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Yuddha 009 神の矢が落ちて

 リマのどこか苦しげな鳴き声が聞こえた。

 それで、ラーダの意識がはっきりと覚醒する。

 気づけば顔いっぱいに被さっている土砂が気持ち悪く、慌てて頭を上げて、払いのける。息をしようとするが喉まで砂が入っていて、激しく咳き込んだ。

「くっそ、死ぬっ! ゲホッ! なんなんだ、ちくしょう!」

 咳き込みながら悪態をつき、口に入った砂粒を吐く。その間に動かした体のそこここが痛い。

「う……」

 砂埃をまき散らすラーダのすぐ下からうめき声がした。

「って、おい、アシャン! 大丈夫か!?」 

 ラーダはほとんど憶えていなかったが、アシャンが自分の体の下にいた。

 ラーダは、慌ててアシャンの全身に被さった土砂を払い落とす。ラーダの下になっていたために、いくらかラーダよりはましなようだ。

 ただ、あの雷が落ちる前までアシャンが身につけていたはずの頭巾は、なくなってしまっていた。

「……ラーダ……」

 アシャンが苦しげに開いた瞳がラーダを捕らえるが、まだ空ろだ。見たところ怪我という怪我はないようだが、ラーダと同じように顔を始め全身に土砂が積もっている。

「ちょっと待て、水は……」

 ラーダが辺りを見回すと、リマはすぐ側にいて、大人しく座り込んでいる。

 リマにくくりつけていた荷はすべてが揃っているようで、ラーダは水筒を取り出すと、うがいをした。また大きく咳をして、口と鼻から入った砂を追い出す。

 それからアシャンの上半身を起こすと、その体からばらばらと土砂が落ちた。手拭いに水を含ませて、まだ少し朦朧としているアシャンの顔を拭いてやる。

「いったい何が……」

 ラーダと同じように咳き込んだアシャンが、かすれた声を出す。ようやく意識がはっきりしてきたようだ。

「わかんねえ。雷が落ちたようには見えたけど、それでこんなことには……」

 ラーダは立ち上がって体をはたき、水を口に含んだ。背中を中心に体の全体が鈍く痛むが、大きな怪我はしていないようだ。

 辺りの背の高い草は、すべてが同じ方向を向いて倒れてしまっていた。辺り一面にかなりの土砂が被さって乾いた土色になっていたが、旅人たちの足で踏み固められた道が見えなくなるほどではない。

「アシャン!」

「はい? わっ!」

 ラーダが水筒をアシャンに放り、アシャンはなんとか膝の上で受け止めた。

「あー、頭から足まで砂だらけだよ。なんだってんだ」

「……ラーダ、あれは」

 その声にラーダが振り向くと、アシャンが遠くを指さしていた。

 ラーダの足下には土砂をかぶってしまったが確かに道があり、それはアシャンの指さす方に繋がっている。

 アシャンが指さすのは、辺りの草が倒れているのと反対の方向、つまりバスクの方だ。

 しかしその道の先に、地平にまだはっきりと見えていたはずのバスクの町はなかった。

「なんでバスクが見えないんだよ……」

「……いくつか家らしきものは見えます。もしかして私たちが風で遠くへ飛ばされたのでしょうか」

 アシャンが立ち上がって、辺りを見回す。

「いや、そんなことはねえはずだ。歩いてた場所は変わってねえ」

「でも、バスクが見えません」

 アシャンは少し動揺していて、切羽詰まった声を出した。

「ああ、わかってる。あの雷みたいなのが落ちて、火事でも起きたってのか? いや、でも……」

「行ってみますか?」

 そう訊いたアシャンの顔をラーダは見返す。

「……ああ、様子を見に行ってみよう」

 このままユニハを目指すことなど、できはしなかった。

「良かった、大きな怪我はしていないようです」

 アシャンがリマの体を見てやって明るい声を上げた。

 ラーダはアシャンとは少し違う意味でもほっとして、リマの首をなでる。足を骨折するなど重傷を負ってしまったリマは満足に働けなくなるため、肉として食用にするのが通例だ。リマを殺し身をさばくのを手伝ったことはあったが、自分の使っているリマを自分の手でそうはしたくないというのが本音だった。

「びびってるだけかもしれねえけど、動きがちょっとおかしい気もするから、少し楽をさせてやろう」

 リマから少し荷を下ろして、ラーダとアシャンで手分けして背負う。

 荷を軽くしたリマはゆっくりだが歩いてくれて、ラーダたちはバスクの方へと戻った。

 だがしかし、そこにバスクの町はなかった。

 遠くに見える町はずれや港の方には、まだ残っている家並みもあるにはあった。丘や林の影にあり、難を逃れた一帯もあるようだ。

 しかし、町はその形を完全に失ってしまっていた。

 町中にあったはずの、ラーダたちが半日ほど前に別れを告げた商隊が逗留していた宿も、見つけられない。

「確かこの辺のはずだけどな……。周りの目印がないからわかんねえし、そもそも建物が建ってた跡もなくなってる」

 町外れに近い方では家はなくともその土台や壁の一部などが残っていて、元の町並みをいくらか知ることができた。町を通っていた街道の跡も見分けられる。

 だが町の中心の方になると地表が抉れてしまっていて、土の地面しかなくなってしまっていた。

「これじゃあな……」

 ラーダはそうつぶやくことしかできない。

 削られ平らげられた地面は微かな傾斜を作って、町の中心部へと、ほんの少しずつすり鉢状に落ちて行っているように見える。

 その中心に近ければ近いほど、本当に何の跡形もないようになっているのだ。中心の一番深くなっているところに、あの雷が落ちたのだろうと、頭ではそうは考えられるが、しかしとても信じられない光景だ。

