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青の時代 4  作者: 森 鉛
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第六章 皇帝の死 第一話

 華やかな舞踏会の片隅で、少女は一人グラスを片手にため息を付く。初めて結い上げた髪も、大人びた真紅のドレスも、一度ダンスを踊っただけで妙に型崩れを起こしてしまい、少女はほどけかけた豊かな赤毛をくるくると指先で玩びながら、壁にもたれてぶつくさと独り言を口にする。

「……つまんないの。お父様はなんだかむずかしいお話ばっかりなさってるし、髪はこんなだし靴は痛いし……。あーあ、せっかくこんなに大きな外国のパーティーに出られたのに。……つまんないの」

「そんなにつまらないのなら、御一緒に庭にでも出てみませんか?」

 ふいに声を掛けられて少女は手に持ったグラスを落としそうになる。いつの間にか少し離れた場所に若い男が立って居た。背はそれ程高くはなかったが、銀色の髪の奥の綺麗な瞳が印象的な男だった。整った涼しげな顔立ちと優雅な佇まいは、高位の貴族であろうと思われた。自分より幾つか歳上と思われるその男に優しく手を引かれ、少女は中庭へと歩き出す。

 手入れの行き届いた中庭の小さなあずま屋に腰を下ろすと、男は少女の為の飲み物を取りにその場を離れる。彼女が手に持ったグラスにはもう中味が入っていなかったのだ。舞踏会の音楽が遠くから小さく聞こえ、あちらこちらから男女の笑いさざめく声が耳に届く。ぐっと大人びた雰囲気に少女は急に緊張感を覚える。きょろきょろと辺りを見回す彼女の元へ、やがて飲み物を手に男が戻って来た。差し出されたグラスに注意深く口を付けた少女は、それが只のジュースである事を知り、思わず声を漏らす。

「あら、お酒じゃないのね」

 男はくすくすと笑い、からかうように言った。

「お酒の方が宜しかったので?見た所かなりお若いようですが…」

「そ…そんな事ないけれど。………その」

 少女は男が自分を酔わせてどうにかしようと考えているのではと疑っていたのだ。男は自分のグラスを持ち上げて見せ、少し照れ臭そうに言った。

「こっちもジュースです。あまり酒は得意でないものですから…」

 訊ねてみた男の年齢は少女より五歳上なだけであり、まだ十代だという事が分かった。話す内に男が最初の印象よりも随分と真面目な人物であり、自分から女性に声を掛けた事など初めてだったという事も、彼は正直に告白した。

 取り留めの無い話を交わす彼の手が、ふいに少女の髪に触れる。びくりと身体を震わせる彼女に、小さく「あ、ごめん」と言った彼の右手には、小さなピンが光っている。少女はくるりと後ろを向いて言う。

「他にも残っていないか見てちょうだい」

 自分でも何故そんな大胆な事を口にしたのか分からぬまま、男の手が少女の波打つ赤毛にそっと触れる。男性に髪の毛を触れられるなど初めての経験だった彼女の、白く細い首筋が真っ赤に染まる。やがて後ろから小さく声が掛かる。

「……大丈夫。他にはもう無いみたいだ」

 その声が聞こえても、燃えるように頬が熱くなった少女は振り返る事も出来ずに、しばらくの間俯いたままでいた。

 遠くから聞こえるダンスの音楽が、スローなテンポに変わる。立ち上がった男に手を取られ、少女の華奢な両足がゆっくりとステップを踏む。見つめ合った瞳が次第に距離を縮め、息が届く程顔が近付いた時、少女の名を呼ぶ侍女の声が二人の耳に届いた。慌てて身体を離した少女が、上気した頬を隠すように下を向いたまま呟く。

「…………ありがとう、……さよなら」

「…………さようなら」

 男の返事を待たずに少女は声のする方向へと歩き出す。男の視線がずっと背中から離れない事を感じ取り、彼女は高まった鼓動を押さえる事が出来なかった。


 国に戻り、数カ月が過ぎても、少女の記憶から男の面影が消える事は無く、それは日毎に大きく彼女の心の中を占めていった。

 そしてある日、男からの手紙が彼女の元に届けられる。幸い家族の目に触れる事無く少女の手に届いたそれには、丁寧な過日の礼と、商用でこの国を訪れる予定がある事が記され、愛の言葉など一つも書かれてはいなかった。しかし文面の最後に書き添えられた、彼が泊まる宿屋の名前に少女は気付く。驚きと喜びに少女は有頂天になり、家族にも侍女にも告げずに男の元へ走った。

 貴族が泊まるとも思われない小さなその宿屋の入口で、馬車から降りる彼女に男が駆け寄る。じっと互いを見つめ合い、やがて吸い寄せられるように二人は抱き締め合った。

 再会した彼等は、もうお互いの気持ちを確かめる必要も無い程に惹かれ合っていた。その恋が、やがて大陸を大きな災いの渦に巻き込む事も知らずに。



 ユーロン大陸の各国を、不穏な空気が支配していた。ここひと月余り、諸国の王族や貴族の暗殺未遂事件が頻繁に報告されていたのである。

 トランセリアではまだそういった事件は起こっていなかった。元々貴族が居ない国家であるから、標的にされるとすれば数少ない王族か、閣僚の誰かになるだろうと予想された。軍務長官シルヴァ元帥は宮廷騎士団に王宮内外の警護を固めさせ、防衛担当のディクスン将軍は国境警備を増員する。宰相ユーストは各国に散った間諜から情報をかき集め、事の真偽を確かめるのに忙しかった。

 暗殺の手法も剣による実力行使や事故を装った物、毒殺や死因その物が不明な事件まで存在した。今の所未遂がほとんであったが、イグナートの貴族が一人毒殺されたらしいという噂が流れ、ユーストは元王女のアイリーンや外務長官ヴィンセントと共に確認を急いでいた。シンとアイリーンの二人も国王の警護でぴったりとアルフリートの傍らに張り付き、さしものやんちゃ小僧も一人で勝手に抜け出すような雰囲気では無かった。


