表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

1.秋良

 九回裏、四対三の一点差。ツーアウト満塁、打順──オレ。打てば同点はたまたサヨナラ。打たなければ負け。そんな劇的な場面に巡り合わせるのは、きっとヒーローの役目に違いない。そう、つまりオレはヒーロー。


「頼むぜ、アキラ」

 三振に終わった二番打者が、申し訳なさそうに言った。

「はん、任せとけ」

 秋良は自身たっぷりに吐き捨てて、ネクストバッターズサークルを出る。一塁側ベンチからは、味方の応援。三塁側ベンチからは、相手ピッチャーへの応援が飛び交う。雑踏、否、静かな歓声。スタンドに応援団なんていない。公式戦と言えど今日は新チーム同士が戦う秋季大会の一回戦。応援に来る奴なんて早々いないから当然だ。ま、来春にはきっと溢れんばかりの女の子たちがあのスタンドから黄色い歓声を上げているのだろうけどな。オレを誰だと思っている。篠山高校の新エース、高辻秋良様だぜ。甲子園がオレを待ってるんだ。

「バッター!」

 苛立つようにアンパイアが叫ぶ。

「あー、はいはい、すんません」

 気怠そうに返事をして、秋良はバッターボックスに立った。ピッチャーが、睨むように秋良を見る。それにムッとして、秋良もピッチャーを睨み返した。

「プレイ!」

 秋良の後頭部の方から審判の声がして、それに合わせて三人のランナーがそっと離塁する。サイン交換を終えたピッチャーが、チラリと三塁ランナーを確かめた。そしてゆっくりと振りかぶる。ヒュッ──スパンッ。

「ストライク!」

 低いと思ったが入っていたか。まぁ良いだろう。あの程度のヘナチョコストレートを、オレが打てない訳がない。そう心で呟きながら、深く息を吸う。そして吐く。バットを構え、ピッチャーを見た。その右手からボールが投げられた。──遠い。スパンッ。小気味の良い音がキャッチャーミットから響く。

「ボール」

 アンパイアのおっちゃんが低い声で唸る。二球見た。もうタイミングもバッチリだ。もうこれ以上遊んでやる必要は無いだろう。そろそろ打ってサヨナラタイムリーのヒットを打って終わらせてしまおう。ピッチャーが投球動作に入り、その右腕が振り下ろされる。外角高めの絶好球だ。咄嗟にそう判断して、秋良は思いっきりスイングした。──が。スパンッ。

「ストライク!」

 ──あ、あれ、おっかしいなぁ。首を傾げながら、バットを握り直す。タイミングはあっていた。少しスイングがぶれていたらしい。今度はちゃんとバットに当てる。マウンドに目を向けると、ちょうどピッチャーが四度目の投球動作に入ったところだった。来る。ド真ん中だ──スパンッ──あれぇ。

