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沈みゆく列島で、君と  作者: シュバ起きエクスカリバー


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第25章「再会」

第25章「再会」


【海野凛視点】



 昨夜の電話の後、私は眠れなかった。


 迅くんの声が、まだ耳の奥に残っている。


 あんな声、聞いたことがなかった。


 震えて、掠れて、どこか壊れそうな声。いつも強くて、誰かを守ることだけを考えている人が、初めて見せてくれた弱さ。


 嬉しかったんです——私はそう言った。


 本心だった。


 迅くんが弱いところを見せてくれたこと。私に頼ってくれたこと。それが、どれだけ嬉しかったか。


 でも同時に、怖かった。


 あの人が壊れそうになっている。電話越しでも分かった。限界なんだ、と。



         ◆



 朝になっても、胸のざわつきは消えなかった。


 体育館には早朝の光が差し込んでいる。周囲の避難者たちはまだ眠っている人が多い。


 私は毛布を畳みながら、ずっと考えていた。


 ——迅くんのところに、行きたい。


 その気持ちが、膨らんでいく。


 「必ず迎えに行く」と言ってくれた。私は「待ってます」と答えた。


 でも。


 待っているだけでいいのだろうか。


 あんなに疲れ切った声をしていた人を、ただ待っているだけで。



         ◆



 朝食の配給を手伝いながら、私はマリアさんの姿を探していた。


 避難者の列に笑顔でおにぎりを配るマリアさんは、いつも通り明るく見えた。でも私は知っている。あの人も、夜になると一人で泣くことを。


「どうしたの、凛ちゃん。ぼーっとしてるわよ」


 マリアさんの声で、我に返った。


「あ、すみませんっ」


「疲れた? 無理しなくていいのよ」


「いえ、そうじゃなくて……」


 言葉が詰まった。


 どう切り出せばいいのか、分からなかった。



         ◆



 配給が終わった後、私はマリアさんを呼び止めた。


「あの、マリアさん」


「ん?」


「少し、お話ししてもいいですか」


 マリアさんは少し驚いた顔をしたけど、すぐに頷いてくれた。


 体育館の隅、人気のない場所まで移動する。窓から差し込む光が、埃を照らしていた。


「改まってどうしたの」


「……私」


 深呼吸をした。


「行きたいところが、あるんです」


「行きたいところ?」


「大切な人のところに」


 マリアさんの目が、少し細くなった。


 分かってる。この人には、隠せない。


「……昨日、電話で話したの。その、大切な人と」


「うん」


「あの人、すごく疲れてたんです。声が、今まで聞いたことないくらい……」


 言葉が震えた。


「壊れそうだった。あの人、自分のことは全然大事にしないから。誰かを救うことしか考えてないから」


 マリアさんは黙って聞いていた。


「私、待ってるって言ったんです。必ず迎えに来てくれるって信じてるから、待ってるって」


「……」


「でも」


 顔を上げた。


「待ってるだけじゃ、ダメな気がするんです」


 マリアさんの目を、まっすぐ見た。


「私が行かなきゃ。あの人のところに」



         ◆



 長い沈黙があった。


 マリアさんは腕を組んで、じっと私を見ていた。


 怒られるだろうか。無責任だと言われるだろうか。


 避難所の手伝いを始めたばかりなのに、途中で抜けるなんて——


「行きなさい」


 え。


「マリアさん……」


「行きなさい、凛ちゃん」


 マリアさんは、優しく笑った。


「あんたの大切な人が壊れそうなら、行くべきよ。ここは、あたしたちで何とかするから」


「でも……」


「いいから」


 マリアさんが、私の肩にぽんと手を置いた。


「あんたに教えてもらったのよ。『一人で泣いてる人を放っておけない』って」


 あの夜のことを、思い出す。


 マリアさんが泣いていた夜。私が踏み込んでしまった夜。


「あたしは、あんたに救われた。だから今度は、あんたが大切な人を救いに行きなさい」


 目頭が熱くなった。


「マリアさん……」


「泣くのは後よ。早く行きな」


 マリアさんが、私の背中を軽く押した。


「気をつけてね。何かあったら連絡するのよ」