 実の所半月程前、アルフリートは下町で事故に遭っていた。アイリーンとシンが同行し、例のうまいと評判の串焼きを食べに出掛けた時の事であった。

 珍しく仕事が早く片付いたアルフリートは、ビール片手に上機嫌で肉団子を頬張り、シンとアイリーンも物珍しそうにそれを口に運ぶ。特にアイリーンは屋台で物を食べるなど初めての経験であり、立食いにも関わらずなかなか上品に串を扱っていた。

 騒ぎが起きたのはその時だった。大通りをかなりの速度で馬車が走って来る。ほろ酔い気分のアルフリートや食べる事に気を取られていたシンが気付くより早く、アイリーンの鋭い聴覚は異変を察し、危険を訴えた。

「陛下、馬車が来ます。何か車輪の音が変です」

 職務中の二人はビールを口にしておらず、シンは俊敏に反応して身構える。通りを駆け抜けて来る馬車には御者の姿が見えず、こちら側の車輪がぐらぐらと揺れたかと思うと車軸から抜け落ちた。片輪を失った馬車は派手な音を立てて横転し、馬がけたたましくいななく。外れた車輪だけが真直ぐに屋台に向かって転がって来た。シンが素早く背中の鉄棍を抜き放ち、腕力に物を言わせて見事にそれを押え込む。木製の軸に鉄の輪をはめ込んだ車輪は相当な重量があり、人間に当たれば怪我は避けられなかったろう。

 アイリーンは勇敢にも国王を背中に庇い、当のアルフリートは片手にビール、口には串をくわえ、空いた片手で屋台のおかみさんを庇っていた。やがて駆け付けた警備隊の事故調査を眺めながら、アルフリートは尚も串焼きを食べつつ言った。

「ああ良かった、店が壊れたらこれが食えなくなる所だった」

 屋台のおかみさんが国王よりもシンとアイリーンに丁寧にお礼を告げるのも頷ける所であった。

 馬車には乗客も乗っておらず、怪我人も出なかった事から、御者のお咎めは罰金で済まされた。止めておいた馬車が勝手に走り出したと彼は平謝りし、事故現場にアルフリートが居た事も単なる偶然と考えるより他は無かった。国王を狙って車輪を外す事などどう考えても不可能であり、この件は単なる事故として処理された。


 定例の御前会議の席上、いくつかの懸案を片付けた後、宰相ユーストから暗殺未遂事件の調査報告が成される。

「個々の事件の詳細はお手元の資料にまとめましたのでそちらをご覧下さい。結論から申し上げますが、今回の連続暗殺未遂事件はそれぞれに関連が無いと考えられます。そもそも事件とは言えない物も多数含まれております。毒殺が疑われた件も単なる食中毒であったり、高齢の為の自然死であったりといった具合です。剣による事件も確執のあった貴族同士の抗争であり、事件ではありますが国家的な陰謀とは程遠い内容です。噂を耳にした者が被害妄想に陥り、事故を事件だと思い込んでしまった報告が非常に多く、今回のような無用の騒ぎを引き起こしてしまった物と思われます。ただ、最も新しいイグナートの貴族毒殺の一件はまだ確認が取れておりません。現在調査中でございますので、判り次第御報告致します」

 すらすらと報告を終えたユーストに、閣僚達からねぎらいの声が掛けられる。『地獄耳の宰相』ユーストの情報網によって集められ、吟味された報告は常に信憑性の高い物であった。彼は一つの案件に対し、常に複数からの報告を重ね合わせ、矛盾の無い事実を浮かび上がらせる。何が真実を写し出していて、何が過ちの情報なのか、培われたノウハウと聡明な頭脳によって導かれる結論は、国王をはじめ重鎮達を満足させるに足る物であった。アルフリートが口を開く。

「ご苦労様ユースト。やっぱりガセネタだったって訳だ、怪しいと思ってたんだよなぁ…」

 彼は数度目の報告があった時から、この一連の事件に関連性は無いだろうと発言していた。もし何かがあるとすれば、関係のないそれぞれの事故を、暗殺だとして噂を流した人物が居るという可能性だった。各国を疑心暗鬼にさせ、大陸を不安定な状況に陥らせ、その陰で事を画策する目的は何か。トランセリアの閣僚達の論点は、もはやそちらに向いていた。

「今の所事件が起きて無いのウチだけだからなぁ、疑われるよなぁこれじゃあ。それが目的だとしたら大したもんだけど。そっちの方は?ユースト」

 国王の問いにユーストが静かに答える。

「今の所どの国も不穏な動きや情報は確認出来ておりません。それぞれの事件も綺麗に各国にバラバラに分散しております、不自然な程に。先月我が国で起きた馬車の事故を勘定に入れてしまえば、見事な程均等に事が起きている状態になります」

「掴み所の無い話だなぁ、とりあえずほっとくしか手は無いんだけど…おっと」

 会議室にユーストの副官、ディアナが黒髪を乱して駆け込んで来た。日頃エレガントな彼女にしては珍しい慌てぶりにアルフリートはびっくりする。アイリーンが王宮に勤めるようになってからというもの、トランセリアの女性達は彼女のマネをして、優雅な仕種で行動するのがちょっとしたブームになっていた。そんな中でのディアナの狼狽ぶりに、閣僚達はまた新たな事件が起こった事を察し、息を潜めて宰相の報告を待った。ユーストはこちらも珍しく眉をひそめ、二言三言ディアナと小声でやりとりした後、いつものように静かに事態を報告する。

「入手したばかりの情報ですので、未確認の部分が多いですが、ほぼ事実という事ですので御報告致します。プロタリアの皇帝が一昨日ご崩御あそばされました。死因は……自殺、と発表されたとの事です」

