数日前の自分は
「……テ」
誰かが呼んでいる気がする。
「……ッテ!」
「ん……?」
「フィッテ!」
ハっとして、フィッテは目を開けた。
「ここは……?」
意識が戻り、目をぱちぱちと開閉してみる。
桃を意識した部屋、つまりセレナの部屋に居る事になる。
「もうフィッテ。私の部屋じゃん。それにぐっすり眠ってたみたいだし……。昨日の依頼が意外と堪えたのかな?」
いつもの変わりない始まりの朝に、見慣れている少女の顔が映る。
彼女は心配そうにフィッテの瞳を覗き込んでいる。
「だ、大丈夫だよ。昨日は『フライフェイス』、二頭撃破だったよね。顔がちょっと気持ち悪かったけど、攻撃自体は大したことないからなんとかなったよね」
「うんうん。まさかフィッテの口から大したことない、って聞ける日が来るとはね。これからも期待しようかな?」
「うう……精進します……」
セレナにからかわれながらも、フィッテはさっきの出来事は悪い夢として片付けよう、と肝に銘じた。
自分の友人がこんなことをする訳がない、と心で呟きながら。
「そいえばフィッテ」
「ん、どうしたの?」
「何かうなされてたみたいだけど、準備出来そう?」
忘れよう、とした矢先に脳内であの場面が再生される。
後半は意識が途切れていた為、内容までは覚えていないがきっと想像を絶するのだろう。
加えて今現在夢の中に居た、張本人の唇が目に入ったのだから咄嗟に下を向いてしまった。
自分よりも艶があり数段色気があるように感じる口が、喋る度に魅力を全力で伝えているような気がして、尚更直視出来なくなる。
「う、うん……」
「顔赤いけど……」
「き、気にしないで。何でもないよ?」
怪訝そうにセレナは首を傾げるが、数秒してから自分の中で納得がいったようで部屋を後にした。
(まだ少しドキドキしてる……。でも、夢で良かった。あの時のセレナちゃん、ちょっと怖かったし……)
彼女はブンブンと頭を振り、意識を切り替えて支度を始めた。
いつもの依頼所にフィッテ、セレナ、レルヴェは集まっていた。
入り口から右手の方向にある、待合場所で今日の打ち合わせをしているようだ。
「さて、フィッテ。今日は何の日だか分かるかい?」
もう通常装備で決まっているのか、黒一式装備を着用しているレルヴェから声を掛けられる。
「はい。私の昇段依頼、ですよね」
「私は今回は同行出来ないが……フィッテなら出来ると信じているよ」
テーブルには飲み物等何も乗っておらず、少々の会話だけでこの場を離れる事を意味していた。
「それじゃあ今日の昇段の話に移るけど」
セレナの切り出しと同時に一枚の紙が置かれる。
そこには『今週の難度別依頼内容』と書かれていた。
「フィッテの受ける昇段は、請負二士だね。難度2を受けるために必要な称号だよ。それで、肝心の依頼内容だけど……『紅獣』一匹討伐だって」
「やっぱり強そうだよ……」
「大丈夫大丈夫。攻撃パターンさえ分かってれば、対処するのは簡単だよ。それに……先手必勝、というやり方もある訳だし」
「先手必勝って……具体的にはどうするの?」
フィッテの困ったような顔にセレナはテーブルの上に手を置いて話を進める。
左手は四足歩行の魔物を表してるのか、小指以外を立てている。
右手は人間のつもりなのか、指は二本だけだ。
それぞれの距離は開いており、テーブル中央の端と端に位置している。
「レルヴェさん、手の間に腕を置いてもらえませんか?」
「大体言いたいことは分かったよ」
彼女は言われるがままに長袖に覆われた腕を、セレナの手と手の間に割って入った。
テーブルの上に乗っている腕は分断する形ではなく、半分だけスペースを残している。
