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Yuddha 008 バスクに降るもの

 バスクの町は都に比べれば小さな町だが、整えられた都とはまた種類の違った、自由で陽気な、ある意味で猥雑な活気で満ち溢れている。

 ラーダが同道する商隊は、ズラマナミードの町から障りなく旅を続けて、午前のうちにバスクへ入っていた。ラーダたちが都を離れてから、二十四日が経っている。

 バスクは街道沿いの賑やかな町並みに加えて、大陸の北から入り込んだ内海に面する港を有していて、交易の拠点として栄えている町だ。もっとも、年中穏やかな内海は風が弱いために帆船が使いづらく、物流の多くは陸路を頼っている。海路では主に、人や量の少ない高級品が運ばれている。

 また、町の沿岸部から水揚げされた様々な海の幸が溢れるほど通りの店先に並び、魚介のうまい町としても有名だ。

「シリンは、バスクに来るのは始めてか?」

 リマの手綱を引くラーダが、頭上でリマの背にいるアシャンに声をかける。

 都を出た直後に比べればずいぶん旅慣れた感のあるアシャンだが、途中のズラマナミードに着く頃には疲労の色が濃くなり、以降はラーダが歩きアシャンがリマの上ということがほとんどになった。

 ある程度は慣れているラーダにしても、商隊を組んでいるとはいえ、何日も続けて野宿をするというのは心も体も楽ではない。慣れないアシャンにとってはなおさら酷で、夜は眠れないのか、昼間にリマの上で居眠りをしていることもよくあった。

 その疲れ切っていたアシャンが、バスクの町に入ってからは目の色を変えている。ラーダは多少気を利かせて最近は努めて声をかけないようにしていたのだが、バスク入ったこともあって声をかけたのだ。

「はい。ズラマナミードには何度か行ったことがあったのですが……」

 アシャンは言いながら、きょろきょろと物珍しそうに辺りを見回して、目を輝かせている。

 このバスクより東の地域は、辺境と呼ばれている。古くはサンヒターと呼ばれる人々が多く住んでいたため、民族的また文化的に異なっていた地域だ。

 ただし現在は、長年に渡る人々の交流によって、バスクの辺りではその独自色はかなり薄れている。またサンヒター独自の言葉も、辺境のごく一部の地域でしか使われていない。

 そしてもとは民族名だったサンヒターは、今はマニとエーカジャに次ぐ第五階級とされている。流民また土地を持たない者と呼ばれる階級だ。

 ただし、サンヒターは自称することでその階級となる。

 つまりサンヒターとマニは実質的には違いがないのだ。だからサンヒターを名乗る利点は何もないのだが、それでも一部の今も遊牧で生きる者などは、自らをサンヒターだとしている。彼らにとってはサンヒターとは民族や階級ではなく、サンヒターという生き方をしているということなのだ。

 彼ら以外の、古来にサンヒターから出た人々のほとんどは、階級はマニとして辺境のあちこちに村を作って暮らしている。ラーダの故郷の村もその中の一つだ。

 そのようにして辺境は、古くからやや特殊な場所となっている。

 辺境でもっとも大きなニルヤという古い町は、昔から王個人の領地となっている。

 王はいないが領地ではあり続けていて、そのおかげで他のブラフマーナやラージャニヤの支配を受けることなく、都から離れていることもあり、ある程度の自治を保った都市となっている。

 ニルヤ以外の辺境と呼ばれる地域の守護者となっているラージャニヤにラサ家などがあるが、都から離れている上に貧しい村々が点在する状態なので、領するうまみが少なく、結果としてほとんど放置されている。

 村などから税を取るためには、その対価としてある程度の庇護を与えなければならないが、そこに兵を駐屯させるにも資金が必要だ。しかし手間をかけてもラージャニヤにとっては実入りが少ないため、手をかけることが敬遠されるということになっている。

 ラージャニヤ、ひいては王政府の目が確実に届く範囲で町らしい町のある最東端、それがバスクだ。それより東が辺境と呼ばれるのは、そういった実際の統治に関する事情もある。

「俺は何度も来てるけど、変なものがいっぱいあって、あきない町だよな」

 そうラーダは声をかけたが、町の雑多な音にまぎれて、周囲に夢中になっているアシャンの耳には届かなかったようだ。

「逆おのぼりさんかよ」

 ラーダがそれを見て茶化す。

 都などから見て辺境の入り口にあたるバスクに陸路海路で辺境から集まるさまざまな物品を買い付けるために、商人たちも町に集まってくる。

 都で流行りの衣服を着た者から、どこかの村の民族衣装を着た者、海の民、草原の民と、さまざまな人種が入り交じっている。

「ユニハも、このようなところですか?」

 そう声をかけられたラーダが見上げると、アシャンの瞳が陽光を受けて、首かざりにあしらった石と同じ琥珀色に輝いたように見えて、一瞬だけ目を奪われる。

「いや、ユニハに少しは似てるところもあるけど、ユニハはもっともっと田舎だし、こんなに人はいねえよ。言葉もちょっと違うしな」

 町の中心部に入る前に、商隊は荷の届け先に着いた。地元で商いをやっている商人が持つ敷地の広い別邸だ。

 商隊は、少しずつリマを邸宅に入れて、次々に都からの荷を下ろしていく。

 ラーダは荷下ろしを手伝い、すべての荷下ろしが終わる頃には、へとへとになっていた。アシャンはもともと疲労が限界に達していながらも手伝う意志を見せたが、ラーダが言い聞かせて庭の木陰で休ませていた。

