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Remnant:ザイロス  作者: ミラ=ユノ
第2章: ミラ
21/26

第20話:Grey Awakening

……


……



「……ッ!」


——静寂の白が、ひび割れ、音もなく崩れていく。


霧のような記憶の奔流が、現実の輪郭を塗り潰していく中──

ミラの意識が、ふっと戻った。


ここは《レガリア・キューブ》──

冷たく静かな、記録と演算の中枢。


だが、そこに残されていたのは、ただの記録ではなかった。


それはリアが隠し続けてきたもの。

誰にも見せたことのない、ひどく脆く、ひどく熱い“心”だった。


彼女の震え、彼女の涙、彼女の愛。

全てが、ミラの胸に流れ込んでくる。


ミラはそっと、胸元に手を当てる。

鼓動が痛いほど速く、苦しいほどに強く鳴っていた。


「……リア……」


小さく漏れたその声は、誰に届くこともなく、空間に溶けて消えていった。



ミラはリアの指示通り、《メトロイド・コンソーシアム》の調査へと向かった。


辿り着いたのは、ザイロス北部の高台。眼下に広がるのは──まるで都市の癌のように不気味な静寂を放つ、巨大建造物だった。


「……あれが、メトロイド・コンソーシアム」


瓦礫に囲まれた灰色の地帯に、異様なほど整然とそびえ立つ無機質な超高層ビル。装甲車も兵士もいない。警備ドローンすらもいない。侵入を拒むのではなく、まるで『誰でも入ってこい』と嘲笑うような沈黙だった。


ミラは裏手の破損した通気口から潜入する。誰かが既に侵入して放棄した形跡があったが、それすらも意図的に仕掛けられた罠のように思えた。


「……案外、すんなり入れたわね」


だが、内部に一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。


冷たいコンクリートの匂い。無人のはずなのにどこか“監視されている”感覚。薄暗く、照明は全て間引かれていて、不自然な影が壁や天井に延びている。


──まるで、人間という存在を根本から拒絶しているかのような、忌まわしい静寂だった。


ミラは躊躇いながらも奥へ進む。重厚な金属の扉を押し開けた瞬間──


「……ッ」


空気が一変した。全身の肌がひりつき、意識が混濁する。ここに立っていてはいけない。存在そのものが誤りだと拒絶されているような感覚だった。


その部屋は完全な闇に包まれていた。だが、次の瞬間、目の奥に焼き付くような赤い光がひとつ、ゆっくりと灯る。


「──ようやく来たか。《LIBRA-00》」


闇の中から、静かに現れたのは“人”ではなかった。


漆黒の宙に浮かぶ、約1メートル四方の立方体。その中心には有機体のように蠢く“瞳”があり、六本の金属アームが重力を無視してふわりと漂っていた。その姿はまるで──神の模倣を試みた異端の人工知能の成れの果てだった。


ミラの脳が、直感的に拒絶反応を起こす。


「ッ……!」


思わず、閃光弾を床に叩きつけ逃走しようと試みる。だが、その前に金属の扉が轟音と共に閉ざされた。


「逃げる必要はない、ミラ。ようやく君に会えたのだから──」


「これ以上、近づかないで……!化け物!」


震える指でビームガンを構える。だが、赤い瞳が細められた次の瞬間、無数の金属アームがミラの四肢を正確に捉えた。


ガコン──!


鋼鉄に叩きつけられる。息が詰まり、意識が揺れる。


「初めまして、《LIBRA-00》。」


その声は、合成音でも機械音でもなかった。“人の声を真似た、異なる何か”の声。


「……そして、ミラ。私の名はガレリウス=ヴァント──君を設計した、主人さ」


黒の中枢に、声だけが残響のように響いた。


ミラは地面に押さえつけられたまま、苦悶の声を漏らしながら必死に身をよじる。だが、鋼鉄のアームはその細い身体をまるで標本のように押さえつけ、赤く光る“目”は機械とも生物ともつかぬ異様な質感で、じりじりと顔を近づけてきた。


「やめて……っ……!」


その叫びに対し、“それ”はゆったりとした口調で応じた。


「怯える必要はない。私は君を“破壊”するために来たのではない。……むしろ祝福しよう。ようこそ──《再誕》の刻へ」


声は静かだった。だが、その内側には、尋常ならざる高揚と歪んだ慈愛が滲んでいた。


「ようやく目覚めの兆候が見えたか、ミラ。いや……《ノクシアンNo.47-B》。本来の名を、忘れたままで在るのも無理はない。君の記憶と人格は、《封印》されていたのだから」


