今日子にとってここまでいい機会は無かっただろう。

唯一淵上今日子がギャル達にやり返すことができる場でもあった。

裏切りと言えるかは分からないが、このままギャル達を陥れるのに何の躊躇いもいらなかった。

淵上今日子は割り切っていたから、ギャル達の実際の存在価値は淵上今日子よりもずっと下だと割り切っていたから、手を離すことは簡単だった。

例えば崖から落ちそうで、片手でなんとか落ちぬよう踏みとどまっていたのであれば、容赦なく手を蹴り上げてどん底にたたき落とす。

例えば、手を掴まれて助けるか道連れになるかの両択のどちらかを選べと言われたなら、三択目の彼奴の手首を掻き切って落とす。

今の彼女なら出来てしまえただろう。

今までの彼女ならこんな事は出来ない。

だが、環境が違うのだ。

あくまでいつもの立場が逆転したからこそ、淵上今日子は決心できた。


冤罪という名にかけて、彼女達を見放す覚悟を。


だからこそいじめられっ子の淵上今日子はこう口に出来た。



「私は、彼女達に指図した覚えはありません。全て虚言です。私は彼女達に命令できる身分ではありませんでした。学校でも、道端であろうとも。昔も、今も、きっとこれからも」


「………は…?」


淵上今日子の発言から、数秒さえ経たずに反応したのはギャルの中のひとりだった。

当然といえば当然なはずの淵上今日子の回答に、まるで突っかかるかのような吐息音を混ぜた声。

声に含まれるのは悪意はおろか、嘲笑やら怒りやらを混ぜ込んだような、一言で言うならば怒気を含んだものだった。

イラついた様子を隠そうともしないギャルは、横目で淵上今日子を睨めつける。

残り2人もこのギャルほどの怒りを体現しようとはしていないようだが、しかし内側からふつふつと怒りを溜め込んでいるのが分かる一触即発の空気。

ここが屋外であったならばどんな仕打ちが待っていたのだろう。

今まで以上にトラウマ要素を含んだいじめを受けるのではないだろうか。

今まで以上に過酷な仕打ちが待っているのではないだろうか。

そう、淵上今日子は言い切った後も冷静に考えることは出来ていた。


この後にまつ自分への仕打ちを考えながら、身も震える惨劇を想像しながらも、なおも平静に思考が可能である自分自身に淵上今日子は戸惑っていた。

これはあきらめから至った自分なのか、ギャル達に二度と屈さないという決意から至った自分なのか、どういう自分かさえ分からないままの彼女に、ギャルの1人が口を開いた。


「……いやいや今日子ちゃん…嘘はいけないじゃん。あんだけアタシらに命令しといて、自分だけ逃げる気?筋とおらないじゃん馬鹿じゃないの?認めなさいよ、ねえ」


「筋が通ってないのはどっちなの?……人に罪なすりつけておいて、自分の立場を利用して無理やり罪を背負わせるのが筋っていうの!?」


ギャルのあからさまな責任転嫁を前提としたその物言いに、いつの間にか淵上今日子は反論していた。

いつの間にか声を荒らげ、いつの間にか感情を表に出し、そしていつの間にか、刃向かえもできなかった怨敵であえうギャル達に向かって、反発することが出来ていた。


「は?意味わかんねーよ。おめーは私らに万引きをしろっつった!そんで私らは捕まっちゃった!いいか?いまはこーゆー事だろうが私情挟んでんじゃねえよ囮もできねえのかよフチゴミよォ!」


ギャルがそう口にした途端だった。

淵上今日子が、ギャルの前で漸く初めて彼女らしさを爆発させたのは。


「だれがゴミだお前ら!人が小さく出てりゃいい気になりやがって!てめえらの方がゴミだろうが!人がどんな目にあろうと加害者のくせにまるで第3者みたいな目をしやがって!私に対してだけじゃない、社会的な違反をしたお前らの方が!社会的に追いやられていく私よりもよっぽどゴミだろうが!!」