 居並ぶ閣僚達は皆一様に言葉を失い、アルフリートは素で呟く。

「……マジで?」



          ◆




 遡る事二年前、当時十八歳のアルフリートはプロタリアを訪問していた。王位に就いてまだ数カ月の事であり、それが彼の初めての外交行事となった。

 第三皇女の結婚式典に招かれたトランセリア一行は、当時まだ将軍として第三軍を率いていたシルヴァと、アンドリューの治世を支えた老練な外務長官ドワイトが同行し、プロタリアに大使として赴任中であったヴィンセントが彼等を出迎えた。十八歳の若き国王と二十一歳の女将軍が列席するとあって、プロタリアの閣僚は元より、各国の来賓達もその姿をひと目見ようと、何処へ行っても二人の回りには人の輪が絶えなかった。

 キャリアの長いドワイトとヴィンセントは、外交に慣れていない二人を庇う為に神経をすり減らしていた。元々外交の得意で無いシルヴァはともかく、アルフリートは当時から如才無さを発揮し、可愛げ無くつるつると社交辞令を口にして、賓客を相手に見事な外交官ぶりを見せつけていた。アンドリューの時代からそのまま引き継がれたトランセリアの閣僚達は、就任早々からこの少年王の才覚を認め始めていた。既に宰相の職に就いていたユーストは、幼い頃からアルフリートを良く知っており、老獪な重鎮達にこう言って刮目を促した。

「見た目は可愛らしい少年ですがだまされてはいけません。中味は食えないくそおやじです」

 王位に就いたばかりのアルフリートにとって、いってみればこの訪問が閣僚の信頼を得られるかどうかの最後の関門であった。


 北の強国プロタリア帝国はイグナートやグローリンドに次ぐ歴史を持ち、大陸の北方に広大な版図を有する最大の国家だった。四十万とも五十万ともいわれる兵力と、二十に及ぼうという騎士団の圧倒的な軍事力を背景に、列強各国に見えない圧力を掛け、最強の軍事大国の名を欲しいままにしていた。第四十五代皇帝ハウザー・ベルンハルト・ダーグ・プロタリアスは、強大なこの帝国を三十有余年に渡って治めてきた。既に六十も半ばになろうという高齢であったが、逞しく頑健な肉体と周囲を圧倒する威圧感を兼ね備えた男であった。

 ハウザーは政治家としても軍人としても一流の人物であり、政治の頂点に立つと同時に元帥位を持ち、全軍の指揮権をも有する事実上の独裁者であった。彼がトランセリアの王と会うのはこれで三人目となる。他国から見れば生まれたばかりとも言えるこの若い国を、皇帝は決して甘く見てはいなかった。建国したばかりの国家が持つ特有の熱気にも似た団結力に加え、鉱物資源の豊富な国土や人材育成に力を注いでいる点など、いずれプロタリアの強力なライバルに成りうるであろう国だと考えていた。先々代アーロンの強力なカリスマ性や型破りな行動力、先代アンドリューの粘り強くつかみ所の無い外交手腕や若さに似合わぬ冷静さや博識ぶりなど、代々の国王も侮れない人物が揃っていた。

 軍事的にも頑健な兵士が数多く存在するトランセリアの騎士団は強敵であったが、唯一にして最大の欠点は新興国故の国力の無さであった。彼の国の貧乏振りはそれ程有名な事実であり、平民だけの国家という事もあってか、プロタリアの貴族達からも国として一段低く見られていた。ハウザーは口にこそ出さなかったが、鬱陶しい貴族が居ない国を少し羨ましく感じる事もあった。歴史の古い大国に付き物の、澱のように溜まった血縁の束縛から、彼といえど無縁ではいられなかった。

 十八歳で王位に就いたアルフリートといい、名将軍として名高かった故バーンスタイン将軍の娘が、二十歳になるかならずで将軍位に昇った事といい、トランセリアの人事は相変わらずの破天荒ぶりを見せていた。皇帝も注目の二人にはいたって興味があるようで、多くの供を引き連れ、自ら彼等の元に姿を現わした。


 重厚で豪奢な式典が繰り広げられた帝都の巨大な王宮では、華やかな大舞踏会が開催されていた。大国プロタリアでの催しに各国はこぞって訪問団を送り込み、さしもの広大な大広間もかなりの混雑を見せていた。格式張った昼間の式典と異なり、ダンスと音曲が中心となる舞踏会ではぐっと場もくだけ、そこかしこで外交の為の歓談が行われていた。

 国王と将軍、そして外務長官の三人のみを差し向けたトランセリアは訪問団としては小さな方であり、彼等はテーブルの一つに固まり、アルフリートなど腹が空いたのか結構な量の料理をせっせと口に運んでいた。外務長官のドワイトが呆れて進言する。

「陛下、あまりお食べになりますとお腹が出っぱってしまいますよ。まだ式典中でございますからほどほどになさいませ」

 口をもぐもぐさせながら返事をするアルフリート。この時点で既にあの口調である。

「んん…分かったよドワイト。…晩餐会じゃ話ばっかりであんまり食べられなくってさぁ、このぐらいにしとくよ」

 外交官としてこういった式典をいくつも経験してきたドワイトから見ても、アルフリートの胆の座り具合は尋常では無かった。ついこの間までごく普通の庶民として学校に通い、暮らしてきた彼が、いきなり外交の表舞台へ、しかも大陸最大の国家であるプロタリアの式典に出席して平然と食事を平らげるなど、常識で考えれば信じられない事であった。当たり前の神経の持ち主なら食べ物など喉を通らないであろう。現にシルヴァは緊張しているのかいつもより随分と食が細かった。彼女は父親のお供で幾度かこうした場面での経験はあるのだが、女性とはいえ軍人らしく、元々社交は苦手な性格であるようだった。

