威圧
彼女から意外な言葉が掛けられた。
フィッテはセレナの言葉に構うことなく、腕に力を入れる。
「何言ってるのセレナちゃん……い、今引き上げるからね」
「だって、これ以上はフィッテが……」
「あ~あ~あ~あ~。見苦しいまでの友情ですなぁ。こういう輩にはもっと痛めつけるに限るわい」
先ほどの緩やかな鞭と違って、往復で振られる漆黒の紐。
痛みを必死に我慢しているフィッテだが、声を出さずにはいられなかった。
自然と涙が零れ、石畳の一部分を濡らす。
「っつ……。だ、だめ……い、いたぃ……」
「ふん。つまらないものを見せ付けるからですぞ? ふむ……これはシチュエーションをもっと酷くするべきですな。例えばどちらかが命を落とし、どちらかが助かるというのはいかがかな? きっと二人のお気に召すと思うといいですなぁ」
しわしわの唇がにぃ、と不気味につりあがり悪魔の取引をする。
「ふ、ふざけないで! あんたなんかの提案になんか乗るものか!」
「ほう、強がるのはいいですがそちらの小娘はどうですかな。震えてるように見えますのう」
セレナがフィッテに目を移すと老人の言う通りに、セレナを繋ぎ止める手が小刻みに振動していた。
それは彼女がもう限界に近い事を知らせる証拠でもあった。
フィッテが堪えられない姿を見て、老人は腹を抱えるように笑った。
血が出ているのにも関わらず、笑う事が出来るのは何かしらの対応をしているのか痛みを通り越して沸き起こる感情か。
「くくく……。これはこれで面白い! どちらかが助かるという答えを待つ前にこの娘が果てそうじゃのう。さぁ! 決断の時は刻一刻と迫ってますぞ?」
「セ、セレナちゃん……ご、ごめん、なさい……」
「どれどれ、もう少し痛みを加えて様子見いたしますかな。……もっともそれまでには二人共漆黒の穴に落ちて絶望を味わうでしょうぞ」
手を休めていた老人は、必死に抗っている二人を嘲笑い再び黒の紐をフィッテに当てようとする。
まるでその一撃で全てを終わらしてしまうかのように。
今日フィッテと出会ってからの光景が最初から蘇った。
待ちきれなかったのか玄関の前で心配そうに待っていてくれた。
セレナが依頼の話を軽くした後、何か言いたそうにもじもじと指を動かしていた愛らしい仕草が可愛くて抱きつきたくなる。
セレナが両親の晩御飯攻撃の救助を頼んだ時に、椅子に座らせてた嬉しそうな表情が脳内に焼きついている。
たった、たった落とし穴の一つに引っかかったぐらいで二度と彼女の顔が見れないのは辛かった。
「そうだよ……。こんな所で終わるつもりもないし、終わらせない!」
セレナは死を迎えそうな時に流れた場面が終わり、目の前に大切な友人と憎むべき敵が映る。
「私の友達を……。フィッテを……いじめるなぁぁああ!!」
掴んでいる床の縁が少しだけだが、亀裂が入った気がした。実際は亀裂など入る訳がないのだが、彼女にはそう見えた。
今までは力が足りずに、復帰するのに時間が掛かるかと思ったが今の状態ならばさほど苦労せずに這い上がれるぐらいに力が増幅している。
自分でも良く分からないが、目の前の爺を見ている限りそんなのは些細な事だった。
こうして、セレナはフィッテが限界に近いのに未だに引き上げてくれてる力の補助も得、穴からの生還を果たした。
涙ながらに笑みを浮かべるフィッテに微笑み返し、頭に降りかかる棘の一閃を間一髪で掴み、立ち上がる。
「助けてくれてありがとう、フィッテ」
「ううん、無事でよかった……」
「ちぃ……小娘が邪魔しおって……! 放せ! 放さんか!!」
「目一杯ぶん殴らせてくれたら考えてあげなくもないよ?」
セレナは茨の鞭を掴みながら、老人へと近づき怖いくらいの笑顔を作った。
瞳には殺意すら宿っているかのように見えたのを、フィッテは痛みが和らいでいていく中視認する。
彼女の手は棘が刺さっており、誰から見ても血が出ているのは明らかだった。
