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青の時代 4  作者: 森 鉛
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第六章 皇帝の死 第三話

 国王の執務室では相変わらず閣僚や騎士達が忙しく働き、アルフリートも様々な雑事に追われていた。じっくり腰を据えて考えなければいけない事が山程あるのだが、国葬の日取りは刻々と迫り、日々の仕事もおろそかにする訳にはいかなかった。ユーストから報告される情報も今一つ芳しくなく、出発まで数日を残すのみであり、アルフリートは少し焦りを感じ始めていた。

 葬儀に随行する閣僚はヴィンセント外務長官と副官のリサ、メレディス将軍と彼の副官タウンゼント、そしてアイリーンとシンが宮廷騎士団と共に護衛の任に就く事になったが、この人選が決まるまでにも一悶着あった。御前会議の席上、シルヴァとシュバルカは自分が同行すると主張して譲らなかった。暗殺未遂事件の疑惑も完全には払拭されておらず、帝位争いできな臭いプロタリアに国王を訪問させる以上、完璧な護衛の必要があると二人は主張する。豪碗でならすシュバルカは自分が身を持って王の楯になると言って聞かず、婚約者であるシルヴァは、文字通り二十四時間アルフリートに張り付いていられると強調する。

 常なら、三人の将軍の内メレディスが外交の担当を引き受けていた。寡黙なディクスンは外交には向かない性格であるし、同時に彼は国土防衛の要であるから首都を離れる事態はなるべく避けたかった。シュバルカは軍人丸出しの性格で社交辞令など無縁であり、一本気で田舎者な彼にポーカーフェイスが出来るとも思えなかった。

 メレディスは洒落者で会話も達者であり、酒や料理にも詳しく、アルフリートは見た事が無かったが、ダンスもなかなかの腕前という噂であった。立場上必ず同行するヴィンセントとも気が合っているらしく、よくワイン談義などで盛り上がっていた。

 膠着した会議を打開すべく、ディクスンとメレディスは休憩を提案すると、シュバルカを控え室に連れ出し、二人で説得にかかる。鼻息の荒い筆頭将軍をソファーに座らせ、まずメレディスが口を開いた。

「シュバルカ、俺を信用してくれよ。宮廷騎士団も今回は二個小隊連れてくんだ、必ず陛下をお守りしてみせるから」

「おぬしを疑っておるのでは無い。これは俺のわがままだ。頼む、お役目を代わってくれんか」

 拝むように手を合わせるシュバルカに、ディクスンが静かに話し掛ける。

「シュバルカはアイリーン様の事も心配なのだろう。だが国にはマリーと生まれたばかりのフランソワが残されるぞ、彼女達を守るのも大切なお役目ではないか」

「……しかし家族の為に職務をおろそかには出来ん。国を守るのが俺達の仕事だ、そうだろう?」

 目の中に入れても痛く無い程可愛がっている愛娘のフランソワの名前を出され、シュバルカの勢いが幾分衰える。寡黙な第一軍司令官は彼には珍しく饒舌に語る。

「彼女達も大切な国民の一人だ。本当なら俺だって陛下に同行したいが、人にはそれぞれ持って生まれた才覚という物がある、俺の役目は防衛だ。おぬしはメレディスの不在中に第三軍も同時に統括せねばならん、全軍を掌握できるのはシルヴァ様とシュバルカしかおらんよ…俺やメレディスでは無理だ」

「…世辞を言うな、ディクスン」

「俺は世辞など言えんよ」

 ぼそりと言うディクスンの浅黒い顔を見つめ、大きく息をつくとシュバルカは絞り出すように言った。

「メレディス……頼むぞ。……陛下を、アイリーン様をお守りしてくれ。あの二人は必ず大陸の将来を担う人物になる。……頼むぞ」

「分かってる、任せてくれ。…俺の三軍を頼むぜ」

 メレディスがにやりと笑って肩を叩く。お気付きのように二人は年長のシュバルカに対して敬語を使わない。将軍に昇格した当初、筆頭将軍のシュバルカを上官のように扱った二人に彼は怒り、同格なのだからそのような言葉遣いをするなと憤慨したのである。以降、公の場で無い限り彼等は同期の友人の様に会話をするようになった。ディクスンとメレディスは初めはなかなか慣れる事が出来ず、つい敬語で話してしまいシュバルカのへそを曲げさせてしまう事もあった。頑固者で常に現場で兵と共にあろうとするシュバルカらしいエピソードであり、それ故に外交など全く不向きである事がここからも伺えるのである。

