表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
沈みゆく列島で、君と  作者: シュバ起きエクスカリバー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/40

第39章「春を待つ」

第39章「春を待つ」


【海野凛視点】



 窓を開けると、冷たい空気が頬に触れた。


 まだ朝の早い時間。空は明るくなり始めたばかりで、薄紫と橙色が混じり合っている。


 ——もう、半年。


 あの災害から、季節が二つ過ぎた。



         ◆



 静岡市内の仮設住宅。


 私の新しい暮らしの場所。


 2DKの小さな部屋だけど、今はもう「仮設」という感じがしない。


 カーテンは杉浦さんが選んでくれた明るい色のもの。


 台所には私が少しずつ買い揃えた調理器具が並んでいる。


 そして、和室の隅には——おばあちゃんのお骨が、静かに安置されている。



「おはようございます」


 今日も、声をかける。


 返事はない。


 でも、朝日が差し込んで骨壺を照らすのを見ると、おばあちゃんが微笑んでくれているような気がした。



         ◆



 キッチンに立って、朝ごはんの支度を始める。


 冷蔵庫を開けると、昨日迅くんが持ってきてくれた野菜が入っていた。


 キャベツ、にんじん、しめじ。


 「任務帰りに寄った店で買った」と、ぶっきらぼうに言っていた。


 でも、私の好きな野菜ばかりだった。


 分かってないふりをして、全部覚えてくれている。


 そういうところが、迅くんらしい。


 フライパンを温めながら、思わず頬が緩んだ。



         ◆



 卵焼きを作る。


 最初は焦がしてばかりだったけど、今は上手に巻けるようになった。


 おばあちゃんの味には、まだ遠い。


 でも、迅くんが「うまい」と言ってくれる。


 それだけで、十分だった。


 味噌汁も作る。


 出汁は昆布と鰹節から丁寧に取る。


 おばあちゃんに教わったやり方。


 あの小さな台所で、隣に立って見せてもらった記憶。


 今でも、鮮明に覚えている。



         ◆



 朝食を食べ終えて、洗い物をしていると、携帯が鳴った。


 マリアさんからだ。


『今日、お昼過ぎに行くわね。美味しいお菓子もらったから、おすそ分け』


『わあ、ありがとうございますっ。楽しみにしてます』


『あと、杉浦さんも一緒に来るって。三人でお茶しましょ』


 マリアさんと杉浦さん。


 二人とも、今では私の大切な友達だ。


 半年前、避難所で出会った時は、こんな関係になるとは思わなかった。


 災害は多くのものを奪う。


 でも、繋がりを生み出すこともある。


 おばあちゃんが言っていた通りだ。



         ◆



 午前中は、近くの公民館でボランティア活動をした。


 仮設住宅に住むお年寄りの話し相手をしたり、子どもたちと遊んだり。


 最初はマリアさんに誘われて始めたことだったけど、今では自分から通うようになっていた。


「海野さん、いつも来てくれてありがとうね」


 公民館の担当者——佐藤さんという五十代の女性——が、にこやかに言った。


「いえ、私の方こそ勉強になりますっ」


「若いのに偉いわねえ。旦那さんも、良い人捕まえたわね」


「だ、旦那さん……?」


 首を傾げると、佐藤さんがニヤニヤした。


「ほら、たまに迎えに来てくれるでしょ。自衛隊の制服着たかっこいい人」


「あ、あれは……その、まだ、旦那さんじゃ……」


 顔が熱くなる。


 迅くんとは、まだそういう話をしていない。


 でも——。


 いつか、そうなれたらいいなとは、思っていた。



         ◆



 お昼過ぎ、マリアさんと杉浦さんがやってきた。


「やっほー、凛ちゃん。元気してた?」


 マリアさんが、紙袋を掲げながら入ってくる。


 その後ろから、杉浦さんが続いた。


「お邪魔します。……相変わらず、綺麗に片付いてるわね」


「杉浦さんが選んでくれたカーテンのおかげですよっ」


「別に大したことしてないわよ」


 杉浦さんは相変わらず素っ気ない。


 でも、その頬が少し赤くなっているのを、私は見逃さなかった。



         ◆



 三人でテーブルを囲んで、お茶を飲む。


