もう、怯えるだけじゃない
石の遺跡はブレストの北西にある。
歩くと当然時間が掛かるので、乗り物『フロートボード』を利用して二人は近くの岩にしゃがんで隠れた。
昼過ぎの日差しは暑くなく、日光が二人を照らしていく。
照射されている岩は触れると温かく、身を預けていると眠りに落ちてしまいそうなほどだ。
石の遺跡、と言われているだけあり朽ち果てた建造物が多く存在し、まともな形を保っている建物はほぼ無いといえるだろう。
この場所のどこかにフィッテの試験相手、『紅獣』が居る。
フィッテはここが初めてなので、あらかじめセレナに地図を持ってきてもらっている。
「入り口はおおまかに三ヶ所。東、北、最後に今私達が隠れている南。紅獣の生息、及び活動範囲はここらへん」
フィッテは広げた地図から覗き込むセレナに指差されながら説明を受けている。
ターゲットとなる魔物は、どうやら中央の廃墟を拠点に動き回っているようだ。
ならば戦闘場所はおびき寄せでもしない限りその周辺になるだろう。
地図からは目的魔物はもちろん、周囲に障害物となるような物が多数書き込まれている。
柱や、壁は散りばめられたかのように配置されていて、敵にも味方にも変わりそうな気がした。
「先制攻撃できそうな所はこの辺りかな」
体勢を変えずに指だけを動かし、地図の南側へと下がっていく。
中央廃墟より少し南方に壁と柱が寄り添っている場所だ。
壁が前方になり、柱は転がっている絵が書かれていることから、柱を登って壁越しに攻撃する作戦なのだろう。
フィッテは特に否定せず、首を下ろした。
「……ありがとうセレナちゃん。アドバイスまでしてもらったからには、勝たないとね」
「大丈夫だよ、何度か依頼をこなして戦えるようになってるんだもん。自分を信じて」
「うん……がんばるね」
「さて、色々聞くのは最後だけど、フィッテはどう戦うつもりなの?」
彼女は膝と片手で地図を支えながら、先制場所を示す。
「まずはセレナちゃんに言われた通り、確実に初撃を狙う。そしたら相手が気付く筈だから、もう一発狙うかその場に待機して待ち伏せするかは状況次第、かな……後は接近戦になるだろうから、避けながら戦うしかないかも」
「分かった。じゃあ周りの警戒だけはしておくね。一対一には手を出せないけど、他の魔物が寄り付かないように見張ってるから」
この昇段試験は、依頼所側の決まりで本人以外の手出しは禁止されている。
反対に言えば、試験者とは違う対象の魔物ならば相手をしていい、ということだ。
魔物自体も、消極的魔物の狩りは禁止されていて積極的魔物は制限を設けて許可されている。
石の遺跡内にはいくつか紅獣ではない魔物を生息してはいるが、いずれもちょっかいさえ出さなければ無害な魔物しかいない。
もし、他のパーティーとかが戦闘をしていてフィッテに飛び火しないようにという可能性を考えてセレナは行動に移ろうとしているのだ。
「ありがとうセレナちゃん……じゃあ、行って来るね」
「行ってらっしゃい、フィッテ」
(地図によると確かここらへんに……)
フィッテはセレナから手渡された地図を片手に、攻撃地点へと辿り着いた。
足場にするには十分な柱を登り、建造物の名残である壁から顔を出して前方を見渡す。
至る所に似たような障害物が転がっているが、見るべき所はそこではない。
現在地から先にある、何かが出そうな廃墟の近くにそれは居た。
(あれが、『紅獣』……)
数十メートル先から見てもただの毛色が赤い犬にしか見えない。
だが、フィッテが是が非でも倒さなければいけない『魔物』であることは変わりなかった。
全身が赤く、血で染まったようにも燃えているようにも取れる毛並み。
口を開けた時に嫌でも視界に入る、獲物を噛み砕くのに適した歯はギラリと白く妖しく光っている。
研ぎ澄まされた爪も、引っ掻くだけに及ばず肉や神経を抉るには十分なほど湾曲に伸びていた。
見た目と初めて戦う敵に対して弱気ではいけない、と拳をギュっと握り締めて意志を強化していく。
(怯えちゃダメ。逃げちゃダメ。私はもっと、強くならないといけないの……!)