 立ち上がり、控え室を出るディクスンにメレディスが声を掛ける。

「お前があんなに喋る所は久し振りに見たな」

「たまにはな。後はシルヴァ様だが…」

「こればっかりは俺達じゃ無理だからなぁ」


 静かになったシュバルカの背を押して二人が会議室に戻ると、シルヴァとアルフリートのみが席を外していた。別室でシルヴァは婚約者に懇願していた。

「アルフお願い、わたしを連れて行って」

「シルヴァ、今回はダメだよ。国に残ってもらわないと困るんだよ」

「う~、でも危険だわ。なんだかイヤな予感がするのよ、いつもと違う感じが…」

「だから残ってほしいんだよ。メレディスの居ない第三軍はシュバルカでなんとかまとめられるけど、宮廷騎士団はシルヴァじゃなきゃ半分も実力が出せないだろう?」

「……そうかもしんないけど。……わたしなら誰にも負けないから、レイナードにだって勝ってみせるわ、だから…」

 アルフリートは小さく笑うとシルヴァを抱き寄せ、ぽんぽんと背中を叩きながら優しく囁く。

「シルヴァが大陸一強いのは分かってるよ、それにそんな事にはならないから大丈夫。俺は自分よりトランセリアの方が不安なんだよ」

「う~……でもでもでもでも、心配なのよぉ…」

 恋人の肩に額をこすり付け、シルヴァは駄々をこねる。今の彼女は一国の軍務長官では無く、大切な人を守りたい一心の一人の女性だった。

 アルフリートの両手がシルヴァの頬をそっとはさみ込み、小さくその唇に口付ける。真面目な顔になって彼は言った。

「シルヴァ…ひょっとしたら事が起こるかもしれないんだよ。もしそうなったらリグノリアとグローリンドと三国協定を結んで、即座に軍を動かさないといけない。軍務長官には国を離れてもらいたくないんだ、本当はメレディスにだって残ってもらいたいんだけど…シュバルカが絶対承知しないだろうし」

「どういうこと……何が起こるの?それにアルフが居なかったら軍なんか動かせないわよ…」

「ごめん、俺もはっきりとは分からないんだけど……。俺が留守にしてる間は親父に代行を頼んで行くから」

「イヤよぉ……もお……」

 今にも泣き出しそうなシルヴァの髪をなで、アルフリートははっきりと告げた。

「シルヴァもう決めた事だから。この話はここまでだよ」

「………分かった。…言い出したら聞かないんだから。でも約束して、絶対帰って来るって」

「もちろんだよ、だから心配なのは国の方で俺じゃないんだって…」

「や・く・そ・く・し・て」

「…はい、必ずシルヴァの所に帰って来ます」

 アルフリートの背中に手を回し、しばらくの間彼を抱き締めていたシルヴァは、そっと身体を離すと下を向いたまま呟く。

「……アルフ、先に行ってて。わたしちょっと顔洗って来るから」

「うん…分かった」

 全軍の長が部下に泣き顔を見せる訳にはいかないのだろう。遅れて会議室に戻ったシルヴァは、もういつもの引き締まった表情の彼女だったが、その瞳はかすかに赤くなっていた。


 会議室に戻り、椅子に腰掛けてシルヴァを待っているアルフリートに、内務長官のフランクがおずおずと近付き、話し掛ける。

「陛下、僭越ですが…」

「ん?なに、フランク?」

 日頃から何かと控え目で、会議でも決して自分からは発言しない壮年の内務長官が、こういった場で話をしてくるのは珍しいことだとアルフリートは思い、姿勢を正して彼に向き直る。

「はい、差し出がましいようですが、もし差し支えなければ、私がプロタリアに赴いてもよろしゅうございますが。自分ごときに陛下の代わりが勤まるとは到底思いませぬが、私でしたら顔も知られておりませぬし、何より目立ちませぬ故、被害が及ぶ事は無いのではと愚行致しますが…」

 その言葉を聞いたアルフリートはにこやかに微笑み、彼の肩を軽くぽんぽんと叩いて言った。

「ありがとうフランク。なんだかみんなに心配掛けちゃって済まないね、でもそんな大事にはならないから大丈夫。それにフランクが国を離れたら王宮の通常業務が全部止まっちゃうよ、気持ちだけもらっとくから」