痛みを感じてはいるだろうが、それ以前に大切な友人を傷付けられたという憤りの感情の方が勝っていた。
「ひ、ひぃ……こいつは化け物か!? 痛みがありながらにして、こちらに進んでくるとは……」
セレナは鞭を手放さず、じりじりと後退していく老人を追い詰めていく。
「フィッテを痛めつけたんだもの、少なくとも一発は入れないと気が済まない。下手したらあんた、死ぬよ? というか。殺そうかな。フィッテにあんなことしちゃうんだもん。死んでも償える、何て思ってないよね?」
「セレナちゃん……もういいよ。私は大丈夫だから、ね?」
フィッテが立ち上がり彼女の手を取ろうとする。
ぱし、と乾いた打ち払い音が響く。
「フィッテ、あなたはここで待ってて。こいつに仕返ししないといけないでしょ?」
「そ、そこまでは思ってないよ……!」
「優しいんだね、フィッテは」
セレナは振り向き冷たく言うと、改めて報復すべき相手に向き直る。
老人の闘志あふれる眼は、強敵に対峙した時の不安が混じった焦燥を表していた。
「こ、この小娘が……っ!」
「減らず口ね。これから死ぬというのに」
セレナは棘付き紐を強く引っ張り、こちらに引き寄せた。
老人は踏ん張り、引力に耐える。
「いつまで耐えられる?」
「ふ、ふん……いつまでかのう?」
力による対抗戦。見ている限りだと、少女と老人の筋力は僅かに少女セレナの方が勝っていた。
老人の焦る顔が映り、セレナの方に引き付けられる。
このままいけば、セレナに軍配が上がるだろうと思った刹那、棘付き紐がふっと黒の粒子を散らし無数に分解された。
「なっ!?」
「バカめ、消失時間を知らんようじゃな……!」
老人は消える寸前で柄を放し、セレナは強く引っ張ったままだった。
老人の創造魔法【ダークウィップ】は持ち主の手から放れるか、数秒したら消えるように創られている。
あらかじめ老人は時間を数えておき、綱引き的な状況に転じた時にこの策を使おうとした。
だから老人に力があろうが無かろうが関係なかった。
老いた眼からは、後ろに引かれる少女の姿が見える。
「もらいましたぞ!」
「っく、しまった……」
「セレナちゃん!」
三者三様、違う行動を取った。
老人はセレナに近づき、懐から小型のナイフを取り出した。
【ダークホール】、【ダークウィップ】がすぐさま詠唱出来ないからか、自慢の武器で甚振れないのもあるかもしれない故に手軽に殺傷出来る武器を使用したのが理由だろう。
腹部に負った傷が響いているのか、足取りはおぼつかないが、確実にセレナの元へ向かっている。
セレナは倒れまいと、片足を大きく下げ転倒するのだけは避けようとする。
フィッテは懸命にセレナ目掛けて駆け、支えようと手を伸ばす。
「「【スイフトアロー】」」
東門から耳に入る、人声を低くしどこか歪んだ声が紡ぐのは魔法名。
支えられたセレナと支えたフィッテ、ナイフを構えた老人でさえも東門へと向きを変える。
今日だけで何度も耳にした。セレナの矢は希望の矢で、この矢は絶望の矢といっても過言ではない。
忘れている訳ではないが最悪のタイミングで追いつかれてしまったようだ。
「フィッテ危ない!」
「っ!?」
セレナがフィッテを庇い、身を挺して抱きついた。
行き着いた地面は、【ダークホール】がかつて存在していた場所だ。
セレナが石畳のクッションの役割を果たし、フィッテに関する痛みはほぼゼロに近い。
痛そうな顔をするセレナだったが、フィッテの無事そうな顔を見てホッと息を吐いた。
「ぐぅぅおおおおお!!!! ヴ、ヴェヌ、ど、どうし……て……」
「あー、悪い悪い。ウルスクに当てるつもりは無かったんだがなぁ、失敗したわ」
「お、の、れ……っ! ヴェヌめ……!」
元々フィッテが居た場所に一本の銀矢、もう一本が老人の立っている地点だ。
老人の胸元には、銀色に輝く一本の矢が刺さっており、背中まで優に貫通していた。
着弾後の飛び散り消える白の粒子が、血でも混じっているかのように赤味が加わっているように見えた。