 アルフリートはこれまでの様々な行事の間にも、話し掛けてくる各国の来賓達とにこやかに会話を交わし、すらすらと社交辞令を口にしていた。笑いを堪えて国王と外務長官のやりとりを見ていたヴィンセントの顔が突然引き締まり、小さく囁いた。

「陛下、皇帝陛下がお見えになりました」

「ん、分かった」

 アルフリートは手近にあったシャンパンをきゅっと飲み干すと、ナプキンで口を拭いて立ち上がった。ドワイトと共に振り返ったその顔には、既に外交用のにこやかな微笑みを浮かべ、近付いて来る皇帝に自ら歩み寄り、手を差し出して挨拶を切り出す。

「初めましてハウザー皇帝陛下。トランセリア国王のアルフリート・リーベンバーグです。本日は誠にお目出とうございます」

 皇帝ハウザー・ベルンハルトはアルフリートより頭半分は背が高く、がっしりとした筋肉質の男だった。頭髪もヒゲもすっかり白くなってはいたが、眼光鋭く腹の底に響く低いその声は、気の弱い者なら口も利けなくなるような威圧感に満ちていた。

「おおアルフリート殿、遠路はるばる良くおいで下さった。今日は祝い事ゆえ堅苦しい挨拶は抜きにしてお楽しみ下され」

 そう言葉を返しながら、ハウザーは目の前の若者を値踏みするようにその視線を向ける。十八歳のアルフリートは現在より若干背が低く、シルヴァにもようやく追い付いたばかりであった。髪も今よりも少し長めで、見た目はとても年相応に見えぬ可愛らしい少年だった。にこにこと笑うその表情は少女のようにも見え、皇帝も驚きを隠せないようだった。

「お心づかいありがとうございます。私達田舎者にはこのような盛大な結婚式はただ驚くばかりで、プロタリアの国力が羨ましい限りです」

 さらりとお世辞を言ってみせるアルフリートに皇帝は切り返す。

「アルフリート殿は十八歳と聞き及ぶが、その若さで国王の重責を担う力量がおありなど、トランセリアの人材の豊富さには舌を巻くばかりじゃ。アンドリュー殿もアーロン殿も御健在でおられる、お国の未来は安泰であろうの」

「弱輩者の私の力などまだまだ父や祖父に遠く及びませぬ。優秀な閣僚が支えてくれるお陰でどうにかこうして国王の職務をこなしております。父も祖父もくれぐれも皇帝陛下によろしくと申しておりました」

 ハウザーの視線がアルフリートの隣に立つシルヴァに向けられる。騎士団の第一礼装をすらりとした身体に纏った彼女は、眉間の傷があったとしても十分に美しく、そして凛々しかった。幾分緊張気味に手を差し出し、挨拶をするシルヴァ。

「お初にお目に掛かります皇帝陛下。第三軍司令官を拝命致しておりますシルヴァ・バーンスタインです。亡き父の葬儀の際には御丁寧な弔辞をいただき、母ともども感謝の念に絶えません」

 握手を返し、皇帝の声は少し和らいだ。

「バーンスタイン将軍は大変残念な事であったな。あのような優秀な軍人が夭逝するなど他国といえど勿体無い事であるの。しかしシルヴァ殿が後を継ぐ事になって将軍もきっと喜んでおるだろう」

「お気遣い戴き申し訳なく思います。一日も早く父に恥じぬ立派な軍人になるよう研鑽に努めております」

 そう答えながらも、シルヴァの意識はハウザーの後ろに立つ男に向けられていた。皇帝の護衛に付く長身のその男は、大陸最強の剣士と名高い『傭兵王』レイナード・バッカスであった。倭刀を手に、静かに皇帝の傍らに立つレイナードは、噂に聞こえる別次元の強さを持つ剣の使い手というイメージは無く、気配を消すようにただそこに居た。三十をいくらか越えた年齢の彼は、やや長めの黒髪の奥の瞳を伏せ、周囲の空気に身を委ねているように見えた。

 自身も優れた剣士であるシルヴァには、底知れぬその恐ろしさがはっきりと感じ取れた。彼女の剣技は既に全軍でもトップクラスにまで磨かれており、『双刀の魔女』の二つ名も騎士団にはすっかり浸透していた。本人は『魔女』じゃ聞こえが悪いから『女神』にしてくれと文句を言うのだが、戦場で鬼神のごとき戦いぶりを見せるシルヴァはどう見ても『魔女』というイメージしか無かった。彼女の数歩前に立つレイナードには隙という物が全く存在しなかった。もし自分が剣を持って相い対したとしても、一歩も動けぬまま敗北するだろうと彼女は予感していた。隣に立つアルフリートが声を発するまでの数秒の間、シルヴァは皇帝の前で立ちすくんでいた。

「それにしても『傭兵王』をお雇いになるなど、お国の懐の深さには敬服致します。このような華やかな場には慣れておりませぬゆえ、右を見ても左を見てもびっくりする事ばかりです」

 若者らしく爽やかな声で挨拶を続けるアルフリートだったが、後ろに並ぶドワイトとヴィンセントの背筋には冷や汗が伝う。彼等の国王は事もあろうにプロタリアの皇帝に向かって牽制球を投げたのだ。本来こういった式典や祝い事の護衛には正式な騎士団の衛兵が付くのが通例である。にもかかわらず金で雇った傭兵を随行させるという事は、プロタリアの軍部や宮廷内部に何かトラブルがあるという疑惑を想起させた。単に皇帝が潤沢な国力を見せつける為に連れ歩いているだけなのかもしれなかったが、どちらにせよ知らぬ振りをするのが外交としては正しい選択だった。