「左様でございますか。私一人出掛けた所で内務庁には優秀な局長が揃っておりますので、業務が滞る事はございませぬが…陛下の御考えのままに」

 うやうやしく礼をして席に戻ったフランクを眺め、アルフリートは今回の一件で皆が不安にかられているようだという事を改めて実感していた。情報が少なく、閣僚にきちんと報告出来る事実がなかなか手に入らない為に、彼は自分の中に留めている事柄がいくつかあった。それが彼等にいらぬ心配を掛けさせてしまっていると思い、少し反省していた。

 フランク・ハーバートは内務長官の任に就いて十年程になる。歳は四十も半ばを越え、濃い茶色の髪に中肉中背の体格、十人並みの目立たぬ容姿の男だった。市内に小さな一軒家をかまえ、妻と息子二人、娘一人と暮らす彼は、夕食時の一杯のビールと休日の庭いじりが趣味という極めて平凡な人物である。

 単一の機関である外務庁とは異なり、内務庁には多数の下部組織が存在し、それらを統括、監督するのが彼の職務であった。半独立した宮内局や主計局、農商工鉱の各産業、道路や学校などの公共施設、市民の福祉や税金業務に加え、地方の各都市も管轄に含まれていた。各局の様々な調整を、温和な性格と地味で目立たぬ作業の繰り返しでこなすのが彼の毎日の仕事である。文官のトップであるユースト宰相が国王の補佐と情報管理といった任務が主になっている事もあり、内務長官フランクの手腕こそが、トランセリア国民の生活を左右する最も重要な職務であった。

 毎回の御前会議にも必ず出席している彼だが、必要の無い限り固く口を閉ざしている為、全くと言っていい程目立たない存在であった。金の事となると国王相手にでもたやすく首を縦に振らない主計局長リカルドの方が、彼の部下でありながら余程目立っていた。かといってフランクが不平や不満を抱いている訳では無く、一国の内務長官というポストは自分には過ぎた地位だと常々感じていた。彼は他人がそう見ている以上に、自分を平凡でこれといった才覚も無い人間だと思っており、アルフリートをはじめとする優秀な閣僚達を尊敬していた。その為に、彼は御前会議の席上でずっと緊張して上がっているのである。

 三十半ばにして内務長官に昇り詰めた彼が有能な人材である事は確かなのだが、なにしろフランクは平凡過ぎた。彼の意見はすなわち大多数の市民の意見であり、彼の感じた思いを国民も同様に抱いているのである。トランセリアの国民を全部足して人口で割るとフランクになると言われ、『平凡が服を着た内務長官』だの『ミスター平均値』だのと親しい同僚にからかわれてはにこにこと笑っている彼を、アルフリートは大変重用していた。仕事が堅実で間違いの無い事以上に、彼に聞けば国民の意見が大方分かるのだからこんな便利な人間は居なかった。とかく才に走りがちな自分を無言で諌めてくれるのがフランクであった。彼自身にそんな気は全く無かったのだが。


 人員もどうにか固まり、自分が同行出来ないと決まったシルヴァは宮廷騎士団から選りすぐりの凄腕を選び出し、二個小隊を形作る。自らの副官ロベルトを指揮官に据え、万全の護衛体勢を整えるとメレディスに託した。もう一人の副官セリカはロベルトより剣の腕が立ち、彼女も自分が同行する意志を示したのだが、シルヴァはアルフリートの漏らした言葉が気に掛かり、いざという時に備え、彼女は国元に残しておく事にした。ロベルトは腕っぷしはごく普通の軍人だったが、分析力や作戦の遂行に抜群の能力を持ち、不案内な他国での非常時にも彼なら対応出来るだろうと考えての人選だった。



 翌日、図書館に赴いたアルフリートは一人でアンドリューと向き合って居た。シンとアイリーンをドアの外に残し、館長の執務室でひそひそと声を潜め、真面目な顔で何かを話し合う二人。やがてアンドリューが顔を上げると言った。

