第4話:Phantom Circuit
──ザイロス第13区域、《フォゴットン・グリッド》。
再生不能の廃電子地帯。通称「死線」。
高密度の磁性粒子と廃棄されたAI核の断末魔が交錯し、ドローンですら接近を避ける無法の空白域。
そんな場所に、ただ一人、ノアは立っていた。
彼の前に現れたのは、白銀の長髪を風に揺らす、一人の女。
──リア=チェンバース。
その姿は、ザイロスに似つかわしくないほど清潔で、どこか非現実的な美しさを宿していた。
「ようこそ、ノア。君がここに来る日を、私はずっと待っていたの」
その声は艶やかでありながら、どこか機械のような抑揚のない響きだった。
ノアは目を細める。
「……誰だ、あんた」
「取引とは、目的と成果の交換。相手のプロフィールは交渉要素に含まれないわ」
リアはそう言って、コートの内ポケットから小さなデータチップを取り出し、ノアに差し出した。
「これは?」
「暗殺依頼よ。ターゲットは現EIUの行政総代表──ナディム・シェイル。
君に、あの男を殺してほしい」
風が吹き抜け、電子廃棄物がカラン、と乾いた音を立てた。
「冗談だろ。いきなり国家のトップを殺せなんて……。ザイロスの抗争じゃあるまいし」
「冗談を言うには、私は少しだけ現実的すぎるの」
リアはそう言って、もう一枚のデータディスクを取り出した。
「《プロトコル・エクリプス》──USIが極秘裏に開発している“対人類選別型終末兵器”の全データよ。滅亡の情報を集めているあなたには涎が出るほどの代物だけど」
「……釣り餌ってわけか」
「ええ。でも、あなたがその餌を食うかどうかは、あなたの意思次第よ」
ノアは無言のまま、チップを手に取った。
金属質なその感触は、まるで銃の引き金を撫でるようだった。
ふいに背後の瓦礫が動いた。
──ミラ
フードを深く被り、気配を殺していた彼女が姿を現す。
「リアから話は聞いた。ノアが依頼を受けるかどうか、まだ迷ってるって」
「お前……ずっと聞いてたのか」
「悪い。けど、私も一緒に背負いたいんだ。もし、ノア一人じゃ無理そうなら──」
ミラは強く握った拳を開き、ノアの手をそっと握った。
「“私も一緒に戦う”って、もう決めたから」
「……一つだけ条件がある」
「言ってみて」
「この作戦で、ミラを傷つけるような真似はさせない。それだけは絶対だ」
「もちろん。彼女はあなたの意思の核だから」
リアは穏やかに頷いた。
そして懐から新たな小型デバイスを取り出すと、ザイロスからJPセクター77全域まで広がる旧路線地図を立体投影した。
「ターゲット──ナディム・シェイルは普段、EIU東部の統治評議府にいる。」
「そこで、あなたたちは、EIU情報中枢──《エレクトロ・ヴァイン》にこのチップのデータを流し込む。すると、ナディムの汚職やヴォルク連邦との裏取引、そして《対人種別隔離ウイルス》の存在までが国民に暴露されることになる」
「それで、内部からナディムを崩壊させる……」
「当然ナディムは情報確認と統制のために《エレクトロ・ヴァイン》にくるでしょう」
「そこであなたが待ち伏せて、ナディムを暗殺」
リアの口調は淡々としているが、その内容はあまりにも重い。
「国民からは、データリークによる国民の不信、そしてメンタル崩壊による自死。そう映るでしょう」
ノアは苦々しく吐き捨てる。
「それは“政治的自壊”に見せかけた暗殺だ。技術的には可能だが、倫理的には最悪だ」
「でも、それが“未来を変える”道かもしれない」
ミラの声が、ノアの心に刺さった。
リアはそこでふと、立ち止まるように呟いた。
「あなたたちは、ただ誰かに命令されて動くのではない。
“選択する”ことができる存在よ。だから──この戦いもまた、あなたたち自身の物語になる」。
2日後──
ノアとミラはザイロス東第10街区から、
旧EIU時代の地下軌道に乗り込み、《エレクトロ・ヴァイン》へ向かった。
都市の外縁に位置するその施設は、EIUのデジタル神経そのものだった。
要塞じみた建築。電子ノイズが耳鳴りのように空気を揺らす。
「セキュリティは……ここか」
ミラが素早く妨害デバイスを起動し、監視網の一部を遮断する。
「今だ、行くぞ」
ノアは壁の接合部から侵入。
2人は裏口からデータ中枢フロアへと辿り着いた。
だが──
「止まれ。身分認証がされていない。即時排除する」
全身強化外骨格を纏ったセキュリティ職員が4名、前方から現れた。
「接敵!」
ノアは即座にスモーク弾を展開し、ミラが後方から援護射撃。
複雑な遮蔽物を利用しながら、反撃を繰り返す。
「ミラ、右上!」
「わかってる!」
