剣神 外伝 〜黒竜の騎士〜
「剣神」本編の外伝です。
「剣神」の主人公アルシオンに対して、もう一人の主人公といえるのが、このツァーフォンです。
アルシオンは人間ではありませんが、ツァーフォンは人間です。
デュルス、アルロ、ラルン、竜精霊、戦いの精霊、六大民族、これらの民族の歴史や生活、民族と民族の触れ合いがこの物語の骨子です。
銀騎士に付き従う一つの影。
そう称され、皆に恐れられる黒衣の騎士、黒竜騎士ロドルフとは、彼のことである。
黒髪、黒曜石のような黒い瞳。抜けるような白い肌。血の滲んだような真紅の唇。
その容姿から、決して氷の民ではないことは明白だ。そしてまた、彼は氷の民と対等とされる他の五民族でもない。
しかし、異民族である彼が、生涯で唯一人、剣を捧げた銀竜騎士は、氷の民であり、シェラードの王族であったのだ。
フィラを嫌う異民族たちは皆、口をそろえて彼を罵る。
「裏切り者。銀騎士の力を恐れるあまりに、フィラに屈した臆病者め」
「フィラが我らに何をしたのか知らぬから、従えるのだ。幸せな奴め」
彼に関する見識は様々だが、皆その目は冷ややかだ。
しかし、彼は流星の民として生を受けた。かつて、フィラに大量虐殺された民族である。
「ツァーフォン、早く! 早く逃げなさい!」
突如、慌ただしい母親の声がした。
ただならぬ母親の様子に、呼ばれた少年はきょとんとしていた。
ラルンは放浪する民族だ。いくつもの部族に分かれて生活し、一ヶ月と同じ場所に留まることがない。
そして、移動する時には集団ではなく、さらに少数に分かれて移動をする。
他の民族と争うことなく、ひっそりと生きる。そんな民族であった。
集落と化していた部族の仲間たちも、一人移動し、また一人移動し、残るは少年たち親子だけである。
もう何日かしたら移動するよと、昨日父親に言われたばかりだ。それを逃げろとは、どうしたのだろうか?
辺りはさして、変わった様子もない。
山々が紅葉し始め、鳥がさえずっている。平和そのものであるのに。
不思議そうな顔をするツァーフォンに、父親が言った。
「フィラにこの場所が知れた。まだこの辺りでは、暇な貴族どもがラルン狩りをしているらしい。先に移動した仲間が知らせてくれたんだ。フィラが……氷の悪魔が来るんだ」
息子の肩をつかみ、必死で訴える父親。
「氷の悪魔」という言葉を聞いて、ツァーフォンは理解した。
「氷の悪魔に捕まったら生きてはいけないよ。皆殺される。だから、移動するのだよ」
そう、いつも言い聞かされていた。
うん、とツァーフォンが頷きかけたその時だった。
突如、静かな山奥に、馬蹄が響き渡った。四、五騎はいるだろう。
「フィラだ! くそっ、もう来たのか。暇な貴族め! ラルン処刑の法は十年も前に廃止になったはずだろう!」
悪態をつく父親に、
「あなた、もう時間がないわ。この子だけでも、逃がしましょう」
決意した表情で、母親が言った。
「そうだな……もう、それしか方法がなさそうだ」
言うが早いか、父親はツァーフォンを持ち上げ、近くの洞窟に押し込んだ。
「馬の音が遠ざかるまで、決して外に出るんじゃない。わかったな?」
「父さん、僕だけ隠れるの? 皆殺されるって、だから逃げるんじゃないの?」
息子の質問に、父親は困ったような表情をする。
やがて、ツァーフォンは息せき切ったように、
「……どうして、どうしてラルンは戦わないの? 皆を守るために戦わないの? フィラって悪い奴なんでしょ?
どうして戦わないの?」
それは、いつも子供心に抱いていた疑問だった。
「ツァーフォン。ルンヨン」
母親が抱きしめる。
「これをあなたに渡すわ」
そう言って、小さなガラス玉のような物をツァーフォンの首にかけた。父親も、同じような物をツァーフォンに渡した。
それは、二つの部族の族長の証だった。
「母さん!」
その意味が、幼いツァーフォンにも、なんとなくわかったようだ。
「ツァーフォン、よく聞きなさい。あなたをシェンとハーンの二つの部族の長に任命します。ラルンを率いて戦うのではなく、ラルンを正しい道へと導きなさい。ルンヨン。闘いと守りの戦士。それがあなたに与えられた名。その意味がわかる時がきっとくる。今はただ、憎しみにかられて人を殺してはいけない。そのことだけを忘れないで。ラルンの犯した過ちを繰り返さないためにも……」
ぎゅっと、母親が抱きしめる。これ以上にないほどにきつく抱きしめる。
母親は、わが子を慈しむ慈愛に満ちた表情をしていた。
「たくましく、生きろ。この剣はおまえのものだ」
長年父が愛用していた黒竜の剣を渡された。ずっしりと重い感触が手にかかる。
もう、二度と会えない。
子供なりに、ツァーフォンは理解していた。
「嫌だよ。父さん! 母さん!」
泣き叫ぶが、その叫びは虚しく、轟音によってかき消される。
辺りは炎に包まれた。
殺してやる! 殺してやるぞ!
