鬼物語
颯爽と茂る竹藪の中で、私は彼と対峙していた。いつ振りだろうか、対面するのは。かれこれ十五年振くらいかもしれない。
桃太郎。
それは私が産んだ実の息子である。
大きくなったわね、清太。あなたの本当の名前は清太っていうのよ。こんなに立派になって……お母さん、本当に嬉しいわ。
子供がなかなかできにくい体質で、やっとの事で身篭った。なのに、なのに……。
流産したあの日から私はずっと病んでしまった。夫は耐えきれなくなり家を出て、近隣の人たちも不審がって近づかなくなっていった。とてもとても淋しくて空っぽな時間だったわ。
でもね、ある朝のこと、玄関を開けたらあなたがいたのよ。あなたは何故か生き返った。神様のお陰かと思ったわ。
あなたと過ごした数週間はとても楽しい時間だった。毎日一緒にご飯を食べて、あなたを抱いて散歩に出かけて、暖かいお風呂に一緒に入って、寝る時には子守唄を必ず歌ってあげたわね。あなたはなかなか寝付かなくて大変だったのを覚えている。お腹が空くとすぐに泣いてたわね。とても懐かしいわ。
清太は私に剣先を向けている。
「鬼、堪忍しろ‼︎ お前の悪事は知っているんだ。赤子を狙って喰い殺していることをな。僕は、僕は……お前を許さない‼︎」
「ウウウウゴォー」
「ふん、耳障りな鳴き声だ。赤い肌、尖った爪、そして二本の角……鬼というのはとても醜い」
醜い身体、そうね。でも、最初からこんな身体ではなかったの。
あなたと過ごしていくうちに私の身体に異変が出てきた。最初は頭痛がして、次第に髪が抜けていったわ。始めは流行り病か何かかと思ったのだけれど。
ある時、私に何か特別なことが起きていることを悟った。額の上の方に二本の角みたいなものが生えてきて、目も赤く染まっていたの。
でもね、それでもあなたと過ごせただけで幸せだった。あの事が起きるまでは。
毎日、少しずつではあるけれど意識もはっきりしなくなっていった。空白の時間ができるようになり、何をしていたのか思い出せない。そんなことが続くようになった。
ある時、ふと我に帰ると私の手が血に染まっていたの。でも、恐怖心とかはなく、赤くなった手を平然と洗っていたわ。私は病気なんだ、私は病気なんだと無理やり納得させていたのかもしれない。
それから数週間後のこと。今度は口元も赤く染まっていた。口の中には異物がある。その時になって初めて気が付いた。私が病気を通り越したものであるということを。
このままではあなたに被害が出るのではと思って、あなたと別れる事に決めたの。とても辛い決断だったけれど、あなたのために必死だった。
こんな姿で人に会うわけにはいかないから、私は船であなたを流したわ。あなたの好きだった桃を添えて。
私は拳を清太に向けて振り回している。理性も感性も全くない。冷静な私が私の頭上から眺めている。そんな感じだった。
「くそっ、凄い迫力だ……一発くらったらひとたまりもないな。生身では到底敵わない。こうなったら……」
清太は懐にあった巾着から笹に包まれた団子を取り出して、一つ、口にする。すると、見る見るうちに筋肉が増強されていくようだった。
聞いたことがある。鬼媚団子だ。
「ウガー、ウゴォー‼︎」
「っ……流石は嫉妬の塊、鬼。嫉妬の分だけ強大な力を宿すというが……。連携を取るぞ‼︎ 雉、お前は鬼の前で飛び回り、相手を錯乱させろ。犬は右、猿は左からだ‼︎」
嫉妬? 私が⁉︎
私は嫉妬をしてこんな姿になってしまったの?