 マリアさんが持ってきてくれたのは、老舗の和菓子屋の栗羊羹だった。


「これ、すごく美味しいですっ」


「でしょ? 知り合いからもらったのよ。あんたに食べさせたくてね」


 マリアさんが嬉しそうに目を細める。


「海野さん、最近ちゃんと食べてる? また痩せたんじゃない?」


 杉浦さんが、鋭い目で私を見た。


「食べてますよっ。迅くんがいっぱい野菜買ってきてくれるんですっ」


「ふうん。神谷三佐も、すっかり主夫みたいね」


「主夫……?」


「言い過ぎか。でも、あの人がスーパーで野菜選んでる姿、ちょっと想像つかないわ」


 杉浦さんが小さく笑った。


 半年前より、ずっと柔らかい笑顔だ。


「杉浦さんも、笑うようになりましたねっ」


「……そう?」


「はいっ。前は、もっと怖い顔してましたもん」


「怖い顔って……」


 杉浦さんが眉をひそめる。


 マリアさんが横から口を挟んだ。


「確かにね。あたしが最初に会った時なんて、『何しに来たの』って睨まれたわよ」


「睨んでない。疲れてただけ」


「はいはい。ツンデレさん」


「誰がツンデレよ」


 二人のやり取りを見ていると、気づけば私は声を出して笑っていた。


 こんな何気ない時間が、とても幸せだった。



         ◆



「そういえば」


 マリアさんが、急に真面目な顔になった。


「凛ちゃん、これからのこと、どう考えてるの?」


「これから、ですか?」


「仮設住宅、いつまでもってわけにはいかないでしょ。復興住宅への移行とか、仕事のこととか」


 確かに、考えなければいけないことだった。


 仮設住宅の入居期間は原則二年。


 その先のことを、私はまだ曖昧にしていた。


「えっと……正直、あまり考えてなかったですっ」


「凛ちゃんらしいわ」


 マリアさんが苦笑した。


「でもね、そろそろ考えた方がいいわよ。特に、神谷三佐との関係も含めて」


「迅くんとの……?」


「あんたたち、もう付き合って半年でしょ? 次のステップ、考えないの?」


 次のステップ。


 その言葉に、胸がざわついた。


 嬉しさと、ほんの少しの不安が、同時に込み上げてくる。



         ◆



 杉浦さんが、静かに口を開いた。


「……私から言うのも変だけど」


 その目は、真っ直ぐに私を見ていた。


「神谷三佐は、本気よ。あなたのことを、本気で大切に思ってる」


「杉浦さん……」


「だから、あなたも逃げないで。ちゃんと、向き合って」


 杉浦さんの言葉には、重みがあった。


 この人も、迅くんのことを——。


 そう思うと、胸が締め付けられる。


「杉浦さんは、大丈夫ですか?」


 思わず聞いてしまった。


 杉浦さんは、一瞬だけ目を伏せた。


 でも、すぐに顔を上げて、笑った。


「大丈夫。私には、私のやることがあるから」


 その笑顔は、少し寂しそうだったけど——でも、強かった。



         ◆



 夕方、二人を見送った後、私は和室に座った。


 おばあちゃんの骨壺に向かって、報告する。


「おばあちゃん。今日ね、マリアさんと杉浦さんが来てくれましたっ」


 窓から差し込む夕日が、部屋を橙色に染めている。


「みんな、優しくしてくれるんです。私、一人じゃないって、毎日実感しますっ」


 手を合わせて、続けた。


「迅くんとのこと、ちゃんと考えなきゃって言われました。マリアさんに」


 おばあちゃんなら、何て言うだろう。


 きっと——。


「『好きなら、素直になりな』って、言いますよね」


 そんな気がした。



         ◆



 夜。


 インターホンが鳴った。


 時計を見ると、七時過ぎ。


 迅くんだ。


 慌てて玄関に向かう。


「おかえりなさいっ」


 ドアを開けると、迅くんが立っていた。


 制服のままだ。任務帰りに、真っ直ぐここに来てくれたんだ。


「ただいま」


 迅くんは、小さな紙袋を差し出した。


「途中で寄った店で、見つけた」


 中を見ると、苺のショートケーキが入っていた。


「わあ……! ケーキっ」


「お前、甘いもの好きだっただろ」


「覚えててくれたんですねっ」


「……当然だろ」


 迅くんが、少し照れたように視線を逸らす。


 その仕草が、好きだ。



         ◆



 二人で夕食を食べた。