「こんな……」

 アシャンは絶句して、そこからは無言になってしまった。

 また来た道を戻り、東の町外れに近いところにある井戸に立ち寄り水を補給して、ラーダたちは町から離れたところで野宿することにした。

 町の中では、死人以上に生き残っていた町の者を何人も見かけたのだが、彼らと一緒にいるのは危ないとラーダが判断したためだ。

『貧民窟よりもひでえぞ……』

 ラーダは正直なところ、身の危険を感じたのだ。

 あの様子なら、生き残っている者はかなりいるだろうが、町はしばらくまともな場所ではなくなるはずだ。あそこまで滅茶苦茶になってしまっていては、町としての機能は壊滅してしまっている。

 おそらく食料がすぐになくなってしまうはずだ。

 ラーダたちが持っている食料は限られていて、生き残っている皆に分け与えることなど到底できない。もしも彼らに食料を奪われるようなことがあれば、今度はラーダたちが食べるものに困る番だ。

 用心して、火は目立たないようにバスクから見えない窪地を選んで焚いている。ふたりは簡素な夕食を手にして、進まない食事の手を無理して口に運んでいた。

「バスクには長居しない方がいい。冷たいようだけどな……」

「ですが町があんなになって……。親方やエヴリヤさんだって……」

 アシャンが辛そうな顔をする。

「それはわかってる。俺だって親方たちがいるなら助けようと思った。だけど、あれじゃあどうなったかもわからない。見ただろ、あそこを」

 ラーダはすでに暗くなった夜の向こう、バスクの方向を親指で指す。

「俺たちは旅の途中で、旅に使うもの以外は何も持ってない。それにあんなふうになったら、都から王軍が調べに来るはずだ」

「バスクはメトクに本拠を置くラサ家が治めていますから、たぶんそちらが王軍より早いはずです」

 アシャンの口にしたメトクは、バスクから内海に沿って十日と少し北西へ行ったところにある町だ。海岸沿いを行くことになり、山越えになるズラマナミードからよりはいくらか近い。

「詳しいんだな。ま、王軍でもラサ家でもなんでもいいけど、俺は今一応お尋ね者だからな。人が少なくなってるところで、変に調べられるのは嫌だ」

「……そう、ですね」

 アシャンの口は重い。

 その代わりにラーダが無駄に明るい声を出す。

「しっかし、一体何だったんだろうな。雷か? あんなひでぇ雷があるってのかよ?」

「……あれはたぶん、インドラの矢と呼ばれているものです」

「は? インドラの矢? インドラって雷様のか?」

 ラーダはインドラという名前に聞き覚えがある気がした。確か、おとぎ話で天から落ちてしまう間抜けな雷様のことではなかっただろうか。だれかがいつか、話してくれたような気がする。

「ええ。インドラは雷神の名前です。だからインドラの矢というのは、もともと雨雲から地に落ちる雷のことを指します」

「確かに雷みたいには見えたな。……でも雷が落ちたってバスクみたいにはならないよな」

「はい。……実は、父に少し聞いたことがあるのです。この国には巨大な矢を放つ武器があるのだと」

 アシャンが、ひどく思い詰めた表情をする。

「……父は言っていました。絶対に、使ってはいけない武器――それがインドラの矢なのだと……」

 アシャンの声は震えた。

「ちょっと待て。つまり、その武器を使ってバスクをあんなにしたやつがいるってことか?」

 ラーダの目つきが鋭くなる。

「それは、私にわかりません……」

 アシャンはラーダに睨まれたような格好になって、最後は消え入りそうな声になった。

「ああ悪い。アシャンが何かやったわけじゃねえんだからな。ほら、喰っちまおうぜ。そんで明日からまた歩いて、早くユニハについてゆっくりしよう」

 ラーダは重くなってしまった雰囲気を吹き飛ばそうと、大げさに手を振った。

「あの……」

「なんだ、水のおかわりか?」

 言いよどむようなアシャンの態度を見て、ラーダが先回りしようとする。

「いえ」

「なんだよ、小便か? あっちでして来いよ。怖けりゃ、またちょっと見張っといてやるから」

「ち、違います! そうではなくて。あの……あのとき、あのヨニという方に何か言われたのですか?」

「え? ああ、あれか……」

 ヨニの店で、ユニハ行きを渋るラーダがヨニにささやかれたことがある。見てたのかよと、アシャンを見て頭をかくラーダの目が困っている。

「それは……いろいろだよ、いろいろ」

「私は、隠し事をされるのは好きではありません」

 アシャンは、真っ直ぐにラーダの顔を見返して、逸れていたラーダの瞳を捕まえた。

「なんだよ。……おまえ、意外と気が強いんだな。それが地か?」

「えっ?」

 ラーダが真顔で言ったので、アシャンが戸惑う。

「ああ、それはいいや。もちろん、俺も隠し事をするのは好きじゃねえよ。あーそうだな……ユニハに着いたら、ちゃんと話す」 

「本当ですね」

「ああ。でもその代わり、アシャンが何者なのかも聞かせてくれると、ありがたいんだけどな」

 ラーダは少しおどける。

 アシャンはちょっと驚くと、困ったように薄く笑った。

「わかりました。私も、約束です」

 それは、少し哀しげな表情にも、ラーダには見えた。


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