淵上今日子は机を手のひらで叩きつけ、猛烈な勢いで立ち上がる。

パイプ椅子は反動で真後ろへと倒れ、軽めの音が小奇麗な事務所に響く。

そしてさらに響くは淵上今日子の糾弾。

思いの丈を、彼女は目に大粒の涙を溜めながら吐き出した。

自分の存在を否み、禍根を残し、さらには精神的に苛み続けさせられた元凶に対して。

今まで自分を押し殺すハメになっていた根元に対して。

ギャル達からすれば、今の彼女ほど『空気』を読んでない奴はいないとでもいうだろう。

だがそれでも、淵上今日子の中にある怒りという感情が彼女を突き動かしたのだ。

恐怖がなかったといえば嘘になる。

だが、ここでギャル達の為に罪を被るのを拒んだ結果だった。

―言っちゃったな、私―

これから学校でどんな仕打ちが来るか分からない。

だがそれでも清々しさが残るのはどうしてか、彼女にはまだ分からなかった。


「鬼島君、どうだい。もう結論ついたんじゃないかな」


店長がそう呟き、鬼島が乱暴に頭を掻きながら口を開いた。


「いや、なんだ。いじめられっ子の逆襲ってのは見てて中々スカッとするもんなんだな。お嬢さんよくやった、記念にコンビニの商品一つだけ貰って帰るといい。品揃えはあんまりねえが、無理に引き止めちまったお詫びにでも受け取っちまいな」


「鬼島君!?なにを勝手なことを!」


「俺の奢りでってんならいいでしょ。後で千円払っときますから。これから呪縛に解き放たれるであろう一女子高生のためっスよ。あらかた、こっちの件も片付けられるんなら、一石二鳥じゃないスか?正直証言的な物がなけりゃこちらもヘタにこいつら処分することも出来ないでしょうし」


鬼島はこちらに目もくれず、店長と話し込んでいるようだ。

淵上今日子には状況が読めず立ち尽くしている。

私の暴走がどうやって問題を片付けられるという終点にたどり着くんだ?

そんななんとも言えない考えを持っていた淵上今日子だったが、鬼島と目線があうと彼は手を叩きながら淵上今日子にこう促す。


「よう、悪いな嬢ちゃん。引き止めちまってよ。空が完全に暗くなる前に帰っちまえ。なんなら送ってやってもいいが、後片付けが残ってるからよ」


「か、帰っていいんですか?こんなすんなりと……」


「端から疑っちゃいねえよ嬢ちゃんの事は。レジ番してた頃からだいぶアンタらの関係性が見えててな。要は嬢ちゃんがこいつらが主犯であるとか、そういう一言さえくれりゃもっと早く片付いてたんだぜ?そりゃ確かにコイツらが嬢ちゃんが命令したって言った時とか、俺ら店員をおおきく欺くための考え抜かれた策なのかとか、一瞬躊躇はしたんだが、どうやらそうでもないらしい。端からこいつらは、冤罪である嬢ちゃんに濡れ衣着せようとしたゴミ共だったらしいな。後は任せろ、こいつらの処分は俺がやっとく」


言うなれば声のトーンが湾曲性を帯びたかのような声だった。

最初こそ淵上今日子を相手取って話している時は穏やかさを帯びた話し方であったが、その話の視点がギャル達に向けられた時あたり、彼の声は地のどん底を往くかのような野太い声に変わっていた。