「例えばフィッテ。こうして障害物があって遠距離魔法を持っている場合。相手に気付かれていない時のみだけども、確実に先制できるよね」
「不意打ち、とか言ってられないってことなんだね……」
「遊びで依頼をやってる訳じゃないからね」
二つ指を腕の近くへ移動させ、その場で足踏みならぬ指踏みをしてから次の説明に移る。
今度は二つの指を腕に乗っかり、腕を二回ほど叩く。
彼女なりの攻撃動作のつもりなのだろう。
「もしくは障害物が登れる場合。相手が対抗策を持っていない限定だけど……こっちは一方的に攻撃出来るのも魅力だよ。ただ、そういった状況はそうそうないけど……」
「つまり、障害物を上手く利用して先に仕掛けていく、というのが大事なんだ……」
「そうだよ。まあ、反対に不意を突かれる可能性もあるからそればかりに頼るのもいけないけど、上手く決まれば戦闘を有利に運ばせる、とだけは言っておこうかな」
フィッテはうんうん、と頷きながらセレナの話を聞いている。
熱心に耳を傾けている傍ら、彼女の動作にセレナはドキっとしてしまう。
そんな事考えていてはいけない、とやましい気持ちを掻き消し気分を一心する。
「肝心の紅獣のパターンだけど……。大きく分けて三つかな」
四つ指を立てた左手を右手に近づけて襲い掛かるように、指を二度振り下ろす。
「まずは魔物代表的ともいえる、噛み付き攻撃と引っ掻き攻撃。近距離技で、跳躍動作や武具で簡単に防御出来るよ。問題は火の息という技」
四つ指の内、二本を動かし前へと突き出した。
セレナが先ほど言っていた、『火の息』の動作のはずだ。
「これを喰らうと、火傷する可能性があるからしっかり避けるか防がないと辛いよ」
攻撃自体は熱湯を掛けられるのと同様だろう。
彼女が喰らっても大丈夫、とは一言も説明していないのはその為だ。
フィッテにその回避か防御が可能か、と言われれば本人にしか分からない。
「だ、大丈夫、頑張って対応してみる」
「ところでフィッテ」
「は、はい。レルヴェさん、どうしたんですか……?」
今まで腕を乗せたままで、会話に参加しなかったレルヴェから声が掛かる。
彼女の顔は怒っているようでも問い詰めるようでもないが、いたって平坦であった。
その表情に喜怒哀楽がこもっていないから、かえってフィッテを怯えさせた。
「そんなに怖がらなくてもいいのにさ。まあいい。奴、『紅獣』の弱点は水属性だが、水属性魔法は持っているかい?」
「ええ、と、はい。一応……まだ実戦レベルではないのですがあります」
「ほう、あるだけマシさ。属性選択は自由だが、火が熱いのは変わらないからねぇ。防御や対抗手段は有るに越したことはないさ」
攻撃の為の創造魔法ならば、防御の為の創造魔法だって存在する。
剣で防げるが、効果時間を削られて通常よりも早く武器が消えることになる。
盾の存在意義はここにあり、攻撃を確実に防ぐには防御系統の創造魔法は欠かせない。
その時に感じる、暑さや寒さは関係なく、予想以上より熱かったとしても効果時間には影響せず、魔法の追加価値ぐらいのイメージだ。
「レルヴェさんはあまり防御とかしなさそうですよね」
「失敬だね。私にだって守るべき所とかは把握しているつもりさ。それで……私はいつまで腕を置いておくおけばいいんだい?」
「あ、すみませんレルヴェさん。大体説明は終わったのでいいですよ」
セレナの言葉を聞いてから、黒で覆われた腕を引っ込め自然体にする。
「言い忘れていたけど、近距離の攻撃は全て大振りで威力が高いけどばっちり避けられるし、大技とも言える『火の息』は発動前に歯を鳴らして顔を上げる、というパターンさえ覚えていればいけるからね! 頑張ろ?」
「近距離は大振り、火の息は前動作がある、と。ありがとう……!」