「……分かった。グローリンドの王族や閣僚とは面識があるからそっちはなんとかなるだろう。リグノリアにはパイプがあるんだよな?」

「クレアとウォルフには大使を通じて親書を届ける手筈になってる。ただリグノリアはあんまり当てには出来ないと思う。ウチとグローリンド合わせて三十万と少し…これで当面押さえるしかないだろう」

「やれやれ、意外と苦労性だなお前は。まぁ転ばぬ先の杖と言うしな」

 自分で肩を揉みながら話すアンドリューに、アルフリートは一つ伸びをするとソファーにもたれて言った。

「今回やけに情報が入って来ないんだよ。最悪の事態を想定して動くしかなくってさぁ…そこまでにはならないと思うけども。あ、じいちゃんには何も言ってないからね」

「それがいいだろう。親父とハウザー殿はあれで結構ウマが合っていたから、真相を知ったらプロタリアまで行くとか言い出しかねないぞ」

「だよなぁ…。シルヴァを説得するのだって結構大変だったんだから、じいちゃんなんかどうすりゃいいんだか…」

「そこまで俺は面倒見ないからな。お前が居ない間だけの代行だぞ、俺はここに居るのが一番幸せなんだから、絶対帰って来いよ」

「大丈夫だって…って心配してる訳じゃないんだ」

「え?…いや、してるしてる。ああ父は心配だなぁ愛する息子よ」

「棒読みかよ…」

 両手を広げてにこにこと微笑んで見せる芝居じみた父親の態度に、アルフリートはげんなりとした表情を浮かべていた。


 手筈を整え、自らの執務室に戻ったアルフリートはリグノリアの将軍ウォルフ宛てに親書を作成する。本来、祐筆に代書させるべき公文書であるのだが、この件に関してだけは可能な限り情報を漏らしたくは無かった。アルフリートはあまり字が上手い方では無いし、本人もそれを自覚していたのだが、背に腹は変えられず、自らペンをとった。

 情報が少ない為か随分と回りくどい文章になってしまったが、アルフリートにはウォルフなら分かってくれるだろうという確信めいた物があった。問題は将軍がクレアと共にプロタリアの国葬に参列する場合であったが、プロタリアからは来賓の名簿はまだ届いておらず、いざとなったら現場で二人を捕まえるより他は無いだろうと彼は考えていた。アルフリートはユーストにも内容は知らせていなかったが、全てを見通す明晰な頭脳を持つ宰相に、元より説明は不要だった。

 国璽を押し、封筒に入れ、封ろうをする。全ての作業を一人で終えたアルフリートにアイリーンが声を掛ける。

「陛下、お疲れ様でした」

 彼女は侍女の入れたコーヒーをアルフリートのデスクに静かに置いた。シンはプロタリアに同行するロベルトら宮廷騎士団の面々と、帝都や周辺の地理を把握するべく地図に集中しており、珍しくアイリーンを気遣う余裕を無くしていた。図書館での勉強がさっそく役立った訳だが、まだ少し彼には難しいようであった。

 アイリーンは盲目であるから、国王の執務室に詰めていてもあまりやる事が無いのだが、閣僚にとっては彼女が居てくれる事が最大の収穫であり、アルフリートも別段気にしていないようだった。アイリーンは少しでも剣を捧げた主君の役に立とうと、自分に出来る事を見つけては色々と試しているようであった。時にはアルフリートにねだられ、楽器を弾いて唄を歌い、執務室の空気を和らげてもいた。元来のんびりとした性格である彼女は、そうしてあれこれと動き回る皆の会話や動きを聞いているのは楽しい事でもあるようだった。

 デスクの傍らに静かに立ったアイリーンに、アルフリートが礼を言おうとしたその時、彼女の秀麗な顔が突然引き締まり、滅多に無い大声で叫ぶ。

「陛下!呼び子が聞こえます。侵入者のようです…正面玄関の方向からです。シン!陛下の護衛を」

 アイリーンのその言葉にシンと騎士達は素早く反応し、アルフリートに駆け寄る。ロベルトが次々と命令を発していく。

「陛下の警護に五人残れ、残りは確認に向かえ。二人一組、単独で行動するな。文官や侍女に部屋から出ないよう通達を。王宮内の騎士に非常呼集」

 アルフリートは落ち着いて立ち上がり、部屋の中央に進み出る。アイリーンがすぐ傍らで杖を握りしめ、シンは騎士と共に国王を囲む。驚いて部屋の隅で立ちすくんでいる侍女のセラとシンシアをアルフリートは呼び寄せ、中央のソファーに座らせると、優しく声を掛けた。