 ヴィンセントは心の中でアルフリートに文句を言いながらも、彼がレイナードの顔を知っている事に驚いていた。この先最低二十年は仕える事になるこの国王が、一筋縄ではいかぬ曲者である事をこの時ヴィンセントは思い知るのである。

 ハウザーは一瞬だけかすかに意外そうな表情を見せ、にやりと笑ってこう言葉を返した。

「アルフリート殿はお目が鋭い。祝いの席に不粋かとも思うたが、なにちょっとした余興のようなものじゃて。儂も少し自慢したくての」

 にこやかに交わされる会話が終り、皇帝一行は次の来賓へと立ち去って行った。ほっと息をつく皆を余所に、アルフリートは給仕の盆からジュースのグラスを受け取り、シルヴァに差し出す。崩れるように椅子に腰掛けたシルヴァは一息にジュースを飲み干して呟いた。

「あ~緊張したぁ」

 素に戻ってしまったシルヴァの台詞にくすくすと笑いながら、アルフリートはドワイトとヴィンセントに話し掛ける。

「あっさりかわされたなぁ。なんかあんのかなって思ったんだけど…まぁこんな席で欠片でも匂わせる訳無いよね」

「…やっぱり判ってておやりになったんですね」

 ヴィンセントが問いつめるように言う。ドワイトは呆れて物も言わずにぐったりと椅子に座り込む。

「そりゃそうさ。ちょっとぐらいヒントくれればいいのに、ケチくさいじじいだ」

「勘弁して下さい陛下、心臓が飛び出るかと思いましたよ。これ以上長官閣下の寿命を縮めるのはやめて下さいね」

 大使としてプロタリアに赴任しているヴィンセントは、アルフリートとは審議会の席上ぐらいでしか面識は無かったのだが、国王に引っ張られたのか既に口調がくだけてきている。小言を言いながらも、彼は心の奥で何かわくわくする物が沸き上がって来るのを抑えきれなかった。国元から訪れる同僚達から、今度の王様はなかなかやり手だとの噂話を耳にしてもいた。

「はいはい、悪かったね二人とも。もう大人しくしてるからさ」

 再びフォークを手に料理を突つきだしたアルフリートを見つめ、ヴィンセントは目の前の若い王が、トランセリアを大陸の主役に引っ張り上げるか、どん底に叩き落とすか二つに一つだろうと考えていた。そして彼は前者に全財産賭けてもいいだろうと直感していた。


 結婚式の主役である新郎新婦とも挨拶を交わし、トランセリア一行はそれぞれにあてがわれた客室へと去って行く。正直な所、彼等にとってこの新たな夫婦はどうでもいい事だった。プロタリアは女性が帝位に就く事は認められておらず、第三皇女が政治の表舞台に立つ可能性は皆無であったし、夫である若い公爵も大した人物では無く、アルフリートは対面して数秒で彼への興味を失っていたようだった。

 皇帝ハウザーには四人の子供があったが男子がおらず、全て女性であった。この日の式で既に三人目までが嫁ぎ、もう一人末の娘が後に残されていた。いずれの皇女も国内の貴族と結婚しており、今後彼女達の夫による帝位争奪戦が始まるであろうというのが、各国の大方の予想であった。優秀な皇帝と強大な国力とを誇るプロタリアも、後継者には恵まれていなかった。まさしく内柔外剛の国家であり、アルフリートはレイナードの存在がその辺りと結びつくのではないかと考えていた。

 高齢のドワイトは疲れきって早々に寝室に引っ込み、ヴィンセントはこれからが正念場と、舞踏会の会場を精力的に歩き回っていた。


 アルフリートに与えられた豪華な客室に、シルヴァはちゃっかりと居座っていた。小国といえど国王に用意された部屋は彼女の物とは比べ物にならぬ広さであり、格式と血筋を重んじる古い国家の一面が伺えた。彼等は良くこうしてお互いの寝室に出入りしていたし、この部屋はアルフリート一人にはあまりにも広すぎた。

 二人は婚約こそしていなかったが既に恋人同士であり、それは王宮でも公然の事実となっていた。彼等の仲を反対する理由など何処にも無かったし、ユーストなぞ一緒に居てくれた方が呼び出す時楽でいいぐらいに考えていた。腕の立つシルヴァが王の寝室に居る事は、警護の面から言っても都合が良かった。将来の王妃が軍務長官の地位を約束された将軍である事が異例といえばその通りだが、二人の子供が次の王になる保証はトランセリアという国には無いのだった。

 夜着に着替えてリラックスした二人はシャンパンのグラスを傾ける。シルヴァの酒癖の悪さを良く知っているアルフリートは「一杯だけだよ」と念を押して彼女のグラスに酒を注いだ。彼女自身にも国王の護衛という任務があるのだから、他国で前後不覚になる訳にはいかず、大人しくちびちびとシャンパンを口にしていた。一通り部屋を見て回ったシルヴァはこう呟いた。

「すっごーい、ひろーい。いいなぁアルフだけこんなにいい部屋で、ずるいわよぉ」

 二人だけの時に見せる普通の女性の態度に戻ったシルヴァに、アルフリートはにこにこと微笑みながら返事をする。

「こんなに要らないよねぇ。シルヴァの部屋はそんなに狭いの?」

「…国のわたしの部屋よりは遥かに広いけど、ここまでじゃないわね。プロタリアってお金あるのねぇ」

 金の問題だけでも無いだろうとアルフリートは思ったが口にはせず、シルヴァに小さく口付けると言った。

「こっちに泊まって行きなよ、…って荷物持って来てるんだね、もう」

 シルヴァはしっかりと自分の部屋から着替えやら剣やらを運んで来ていた。

「うん、セリカにもアルフのとこに居るって言って来たから大丈夫。わたしの部屋は小隊で適当に使ってもらってる」

 護衛に同行したシルヴァの女性副官セリカをはじめ、騎士達にとっても固まって居てくれた方が都合が良かったし、彼等にもこんな豪華な部屋は初めてだろう。セリカは侍女達とあちこち覗いては、さっそく品定めして盛り上がっていた。


