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養娘が「愛し子」でした。  作者: 海陽
プロローグ
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2

その日、伊織いおりは平日の休みということもあって市内の図書館へと足を運んでいた。

図書館で興味のある本や好きな本を借り、読みふける。新人ゆえの忙殺される勤務を忘れられる、そんなひと時は数少ない楽しみの1つ。しかし彼女が何の本を読んでいるのか知ると大半の人が驚く。伊織が読む本の約5割が外国人著者による原作だからだ。翻訳されたものが悪いとは言わない。これはただ単に彼女が原作で、他者のフィルターを通さずに作者本人の表現や考え方を楽しみたいからというだけだ。完読したそれらは絵本を含め児童書から文学的なもの、国内海外の歴史、図鑑、鉱物、野菜作りや海外の文献と多岐に渡る。児童書とて恋愛、ファンタジー、ミステリー、ホラー、推理ものと多い。伊織は目に付いた本を読むこともしばしばある為、たまたまそれが文献であったり、絵本だったりするだけなのである。






札原伊織さねはらいおりは自分の親を知らない。物心ついた時には既にNPO法人が経営する養育施設で生活していた。親代わりでもある職員は、1歳になるかどうかの幼さで彼女が門前に置き去りにされていたと言った。親類が名乗り出てくることも無かったという。親に捨てられた、と理解はしても特に「肉親」というものに情は湧かず、施設で過ごす同じような境遇の子供達と共に成長した。

しかし、この施設は正直なところ経営難になりかけていた。成長するにつれそれを食事や設備などから察していた彼女は、他の同年齢の子と同様に高卒と同時に施設を出ざるを得なくなった。良心が残る職員達から「済まない」と密かな謝罪を受け、半ば追い出される形で年下の子供達の為に自力での生活を余儀無くされたのだ。そんな風に施設から卒業させられても、伊織の中では今まで育ててくれた施設に心情を悪くすることはなかったが。


元々浪費癖も無く、アルバイトでそれなりに貯金があった伊織。大学進学も奨学金を受けられることも既に決まっていた彼女は、一人暮らしで大学生活を送った。伊織が進んだ大学は外国語学科をメインとする海外交流に力を注ぐ学校で、彼女はそこで様々な言語を学び養った。卒業時も主席の成績を残すことが出来ている。お陰で伊織が操ることが出来る言語は英語を始めとし、6言語を優に超える。

そうして新卒採用で就職した会社は、大手ゆえに多忙を極めた。新人だからと容赦無く仕事を雑務を回されそれらをこなし、ぐったりと疲れて帰宅する日々を過ごしていたのだ。そんな中で唯二と呼べる趣味の読書とプランターでのガーデニングは癒しだった。




ゆっくりとした時間を過ごし、図書館からのその帰宅途中。それは、目の前の街角を曲がれば自身が住む安いアパートが見える、という時だった。


「……は、?」


角を曲がって突然、見慣れた風景が一面真っ白に変わったのだ。左には煉瓦造りの庭壁、右には車道を挟み個人経営の小さな喫茶店があるはずだ。それなのに右も左も真っ白。思わず後退り後ろへ振り向いたものの、そこもいつもの景色は無く、真っ白で靄掛かっているだけ。もちろん前方も然り。だが、真っ白なのに靄が薄く晴れていくのだけは分かるという不思議な現象に、伊織は唾を飲み込み足を踏み出した。






不意に、靄が晴れたのが分かった。相変わらず真っ白であることには変わりはないが、眩しさに目を細めることをしなくても良い柔らかな白さ。上下左右360度白一色でちゃんと地に足が着いているのかも怪しいが、どうやら今まで住んできた地元とは違うらしいとは判断出来た。



(まるで……ファンタジー小説に出てくる「神の存在する空間」みたいね)