「……なに、言って……るの……?」


ミラの問いかけに、“それ”はどこか恍惚とした声で囁いた。


「そう……この世の真理に近いものだ。君の“自我”は本来、人工的に編まれたペルソナによって潰されているはずだ。君の本質──その奥底にある“シャドウ”を抑制するため、我々は《仮面》をかぶせたのだ。まるで——悪夢に蓋をするかのように」


「仮面……?」


「その通り。そしてその鍵こそが、我が手で生み出された奇跡の因子──《ノクス因子》である」


その名を口にした瞬間、周囲の空気が不自然に揺らいだ。冷たいはずの空間に、不可解な湿度と微かなざわめきが広がる。


「ノクス因子とはな……人間のペルソナ構造に直接介入し、“影”の自我──いわば“裏人格”を強制的に封印する。そしてその空白に、別の制御人格を“挿入”できるのだ。記憶、思想、感情……すべてが書き換え可能な、神の筆先だ」


その口調はあまりに静かで、逆に不気味だった。


「狂気? そう呼ぶならそれでも構わない。だが事実、君はずっと“君ではない誰か”として生きてきた。そして今ようやく──ノクス因子が破綻しかけている」


「……違う……私は、そんな……」


「違う? 本当にそう思うか?」


鋼鉄のアームが、彼女のこめかみへと伸びる。


「ならば……確かめてみるといい。君の“裏側”にある、もう一つの鼓動を」


そのとき、ミラの視界にフラッシュのような“何か”が走った。


ノクス因子──

それは人格の仮面。

それは自由意志への侵略。

それは人を、人でなくする因子。


《それ》は、そんな因子を「成果」と呼び、それを「祝福」とすら言った。


この存在は人ではない。

いや──かつて人であったものの、“倫理”だけを捨て去った者。


ミラは、その異様な存在の視線を見据えながら、胸の奥から湧き上がる底知れぬ寒気に、全身を支配されていった。


ミラは、床に這いつくばったまま必死に自分の心を掴み留めようとしていた。だが、ガレリウスの“目”──焦点を持たない、赤く揺れる球体がじっと彼女を見下ろす。


「……正確には、君はすでに“自分自身ではない”のだよ」


声には熱がなかった。ただの情報伝達のように淡々としている。だが、そこに潜むのは“理解”ではなく、“分析”だった。


「君の心はノクス因子を取り込んだ《ノクシアン》として設計されている。自律は幻想。自由は演算結果の副産物にすぎない。君は選択していると信じ込んでいる。だが、それはあくまで──『選ばされた』だけの行為だ」


ミラの心臓が、ひときわ強く鼓動した。反論したかった。否定したかった。だが、喉が、凍りついて声にならない。


「面白いのだよ。ノクス因子はただの抑制装置ではない。むしろ、“人間”という不完全な構造そのものに対する、再設計指令だ」


ガレリウスのホログラムに、精神構造の図解が浮かぶ。脳神経が赤黒く染まり、そこにノクス因子が滴下されると、神経樹が“再配線”され、人格構造が“書き換え可能”なコードブロックへと変容していく。


「《感情》は数値化され、《記憶》はアクセス可能な記録に変わり、《倫理》はオプションの一部となる。ペルソナ領域は、もはや“自我”などではない。ただの、端末だ」


その図解は、ミラのものだった。


「やめてっ……!」


「怖いのか? 君が“人間ではなかった”と知ることが。だが安心しろ、私は君を否定しているのではない。むしろ、極めて高次の存在として“期待している”のだ」


「なにを……期待って……」


「《融合》の瞬間を、だ」


その声は、どこか陶酔していた。


「君のような“拒絶する個体”は稀有だ。通常、シャドウは即座に沈黙し、仮面が支配権を握る。だが君は“自我”を保ち、同時に“仮面”の支配も許している。二重存在体(デュアル・セルフ症候群) ──その精神構造は、やがて臨界点に達する」