待機中に詠唱してある創造魔法は既に準備が完了しつつある。
この魔法を撃てば、否が応でも戦いは始まってしまう。
彼女は一瞬だけ逡巡したが、ブラックフレームの眼鏡から紅獣を視界に収めると同時に意を決した。
幸いにも気付かれた様子は無く余所見をしていて、先制攻撃は成功しそうな様子だ。
「【ウォータースナイプ】」
手の平を突き出すように伸ばし、その先から水の弾丸を生み出す。
弾丸は手の平より僅かに大きく、球体を形作ると次第に鋭利な矢じりへと変化した。
矢じりはもう一つ生成されて十字型に出来上がる。
フィッテは紅獣の頭部を目掛けて十字の弾丸を射出した。
時計回りに回転しながら進む弾は、数十メートルの距離をあっという間に詰め赤色の側頭部を貫く。
「ギャッ!?」
獣に相応しい悲鳴を上げ、貫通した箇所から血を垂らしながら射抜いてきた方向に顔を動かす。
目と目が合いギラギラと殺意がこもった視線が送り込まれたが、怯えている場合ではないと自分を鼓舞し次の行動に移る。
……とはいっても、彼女は創造魔法の詠唱中この場所を離れて何か出来る訳ではない。
今は時間までじっと耐える事だ。
だが、こうしている間にも紅獣は休むことなく障害物を避けたり飛び越えたりしながら向かってきている。
まだ30メートル程余裕はあるとはいえ、のんびりしていては意味が無い。
「……【アーススピアー】!」
フィッテは壁より少し先の、普通の地面に一つの土塊を設置した。
集中力が欠けている場合や、立ち止まる余裕がない速度でならば確実に気付ける事はないはずだ。
現に、紅獣はフィッテの仕掛けた魔法を警戒する様子すらなく一直線に駆けてきている。
人より知性が低く、創造魔法を使わない魔物ならばこのトラップに引っかかると彼女は確信を持っている。
(……大丈夫、失敗しても次の対策はしてあるから)
もしもの時を想定しておいて、すぐに対応出来るように彼女なりの作戦を練っていたようだ。
彼女の作戦に移行する前に、紅獣から悲鳴が聞こえてくる。
「ギャンッ!?」
土塊から前方へと、扇状に黄土色の槍が数本出現し紅獣の顔や足、胴体を貫いていく。
標的を貫通した槍は、攻撃が当たったからかゆっくりと同色の塵を散らして消える。
拘束力こそは無いものの、命中さえすれば瞬間火力では中々の威力を与えるだろう。
紅獣はフィッテまで2メートル強、という所で前進を中断させられ謝罪するように頭を垂らした。
血は止まることなく垂れ落ちていくが、彼女がこの好機を見逃すことなく次の創造魔法を発動させた。
「……これで終わりです。【スイフトスラスト】!!」
高らかに発声したと思ったら、彼女の手には一本の銀色の矢が握られていた。
長剣には劣る長さであるが、威力に関しては引けを取らないほどだ。
設定した魔法の矢にはいつまでも存在する事は出来ない。
従ってすぐに攻撃をしないと魔力の無駄遣いで終わってしまう。
しかし、紅獣がそれを許さない。
かち、と石同士をぶつけたような音がしたかと思えば、赤毛の獣は顔を素早く見上げた。
「こ、この攻撃は……っ!」
セレナからの説明が脳内で流れていく。
『大技とも言える『火の息』は発動前に歯を鳴らして顔を上げる』
やや慌てながら、フィッテは獣の正面から避けるように左斜めへと跳んで壁を乗り越えた。
彼女の跳躍と同時に、紅獣の口内から火が蓄積され勢い良く吐き出された。
灼熱、と呼ぶには威力、範囲、迫力、温度が足りないが触れただけで火傷は免れないだろう。
だから彼女はどうしても避けないといけないのだ。
火の息が方向転換せず、顔を固定したまま壁を焼いているのを横目で確認したフィッテは銀の矢で二回胴体を斬り付ける。
「えいっ! ……やぁっ!」
初めての頃とは違い、多少の自信が付いた掛け声だ。
依頼を受け始めの時は近距離に対して消極的だったが、今となっては戦い方も変わり遠近両方を使いつつある。
