第8話:Protocol Requiem
ザイロス東部、産業残滓の彼方に横たわる巨大複合施設──《ハードギア社 中央処理コンプレックス》。
そこは公式には“放棄された産業拠点”とされていたが、実際にはUSIと連携して“選別兵器”の開発を進めていた、最奥の禁域だった。
「……あれが、選別兵器の心臓部か」
ノアは腐蝕した金属階段を降りながら、眼前に広がる冷却ドームを見下ろした。
中央には霜に包まれた無数の“棺”──冷凍カプセルが縦横に並び、その中に人間が静かに、だが無慈悲に“保管”されている。
「全部、人間だよ……生きたまま閉じ込められて、意識と肉体を切り離されてる」
ミラの声は震えていた。
各棺には“適合判定済”と刻まれた識別タグ。
皮膚を貫くナノワイヤーは、脳と神経網をAIインフラに接続し、思考すら“運用資源”へと還元していた。
「これが……人間を兵器に変えてる現場か」
耳元の通信が、低く鳴る。
《こちらアシュ。外周の監視網は制圧完了。だが、警備ドローンの挙動が妙だ。何か来るぞ──》
その瞬間、階上から鋼鉄の装甲を纏った影が跳び降り、着地と同時に地面を割った。
「……っ!」
機械の羽根を備えたその兵は、全身に融合痕のある“人型”──だが、明らかに人間の域を超えた存在だった。
「迎撃型プロトタイプ……《コード・アンゲルス》」
ノアが呟く。
「意思を持った試作兵器……戦場の審判者として、選ばれた個体」
機体からはかすかに電磁波と“音声”が漏れていた。
「ザイロスの均衡は、混沌の中に在る──整列する意志は、淘汰されねばならない」
「しゃべった……!?」
ミラが後退しながらEMPナイフを構えた。
──そして戦端が開かれた。
ノアは瞬時にEMP弾を打ち込み、アシュとクリスが左右から挟撃。
アンナは高所から奇襲を仕掛け、二連式の信号阻害弾をプロト・アンゲルスへと投げつけた。
だが──
「跳ね返された!?」
EMPの炸裂は薄く反射され、敵の装甲に傷一つつかなかった。
プロト・アンゲルスの機械翼が展開し、鋭利な光刃がノアの肩を掠める。
「ぐっ……!」
ミラが爆風で飛ばされ、アンナが駆け寄ろうとしたその時──
棺から新たな個体が、次々と起動した。
「……こいつら全員、兵器化された“元・人間”だ……!」
廃棄炉と繋がった溶接仮面の個体。
電磁砲と火炎放射装置を腕に持ち、焼け爛れた皮膚から、なお人間の声を漏らす。
「……ママ……どこ……?」
アンナの顔から血の気が引いた。
「記憶が……残ってる……!」
「撃て!」
ミラの叫びが、制御室に響いた。
その瞬間、全員がトリガーを引いた。
銃声が響き渡り、数体のプロトアンゲルスが崩れ落ちる──だが、それでも奴らは止まらない。
上層からは自律演算型のドローン部隊が出現。
球体型の外殻に、複数の関節アーム。表面には“顔”のような映像が投影されている。
《識別完了──敵対行動を確認。選別処理、開始》
「クソッ、数が多すぎる!」
アシュとクリスが左右に展開、ドローンの集中砲火を受け止める。
ノアはミラと共にカプセル群を抜け、最奥にある制御タワーへと突入した。
「アンナ、こっちに!」
「了解っ!」
アシュは背後を振り返りながら叫ぶ。
「時間を稼ぐぞ……!ノア、ミラ、お前たちにすべてを託す!」
──制御タワー最奥部、アクセス端末。
ノアは急速に息を整えながら、インターフェースへ接続した。
「《プロトコル・エクリプス》、選別コード抽出開始。……転送準備」
ミラが背後で見張る中、アクセスパネルに次々とセキュリティロックが解除されていく。
そして──画面に警告が表示された。
《⚠ 警告:この情報はUSI上層指令層以外による閲覧を禁ず。違反は“選別”の対象となります》