 アルフリートがシルヴァにプロポーズしたのは彼が十二歳の時であった。当時シルヴァは十五歳であり、既に小隊を率いる士官として軍務に就いていた。アルフリートのリーベンバーグ家とシルヴァのバーンスタイン家は親戚の関係であり、二人は幼い頃から姉弟同然に育った。

 自分よりも三歳も下の子供に求婚されたシルヴァは最初は面食らったが、アルフリートはそれ以前から同世代の子供とは違う才覚に溢れた一面を見せ、彼女もその薫陶を受けて成長していた事は否めなかった。可愛らしい外見と大人びた思考とを合わせ持つ不思議な乳兄弟の事を、それから一人の男性と意識して見るようになると、女心とは面白い物でシルヴァは日毎にアルフリートに惹かれていった。

 軍では天才少女とも戦の女神とも讃えられる彼女も中味はうら若い少女であり、自分の身に起こったささやかなロマンスに有頂天になったシルヴァは、ほんのわずかではあったが職務を疎かにしてしまい、未だ健在であった父バーンスタイン将軍に雷を落とされてしまう。偉大な父の後を追い、騎士として一生をトランセリアに尽くそうと心に決めていた彼女は、悩んだ末にアルフリートの申し出を一度は断るのである。しかし未来の国王は、軍務に集中したいと話すシルヴァのその返事に、にっこりと笑ってこう答えた。

「もちろん僕もそうしてほしいって思ってるよ。だってシルヴァには僕が国王になった時に軍務長官をやってもらいたいから」

 シルヴァは開いた口が塞がらなかった。女の自分が軍務長官に昇り詰める事など有り得ないと思っていたし、仮にそうなったとしてもいったい何歳になっているだろう。だが真直ぐに自分を見つめてにこにこと笑うこの少年の笑顔を見ていると、本当にそれが実現するように思われてくるのだ。アルフリートと一緒にいると、彼女は自分が小さな女の子になってしまったような気がした。シルヴァにとって彼は父親よりも母親よりも、一緒にいて偽りの無い素直な自分を出せる相手であったし、少女のようなルックスも愛らしくて好きだった。彼女は呟くように言葉を絞り出した。

「そんなの…いつになるか分かんないわよ、……いいの?」

「いいよ。結婚してくれって言ったけどそばにいてくれればいいんだから。…あ、浮気はしないから安心してね」

 即答するアルフリートの小柄な身体を、頬を染めたシルヴァがそっと抱き寄せる。滑らかな頬に口付けた彼女は小さく彼にささやく。

「うん。ずっとそばにいる。……でも背はもう少し大きくなってね、せめてわたしより」

「……うん、がんばる」

 約束通りアルフリートが彼女の背丈を追い越したのは、王位に就く寸前の事であった。



 ソファーに落ち着いてあれこれと昼間の話を交わす二人の元に、皇帝の侍従が使いとして訪れる。ハウザーがアルフリートに面会を申し込んで来たのだった。断る理由も無く、アルフリートは心良く承知した。

 シルヴァは慌ててガウンを羽織り、宮廷騎士団の衛兵にセリカとヴィンセントへの連絡を命じる。控えの間に二人が到着するとほぼ同時に、侍女が皇帝の来訪を告げる。

「おくつろぎの所申し訳ないが少々時間をいただけるかな、アルフリート殿。ちと話がしたくての」

 平服に着替えたハウザーがレイナードを伴って現れた。他に供は居ないようだった。アルフリートは立ち上がってにこやかに出迎える。

「とんでもございません。陛下とお話が出来る機会に恵まれるなど、光栄の極みにございます」

 護衛を一人連れただけの皇帝に、アルフリートはかなり内密な話だと直感し、ソファに腰掛けると自らグラスにシャンパンを注ぐ。ハウザーはちらりと部屋の隅に立つシルヴァに目をやり、言った。

「お邪魔を致したかな」

「いいえ、この部屋は私一人には広すぎて何処に居ていいのか分からなくなっていた所です。…あぁそうだ、シルヴァ」

 声を掛けられたシルヴァは一瞬たじろぐ。彼女は同じく部屋の反対側の隅に静かに立つレイナードを牽制するかのように、机の上に置かれた自らの愛用の剣を背にして立って居た。『傭兵王』に意識が向いていたシルヴァは素で答えてしまう。

「!、な、なに?アルフ…失礼しました、陛下」

 手招きするアルフリートに奨められるまま、ハウザーに目礼しておずおずとソファに座るシルヴァ。アルフリートはにこにこと皇帝に告げる。

「ご存じかもしれませんが近々彼女との婚約を発表する予定となっております。婚礼はまだ先の話ですが、是非その際は皇帝陛下にも御列席を賜りたく存じます」

「ほほう、これはまた素晴らしい御夫婦が誕生するというわけじゃな。うむ、祝いの日に良い話を聞いたものだて。その節は是非とも招待下され」

「ありがとうございます。陛下の皇女夫妻を見習わせて頂き、常に良き伴侶であろうと心掛ける所存でおります」

 さっそく牽制をするアルフリート。彼はハウザーの用件が恐らく後継者問題に絡む話であろうと予想していた。それ以外に皇帝が内密で訪れる理由があるとは思えなかった。お忍びでわざわざ部屋を訪ねなくとも、明日には公式な謁見が予定されているのだから、その場で話せば済む事だった。

 皇帝はわずかに沈黙すると声を幾分抑えて切り出した。

「ふむ…アルフリート殿。貴公はアンドリュー殿ともアーロン殿とも違うタイプの国王に見受けられる。その若さで大層な胆の座り様じゃ。おぬしを見込んでひとつ腹を割って話をしたいのじゃが…」