「大丈夫だよセラ、シンシアもそんなに怖がらなくても。ちょっと大袈裟なだけだからね」

 その時点でやっと騎士達の耳にも笛の音が届く。彼等は皆一様にアイリーンの聴力に驚愕していた。ロベルトの元に伝令の騎士が走り寄り、彼は事態を把握した。

「陛下、レイナード・バッカスです。単独で正面玄関に現れて騎士団と睨み合っているとの事です」

 ロベルトの落ち着いた報告を聞いたアルフリートは、一瞬微笑みを浮かべた。彼は即座に行動を開始する。

「セラ、シンシア、ここから出ちゃダメだよ。何も心配する事は無いからね。ロベルト、ユーストに伝令。閣僚を会議室に召集。俺は現場に行く」

「?…会議室ですか。かしこまりましたが、陛下が行かれるのですか…それはちょっと」

「ヤツは俺に話があるんだよ、それ以外考えられない。行こう」

 すたすたと歩き出す国王を油断なく騎士が囲み、王宮中央へと向かう。廊下を伝令の騎士が次々と駆け抜け、殺気立った雰囲気が漂っていた。アルフリートを囲む騎士達にも、普段の王宮内では見せぬ凄みがみなぎり、アイリーンは思わず気押されてしまう。彼女は逃避行の際の山賊との一戦しか実戦を経験しておらず、戦に慣れた宮廷騎士団の猛者達が発する殺気をもろに受け止めてしまい、青ざめていた。アルフリートはそれに気付くとシンに声を掛け、騎士達を嗜める。

「シン、アイリーンに付いてやって。お前達もそんなに殺気立つな、肩の力を抜けよ。現場に着く迄に転んじまうぞ」

 緊張感の欠片も見せず、いつものようにくだけた口調で話す国王に、騎士達の顔からも笑みがこぼれる。アルフリートにしても戦場に立った事など無いのだが、どんな状況下でも平常心を保つ彼の天性の持ち味は、荒事でも同じ事のようであった。

 廊下の向こうに中央の大広間が見えてきた。アルフリートはそれを見て思わず声を漏らす。

「あっちゃ~、シルヴァ来てるよ。…うわ全開だ」

 既に双刀を抜き放ったシルヴァがレイナードの前に仁王立ちに立ちはだかっている。彼女の放つ凄まじい闘気は、かなりの距離を隔ててもアイリーンには感じられた。王宮では一度も見せた事の無い『魔女』の顔をさらけだした彼女の気迫に、気の弱い侍女などはすくんで動けなくなってしまい、腰を抜かして涙ぐんでいる者まで居た。

 レイナードはそのシルヴァに相い対しても一向に動ぜず、倭刀を片手に静かに立っている。彼はアルフリートに直接の面会を求め、いきなり王宮玄関に現れた。武装の解除を求める衛兵と押し問答になり、レイナードも引く事をせず、無理に通ろうとした為この騒ぎとなった。既に十人を超える数の騎士が剣を構え、彼を取り囲んでいる。その正面に立ち塞がったシルヴァが凛とした声で警告する。

「レイナード・バッカス!ここは我が王の城、そのまま通しはせぬ。剣を置かれよ、さもなくば斬る!」

 レイナードの身体から見えぬ闘気が吹き出す。彼の口から静かに言葉が発せられる。

「俺はアルフリート陛下に直接伝えねばならん事がある。トランセリアの魔女よ、邪魔立てするな」

 シルヴァは一歩も譲らず、双刀を手に悪魔その人のような殺気を受け止めた。二人の放つ異常な程の気に、宮廷騎士の極限まで張りつめた緊張が加わり、アイリーンは立っていられない程の衝撃を感じていた。