「ストライク、バッターアウト!ゲームセット!」

 審判のその声に、眼前のピッチャーがガッツポーズを見せる。虚しく宙を舞ったバットの先を秋良は信じられないとただただ見つめていた。


「いやぁ、まぐれって怖いねぇ」

 試合後の更衣室で、秋良が呟いた。

「は?」

 それに凄い剣幕で喰ってかかったのは、篠山高校野球部キャプテン、大宮真冬だ。

「いやぁ、オレを三振に取るなんて、まぐれも良いとこだよ、さっきの藤ヶ丘高校のピッチャー」

「……お前、本気で言ってんのか」

 呆れたように真冬は溜め息をついた。

「ったりめぇだろ、あんなの納得行くかよ」

「あのなぁ……もう良いよ」

「何がもう良いんだよ」

 苦笑する秋良を無視して、真冬はアンダーシャツを脱いだ。汗だくの背中をタオルで拭ってから制服のシャツに袖を通していた。

「軽く無視か、ふざけやがって」

 突然真冬が秋良の方を振り返った。怒りの気配を感じた。

「ふざけてんのはどっちだよ」

「なんだよ、怒んなって」

「誰のせいで負けたか分かってんのかっ」

「あぁ、オレのせいだってか。ふざけんな」

 売り言葉に買い言葉だった。ケンカを始める気なんてさらさらなかったのに、真冬の発言につい頭にきてしまった。

「だいたい先輩が引退してから練習サボりすぎなんだよ、そんなんで勝てるほどお前に野球の才能あんのかっ」

「はぁぁ?」

「ちょ、お前ら落ち着けって、な」

 セカンドの東山が間に割って入る。見兼ねた他のチームメイトたちも、わらわらと止めに入った。

「ここは、球場の更衣室だぞ、公の場なんだからちょっとはわきまえろ」

「……分かったよ、悪い」

 秋良が言うも、真冬は何も言わずにそのまま荷物を纏めて更衣室を後にした。ギクシャクとした雰囲気に耐え兼ねて、秋良もそそくさと着替えを済ませ部屋を後にする。更衣室を出ると、制服を着た女の子が一人立っていた。五条春菜、秋良の彼女だ。

「悪い、待たせたな」

「ううん……みや、怒ってたね」

 みやというのは、真冬のあだ名だ。単純に、大宮真冬の“宮”なんだけれど。

「あぁ……あいつ、短気だからな、ハハッ」

「笑ってる場合なの?」

 ちょっと怒ったように春菜。少し驚いて、秋良は彼女の方を見やった。

「心配すんな、大丈夫だよ」

「……どうだか」

 小さく溜め息をつきながら春菜は先へ先へと歩く。少しイラついているのだと気付いて秋良は黙ってその後を追いかけた。

「こないだ、みやに聞いたよ」

 振り返らないまま春菜が言う。

「最近、練習行ってないんでしょ?」

「まぁな」

「……何が“まぁな”、よ、ふざけないで」

 足を止めて、振り返った春菜が叫んだ。その怒鳴り声は微かに震えていたような気がする。

「ねぇ、私思うの」

「……何が?」

 笑いながら秋良が言うと、春菜は目を伏せてそれに答えた。

「もう、終わりにしない?」

「……は?」

 意味が分からず聞き返すと、春菜は顔を上げて、そしてはっきりと言い放つ。短い、しかし分かりやすい言葉を。

「……別れよ」

 一瞬辺りがシンと静まり返った。いや、静まり返ったように感じた。なんだよ、別れようって。意味が分からない。別れるってなんだ。

「え……いや、ちょ、ハルナ……?」

「さよなら」

 慌てふためく秋良だけを残し、春菜はトタトタと走り去って行く。秋良は、そんな春菜の後ろ姿をただ呆然と見つめていた。


「ふざけんなよ」

 家に帰り着くくや否や、秋良は重たいスポーツバッグを投げ捨てるように床に置くと、制服のままベッドに横たわった。すぐさま脳内にリフレインした春菜の声が、秋良のイライラをよりいっそう強める。何が、別れよう、だ。何が、もう終わりにしよう、だ。付き合ってくれ、と言い出したのは、春菜の方だったじゃないか。自分勝手にもほどがある。調子に乗りやがって。怒りが治まらずベッドを殴るようにして置き上がる。今度は、真冬の顔が脳裏に蘇った。何なんだよ、一体。どいつもこいつも何なんだ。ふざけんなふざけんなふざけんな。募る苛立ちを振り払うように頭を揺らす。ゆっくりと深呼吸をしてみる。少しも心は落ち着かない。真冬の言葉を、春菜の冷たい瞳を思い出す度に、またどうしようもない嫌悪感が込み上げてくる。だけど──本当は気付いているんだ。本当は──。

「なんでだよ……」

 囁く。静寂。繰り返される自問自答。長いながい溜め息。力を失ったようにまたベッドに倒れこむ。汗ばんだ額を制服の袖で拭いながら、そっと目を閉じた。試合で疲れ切った体は、すぐに動きが鈍くなる。怒りに埋もれていた脳が、即座に眠気に占拠されていく。目が覚めたら、少しは落ち着けるのだろうか。目が、覚めたら──。遠のく意識の中、不意に浮かんだ春菜の静かな笑顔が、秋良の心を埋め尽くしていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