ロドルフ・アーウィン!
――はぁ、はぁ。
気がつくと、いつもの見慣れた牢屋だった。
また、いつもの夢だ。
父と母の殺された現場を確かに見たはずなのに、思い出せない。
ロドルフ・アーウィン。ただ、その名が急激に迫ってきて、憎しみにとりつかれそうになる。
もう、何年か経っているというのに、いまだに忘れてはいないのだ。
心拍数が上がり、呼吸が乱れていた。
あの後、彼――ツァーフォンは、フィラに捕えられ、奴隷として売り払われ脱走した。それ以後、傭兵として生計を立てて暮らしていたが、数日前に奴隷として虐待を受けていた子供たちを助けてから、身代わりにまた牢屋暮らしだ。
別に行くあてもないのだ。早急に脱走する必要もない。どこへ行っても彼の身は危険にさらされる。
かつて、ラルンには、星と星を移動する手段があった。竜精霊と親交があり、その力を借りて、星と星を行き来することによって、いくらでもフィラの手から逃げることができた。
しかし、今は竜精霊の力も弱まっており、彼は未だにフィラの多く住む星から抜け出せないのだ。
彼にとって、脱走するのは簡単だが、タイミングを悪くすると、同じ牢にいる奴隷たちに被害が及ぶ。
彼はそれを危惧しており、なかなか牢から出ることができない。
貴族や商家に下働きの物として働かされるか、闘技場で剣士として使われるか、傭兵や暗殺者として買われるか、それはまだわからない。が、行き先が決まってからでも遅くはないだろう。脱走はいつでもできる。
ここは、人を売買する闇市場だ。
買う者が現れるまで、おとなしくしていれば、特に問題なく過ごすことができる。とはいえ、連れてこられる大半が子供なので、牢暮らしに我慢のできなくなった子供は、逃げ出そうとする。しかし、逃げ出せるわけもなく、捕まった子供は、手痛い仕打ちをうけるのだ。
彼の助けた子供たちも、そうして虐待を受けていた。革の鞭で叩かれる様を見て、彼は幼い日の自分を重ね、我慢ができなかった。子供はうまく逃がしたが、間髪の差で代わりに捕われることとなった。
その時に受けた傷が背中にある。
彼はそっと、傷口に触れ、顔をしかめながらも、手探りにそこにあるべき物を探した。
彼がラルンであるという証。青と白と黒で形成された紋様だ。
幼い頃より、傷が絶えなかったので、紋様にも傷がついたのではと、彼は気になっていたのだ。
首のすぐ下にある、小さな刻印だ。
ラルンは生まれてすぐに、紋様を刻まれる。青はラルンである証。誰もが与えられる。白は〝ヨン〟守りの戦士の証。多くの者がラルンを守る者として任命される。黒は〝ルン〟闘いの戦士の証。争いを嫌うラルンには反する。今まで、誰一人として与えられなかった称号だ。彼一人が闘うことを許された。その意味はまだわからぬが、彼は、ラルンにとって希望となりうる存在であるのだ。
それが、こんなところで、いったいこの十数年もの間、オレは何をしているのだろうと、ぼんやりと彼は考えていた。
すると、扉が開き、監守が現れた。
「出ろ」
買い手が現れたらしい。
やけに早いなと思いながらも、彼は言葉に従った。
「きさま、とんでもないことをしやがって……今度会ったら覚えていろよ!」
監守は青ざめ、乱暴に外に突き出した。
とんでもないこと?