 アルフリートの笑顔がすっと消え、彼も声のトーンを落として話す。

「お人払いを致しますか?」

 シルヴァが気を利かせて立ち上がる。

「いや…うむ。すまんなシルヴァ殿」

「とんでもございません。…部屋の中には居させて頂いてよろしゅうございますか」

 頷く皇帝に一礼し、彼女は再び部屋の隅に戻った。レイナードは何一つ興味が無いかの様に、変わらぬ静かさで立って居る。アルフリートが口を開く。

「私ごとき弱輩者をそのように評価して頂き恐悦至極でございますが、果たしてご期待に添えますかどうか」

「おぬしつるつると良く口が回るのう。腹を割ってと申しておるだろうに…。本来のおぬしはそのような口調では無いのではないか?儂がここを訪れた理由も察しておるじゃろう。とぼけても無駄じゃぞ、人を見る目が無ければ皇帝の位になど就いてはおれんでの」

 苦笑するハウザーにアルフリートもにっこりと微笑み、シャンパンを口にするとこう答えた。

「恐れ多くも皇帝陛下の御前で失礼があってはなりませんが。…そうですね、それではいつものように。ずばり目的は後継者問題でしょう?」

 見るからに楽しそうな表情を浮かべ、ころりと口調を変えたアルフリートにいささか呆れながら、ハウザーはこの若い王が、今だ父王の後見を受けている身であるという事を思い出した。

「……その通りだ。やはりおぬし切れる。アンドリューめ、とんでもない息子を育ておった」

「大プロタリアの皇帝陛下にそこまで持ち上げられては緊張してしまいますよ。それに今現在のプロタリアが抱える問題といえばその辺りしか考えられませんし、誰でも思い付くでしょう」

「嘘を申せ。おぬし先程から小憎らしい程落ち着き払っておるではないか。…まあよい、今日儂の三人の婿に会っただろう。どう思った、率直に聞かせてほしい」

「義理とはいえ御子息の悪口を言いたくありませんが…おっと、これじゃ言ってるのも同じか。家柄は大変お宜しいのではないでしょうか」

「皮肉も辛辣じゃのう…、まったく可愛げが無い…。しかしその通りじゃ。もっとマシな相手はおっただろうに、三人が三人ともボンクラに引っ掛かりおって。このままでは四人目もどうなることやら…」

 シャンパンを飲み干してぶつぶつと愚痴る皇帝にアルフリートはくすくすと笑い、空になったハウザーのグラスを満たしながら尚も突っ込んだ話を繰り出す。

「いっその事孫に期待してみては如何でしょうか。陛下まだ後二十年はいけるでしょう?」

「無茶を言うな、儂は六十を越えておるのだぞ。アーロンがおぬしの子に期待するようなものじゃ。冗談はそのぐらいにせい。例えばおぬしが儂の立場ならどうする。トランセリアとてそうなる可能性はあるのじゃぞ」

「ウチだったらそこで王族の血統が変わるだけの事ですから。いやいや例え話ですよね、私なぞの意見でよろしいので?お国には優秀な閣僚がひしめいているというのに」

「おぬしの意見をこそ聞きたいのだ。大体我が国に、これだけ儂に面と向かって言いたい放題言う者などもうおらぬよ」

「皇帝陛下は優秀すぎます。周りが頼るばかりでは人は育たぬでしょう。誰かの言う事を聞いていれば間違い無いとなれば、人はそちらを選びます。楽ですから」

 真面目な顔でそう言うアルフリートに、ハウザーも真剣な表情で問い掛ける。

「その通りだ。だが今それを言い出しても詮無い事じゃ。どうだ、策はあると思うか」

「そうですね。…あくまでも私見ですが、自分ならさっさと一人に決めてしまって引退します。王位継承権の順位に則って一番文句の少ない人物を選び、閣僚を整備して後進を委ね、後は高みの見物を決め込みます。口は出さない」

「……やはりその手か。儂も考えたが、それは賭けだ。良き王に育てばいいがそうでなければ国が傾く」

「政治はいつだって賭けです、明日の保証など無いも同然でしょう。それに王が愚かなら…失礼、例え話ですからね、周囲がそれを支えようとする可能性もあります。そうなるよう閣僚を揃える必要はありますが」

「だから今の内に引退か。確かに現状では最善の策かもしれぬが…最良とは言えぬ」

「現実社会に完璧を望むのはいかがな物でしょう。もう一つありますけど…ちょっと無理かな?」

「なんじゃ、おぬし底意地が悪いのぉ。そこまで頭が切れると性格が良く無いと嫌われるぞ」

 ハウザーの遠慮の無い口ぶりに、楽しげに答えるアルフリート。

「はいはい承ります。システムを根底から変えてしまって、いっその事貴族社会を無くしてしまったら如何です?すっきりしますよ。在野になら優秀な人材はいくらでも転がっています」

「そんな事が出来ればとうにやっておるよ。この国に何年の歴史があると思っておるのじゃ、トランセリアとは違うのだぞ」

「無くすのが無理でも変える事ならどうでしょう。王位はそのままに決議権を分散して骨抜きにするとか、国法を今の内にちょっといじって貴族の後継者を締め付けるとか。他には…後見人制度を作って黒幕になるとか…あ、それだと分権しちゃって国が割れるかな?それとも…」

「……おぬしよくもまぁそれだけ悪辣な事をすらすらと思い付くのぉ、末恐ろしい若造じゃて。今の内にレイナードに斬っておいてもらった方が我が国の為にはいいかもしれん。…おっとシルヴァ殿が凄い目付きになっておる…冗談だからの、冗談」

 部屋の隅に立ち、それまでレイナードをじっと見つめていたシルヴァが、この台詞で二人に目を移す。本人にその気は無くとも、戦闘体勢にあった彼女の突き刺すような視線に、ハウザーは小さく肩をすくめて見せた。レイナードは何一つ反応せず、アルフリートがとぼけて言う。