「……やれやれ、歓迎されてないな」
ノアは小さく皮肉を呟き、表示された第一のファイルを開いた。
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Project:A.N.G.E.L.U.S
正式名称:Artificial Neuro-Genesis Elimination & Logic Unification System
分類:多元未来予測型戦略兵器
《⚠ 機密レベルS:閲覧権限未満》
──表示されたその兵器設計思想に、ノアとミラは息を呑んだ。
「これは……」
概要
本兵器は、戦術制御AI《ゼータ=ユグド》の派生演算ユニットにより構成。
高次情報処理により、起こり得る“全ての未来”を瞬時に予測・演算し、勝利に至る選択肢のみを抽出。
各時点で最も“合理的”と判定された未来へと、戦局・民意・社会構造すら強制的に収束させる。
「未来を……制御する?」
「“選ぶ”んじゃない。“作る”ってこと……強制的に」
⸻
選別原理
対象地域内(JPセクター77、ザイロス)に配置された全端末、監視網、医療チップ、ドローンは常時、
個人の行動・感情・思考・遺伝情報を収集。
その莫大なデータは、統括AI《ゼータ=ユグド》によって解析・保管される。
《⚠ 解析対象数:約2億2千万人分/最終目標:理想社会構成員の選別・維持》
ミラは青ざめた表情で、ノアの袖を掴んだ。
「じゃあ……今、私たちの会話も、動きも……全部、見られてる……?」
ノアは黙って頷いた。
⸻
処刑プロトコル
アンゲルスによる殺戮手段は以下の通り。
・通信網に擬態したナノ粒子を都市空気中に散布し、特定遺伝子保有者を“接触感染”により処分
・社会インフラに潜伏した情報ウイルスを用い、対象者の精神構造を改変し、自傷・錯乱へ誘導
・無自覚な“自己選別”を誘発する感情干渉型アルゴリズムの注入
《⚠ 運用例:ザイロス医療ネット/義務教育ARユニット/交通管理チップ》
ノアは拳を握りしめ、画面に映る非人道的な“運用デモ”を睨みつけた。
「これ……実際にもう、使われてる……!」
⸻
最終セクション:判定者コード
プロトコル・エクリプスは、最終実行にあたり《意思決定者》の存在を必要とする。
判定者は、全演算結果の中から実行フラグを選び、アンゲルスに“発令”する権限を持つ。
現在、判定者の所在地およびアイデンティティは秘匿・不明。
「この意思決定者によって……ゼータ=ユグドが予測した“世界の終焉”が、変わる可能性があるってことかも」
ミラが、言葉を選ぶようにそっと呟く。
だが、その瞬間だった。
「……っ!」
ノアの手が止まり、軽く震えた。
彼は目を閉じ、こめかみに手を当てる。頭の奥に、何かがざわめいた。
(“意思決定者”……俺が?)
思い浮かんだのは、リアが口にした言葉──《君は欠片を持つ者》。
あれはただのメタファーではない。どこかに、明確な意味が隠れていた気がする。
(いや……違う。そんなはずは……)
だが否定すればするほど、心の奥底で、何かが静かに「肯定」を囁いていた。
これは記憶ではない。根拠のない直感だった。
「ノア……?」
ミラが心配そうに近づくが、ノアはすぐに表情を戻し、軽く首を振る。
「……なんでもない」
と、そのとき。
《──情報転送完了。セキュリティプロトコル発動。ファイルは自動的にロックされます。全オペレーターに告ぐ、即時撤退を推奨》
端末から冷たい機械音が響き、警報灯が再び赤く点滅を始めた。
ノアとミラは視線を交わし、小さく頷き合った。
「もう十分だ。行こう」
この世界で何かが大きく動き出す──そんな予感が、ノアの胸をひそかに揺らしていた。