「あ、あの、ありがとうございます……」


「ああ、気をつけて帰るんだよ。通り魔も多いらしいから」


入れ替わるかのように店長が微笑みながら手を振る。

淵上今日子もそれに真似て手を振ろうとした矢先、背後から背中を貫くような舌鋒鋭い罵倒が駆け巡った。


「クソフチゴミが!覚えとけよコラ!!」


「ぜってえぶっ殺してやる!」


「学校行ったらどうなるか覚えとけ!」


聞きなれた罵倒だったからか、それとも自分らしさを取り戻したからか、淵上今日子はこの言葉に対してなんの恐怖さえ持たなかった。

前の自分だったなら、震えて縮こまってしまうのだろうが、何故か彼女らに屈する日はないだろうという淡い希望さえ持ち始めている。


「黙れゴラァ!!わざわざ俺が気分を害すような事すんじゃねエ!!!」


バッキャーン、と決して軽くない、大惨事を示唆しているであろう何か大破した音が鳴り響いたが、淵上今日子は振り返りもせずに事務所を後にした。

この話の種は、朝にでも彼女らと話すことにしよう、と。

自分の親友達の顔を思い出しながら、淵上今日子はコンビニを出た。



と、店内から駐車場に出た瞬間、彼女は思わず立ち止まる。

あれだけ凄惨を纏ったような駐車場が前と変わらず眼前に広がっていたのだが、そこにぽつんと人影が見えたからだ。

辺りはほぼ暗くなり始めているために、その人影の詳細は遠目からではわからなかったが、どうも真っ黒な衣装を着ていることは辛くも見える程度。

通り魔なのかどうなのか、彼女の脳裏で不安がよぎるが、その人物の視線の先、と言うよりは顔の向く方向を改めて認知し、二度不安がよぎった。


顔の向く方向は間違いなくあの男性がのめり込んでいる金網フェンスの方向だった。

まるで検知するかのように、一定の距離からキョロキョロと挙動不審張りの動きで眺めていた。

よほど興味のある光景なのだろう。

淵上今日子にとっても人が金網フェンスであろうと何だろうと漫画の世界のように、投げ飛ばされてめり込むシーンなど見たこともなかった訳であり、恐らく淵上今日子が今日のこのハイライトに指名されそうなあのシーンと出会うこと無く、脈絡無き一般人を貫き通していた場合、もし通行中にこのめり込む人を見つけたなら、驚きのあまり野次馬化してしまうのも否めない。

だがしかし、ただの野次馬とは一風変わっている様子だ。

そんな唖然に囚われた淵上今日子は、運悪くか良い事か、その人影と目を合わせてしまった。

……気がした。

暗くてよく見えないために詳細の有無は分からないが、顔の方向がこちらに向いたまま静止しているような気がしたのだ。

間もなく、その『気の所為』かと思われた事案が、実は事実であったことが如実に証明される。


「ねえお姉さん。今、そのコンビニから出てきたばっかだよね?」


まだ可愛げがあるような、それでいて爽やかな声色が淵上今日子の鼓膜に響く。

声から察するに男のようで、歳はあまりとってない様子も感じ取れる。

どうやらやはりこちらを見ていたようだ。

淵上今日子は少々で遅れ気味に頷く。

ここで素直に声を出して肯定してはなにか良くないことが起きる、という内心的で不確かな考えのため、出た対応だった。


「じゃあ、さ。コレ、一体何が起きたかとか知らないかなあ?」


男のシルエットは、腕を金網フェンスの方向に伸ばす感じで、言うなれば指差しの形であった。

どうやらやはり金網フェンスの案件が気になるらしい。

だが淵上今日子はまだ素性はおろか姿形さえ朧気な男を相手取ってまともな会話をしようなどという気にはなれなかった。

あのギャル達との対話が終わったあとでもあったために、若しくはこの男がギャル達の友達かもしれないのだ。

そしてもうひとつあった疑惑は警察関係ではないかというものだった。

あれから数十分は経つであろう時間なのに、警察が来た痕跡もなければ、ギャル達の先輩もまだ金網フェンスにフィット感丸出しで埋まったままだ。

そのためにあまり詳しく言ってしまえば助けてくれる形となった鬼島なる店員に火の粉がかかるかもしれない。

かと言って、まだ通り魔である疑いも晴れている訳では無い。

どう取ろうが厄介であるだろうと確信した淵上今日子は、俯いたままにこう口にする。


「さあ……私は商品見てましたし、外は見てませんでした。喧嘩じゃないんですか?…」


すると、男のシルエットの方から押さえ込んだ笑い声のようなものが聞こえ始める。

嘲笑の類でもなければ、真の笑いでもない、清々しいほど架空な笑い声に淵上今日子は強ばる。


「いや、失礼。お姉さんが僕の事を凄く疑っている事だけは分かってね。心配してくれなくていい。僕は通り魔の類でも、警察でもヤンキーでも何でもない。通りすがりの人である事を保証するよ。僕自身がね」


自らの素性を自らで保証するというなんとも強引な言い方だった。

まだ疑いは晴れるわけでもなく、だがしかしこれ以上に嫌疑にかけるのは相手にも不服に取られるだろうと、表だけ信用した風に接しようと試みる。

ここら辺の気遣いは、皮肉にもギャル達の態度のとり方からせしめたものだと言っていい。

こんな使い方があるとは思わなかったが。


「そうですか。けど、何でもないのなら、なぜ知ろうとするんですか。知ったところでもどうともならないでしょ?」


「まあそうだね。どうともならない。だけどさ、例えば火事になったとして、野次馬が火元の詳細を聞くのに理由なんていらないだろ?というか、野次馬が原因を聞くこと自体に理由なんてないはずさ。集まったヤツら自体、救急救命士でも無ければなんの戦力にもならない邪魔な奴らだ。応急処置をするでもなくただ集まる死肉に集まったハエ共は、どちらかと言うと情報という餌を貰いに理由なく近寄るものだと思うよ。もちろん僕もだけど」