 夕暮れ前にはあらかた片付き、邸宅から出てきた親方は、疲れも見せずに声を張った。

「エヴリヤとジュバイルは、リマを連れて西の井戸に行ってろ。あとエヴリヤは、これを今日中に港のアラナに届けておいてくれ。次の荷の確認もやっておけよ」

 さすがに四十頭余りのリマを置いておける場所はなく、エヴリヤたちが親方に言われて一旦町の外へ連れていく。

 商隊は都とバスクを往復する運び屋だから、明後日にはまた荷を積んで、都へと帰ることになるのだ。

「はいよ親方! じゃあなラーダ、また都かユニハでな! シリンさん俺のこと忘れないでくれよ!」

 エヴリヤは手慣れた様子でリマたちを引きつれて、ラーダたちに手を振った。シリンことアシャンにいろ目を使うことも忘れていない。

 実際にエヴリヤたちは売り物になるような珍しいものを仕入れに辺境へ行くこともあり、ユニハにも立ち寄ったことがあるのだとラーダは聞いていた。

「うるせえよ女好き!」

 ラーダが毒づきながらも拳を上げ、アシャンもまた少し困ったような顔をして手を振った。

 その夜は、ラーダとアシャンは親方の厚意で商隊と同じ宿に安く止めてもらうことができた。久しぶりに携帯食ではないうまい夕食を取り、旅の間にお互いがすぐ側で寝ることになれてしまった二人は、相部屋でぐっすりと眠った。

 寝床は硬かったが、壁と屋根があって安心して眠れることに優るものはない。特にアシャンは夕食を取ったあとすぐに、寝床に崩れ落ちるようにして眠り込んでしまい、ラーダもすぐにその後を追った。

 翌日はラーダが日がかなり昇った頃に先に目覚めた。アシャンの疲れもあり、今日一日はゆっくり休むと決めていた。

 アシャンは眠り続けて、起きたのは昼を回ってからだ。

「親方に駄賃もらったけど、何か買うか? あ、いや、あんた金持ちだったんだろうから、ほしいもんはないかもしれないけど、どうせ食料は買い足さなきゃいけないしな」

 遅い昼食を取りながらラーダはアシャンにそう切り出し、途中で気づいて言い足した。もらった駄賃の額では、アシャンがもともと着ていた衣服すら買えないだろう。

「町を見て回ってもよろしいですか?」

「ああ、じゃあ案内してやるよ」

 アシャンは雑踏を歩くことになれていないのか、どこかおっかなびっくりだ。前から来る人にぶつかっては、謝っている。

「……あんたもしかして歩くの下手なのか?」

 つい率直に訊ねてしまうラーダだ。

「あっあの、こういったところを歩いたことがありませんので……」

 そのアシャンの答えにラーダは、さすがに驚く。

「もしかして、本当にとんでもなく金持ちのお嬢様なのか?」

 何気なく訊ねたものの、そうだとすればアシャンを攫った自分の罪がさらに重くなるわけなので、まるで嬉しくはない。

「……」

 ラーダに問われて、アシャンは表情を硬くして黙ってしまった。

 ふたりは無言で、多くの人々が行き交う通りを歩く。

「あ、これどうだ?」

 ラーダがいきなり、アシャンの手を引いた。

「わ!」

 アシャンは思わず声を上げるが、ラーダはさして気にしない。

 露天の装身具を売る店の前だ。銀細工を指さす。

「アシャンの腕輪とかは、ヨニに全部渡しちまっただろ。まぁあんな高そうなやつをじゃらじゃらぶら下げて歩くわけにもいかねえけど、これくらいならな」

 銀細工はマニの女性でも良く身につける装身具だ。このような店で売っている銀はあまり質は良くないが、その分大量に流通していて、安く手に入る。

 ペイルの家にあった銀は、すべて売り払っちまったなと、ラーダは思い出す。

「よろしいのですか? あの、私は旅をしているときもほとんど働けていないですし」

「あーあれだ。なんていうか、詫びだよ詫び。俺のせいでこんなところまで来ることになったんだからな」

「……それは違います」

「ん、何がだ?」

 俯いたアシャンの顔を、ラーダが下からのぞき込むようにしたので、アシャンがちょっと慌てる。

「いえ、違うんです。でも違うんですがその、でも、あの……実は人前で腕に何もつけていないのが正直に言うとすごく落ち着かないのです。ときどきそわそわしてしまうものですから、買っていただいてもよろしいでしょうか?」