「はいっ……ありがとうございます、マリアさん」


 瞬きをして、滲みそうになった視界をこらえた。



         ◆



 避難所を出た時、空は曇っていた。


 まだ余震の影響で道路状況は良くない。でも、浜松基地までの道は何とかなりそうだった。


 マリアさんが手配してくれた自衛隊の輸送車に乗せてもらえることになった。避難所と基地を行き来する車両があるらしい。


 車の窓から外を見る。


 壊れた建物。積み上げられた瓦礫。復旧作業に当たる人々の姿。


 ——この景色の中を、迅くんはずっと飛び回っていたんだ。


 何人を救って、何人を救えなかったんだろう。


 そのたびに、どんな気持ちだったんだろう。


 喉の奥が、きゅっと締まった。



         ◆



 基地に着いたのは、昼過ぎだった。


 正門で身分を確認される。避難者であること、神谷三佐に会いたいことを告げると、少し待たされた。


 心臓がどくどくと鳴っている。


 会える。もうすぐ、迅くんに会える。


 でも、不安もあった。


 電話で聞いた声。あの壊れそうな声の持ち主に、私は何を言えばいいんだろう。



         ◆



「海野さんですか」


 声をかけられて振り返ると、若い隊員が立っていた。


「神谷三佐は、今は仮眠室で休まれています。案内します」


「あの、起こしちゃうことになりませんか?」


「いえ……正直、休んでほしいんですが、あの人は休みませんから。誰かが来たと知れば、どうせ起きます」


 隊員の声には、諦めと心配が滲んでいた。


 この人たちも、迅くんのことを心配しているんだ。


 建物の中を歩く。長い廊下。いくつもの部屋。


 やがて、ドアの前で止まった。


「ここです。……神谷三佐、お客様です」


 隊員がノックした。


 返事はない。


「神谷三佐?」


 もう一度ノックしても、返事がなかった。


「……入ってもいいですか」


 私は隊員に尋ねた。隊員は少し迷った顔をしたけど、頷いてくれた。


 ドアを開けた。



         ◆



 狭い部屋だった。


 ベッドが一つ。小さな机と椅子。窓には遮光カーテンが引かれ、薄暗い。


 そして——


 迅くんが、ベッドの端に座っていた。


 窓の方を見ている。私が入ってきたことに、気づいているのかいないのか。


「迅くん」


 名前を呼んだ。


 迅くんが、ゆっくりと振り返った。


 息が止まった。


 目の下に、濃い隈。こけた頬。肌は青白く、唇は乾いていた。


 あの時の電話の声が、嘘じゃなかったと分かった。


「……凛」


 掠れた声だった。


「なんで、ここに」


「来ちゃいました」


 私は笑おうとした。でも、うまく笑えなかった。


「待ってるって言ったのに、来ちゃいました。ごめんなさい」


「謝ることじゃ……」


 迅くんが立ち上がろうとした。


 そして、ふらついた。


「迅くんっ」


 私は駆け寄って、迅くんの腕を支えた。


 細い。腕が、こんなに細かったっけ。


「大丈夫だ。立ちくらみがしただけで……」


「大丈夫じゃないですっ」


 声が大きくなった。自分でも驚いた。


「全然大丈夫じゃないです。顔色も悪いし、ふらふらしてるし、声だって……」


 言葉が詰まった。視界がぼやけてくる。


「電話で聞いた時から、分かってました。迅くんが限界だって。だから、来たんです」


「凛……」


「迎えに来たんです。私が」



         ◆



 迅くんは、私を見ていた。


 驚いたような、戸惑ったような顔。


「俺が、迎えに行くって言ったのに」


「知ってますっ」


 私は迅くんの腕を握ったまま、言った。


「でも、待ってるだけじゃダメだって思ったんです。迅くんが壊れそうな時に、ただ待ってるだけなんて、できなかったんです」


「……」


「迅くんはいつも、誰かを助けてばかりで。自分のことは後回しにして。でも」


 迅くんの目を、まっすぐ見た。


「私は、迅くんを助けたいんです」


 言葉が、震えた。


「迅くんが弱ってる時に、そばにいたいんです。一人で抱え込まないでほしいんです」


 頬を何かが伝った。


「だから——」


 気づいたら、迅くんを抱きしめていた。


 考えるより先に、身体が動いていた。


 細くなった身体を、腕の中に閉じ込めた。


「もう、一人で頑張らないでください」