「やばっ!」

 焦ったアルフリートがシルヴァに走り寄り、声を掛けようとした瞬間、大広間を揺さぶる太く低い声が響き渡った。

「双方剣を収められい!御前である!!」

 その場にいた全員がびくりと身体を震わせる。大音声を発したその男がのしのしと中央に歩み出る。アルフリートはげんなりと呟く。

「全員集合かよ……」

 白髪頭に焼け焦げだらけの作業服を着た声の持ち主は続けて言う。

「アルフ!シルヴァを諌めい!レイナード殿、儂が剣を預からせてもらう。如何か」

 トランセリア第二代国王、アーロン・リーベンバーグがレイナードの闘気をものともせず手を差し出す。『傭兵王』は一瞬迷う表情を見せたが大人しく倭刀を手渡す。

「アーロン殿、貴公にそう言われては断れませんな」

 にやりと笑うレイナードの手から刀を受け取ると、アーロンは小さく言った。

「騒ぎを起こすな、そんな目的では無かろうに。まったく若いのうおぬし」

 アルフリートがシルヴァに囁く。

「シルヴァ、もう引くんだ」

「分かってる、やる気は無いわ。私が出なきゃ兵が収まらなかったからよ」

 シルヴァのその返事に(嘘付け、全開だったくせに)と思うアルフリートだったが、すぐにてきぱきと指示を出し始める。

「全員剣を収めろ、この場は俺が預かる。宮廷騎士団は王宮内の状況確認、無用な騒ぎを起こすな。…レイナード殿、お待ちしておりました」

 静かに歩み寄った国王の意外な言葉にレイナードはかすかに微笑む。アルフリートはハウザーが放った最後の切り札が、おそらく彼であろうと予感していたのだった。


「じいちゃん今そんな事言われても困るんだよ。状況分かってるだろう」

 執務室に戻ったアルフリートはアーロンが訪れた理由を聞いて困惑していた。

「そんなもんどうとでもなる。ハウザー殿の葬儀に儂が行かずしてどうする。連れて行け、いやお前は行かんでもいい。儂が代わってやる」

「何馬鹿な事言ってんだ。元とはいえ国王が二人も動いたら護衛がえらい数になっちまう。ダメダメダメ」

「祖父に向かって馬鹿とか言うな。護衛なんぞいらんわ、お前やアンディと一緒にするな」

「親父と一緒にするなっ!」

 次第に只の口喧嘩になっていく二人を見兼ねてユーストが口を挟む。

「アーロン様、随行する人員はかなりの悶着の末決定したのです。どうかお聞き分け下さい」

「なんじゃユーストまで。……お前相変わらずちゃらちゃらしとるのぉ」

 その台詞に冷静な宰相まで素に戻る。

「ちゃらちゃら……、って叔父さん。だからさぁもうダメなんだって。あっちの都合もあんだから、ウチの事だけじゃないんだよ。分かってんだろそんな事」

「じゃからアルフを置いてけっつっとるんじゃ。向こうでもどうせ一騒ぎあるんじゃろ、儂にまかせろ、な」

「な、なんでそんな事まで知ってんだよ……」

「元国王を甘く見るな若造共が。儂にだって自前の情報網ぐらいあるわい」

 止まりそうも無いリーベンバーグ一族の遠慮の無いやりとりに、思わずアイリーンが口を開く。

「あ…あの。わたくしで良ければアーロン様と変わっても……」

「そうじゃそうじゃ、いい子じゃのぉお嬢ちゃん。やっぱり育ちが違うわい」

 アルフリートが負けじと言い返す。

「自分が一番育ちが悪いんじゃねぇか、なに言ってんだか」

「うるさいわ。年寄りをいたわる気は無いんかお前達は」

「今は無い」

 ユーストもやり返す。

 果てしなく泥沼化していく三人の喧嘩を止めたのは、会議の用意が整った事を告げに来た侍女のシンシアだった。

「あの…陛下、ユースト様。会議室に皆様方がお揃いになりました」

「今行くっ!」

 同時に叫ぶアルフリートとユーストに、シンシアは目を白黒させていた。


 会議室には剣呑な空気が充満していた。武装解除したとはいえ、大陸最強と名高い剣士であるレイナードを警戒して、シルヴァも将軍達もぴりぴりとした雰囲気を漂わせていた。ぶつぶつ言いながら椅子に座るアルフリートと、こちらはさすがに落ち着きを取り戻して優雅に腰掛けるユースト。アイリーンは何か考えがあるらしく、アーロンと執務室に残り、緊張した面持ちのシンがアルフリートの後ろに控えた。全員が揃ったと見るや珍しくシルヴァが口火を切った。