彼女の弾丸が正確に職員の神経接続部を撃ち抜いた。
やがて、4人すべてが沈黙する。
「……行こう。こっちだ」
中枢フロア──《情報核ターミナル》。
ノアは大型端末に接続し、チップを挿入。
次の瞬間、無数の情報がノアの脳裏へと流れ込んできた。
《ナディムとヴォルク連邦の機密協定》《市民監視プロジェクト》《兵器実験による犠牲》
そして──
《対人種別隔離ウイルス:EIU001-Type-X》
「……これは……!」
そのウイルスは遺伝子スキャンで対象を選別し、特定民族や国籍背景に基づき生体機能を破壊する。
「……ナディム、お前……自国民にまで……!」
ノアは息を詰まらせた。
ミラは震える声で問う。
「……本当に……殺すしかないの?」
ノアは黙ったまま、端末のデータを解析し続けた。
やがて──
「……殺すんじゃない。“止める”んだ。何があっても、未来を守るために」
EIU情報中枢──《エレクトロ・ヴァイン》第三通信層。
リアから聞いていた通り、ナディム・シェイルはセンターの混乱に対応するため、護衛なしにここへやってきた。向こうはまだこちらに気づいていない。
ノアは監視網の一部を回避し、重力軽減ブーツで天井を這い、音もなくナディムの真正面に立ち塞がった。
しかし、目の前に立っていたのは──
高圧的な政治家ではなかった。
ただの、痩せた男。
老いて疲れ果てたような目をした男だった。
「何者だ…お前たちは…!」
ノアは返事をせず、無言でチップを投影する。
ナディムの目が見開かれる。
映し出されたのは、自分とヴォルク連邦との密談、ウイルス、死者の記録──
「嘘だ……これは捏造だ、こんなものは……!」
「違う。これは“お前自身の記録”だ。逃げるな」
ノアの声は静かだった。
「君には、分からん……平和の裏には“屈服”が必要なんだ。
我々が犠牲にならなければ、国は保てなかった!」
「その犠牲に、“誰かの意思”はあったのか?」
ノアは、視線を逸らさずに問う。
「ただ生きたかっただけの人々を、誰が“死んで当然”と決めた?」
ナディムは答えなかった。
その瞬間、ノアの掌に仕込まれたナノ・パルス装置が起動。
無言のままナディムの神経ネットワークを焼き切った。
倒れ込んだ男は、ただ深く目を閉じていた。
ノアは無言のまま立ち尽くしていた。
ミラが静かに近づき、その手を取った。
「あなたは……誰かの命を奪ったんじゃない。
未来の、誰かの命を救ったんだよ」
ノアはその手のぬくもりに、小さく頷いた。
──任務から戻った夜、ザイロス第9区画の仮設拠点。
冷えた金属板の床の上、ノアは沈黙のままチップを眺めていた。ミラは横で、小さくため息を吐いた。
「……終わったね」
「ああ。だが、全然清々しくねぇ」
ノアの声には、わずかに疲弊が滲んでいた。
リアとの通信が繋がったのは、その直後だった。モニターに映る彼女は、変わらず機械仕掛けの微笑を浮かべていた。
「任務、完了。……報告を」
「ナディム・シェイルは死んだ。直接手は下したが、世間的には“精神崩壊による自死”として処理されるはずだ」
「完璧ね。あなたたちの行動が、これからの歴史に“重大な歪み”を生む。そう、修正の第一歩よ。」
リアは微笑すら浮かべずに続けた。
「……さて、報酬についてだけど──あいにく今、どうでもいいレベルの会議に出なきゃならないの。。まったく、無駄なプロセスって本当に嫌い」
彼女は小さく肩をすくめる。
「報酬は後日渡すわ。それまで、もう少し“記録者”らしくいてくれると嬉しいわね」
「……あんたは、やっぱり何者なんだ?」
ノアの問いに、リアは淡く笑っただけだった。
「その質問は、あとに取っておいて。私はまだ“あなた”を試している段階なのだから」
通信が切れると、部屋の空気がわずかに緩んだ。
ノアがミラを見やると、彼女は頬を軽く叩きながら笑った。
「……ねぇ、ちょっと気晴らしに、どこか行かない?」
「気晴らし、ね……」
「行ってみたい場所があるの。ザイロスの中でも、上層エリア──“スカイグロウ・ブロック”。摩天楼とネオンの海。富裕層しか近づけないエリアだけど、今なら情報局が混乱してるし、セキュリティも手薄でしょ?」
ノアは一瞬だけ驚いた表情を見せ、次に薄く笑った。
「珍しいな、お前がそんな場所に興味あるなんて」
ミラは照れ臭そうに髪をかき上げた。
「ずっと、鉄と硝煙と孤独の中で生きてきたから……たまには“普通”が見てみたい。きらきらした世界も、夢みたいに眺めたいじゃない」
ノアは立ち上がると、いつものフード付きコートを羽織った。
「よし。たまには、そういう夜も悪くねぇな」
ミラはふわりと笑った。