「その通りだよ、伊織」


「っっ?!」


口に出さず思っただけなのに、それに返事をされて伊織はびくりと反応した。自分を伊織と呼ぶ人間はごく僅か。その誰とも違う声音で話し掛けられたのだから。


「こんにちは札原伊織。いや……初めまして、かな」


声のする方へ視線を向ければ、そこにはゆったりとした白を基調とする服を纏う男が座っていた。先程までは絶対に居なかったはずだ。


「……誰?」


「僕は世界を創造する者。護持する者であり、生死を司り、均衡を保つ全ての頂点に立つ者。……君達人間が神と呼ぶ者だよ」


片膝を立てゆったりと座る男は、伊織を手招いた。


「神……?」


「そう。ただし1度僕の手を離れた生命の運命を、自由に弄れるわけでは無いんだけれどね。ごらん、君の周りを」


伊織が恐る恐る見回せば、そこには幾つとは数えられない多数の球体が宇宙空間の星々のように浮かんでいた。


「これらの1つ1つが全て、次元が異なる世界だよ。そうだな、「異世界」と言えば理解できるかい?」


「異世界……これらが?」


「そう。ここには凡そ100の異世界が存在しているんだ。君が居た【地球】は第32の世界。科学が発達し、食や文化が多彩に花開いた世界だね。医療も目覚ましい進歩を遂げているおかげで、病気に罹っても回復出来る事が多い。日本は四季が美しい良い国だ」


滔々と語る男にゆっくりと歩を進めながら、伊織は半ば茫然と宙を、地すれすれを揺蕩うように浮かぶ異世界と呼ばれた球体群を見つめた。


そして2人の距離が大分近くなったところで、彼は彼女の歩みをやんわりと止めさせた。そこで改めて男神と名乗る男を見た伊織は、その巨体に思わず口を開けた。ーーー余りに大き過ぎやしないかと。

伊織の身長は173cmである。女性として決して小柄とは言えず、寧ろモデルやバレー選手並みの高身長。ヒールのある靴でも履こうものなら、周囲の男性陣を越してしまうことすらある。が、目の前の男神は高身長などでは済まされない大きさだったのだ。3階建てのビルを見上げるのと同じ位置に顔があった。驚かない人間がいれば見てみたい程である。


「……まず、突然この場へ呼んでしまった詫びを。この空間は100ある世界達とは隔絶された場所でね。通常、実体を持つ(・・・・・)生きとし生けるものがこの空間へ来ることが出来るのは、死亡し魂となった時だけなんだ。本来ならば伊織、君は86歳まで生きるはずだった。そうして【地球】での人生を全うし、他の世界へ新たな生命として生まれることになっていたんだ。他の世界の者も、【地球】の者も、全ての生きとし生けるものが寿命を終えると私が新たな人生へと送り出している。それが神としての仕事だからね」


「え……、でも私はまだ22歳……」


「そう。本来86歳まで生きるはずの君を、この空間に呼んでしまったんだ……ある者達の兆にも及ぶ直訴に負けて。神でありながら情けないことこの上ない。どのような批難でも甘んじて受けよう。だが、君を【地球】に戻すことは出来ない。君の生体としての存在は、最早かの世界から消滅してしまっている」


「それは、……死んだってこと、ですか」


「その通り。現時点では行方不明者の認識でしかないだろうけど、実質は死亡してしまっている。……すまない」


「……」


せっかく大学も卒業した、就職難と言われたこの時期に就職も出来た。多忙ではあったけれどそれなりに充実した日々を過ごしていた。それが全て、無に帰してしまった。それを理解した伊織はその場にへたり込んだ。


「……伊織……」


まだ奨学金のローンが残っているし、住んでいるアパートの解約ももちろんしていない。会社だって同様に。何より、数少ない友人達の中で自分の存在はどうなるのか?

申し訳なさを全面に出した声が、躊躇いがちに自分の名を呼ぶのさえ耳を素通りしそうになる。


「……これから、私はどうなりますか」


「ある世界へ行ってもらうことになる。……【地球】に残った憂い事は心配しなくて良い。私が責任を持って事無きように計らおう」


「友人達は……?」


「死亡したと知ることにはなるだろうね。だが仲の良い札原伊織という友人が居たという記憶は残る」


「そう、ですか」


暫く項垂れていた伊織だったが、少しは持ち直したのかのろのろと顔を男神へと上げた。


「……君が行く世界は第4の世界【イナーシュ】。魔法と剣の世界だよ。交通手段は専ら徒歩や馬、馬車といったところかな。日本は身分制度が無いが、【イナーシュ】では王族貴族平民と身分があるし、冒険者ギルドが存在する。精霊、魔獣、神獣といった者達もいる。人族の他に、獣人や魔族と種族が多種多様にいるそんな世界だ」


「魔法、精霊?」


ページの中にしかないファンタジー小説の世界。そんな世界に行って欲しいと請われた伊織は、緩慢に頷いた。


「どのみち、地球に、日本には帰れないのでしょう?行きます」


「……ありがとう、伊織」


ほっと安堵の表情をした男神は、ゆったりとした口調のまま次の言葉を継いだのだった。

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