         ◆



 迅くんは、動かなかった。


 私の腕の中で、固まっていた。


 どうしよう。迷惑だっただろうか。押しつけがましかっただろうか。


 でも——


 迅くんの腕が、私の背中に回った。


 そっと。おずおずと。まるで、壊れ物を扱うように。


「……すまない」


 耳元で、掠れた声がした。


「お前に、心配かけた」


「心配、しますよっ。当たり前じゃないですか」


「ああ……そうか。そうだな」


 迅くんの腕に、少しだけ力がこもった。


「ありがとう。凛」


 その言葉を聞いた瞬間、何かが込み上げてきた。


 嬉しいのか、悲しいのか、分からなかった。


 分からないけど、もう我慢できなくて、声を殺して泣いた。



         ◆



 どれくらいそうしていたか、分からない。


 やがて、迅くんがゆっくりと身体を離した。


「……お前、どうやってここまで来たんだ」


「マリアさんが手配してくれたんです。避難所と基地を行き来する車があるって」


「マリアさん?」


「避難所のまとめ役の人です。すごく良い人で……」


 私はマリアさんのことを少し説明した。迅くんは黙って聞いていた。


「そうか。……世話になったんだな」


「はいっ。いつか、紹介しますね」


 迅くんは、少しだけ笑った。


 疲れ切った顔の中で、それでも笑おうとしてくれた。


「お前は、強くなったな」


「え?」


「待ってるだけじゃダメだと思って、来たんだろ。……昔のお前なら、できなかった」


 言われて、気づいた。


 確かに、昔の私なら——両親を失ったばかりの頃の私なら——誰かを迎えに行くなんて、できなかった。


「おばあちゃんに、言われたんです」


 私は言った。


「『置いていく強さも必要だ』って。私、ずっと分からなかった。でも……」


 迅くんを見上げた。


「今は、分かる気がします。置いていく強さと、迎えに行く強さは、きっと同じなんです」


 迅くんの目が、少し揺れた。


 何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。


 そして。


「……俺も、お前のばあちゃんに言われた。同じことを」


「え?」


「『凛を頼む』と。……俺は、守ると約束した」


 迅くんが、私の頬に手を添えた。


「でも今は、お前に救われてる」


 心臓が、大きく跳ねた。


「迅くん……」


「俺は、お前がいないとダメだ」


 その言葉は、まるで告白のようだった。


 いや——告白だったのかもしれない。


「私も」


 私は、迅くんの手に自分の手を重ねた。


「私も、迅くんがいないとダメですっ」


 目尻から、また熱いものがこぼれた。


 でも今度は、悲しくなかった。



         ◆



 その時だった。


 迅くんの携帯が鳴った。


 二人とも、現実に引き戻された。


 迅くんは少し迷った顔をしたけど、携帯を取った。


「……杉浦か」


 杉浦さん——観測チームの人だと、前に聞いたことがある。


 迅くんの表情が、一瞬で変わった。


「……分かった。すぐ行く」


 電話を切った迅くんの顔は、険しかった。


「どうしたんですか」


「第二波の兆候が出てる」


 私の背筋が、凍った。


「余効滑りが加速してる。杉浦の予測だと、そう遠くない」


「そんな……」


「すまない、凛。俺は——」


 迅くんが立ち上がろうとした。


 私は、その手を掴んだ。


「待ってください」


「凛……」


「分かってます。行かなきゃいけないんでしょう。迅くんは、そういう人だから」


 私は、迅くんの目を見た。


「でも、約束してください。必ず戻ってきてって」


 迅くんは、私を見つめていた。


 数秒の沈黙。


 そして、迅くんは頷いた。


「約束する」


「本当ですか?」


「ああ。今度は——俺がお前を迎えに行く番だ」


 迅くんが、私の手を握り返した。


「だから、待っててくれ」


 今度は、私が待つ番だった。


 でも、不安はなかった。


 迅くんの手の温もりが、約束を証明していた。


「待ってますっ。ずっと」


 私は笑った。


 今度は、ちゃんと笑えた。



【第25章 終】


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