「レイナード殿、陛下に伝えなければならない事があると申されたな。さっそく聞かせてもらおうか」

 下座の椅子に腰掛け、数人の騎士達に取り囲まれたレイナードが静かに答える。

「……俺はアルフリート陛下とアンドリュー様、もしくはアーロン様に伝えてくれと、皇帝から依頼を受けている。他の者のおる所では言えぬ」

 黒髪の奥の彼の視線は、じっと正面のアルフリートに注がれている。シルヴァが間髪を置かず言った。

「人払いなど出来ぬ。どちらにせよ陛下は我々に隠し事などなされぬ故、同じ事だ」

 それを聞いてアルフリートはちょっと後ろめたくなった。今回の一件では閣僚に伝えていない事もあるからである。レイナードは表情を変えずに言う。

「それは俺の知った事では無い、俺はただ依頼を遂行するのみだ。いずれにせよ陛下がお決めになるだろう」

 一同の視線がアルフリートに集中する。シルヴァだけが一瞬国王をちらりと見ると再び視線をレイナードに戻した。アルフリートはアーロンの騒ぎで混乱した頭を沈めるかのように小さく首を振ると、少しの間を置いて口を開く。

「……レイナード、他の事を聞くよ。証拠は手に入ったのかい?」

 長い沈黙が続く。レイナードは答えを迷っているようだったが、やがて言った。

「……ああ」

「それはいつ手に入れたの」

「十日程前だ」

「ちょうどハウザー陛下が亡くなられた頃か」

「そうだ……証拠を掴んですぐプロタリアに向かったが、国境を越えた所で皇帝の訃報を知った。その足でトランセリアに来たのだが、警戒が厳しくて時間を取られてしまった」

「……もう少し早ければ、じいさんは死なずに済んだかも知れなかったな。……今言っても仕方の無い事だけど」

「……その通りだ。俺もそれが無念だが、もうどうにもならぬ」

 再び沈黙が訪れる。小さなため息の後、アルフリートが尋ねる。

「レイナード、俺と一緒にプロタリアへ行くかい?」

「それが俺の仕事だ」

「今ここで契約は交わせる?……っと、あんまりふっかけないでくれよ」

 レイナードの顔にかすかに笑みが浮かぶ。金の話になって主計局長リカルドが耳をそばだてる。

「ハウザー陛下よりもう頂いている。金の心配はいらぬよ」

「と、いう訳だリカルド、助かったね。ユースト、契約書の準備を。彼を雇う」

「御意」

 頷いて静かに会議室を出るユースト。あからさまにほっとした表情を浮かべるリカルド。対照的に険しい顔でアルフリートに問い掛けるシルヴァ。

「どういうことですか陛下。レイナードを雇い入れるのですか?何故?」

「ちょっと待っててねシルヴァ。レイナード、もう一つだけ確認させてくれ。それはミハイルの野郎を失脚させるに充分な証拠だね」

「そうでなければここには来ぬし、俺でなければ守りきれぬ」

 絶対の自信を持って言い切ったレイナードに、アルフリートは柔らかく微笑み、閣僚達に告げる。

「よし、書面の用意が出来るまで一時休憩、その後もう一度ここに集まってくれ。悪いけど指名させてもらうよ。シルヴァ、シュバルカ、ディクスン、メレディス、ヴィンセント、フランク、アイ……いや、後はユーストだな。他の者は入室を禁じる。あぁっと……じいちゃんを入れないとうるさいか、じゃあアーロン。以上。……これでどうだいレイナード、この線はちょっと譲れないな」

「……致し方あるまい。……コーヒーを一杯くれるか」

「ああ俺ももらおう」

 アルフリートにはにこやかに、レイナードには恐る恐るセラがコーヒーを運び、副官や護衛の騎士達が三々五々会議室を出て行く。シンは何か小さくアルフリートと言葉を交わして部屋を後にした。入れ替わりにユーストとアーロンが会議室に現れ、室内には十人の人間が残った。アーロンを除けば、トランセリア閣僚の最重要人物のみがレイナードに対峙する事になる。


 アーロンは随分と静かになっていた。先程の会議中、執務室にアーロンと残されたアイリーンは、上品に挨拶を口にする。

「アーロン様、御挨拶は初めてになります、アイリーン・クレメントと申します。アルフリート陛下はじめトランセリアの皆様には大変にお世話になっております。感謝のしようもございません」