子供を逃がしたことを言うのであれば大げさすぎるのではないか。
怪訝に思いながら、彼は買い手の前に姿を見せた。
彼の買い手は、銀の甲冑に身を包んだ、長い銀髪に紫水晶の目をした美しい青年であった。
いや、青年であるか娘であるか容易にはわからない。それほどに美しいのだ。ただわかるのは、その者がフィラだということだ。
「おまえがオレの買い手か?」
「いや」
これから主人となる者に対して、無礼な口の利き方だが、銀髪の主は気にも留めないという様子で答えた。
「部下の子供を助けてくれた者に礼を言おうと思ってな。金で解決させるのは好きではないが、他に方法もなかった。許せ」
「部下の子供? あの子供たちのことか……フィラではないはずだが」
訝しむツァーフォンに、
「フィラでなくとも、仕えてくれるものは多くいる。最も、兄の人徳によるものだが……」
銀騎士は答える。
「おまえは、フィラの貴族か何かか?」
口調からして察しがつく。
ツァーフォンは警戒を強めた。
監守が青ざめていた訳も、これで納得がいく。人の売買は法律で禁止されている。貴族に知られれば、王の知るところとなり、罰せられるのは必至だ。
「……そのようなものだ」
銀髪の主は言葉を濁すが、ふと思いついたように、
「まだ、名を名乗っていなかったな。アルフィルト・シェザーだ。部下の子を助けてくれたこと、感謝する。改めて礼を言おう」
丁寧に礼を言ってきた。
フィラの貴族がラルンに礼を尽くして遇するなど考えられぬことだ。
彼は戸惑いを隠せない。
「オレは……ロドルフだ」
低く、彼は答えた。
「ロドルフ? それはフィラの名だな。しかし、そなたはフィラではあるまい」
訝しげな表情で言うシェザーに、
「それを言うのなら、おまえもアルフィルト・シェザーは男の名だ。しかし、おまえは女だ」
彼は淡々と言う。
「!」
言われてシェザーは絶句した。
「なにゆえに名を偽り、騎士の格好をし、男のふりをするのかわからぬが……貴族の遊びなら、くだらぬことはやめたほうが身のためだな」
厳しい調子で彼は言った。
「……甲冑を身につけてから、誰一人として気づかなかったものを……。なぜ……」
銀髪の女はしばらく動揺していたが、やがて口を開いた。
「私の名はシレイア。城を抜け出し、兄を探している。兄は、父を殺し、母を奪って行方をくらました。兄に……リーディンスに会い、なぜそんなことをしたのか、私は知りたい。私は、兄上を尊敬していた! それなのに……」
息せき切ったように、言うシレイアを彼は無言で見つめていた。
公にはしていないが、父王を殺し、母を拉致し、行方不明となっているリーディンス王子のうわさは、ルワンダ王国領内では、よく耳にしたことだった。とすると、シレイアは、ルワンダの王女ということか。
心のはけ口を求めるように、叫ぶシレイアを見て、彼の警戒心はなくなっていった。
「……すまない。心の傷に触れてしまったようだ。オレの名はツァーフォン。ラルンの生まれだ。十年ほど前、ロドルフという貴族に、両親を目の前で殺された。オレはそのことを忘れぬために偽名を使っている」
父、母の死を、一族の嘆きを、背負って生きること。その容易ならぬ決意を、一人生き残ったあの時に誓った。
シレイアの決意もまた、ツァーフォンにはわかるような気がした。
国と城を捨て、王女という地位も女であることも、何もかもを捨てても、兄の成すこと、真偽を見極めたい。
これほどに真っ直ぐな女に、いまだかつて出会ったことがあるだろうか?
「……シレイア。いや、シレイア様。私を雇ってはもらえないだろうか。私は、あなたに剣を捧げたい」
言いながら、ツァーフォンは黒竜の剣を取り出し、ひざまずいた。
畏まるツァーフォンに、
「そなたはラルンの生まれ。ましてや、両親を貴族に殺されたのなら、フィラの王女である私が憎くはないのか?」
ツァーフォンの申し出に戸惑いながらも、シレイアは優しげな目で語りかける。
「両親を殺した男は今でも憎いが、それを持ってフィラを憎むのは筋違いというもの。死ぬ間際に残した母の言葉を、忘れることはできません」
ずっと、フィラを憎んでいた。
だが、今なら母の言葉がわかるような気がする。
強い口調で言うツァーフォンに、
「そうか……立派なご両親であったのだな。ずっと私についてきてくれるのか?」
シレイアは頼むような口調で言う。
たった一人で旅をしてきたが、やはり心細いのだ。孤独に、何年も兄を探し続けるというのは。
ともすれば、全てが敵に思えるこの乱世で、このツァーフォンという男は信じられるのではないか。
何より、この男は私の心を見抜き、理解してくれた。シレイアの中で信じて見たいという思いが頭をもたげていた。
「ラルンの部族、シェン・ハーンの名にかけて!」
銀騎士に対する黒騎士の忠誠がここに成立した。
やがて、遠い未来にフィラとラルンが和解する日がやってくる。
二人の絆は、それに先駆ける最初のものであったのかもしれない。
(完)
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