近距離だと、斬り攻撃や魔物側の攻めで魔物の体液などが付着する時もあった。
だが、セレナと依頼を受け続けていくにつれ慣れてしまっている。
……彼女曰く、未だに嫌悪感が拭えないものもあるらしいが。
「グォ……ウォォ……ン」
断末魔を上げずに、紅獣は寂しそうに虚しそうに鳴いて命を落とした。
「やっ……たの……?」
しばしの間、フィッテはその場に立ち尽くす。
倒したかどうか怪しい、のも含んでいるが何より一つの試験を終わったという達成感の方が大きかった。
やがて、紅獣は口の牙が抜け落ち一本転がる。
フィッテは素材を拾うと腰の皮袋へとしまい、ため息をついた。
「フィッテ、お疲れ様!」
西方から声が掛けられ振り向くと、いつもの幼馴染みのセレナの姿が見えた。
「あ、ありがとう。……これもセレナちゃんのアドバイスのお陰だよ。正直火の息に反応出来なかったら危なかったかも」
「私はただ助言しただけに過ぎないよ。これはフィッテで自分で培った実力なんだから、もっと自信持っていいんじゃないかな?」
「あはは……あんまり自信持つと油断しちゃうだろうからほどほどにするね……」
彼女達は倒した獣を一瞥すると、帰るべき町へと向かった。
ブレストの依頼所の扉をくぐった時に出迎えたのは少女の声だ。
「フィッテーー! おかえりーーっ!」
この明るい声は何度か聞いているのでもう慣れている。
受付へ歩きながらフィッテは恥かしそうに手を振った。
「ワローネちゃん……あ、ありがとう……」
「あらあら、ワローネ。フィッテの付き添いでもある私にはご挨拶が無いようだけど?」
「いいじゃん~フィッテは可愛いんだから、いじりがいが……」
「ワローネ?」
フィッテの後方にセレナは居るため、彼女は振り返らないと見えないがワローネをにっこりと笑顔で見つめている。
手を出すな、というニュアンスだろう。
いち早くそれを感知したワローネはため息を吐いた。
「む~いいなぁフィッテは。大事にしてくれる人が居て……」
依頼所内にいる少数の外野を気にせず、ワローネはカウンターに頬を着ける。
心なしかふて腐れているようにも見えたフィッテは、受付嬢その二であるナーサに声を掛けた。
「なんかいつもこんな調子ですね……」
「そうよ。……まあ、後でオシオキするとして」
彼女の冷静な声でワローネはぴん、と背筋を伸ばす。
余程ナーサのお仕置きとやらが怖いのだろう、身体をガタガタ震わせている。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「謝るぐらいならやらなきゃいいのに……」
「うう……フィッテが可愛いんだもん。そうだよ! フィッテが悪いんだー!」
涙を浮かべた数秒後のワローネの目は何かを訴えていた。
まるで自分が悪くないかのような眼差しである。
いつまでもこうしていても仕方ないので、ナーサは手を二度叩く。
「ほらほら、用件がいつまで経っても消化出来ないじゃない。フィッテ、今日の昇段試験は?」
「は、はい! この牙が討伐の証です……!」
皮袋から牙を取り出すと、カウンターに差し出す。
傍から見るとどこにでも居そうな、獣などの牙に変わりない。
ナーサは手にとって観察し始めた。
「毎回思いますが、ナーサさんとワローネはよく見るだけで分かりますね」
「これも仕事の内だもん。私とナーサさんは気付いたら出来てたってケースだけど……最初は何がどの魔物がどの素材なのか全然分からなかったからね」
「懐かしいわね。その話は今度にするとして……フィッテ、お疲れ様。今日を持って貴女は請負二士になります。おめでとう」
「「おめでとう!」」
一つの壁を越えたフィッテは三人から祝福された。
また、周りに居た依頼書を持った人達なども拍手で功績を称えてくれる。
それに気付いた彼女は頬を染めながらも、周囲にお辞儀をした。
「あ、ありがとう、ございます……!」
こうして彼女は一から二へと階段を上った。