「なんかよくわかんねーけど、いいぜ。選べよ」

 アシャンは少し時間をかけて小さな店の商品を見て回り、藍に縞の入った藍晶石の付いた銀の腕輪を選んだ。

「では、これを」

「わかった」

 腕輪の価値などわからないラーダは、二つ返事だ。

 店の主人が、お嬢さん美人の上にお目が高いね、などとお世辞をいいつつ笑顔でラーダに腕輪の値段を告げる。

「えっ!? い、いやわかった。ちょっと待ってくれ」

 実は親方にもらった駄賃の額を超えてしまっていたが、ラーダはヨニが用立ててくれていた路銀を足して、支払いをした。

『腕輪って高ぇんだな……』

 少し、冷や汗をかいたラーダだ。

「ありがとうございました。……自分のものを自分で選んだのは初めてです」

 そのラーダに、アシャンがあまりにも嬉しそうな満面の笑みを見せたので、つい顔をそらしてしまった。

 その日は町を見ながらユニハまでの旅に備えて食料などを買い足し、宿に戻った。

 明けて翌朝、ラーダとアシャンは、親方たちに別れを告げた。

 別れと言っても、ラーダはまた都に戻るつもりだったから、もしバスクから都に行く商隊にちょうど出くわしたときには、また同道させてくれるように親方に頼んだ。

「おう。こっからは二人だ。無理せず、寝るときは必ず王の寝床でな」

「わかってるって、誰に言ってんだよ」

 親方がラーダに対して口にした王の寝床とは、遥か昔に王が建てたと言われている巨大な石を人の背の倍ほどの高さまで積み上げた台だ。その壁面に非常に急な階段のような足場が彫りつけてあり、そこから台上に登ると獣は襲ってこれない。

 とはいえ、王がそれを築いた頃にはいたとされる人を襲うような獣は狩り尽くされていて、今は犬か狐の類いや町猫よりはいくらか大きな猫の類いしか、見られなくなっている。

 だから、あくまでも用心のためだ。

 ちなみに、バスクとユニハの間にある草原地帯には盗賊などはほとんど出没しない。

 バスクを治めるラージャニヤのラサ家が、町の近辺で厳しく取り締まりを行っているためと、バスクと辺境の間を旅する人々はあまり裕福でなく、盗賊家業の割に合わないためというのが、大きな理由だ。

 また、遮蔽物の少ない草原地帯では待ち伏せなどがあまり使えず、よほどの馬鹿でない限り、盗賊のような目に見えて怪しい集団に捕まるようなこともない。

 二人旅でも、これまでの旅に比べれば危険は少なかった。

「お世話になりました」

 別れ際に、アシャンが親方に丁寧に礼を言った。

「お嬢ちゃんには何か特別な事情があるんだろうが、ラーダなら信じていい。馬鹿だが馬鹿なりに頼れるからな」

 親方はそう言って、豪快に笑った。

「はい、わかりました」

 そんなふたりを、褒められたのか貶されたのかよくわからないラーダは、ちょっと不満顔で見ている。

「そりゃあ馬鹿だけどよ」

 などと、ぶつくさ言いながらだ。

 そんなふうにして親方と別れて、一刻も歩けば、もうバスクの町並みは遠くなり、西の地平線の一部になろうとしている。

 ラーダたちは、これまでの旅に使っていたリマをそのまま連れていて、アシャンはその背の上だ。アシャンの体力を考えても、リマは本当にありがたい存在だ。

 二人はどうしても感じてしまう寂しさと心細さに黙ってしまい、無言で歩を進めている。

「なんだ?」

 ふとラーダは背後から誰かに睨まれたような、そんな気持ち悪さを感じて何気なく振り返った。

「なんです?」

 アシャンも、立ち止まったラーダを気にして振り返る。

 そこへ突然に晴れ渡った空から一条の雷が、バスクへと降った。輝く槍のようにまっすぐにバスクへ降ったそれは、ラーダの目に一直線の残光を残す。

 次の瞬間、バスクは光に包まれた。

 雷が落ちたにしてはあまりに奇妙なその輝きは急激に広がってラーダたちに迫る。

 ラーダはとっさにリマの上のアシャンの体に飛びついて、引きずりおろす。アシャンの体を庇いながら、光に飲まれて見えなくなった地面に転がった。

 そこへすべてを震わせるようなとてつもない轟音が襲い、ほとんど同時に地が激しく揺れはじめる。

 ふたりは光の本流に包まれ何も見えない中でうめくが、そこへ大量の土砂を載せた烈しい風が、どんな嵐よりも猛々しく襲いかかった。

 目が見えず、息もまともにできない。どれほど地に這いつくばっても、体中を強烈な風と土砂が叩く。

 ラーダの意識は、その恐ろしい嵐の中で程なく失われた。


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