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〈漸くお会い出来た〉
〈長き間、捜し続けた甲斐があった〉
〈あの方こそ我らの主に相応しきお方〉
〈どうか我らが元に……〉
駄々広い空間。そこにあるのは幾多にも及ぶ、次元を始め発展具合や人口、暮らしが異なる世界。その空間の中では1つ1つの世界が球体となり浮かんでいた。
身体を痛める程の無理を押して、彼らは己達の世界から抜け出ては他の世界を覗きに現れる。
幾つもの世界を覗き、捜し見て幾星霜。人では有り得ない気が遠くなるような年月を掛け、見つけた1つの世界でとうとう捜し当てる。自分達が絶対の忠誠を誓うに相応しいその人間を。
1つは待ち焦がれたように。
1つは感嘆の喜色を隠しもせず。
1つはその者を主と呼び。
1つは懇願するように切なく呟く。
4色の声の主は、神へと嘆願した。だが彼らが見ていたその人間は、その世界ではまだたった22歳で享年年齢は人間にして随分先ーーー86歳に死ぬ予定の女性だった。己の空間で幾多に浮かぶ世界を見守っていた神は、第4の世界【イナーシュ】からの人ならざる者達の嘆願に渋った。例え生命の権限ある神でも、寿命ある者を死なせていいわけではない。それが神の都合で勝手に死亡、となれば更にたちが悪い。それが例え神の眷属として【イナーシュ】に創り存在させた者達の懇願でも。
〈神よ……どうか、我らの切なる願いを〉
〈漸く見つけたのです。この長き間捜し続けたたった1人の主を〉
〈お願い致します。どうか〉
度重なる哀願、愁訴。何度目、などと数えるのも億劫になる懇願に、神は彼らを諭す様に窘める。
「お前達の願いで、この先やっと幸せを掴める彼女の人生を奪うとは考えなかったのか。漸く、七難八苦の全てを乗り越えたと言うのに……」
彼らに主と請い願われる彼女ーーー札原伊織には親は無く、親戚も居らず、学生時代はずっとアルバイトと学業を両立する苦学生だった。唯二の楽しみはあらゆる分野の読書と小規模ながらも中々に立派なガーデニング。NPO法人の養育施設で暮らしていたものの、待遇は良くはなかった。大学までアルバイトの掛け持ちや受けられた奨学金を工面しながら進んでその後就職したものの、不運や不幸を良く背負う体質だったのか、しょっちゅう何事かに巻き込まれたり怪我を負っていた。仕事は出来る人間だったが、新人故に職場の先輩から度々厄介事を押し付けられ東西奔走し乗り切っていた。
例え神が創った生命でも、創り終えた後はその者の運命を弄ることが出来なくなる。世界へ送り出した者のその運命までは、流石の創造神でも不可能に近い為に、彼はずっと彼女を見守って来た。
伊織は、もうすぐ23歳を迎える。そして23歳からは彼女の運命は好転する事が決定されていたのだ。いわゆる「運命の人」となる男性と出会い、恋に落ち、彼の家族にも気に入られて子供に恵まれて……と、夫や子供、孫らに囲まれ幸せに寿命を全うするはずだった。
【イナーシュ】のその者達の嘆願を容易に聞き届けることは出来ない。これから漸く、幸せな道を歩いて行けるはずの伊織の未来を潰してしまう。1つも幸福を味あわせないまま彼女の地球での人生を終わらせたくはなかった。
「せめて、彼女が【地球】での人生を全うするまで待て」
〈待てませぬ!この数千年、我らがどの様な思いであの方を待っていたか……貴方様もご存知のはず!それを更に待てと仰せられるとは〉
「……」
〈我らは第32の世界【地球】には入れません。あの方が目前に居られるのに見えない壁に阻まれる。仕えたいのにお声掛けすら出来ない……漸く見つけた我らが主なのです〉
〈我らの悲願をどうか!〉
「……」
彼らの切々とした訴え。だが神は答えない。もし、伊織が23歳、もしくは24歳で命を落とす運命にあるならばまだ彼らの切願に応えてやれたかもしれなかったが、彼女の寿命はまだ尽きる予定ではない。彼女は【地球】しか世界を知らない。こんなにもたくさんのーーー100にも及ぶだろう異世界が存在するとは知る由もないし、それは知らなくても良いことだ。もちろん、自分のことも。
だが日に日に彼らの懇願、愁訴、哀願、切望……言い尽くせない程の直訴は頻度と烈度を増していく。自らの世界【イナーシュ】を抜け出て神の前に来ることが、どんなにその心身に負担を強いているのかを彼ら自身も知っていながら。
そして億、兆にも及ぶ鬼気迫る直訴に……神は折れ負けた。
「ーーーすまない。伊織」
パンッ
緩いあぐらをかき、苦渋の面立ちで姿勢を正した神が身体の正面で合掌する。その音と同時に、その場に留まっていた【イナーシュ】の者達がその空間から消滅した。神が持つ生命の権限。それを施行する場には、何者でも立ち会うことは叶わない。例えそれが神の眷属でも。彼らは【イナーシュ】 へと強制転移させられていた。
「余命有る彼女の【地球】での生を奪い【イナーシュ】へ招く……その願いの代償をお前達は受けねばならぬ。真摯に受け止め、然るべきその時が来るまで業を背負え」
艱苦の色濃く漏らされた神の言の葉は、そのまま4色の声の主達へと降り注ぎ枷となった。成体であった彼らは本来の力を半分に封じられた上、幼体へと退化。それは【イナーシュ】で彼らの種において最上位に君臨する者としては屈辱である。それでも自分達の主と希う伊織に会えるのであればとその屈辱を受け入れたのだった。