「おお、お嬢ちゃんが噂のイグナートのお姫様かの、これは御丁寧な挨拶痛み入る。アーロン・リーベンバーグと申す。アルフリートは何か迷惑を掛けてはおらんか?」

「迷惑などとんでもございません、陛下にはいつも教えて頂く事ばかりです。それにわたくしはもうアルフリート様の一家臣でございますので、陛下の御為に働く事こそわたくしの生き甲斐でございます」

 にこやかに微笑み、そう答えたアイリーンにアーロンは目を細めて言う。

「ほんにいい子じゃのお、アルフやユーストに爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいじゃ」

「陛下もユースト様も、それにトランセリアという国その物が、わたくしは日々を追う毎に好きになっていきます。これもアンドリュー様やアーロン様、建国王のアルザス様の達見の賜物なのでございましょう」

「はっはっは。お世辞がお上手じゃ。…アルフリートに儂を説得するよう言われておるのかな?」

 アーロンの目の奥にかすかに鋭い光が宿る。数々の修羅場をくぐり抜けて来た元国王の本質がそこにあった。だがアイリーンは盲目故気付かないのか、それとも気付かぬ振りをしているのか、小さく首を傾げて言った。

「説得…でございますか、陛下からは特に何も仰せつかってはおりませぬが。わたくしがここに残ったのはアーロン様とお話がしたかったからでございます。アンドリュー様にも夫がお世話になっておりますものですから、そのお礼も致しとうございますので」

「アンドリューめが?あやつ図書館に閉じ篭って本ばかり読んでいるのであろう?」

「わたくしは盲いでございますので元より本など読めませぬが、夫も読み書きが出来ませんでした。アンドリュー様が色々と手解きをして下さり、今ではわたくしに読み聞かせてくれるように迄なりました。本当にトランセリアにはいくつもの恩を受けているのでございます。生涯を掛けてこの国をお助け致したく思っております」

「ふーむ、あやつがのう……」

 そう呟くとアーロンはしばらくの間黙り込んでいた。アイリーンは静かに彼が口を開くのを待った。やがて白髪の老人は真面目な声で問い掛ける。

「アイリーン殿、貴公はどう思う。儂が行かぬ方が良いと思うか?」

「アーロン様、そのように呼ばずとも結構でございますから。家臣であるわたくしの考えなどお気になさる事はございませぬが……、今回の人選はかなり難航したものでございますから。皆様陛下のお身が御心配なのでしょう、どなたも御自分が行くといって譲られませんので、なかなか時間が掛かってしまったのは本当でございます。シルヴァ様やシュバルカ将軍など大変熱心に主張なさっておいででした」

「まぁシュバルカはのう…あいつは頑固者じゃから」

「閣僚の皆様がいかに陛下の事を思っていらっしゃるかの現れなのでしょうね…」

 アイリーンは心から彼等の忠誠に感じいっているようだった。アーロンはじっと彼女の美しい顔を見つめていたが、やがて立ち上がり、何を思ったかアルフリートのデスクに歩み寄るとなにやらごそごそと探し物を始める。驚いたセラがアーロンに走り寄る。

「アーロン様、何をお探しでしょう?お申し付け下さればわたくしがご用意致しますので」

「お?おお、すまんの。紙とペンを用意してくれんか。ちと書き物をしたいのじゃ」

「はい、只今。どうぞお座りになってお待ち下さいませ」

 セラは初めて接する先々代の国王に幾分緊張しながらも、手早く紙とペンを用意する。アーロンがさらさらとペンを走らせている間、アイリーンはじっとその音に耳を傾けていた。確かに彼女は上手くすればアーロンを説得できるかもしれないと考えてはいたが、トランセリアの基礎を築き上げた第二代の国王と話をしてみたいと思った方が本音だった。アイリーンは何から何まで他国と違う不思議なこの国をもっともっと知りたいと感じていた。彼女の中に、イグナートにいた頃には持つ事の出来なかった愛国心といった物が、日々育ってきていた。

 やがてペンを置いたアーロンがアイリーンに歩み寄り、何も言わずにその手を取ると畳んだ紙をそっと握らせる。驚いたアイリーンがどういう事なのかを尋ねようとした時、会議室に通じるドアが開き、アーロンが呼ばれた。彼はそのまま無言で執務室を出ていった。残されたアイリーンが確かめようにも、盲目の彼女にその紙に記された内容が分かる筈も無かった。

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