老人が灰色の石に突っ伏する光景を見て、二人の少女は起き上がったまま少し唖然として、口を開いたままだったがセレナがハッとして口を動かす。
「あなた達……、自分の味方を殺した……?」
分かっていて殺したように見える、つまりは。
「故意」
「ま、そーいうこった。ボケ老人のウルスクに狙いを定めたのは俺で、小娘を狙ったのはヴェレの方な」
どのみち【スイフトアロー】を当てるつもりだった二人は、愉快そうに肩を揺らす。
「どうしてですか……あのおじいさんはあなた達の味方じゃないんですか!?」
「お、姫様、お目覚めのようだな」
「ふざけないで下さい! あのおじいさんは……」
「うるせぇな、コラ」
尚も追及してくるフィッテに対し面倒臭いと思ったか、大剣を構えるヴェヌと呼ばれた赤の鎧は、フィッテ目掛けて漆黒の剣を振り下ろした。
「フィッテ! ごめん!」
セレナは機敏に立ち上がり、フィッテを庇うべく少し突き飛ばす。
「きゃっ」
「犠牲」
銀の鎧、ヴェレが呆れながら呟いた気がした。
わざわざ自分を犠牲にしてでも、大事な友人を守るのが理解出来ないということなのだろうか。
大剣の行き先は、未だに怯え顔で赤の鎧を見ている少女ではなく、その前に出て自分を捨ててでも友人を守る為に体を張って創造魔法を使う少女でもなく。
黒の一撃が、通り道である石畳を抉る。破片が周囲一帯に散らばり、セレナに石の欠片が襲い掛かる。
「つっ……、この……!」
石つぶてが衣服に当たり、肌にも僅かな傷を付けられた。
「ちっ、この娘が意外にも邪魔だな」
セレナが仕返しに創造魔法の詠唱をしようとするが、銀の鎧がそれを許さなかった。
「妨害」
ヴェヌとは違った黒剣。銀の方からだった。
「やっぱり創造魔法だけだと不利みたいね。仕方ない事なんだけれど」
セレナは縦に振りかかる一閃を横にかわしながら詠唱を続ける。
次いで横薙ぎに振られる凶器を大幅に後退して凌いでいく。
もう一回攻撃が来ても避けられそうだが、このままでは詠唱までは逃げ続けるしかなかった。
「本当はもう一人ぐらい居ればいいんだけど……フィッテを守ってあげられるぐらいの強い人が……」
「おいおい、そんなヒーローとかが居るわけ……ちっ、ヴェレ。予定変更だ」
「疑問」
「何か嫌な予感がすんだよ。逃げるぞ」
二つの鎧は不意に攻撃の手を止め、セレナ、フィッテ達を横切るように南門へと逃走する。重たい筈の鎧を着ているとは思えない程の足並みで遠ざかり、同時にセレナの創造魔法が発動する。
「逃がさない、【スイフトアロー】!」
槍の様に柄を持ち、矢じりを照準みたいに銀の鎧の胸部分に捉え一直線に駆ける。
「おいヴェレ」
「迎撃」
追ってきている少女に気付き赤の鎧は首だけを背後へ傾け、面倒そうに正面に戻すと並走している銀の鎧に呼びかける。
ヴェレは振り向き様に確認もせず斜めに斬り下ろした。
「っと!? でも!」
セレナは横へ飛んで回避してみせた。
すぐさま懐へ潜り込み、矢を銀の背中へと打ち込もうとするが。
「あぶねえな、てめえ」
ヴェヌが攻撃を許さなかった。瞬間的に振り向き、銀に染まった矢を掴んで強く握るとあっさりと粒状となって砕けた。
策が潰えたと悟ったセレナは、がむしゃらで後ろへステップをし続ける。
反撃が来る事を想定した行動だったが、その大剣による攻撃も、銀の矢での投擲も行なわれなかった。
鎧達がセレナやフィッテの事をまるで初めから眼中に無いように、一目散へと南門へと逃走したからだ。
「待ちなさい!」
「待てと言われて待つ奴なんていねえよ! てめえらは今度相手にしてやるよ!」
負け犬じみた捨て台詞を残し、金属音を発しながら駆けていく鎧達を見て追いかけるか迷ったセレナだったが、
フィッテと合流するのが先だった。もっとも、合流というほど遠く離れている訳ではないが。
ひとまず鎧達の問題は置いておくとして、フィッテの方向へと振り向く。
自分の力で退けた訳ではないが、一先ず脅威は去ったといえる。