 今日は私が作った肉じゃがと、ほうれん草のおひたし。


 迅くんは、黙々と食べていた。


「おいしい?」


「ああ」


「本当ですか?」


「嘘は言わない」


 いつものやり取り。


 でも、それが嬉しかった。


 食後、二人でケーキを分けて食べた。


 甘い苺の味が、口の中に広がる。


「迅くん」


「何だ」


「今日ね、マリアさんと杉浦さんが来てくれたんです」


「ああ、聞いてる。杉浦から連絡があった」


「その時にね、言われたんです」


 迅くんが、私の方を見た。


「これからのこと、ちゃんと考えなきゃって」


 迅くんは、黙って聞いていた。



         ◆



「仮設住宅のこととか、仕事のこととか」


 言葉を選びながら、続けた。


「私、今まであまり考えてなかったんです。毎日が精一杯で」


「……ああ」


「でも、そろそろ考えなきゃいけないって」


 迅くんは、しばらく黙っていた。


 それから、静かに口を開いた。


「俺も、考えてた」


「えっ?」


「これからのこと」


 迅くんの目が、真っ直ぐに私を見た。


「俺は——お前と、一緒にいたい」


 心臓が跳ねた。


 嬉しさと、ほんの少しの不安が、胸の中で混ざり合う。


「仮設じゃなくて、ちゃんとした場所で。二人で」


「迅くん……」


「まだ具体的なことは決まってない。でも、俺はそう思ってる」


 迅くんの声は、いつもより少しだけ緊張していた。


 普段、感情を表に出さない人が——こんな風に、想いを伝えてくれている。



         ◆



 私は——涙が出そうになった。


 でも、笑顔で答えた。


「私もです」


「……」


「迅くんと、一緒にいたいです。ずっと」


 迅くんの表情が、少しだけ緩んだ。


 ほんの少しだけ——でも、確かに。


「そうか」


「はいっ」


「なら、少しずつ考えよう。焦る必要はない」


「はいっ。一緒に、考えましょうっ」


 迅くんが、私の頭を撫でた。


 大きくて、温かい手。


 この手が、私を守ってくれた。


 これからも——守ってくれる。


 そして、私も迅くんを守りたい。


 支え合って、一緒に生きていきたい。



         ◆



 迅くんが帰った後、私は窓を開けた。


 夜空には、星が瞬いていた。


 寒いけど、澄んだ空気が心地良い。


 ——春が、もうすぐ来る。


 長い冬を越えて、新しい季節が訪れる。


 あの災害から、半年。


 失ったものは、多い。


 おばあちゃん。故郷。生まれ育った町。


 全部、なくなってしまった。


 でも——。


 繋がりは、なくならなかった。


 迅くんがいる。


 マリアさんがいる。


 杉浦さんがいる。


 私を支えてくれる人たちが、いる。


 そして、私もその人たちを支えていきたい。



         ◆



 和室に戻って、おばあちゃんに報告した。


「おばあちゃん。迅くんと、これからのこと話しましたっ」


 骨壺は、静かに佇んでいる。


「一緒にいたいって、言ってくれましたっ。私も、同じ気持ちですって、伝えましたっ」


 月明かりが、部屋を優しく照らしている。


「おばあちゃんが教えてくれたこと、私、ちゃんと覚えてます」


 人と人との繋がりは、誰にも奪えない。


 失ったものがあっても、前を向いて生きていく。


 おばあちゃんが、そうやって生きてきたように。


「私も、そうやって生きていきます」


 手を合わせて、目を閉じた。


「見守っていてくださいね」



         ◆



 布団に入って、目を閉じる。


 明日も、迅くんが来てくれる。


 明後日は、ボランティアの日。


 来週は、マリアさんと杉浦さんとお花見の約束をしている。


 小さな約束が、未来を作っていく。


 そうやって、少しずつ——。


 新しい日常を、積み重ねていく。


 災害は、多くのものを奪った。


 でも、奪えないものもある。


 人と人との繋がり。


 一緒に生きていこうという意志。


 それだけは——誰にも、奪えない。


 眠りに落ちる直前、私は微笑んでいた。


 春が来る。


 新しい季節が、始まる。



【第39章 終】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