周りの妻子を知れずしれずのうちに怨んでいたのかもしれない。どうしてこんなことになってしまったのかしら。私には、私が考えていることさえも分からない。
私の拳が清太の顔めがけて振り下ろされる。しかし、清太は鬼媚団子のお陰か、容易く避けた。
それでも私の身体は清太の力を凌駕しているようで、じりじりと推している。
「ウゴウゴ」
「くそっ、図体の割に動きが早いな」
「ウガー」
「あっ、しまった‼︎」
清太は窪みに足を踏み外し、後退しながら崩れていった。私は容赦なく蹴りを入れ、胸ぐらを掴むと竹に向けて押し付ける。私の力によって竹が曲がり、ミシミシと音を立てた。
ごめんなさい、ごめんなさい。どうしてこんなことになってしまったの。私の手で清太を汚している。
お願いだから、手を緩めて。お願いだから、手を緩めて。そう思うたびに私の力は比例していくかのよう。自己嫌悪を通り越した私自身への恨みにいたっては、二乗を上回るほどであった。
犬が私の足に噛み付いて怯んだ隙に、清太は何とか竹の隙間から身体をすり抜け、危機を逃れた。そして、息を整えながら私に強い視線をぶつける。
「……お母さん……お父さん……に会うまでは、死ぬわけには……いかないんだ。僕を産んでくれた人に会うまでは‼︎ だから、こんなところでくたばるわけにはいかないんだ‼︎」
清太、ありがとう。
私はここにいるよ、私はここにいるよ。
この想いを伝えることができるのであれば、なんだってする。なんだってするのに、無常という無機な言葉は私の周りを彷徨い続けている。
「おりゃっ」
「グゴゴゴ」
雉の羽ばたきに気を取られている隙に、刀を私の右目に突き刺した。私は痛みにより身体をよじりながら、腰から倒れる。
清太。
さぁ、トドメを刺して。
「…………」
清太は私の首元に刀を沿わせている。しかし、一向にそれを振り抜かなかった。ましてや、その刀を離し、無気力に腕を降ろす。
「やはり、僕には殺せない……」
清太は視線を下げ、頭を軽く揺らした。
「鬼は元々、人だと聞く。お前は憎いが、殺してしまったらお前と同じ、人殺しになってしまう。縄縛りにして牢獄行きにする」
清太、本当にあなたは優しいのね。でも、いけない。相手は鬼。その優しさがあなたの足元をすくってしまう。
私は清太の足音から位置を予測し、掴みかかる。そして、上に覆い被さった。
「ぐはっ……くそっ」
私の腕は清太の顔めがけて振り下ろされる。何度も、何度も。鬼媚団子の強化のお陰とはいえ、人が殴る力量程度は伝わっているようだ。
犬が私の首元に噛みつき、猿が腰に体当たりをする。雉も必死に気を引かせようと鳴きながら飛び回っていた。しかし、私の手は止まらない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。どこから間違ってしまったのだろう。
これは神からの罰なのだ。それも分かっている。でも、この罰を私が二人分受け止めることで許してはくれないでしょうか。
腕を止めたい。我が子を殴る腕を止めたい。
お願い、お願い、神様、神様。
お願い‼︎
笹の葉が風で揺れる。その音はとても静かでひそやかなものだった。しかし、それが聞き取れるくらい、静粛なひと時が流れている。
私の腕は止まっていた。
私の赤い眼から溢れる雫が、ぽたり、ぽたりと清太の顔に落ちる。
私はもう話すことはできないが、一瞬だけ、ほんの一時だけの「私」の時間を神は与えてくれたのだ。
見つめ合い、優しく笑顔を作ってみせる。もしかしたら醜い顔故に、笑っているように見えなかったかもしれない。でも、私のできる母親としての最後の笑顔を精一杯送った。
私のわがままで生を受けたこと、私のせいでこんな大変な目にあったこと、憎んでいますか。
憎まれても仕方ないでしょう。愛の方向性を間違えた罰を、私だけではなく、あなたにも背負わせたのだから。
あなたにもう一度会えて良かった。生きててくれて良かった。それだけで私は幸せです。
ありがとう。
さようなら。
頬を優しく撫でた後、横たわる刀を手に取り、己の首に突き刺した。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
この作品は私の主催していますなろうサークル「創造小説」の提出作品です。何とか形に出来ました(^^;;
本当は二人称にチャレンジするつもりでしたが、どうしても幅が狭くなってしまうために一人称の語りのような形で執筆しました。
今回は色々と試した部分が多いため穴が多いかもしれません。
創造小説にご興味をお持ちいただいた方は、私の活動報告で活動内容を確認して頂き、メッセージを頂けたらと思います。
感想お待ちしています。