「皇帝陛下、あくまでも可能性を論じているだけですので。机上の空論というやつですから実際にはとてもこんな事は…」

「なにを今さら言うておる。まぁよい、しかしつくづく切れ者よの。儂にもおぬしのような息子がおれば…、いや家臣でもよいのじゃ。こうして話をするだけでも刺激になって次の一手が閃く事もあるのじゃから」

「僭越ですが、閣僚にも信頼のおける優秀な人物は必ずおられる筈ですよ。今からでも十分に時間はあると思います」

「そうかもしれん、だがそうでないのかもしれん。……アルフリート殿、歴史ある国家の宮廷というものはまさに闇じゃよ。照らしても照らしても陰が生まれよる」

「……お察し致します」

 少しの沈黙の後、ハウザーは言った。

「ふむ、時間を取らせてすまなかったの。今宵は話が出来て久し振りに楽しかった、礼を言わねばなるまい。本来なら儂の方が相談を受ける立場にあると思うが…おぬし何か悩みごとは無いのか?」

「まだ悩む程国政に慣れておりませぬ故、日々の職務をこなすので精一杯の有り様でございます。とても皇帝陛下に相談に乗ってもらうような話は…」

「まったく最後まで可愛げの無い男じゃ。おなごのような顔をして中味はアーロン以上の曲者じゃのぉ、食えぬやつだ」

「それではハウザー陛下、お言葉に甘えて一つだけ聞いて頂けますか?」

 アルフリートがふいに真面目な顔になって言った。皇帝は意地悪そうに答える。

「なんじゃ、金なら貸せぬぞ。結婚式の費用で国庫は空じゃ」

「それは残念。いやいや御謙遜を、大プロタリアがこの程度の式典の十や二十で…。おっとっと、そんな話ではございません。陛下、私が言うのも口幅ったいですが……民の事を一番にお考え下さい」

「……そんな事は分かっておるよ、だからこそ悩んでおるのだ」

「恐縮です。一番避けねばならぬのは国が割れる事です。何処かの国みたいに十何年もお家騒動をやらかせばいい迷惑なのは国民です。能無しの王でも国がまとまりさえすれば良いのです。国の乱れは無用な戦や人死にを呼びます。そして死ぬのはいつだって弱い人間からです。陛下、どうか時を見誤りませぬよう…」

 しばらくじっと若き王の顔を見つめていた老皇帝は小さく頷き、手を差し出して言う。

「……おぬし、……いや、そうだな。…その通りだ。……ふむ、いずれまた話がしたいものだな、アルフリート殿」

「お褒めの言葉と承ります。父や祖父にいいみやげ話が出来ました」

「アンドリューやアーロンともこうして何度か話をしたものよ。まぁったくお主ら一族ときた日には、腹を割ってと申せば、本当にずけずけと言いたい放題にこっちの痛いところを突いてきおる。そんな王族どこにも居りやせんよ。……お二方にもよろしく伝えてくれ、邪魔したのシルヴァ殿」

 ハウザーは嬉しそうに笑うとシルヴァに一礼して去って行った。大国を率いる老皇帝が一番欲していたのは、自分と対等に戦える政敵だったのかもしれない。


 皇帝とレイナードが立ち去ったと見るや、控えの間からどっと皆が雪崩れ込んで来た。ヴィンセントにセリカ、護衛の騎士や侍女達まで、興味津々でアルフリートやシルヴァの回りに集まる。ヴィンセントがあわを食って問い掛ける。

「へへへ陛下っ!ど、どのようなお話で?」

「あれ、聞こえてなかった?シルヴァは?」

 ソファに腰を下ろしたシルヴァは、アルフリートの飲みかけのシャンパンをきゅっと飲み干すと、ため息混じりに答える。

「私はレイナードが気になってそれどころじゃありませんでした。あんなのと正面切ってやるなんて命がいくつあっても足りないわ、まったく…。それにしてもお二人はまるで悪巧みの相談してるみたいに見えましたよ。どうして陛下はあんな場面でも緊張しないんですか、相手はプロタリアのハウザー皇帝陛下ですよ」

「腹を割って話したいって言うから、いつものようにしゃべっただけだよ。緊張?うーん、してたのかなぁ?まぁそんなに大した話じゃ無かったし、ていうかヴィンセントは分かってるだろう?」

 シルヴァの手からグラスを取り上げ、アルフリートは赤毛の大使に水を向ける。

「……そりゃまぁ、今のプロタリアには後継者問題ぐらいしか弱点は…、そうなんですか?それにしても何故陛下に。こういっちゃなんですが、四十も年下の若造にあのハウザー皇帝が相談を持ち掛けるなんて…」

「相談って感じでも無かったな、どうせ俺を品定めしに来たんだろうさ。あれで自分の中ではもう結論が出てるんだよ。結構ひょうきんなじいさんだったなぁ…じいちゃんにちょっと似てるかな?……あ、そうだヴィンセント、親父やじいちゃんとも良くこうやって話をしたって言ってたんだけど…知ってる?」

「いや…存じません。ドワイト長官ならご存じかも。……あれ、長官閣下は?」

 高齢のドワイトは昼間の式典で体力を使い果たしてしまい、この騒ぎを知らずにぐっすりと眠っていた。翌朝、ヴィンセントから話を聞いた彼は、全速力でアルフリートの元に走り、朝からへとへとに疲れ切ってしまうのである。


 プロタリアの閣僚が勢揃いした広間で謁見式が行われる。アルフリートとハウザーは昨夜の密談などおくびにも出さず、格式張った挨拶を交わす。

 全ての行事を滞り無く終えたトランセリア一行は、故国へと帰還の途に着いた。

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