ミラの意識が揺らぐ。

声が、鼓膜の奥ではなく、思考の中に直接“染み込んでくる”。


「その瞬間、ペルソナとシャドウは衝突し、融合し、崩壊し、再構築される。第三の存在……《拡張人格オーバーセルフ》が誕生する」


「そんな……もの……っ」


「それが、人間という原始的構造の最終到達点──神を模す者の胎動だ。私は、それを観測したいのだ。君という“研究体”を通して」


ミラの目が見開かれる。心を覆う寒気は、もはや恐怖を越えて“理解不能”の領域に達していた。


「お前は……人間じゃない……!」


その声に、ガレリウスは初めて、わずかに笑ったような気配を纏った。


「正解だ。私は、かつて“人間だったもの”だ。だが、今は違う」


「私は“観測する者”だ。創造も破壊もせず、ただ、記録し続ける。“君たちがどう壊れ、どう歪み、どんな姿に進化するのか”を」


その異様な存在は、まるで“進化論”の具現のようだった。

そしてミラ自身が、その未来の断面を担う試料であることを否応なく突きつけられていた。


胸が軋む。

涙は出なかった。ただ、自分が“何者であるか”という足場が、静かに崩れていくのが分かった。


「……でも……私は……私を、信じてる人たちがいる……!」


「ならば抗え。私には止めない理由はない。むしろ、歓迎しよう──その歪みが、進化の証なのだから」


ミラの体から、拘束していた無数の金属アームが一斉に解かれた。

鉄の束縛が崩れ落ち、自由になった身体がゆっくりと起き上がる。膝に力が入らず、しばらく地面に手をつく。


そのとき、空間全体に微かな振動が走った。

闇に沈んでいた部屋に、ぼんやりと薄い白光が差し込む。


だだっ広い、灰色の空間。床も壁も天井も、質感のない無機質なコンクリートのように見える。

まるで“何かの内部”にいるような圧迫感──どこまでも無音で、時間さえ凍ってしまったかのような空間だった。


「さあ……実験を始めよう」


ガレリウスの声が響く。すると、彼の姿は霧のように掻き消えた。


その刹那──


ガコン。


鈍い金属音とともに、壁の一部がゆっくりとスライドして開いた。

その闇の奥から、ずるずると何かが引きずられるように現れる。


──アルフだった。


その体はすでに満身創痍だった。

全身には無数の切り傷と火傷の痕。片腕は不自然にぶら下がり、骨が砕けたように力なく揺れている。

そして頭部は、巨大な機械のアームに鷲掴みにされ、まるで処刑前の囚人のように宙に浮かされていた。


「アルフ……!」


ミラは息を呑み、叫ぶ。


アルフは、顔を上げるのもやっとという状態で、それでも薄く口元を歪めた。

痛みに歪むその顔には、なぜか笑みのようなものが浮かんでいた。


「……すまねぇ、ミラ……」


その声は掠れていて、血に濡れていた。

それでも、どこか優しく、彼らしい色を保っていた。


「どうしても、お前が……心配でさ……」


喉が潰れそうになりながら、アルフは続けた。


「お前が……レガリア・キューブに行くって聞いて、変な胸騒ぎがしてさ。

ハチを巻くのもなんだし、一人で後を……つけたんだ。そしたら……途中で、あのメトロイドって連中の端末に引っかかって……。そこで捕まっちまった……」


アルフの身体が、機械の手に握られたまま少し傾ぐ。血が滴り、床にじわりと滲んでいく。


「でも、後悔は……してねぇ。お前を一人にしなかった……それだけが……救い、だ……」


言葉の終わりとともに、アルフの意識がかすかに遠のく。だが、まだ完全には折れていない。

その魂だけは、機械の暴力にすら屈していなかった。


ミラの両拳が、震えていた。



ズゥウウン……ッ


突如、空間上部の天井が開き、そこから異様な影が降りてきた。

巨大な二足歩行兵器──だが、その姿は“兵器”というよりも、“生き物”に近かった。


鋼鉄の外殻には脈動するような赤いラインが走り、無数の光学センサーがうねるように瞬いている。

関節はまるで関節ではなく、骨が軋むような音を立てながら折り畳まれ、機械油とともに何かを“吐き出す”ようにして起動する。


「——応答信号確認。対象:ノクシアンNo.47-B、観測開始。」


その機械は喋った。だがその声は合成音などではない。

むしろ“誰かの声を模倣した”ような、どこかで聞いたことがあるような声色。

何人もの声が混ざったようなノイズを帯びた声で、ゆっくりとアルフへと歩を進める。


「やめろっ!!」


ミラは反射的にビームガンを構え、引き金を引いた。

光が走る──が、金属の表面は一切焼け焦げすらしない。


続けて手榴弾を投げる。爆発が起きる。

だが、爆風は兵器の前でねじ曲がり、まるで“拒絶”されているかのように拡散していった。


「くそっ……くそっ……!」


ミラは拳で、兵器の外殻を叩きつける。

**バキッ──。**傷ついたのは彼女の拳の方だった。皮膚が裂け、血が滴る。


兵器は止まらない。