きちんと脳内でメモを取ったフィッテは二度頷き笑顔を見せた。
セレナは脳内で記憶に残しつつも、そっぽを向いて頬を掻く。
「お、お礼は終わった後でもいいからね! そ、それはそうと依頼、受けに行こうよ!」
「う、うん! ……レルヴェさんは今回は別の所で依頼ですか?」
「ああ、ちょっと面倒な事があってだね、そっちの解決に移るから共には行けない訳さ」
セレナは依頼の際、初心者救済として何度か同行したことがある。
助ける側はそんなに得はしないが、何より難度1~3までの初心者の命を助けられるのが最大のメリットだ。
この同行数は二人までと決まっており、難度3でも1でも変わりはない。
彼女の依頼試験に対するリスクを極力減らすならば、最大数である二人で行くことに越したことはないからだ。
レルヴェもそこは理解してはいるが、どうしても外せない用事があるらしく苦しそうな顔をしている。
「そう、ですか……お互い無事終わるといいですね」
「全くだ。フィッテの方は終わったら祝杯を挙げようかねぇ」
「レルヴェさんが飲みたいだけなんじゃないんですか?」
「そんなことはない。ただ純粋に祝いたい気持ちで一杯だ」
三割程まぶたを閉じつつも、セレナは疑うのをやめなかった。
が、いつまでもこうしていても何も始まらないので話題を切り上げる事にした。
「ナーサさん、この依頼をお願いします……」
「これは……いよいよフィッテも二士の試験を受けるのね。気をつけて」
フィッテ達はレルヴェと分かれた後、受付前へと依頼書を提出しに行った。
偶にワローネは居ない時があるので、茶色を基調にしエプロンドレスを着たナーサに出しに行く訳だ。
ナーサは感情の無さそうな顔から一変し、驚きのあまり一瞬口が開いたままだった。
すぐさまいつもの表情に戻り、仕事を続ける。
「それで初心者救済はセレナさんでいいの?」
「は、はい、そうです」
ナーサは細めの楕円型の眼鏡のズレを直してから、書類に記入していく。
依頼を受ける者の情報を記しているのだろう。
手馴れた動きで筆を進めていき、視線を上げた。
「手続きはこれで完了です。貴方のご健闘をお祈りしております」
「相変わらずですが、ナーサさんは事務的ですね」
「何よ。ワローネが元気過ぎるから、正反対でバランスがいいと思わない?」
「ん……いいですけど。まあナーサさんがワローネ並のテンションだったら、ちょっと引くかもですね。少なくとも私はビックリしちゃいます。何かあったんじゃないかって」
「……失敬ね。明るくするのがあまり好きじゃないだけよ」
若干むっとした様子で、不満そうにふくれっ面をしているナーサをセレナは笑っていた。
彼女の意外な面を見れて嬉しくもあるが、フィッテはどこか取り残された感じがして寂しい感情も覚える。
元々この町の住人ではない為、仕方のないことだがこういう内輪的な部分だけは未だに慣れない。
しかし大体はセレナがすぐに気付き、会話を中断するので割りと苦にはならなかった。
「ごめんフィッテ。じゃあ行こっか」
「ううん、こっちこそごめんね……」
「私の方こそごめんなさいね……セレナとかを相手にすると、つい……」
「い、いえいえっ! いいんですよ! ……私はナーサさんの一面を知る事も出来ましたし」
「へえ、じゃあ今度一緒にどこかに行きましょ? 違う部分を見れるかもしれないかもね」
「喜んで! って、わ、セレナちゃん……?」
半ば腕を組みながら入り口を出るセレナの頬は、ナーサの比ではない位膨らんでいた。
セレナに歩かされつつも後方に首を向けて、首だけ礼をした。
かくして二人はナーサに手を振られながら依頼所を後にする。
今まで培った技術と魔法を駆使して、一人で倒さなければいけない魔物の所へ向かう為に。