ぐぬっ、と淵上今日子は押し黙った。

確かに野次馬には正義も何も無くあつまるものなのだ。

理由を聞こうが、よくてそこに大騒ぎがあったから来てみた程度の事しか言われないのは暗黙の了解だ。

淵上今日子が喋らないのをいいことにか、男が喋り出す。


「さっき君が言ってたけど、どう見ても喧嘩の類じゃないんだよね。どういう喧嘩なのこれ。トラックで突っ込まれてすっ飛んでこうなったとか。すごい勢いで突っ込まれてもこんな埋まり方はしないし、どう見ても事件性しか匂わないんだよねえ。まあ、本人に聞けば喧嘩じゃねえだのなんだのと躱されるんだろうけど」


男が後頭部を掻きむしるような動きをしながらそう言い終わる。

その仕草がなんともさっきまでいた鬼島なる店員と同じようで被って見えたが、その男が明るみに出た時に鬼島とは外見がかくも違うものであると再認識する。


「ま、多分鬼島君の仕業なんだろうけれど、本人に聞けばいいか。全く仕事を増やしてくれるよ彼は。ごめんねお姉さん、足止めさせちゃって。暗いし、通り魔もでるらしいから気をつけて帰りなさい。詳しい話は直々に聞くとするよ」


「鬼島……君……」


件の男の名前が出て、淵上今日子は無意識の内につぶやく。

この男もただならぬ雰囲気であることを、漸く顔がわかるあたりまでに近寄ってきた時にそう感じた。

身長は鬼島より少し小さいくらいで、パーカー付きの真っ黒の衣装。

鬼島店員のようなギラつく厳つさはなく、青年という言い方が良く似合う少しばかり少年ぽさがあり爽やかな印象が持たれる顔。

全体的な衣装が黒なため、体のラインがわかり辛く、顔だけで認識してしまうと女と間違えてしまうくらいには整っていると言っていい。

しかし身長に関しては、日本人としては高い方だと思われる。

そんな男が、淵上今日子の横を素通りしていく。


その途中で、淵上今日子の腹部になにか硬いものが突きつけられた。

その物体の判別がつかなくて、付け加えて謎の雰囲気を醸し出している男であるのも相まって、実は通り魔で遂に刺されたのではないか、と強ばった淵上今日子だったが、二の次に伝わった丸を帯びた感触を感じた際にナイフ的なものではない、という事を知る。


「悪いけど貰っといてくれないかな。僕って冷え性でね。つい温かいものを買ってはそれで暖をとる癖がついているんだけど、今回焦って買っちゃってさあ。僕ってぜんざいをあまり好んでないんだよね。まだ開封してないし、美味いはずだから。多分だけど」


と、お腹部分に押し込まれた熱々の缶を両手で押さえつけるようにして丁寧に預かった淵上今日子は、自動ドア越しに消えていく男に振り返ることもできずに立ち竦んでいた。

今回は事務所のように、振り返ることをしなかったのではない。

振り返ることが出来なかったのだ。

今はコンビニに入って姿の見えなくなった男の素性がまるで分からなかった。

ただしかし、鬼島という普遍的社会からみてあまり適合されてないような人物と内通してるかのような感じではあったので、つまりは表舞台に立つことはない人間なのだろう。

鬼島を見た時とは違う、物理的ではなく精神的な危険性を帯びたその雰囲気が、未だ背中越しにへばりついて取れなかった。

そんな淵上今日子を、帰宅を急かすかのように熱々の缶が熱を持って彼女を強制的に我に返らせる。

全然熱の奪われていない缶を両手に、淵上今日子は今日という今日を心から満悦し、少し笑みを浮かべて帰路するためにその足を動かした。

明日がどうなるか、ほんの少し恐怖と期待を胸に宿して。

見上げた空には、すっかりと暗闇が辺りを覆い尽くし、自然をかき消す勢いで人工的な輝く星々が空を光で溢れさせていた。


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