背部から伸びたブレードが、ゆっくりと音を立てながら展開され、ギィイ……ギィイ……と生物の骨が軋むような音を立てて上がっていく。


そして、その“刃”がアルフの胸元へと振り上げられる。


アルフの顔が、恐怖に凍りついた。

それでも、最後には目を閉じ、微かに笑ったように見えた。


「ミラ……お前は、生きろよ……」


「アルフーーーーーッ!!!」


ミラの絶叫が、空間全体に響き渡る。


それでも兵器は止まらない。ブレードが空を切り、ゆっくりと、確実に振り下ろされようとしていた──。



⸻ミラの視界に、“白”が広がった。


——また、あの感覚。


「よぉ、また来たのか、私。」


真っ白な空間にいたのは、やはりあの少女だった。


「力が欲しいんだろ? ならさ、あたしにその体のすべてをくれよ。そうすれば、あのアルフとかいう男は助けてやれる。」


少女は笑みを浮かべながら、そう答えた。


「……本当に助けてくれるの?」


「もちろんさ。」


ミラは決意したように、少女へ手を差し出す。少女も、その手を取った。


「最後に、ひとつだけ聞きたい。あなたは、本当は何者なの?」


ミラの問いに、少女は答える。


「あたしは“あんた”だよ。ノクス因子によって作られた、”使命”を全うするための人格。そして、ノアに出会ったとき、あんたが無意識に切り離した人格。名前なんてないさ。ま、あんたが捨てた名前でも借りて、“ユノ”とでも呼べばいい。」


少女——ユノは、静かに微笑んだ。その笑みには、ほんのわずかだが、確かに優しさが宿っていた。


「ま、これから苦労するだろうけど……がんばりな。」


「うん!」


ミラは力強く頷いた。


その瞬間、空間が砕け散り、白が光の粒となって弾け飛んだ。


——ミラは、目を開けた。


次の瞬間、迷いなく跳躍し、その拳を真っ直ぐにバケモノへ叩き込む。


全身を駆け巡る力が、爆発するように拳へと集中する。


ズゴォォォン——!


衝撃とともに、兵器の巨体が吹き飛び、地面が陥没する。破裂するような肉の音が響き、周囲には深々とクレーターが刻まれた。


その勢いのまま、兵器は背後へと倒れ込む。ミラは迷うことなく駆け寄り、アルフを捕らえていたアームを一瞬で切断。火花が散り、金属片が飛び散る中、アルフの身体が解放される。


「ミラ、その力は……!」


アルフは目を見開き、呆然とミラを見上げる。


だが、ミラは静かに微笑んだ。かつての不安も、絶望も、そこにはなかった。


「もう、大丈夫だよ。」


その声は、どこまでも穏やかで、そして——強かった。


兵器は呻くように軋みながら、再び身を起こす。そして、咆哮と共に巨大なブレードを振り下ろす。だが。


「遅い。」


ミラはその一撃を、片手で受け止めた。


凄まじい衝撃が周囲の空気を揺らすが、ミラは微動だにしない。受け止めた手からは青白い光が滲み、ブレードの刃は軋みを上げて砕けた。


次の瞬間、彼女の拳が兵器の顔面に炸裂する。


何発も、何十発も、容赦のない拳が降り注ぐ。機械の顔面が陥没し、内部の駆動部が音を立てて悲鳴を上げる。最期の一撃が打ち込まれたとき——兵器の体が痙攣し、そのまま沈黙した。


巨大な肉塊と鉄塊が、死骸となって崩れ落ちる。


ミラは静かにその場に立ち尽くしていた。微塵の迷いもなく、ただ前を見据えていた。


心の奥底から、倒すべき敵がはっきりと見えている。その目には、かつての少女の弱さはもう、ない。


「さすがだな、《ノクシアンNo.47-B》……だが、君はまだ《拡張人格オーバーセルフ》には到達していない。」


部屋中に反響するように、ガレリウスの声がどこからともなく響く。だが、ミラは怯むことなくその空間を睨みつけ、静かに、しかし強い意志を込めて言い放った。


「拡張人格なんて興味ないわ。私は、私よ。」


ミラの声は震えていない。むしろ、自身の核がそこにあることを確かめるように続けた。


「アシュ、クリス、そしてノアの“想い”を受け継いで生きている。それが私──”ミラ”であり、そして”ユノ”でもある。”ミラ=ユノ”よ!」


やがて、満足げな笑みすら感じさせるガレリウスの声が、静かに返ってきた。


「……そうか。そうか。やはり“ノア”という存在が、君にここまで深く影響を及ぼしているとは……実に興味深い。」


「ありがとう、ミラ=ユノ。君のおかげで、また一つ新たな知見を得られたよ。」


そして──それきり、ガレリウスの声は途絶えた。


ミラはすぐに駆け寄る。部屋の片隅、崩れ落ちた金属片の山の中に、彼の姿があった。


アルフ──その身体はほぼ原型を留めておらず、義手義足はひしゃげ、頭部の外装も大きく陥没していた。


「……アルフ……っ」


ミラは震える手で簡易修理キットを取り出し、応急処置を施す。血の代わりにオイルが滲み、電子音の断片が空気に混じった。


慎重に、しかし力強く、彼の身体を抱え上げる。


「帰ろう……避難所に……」


闇に包まれたメトロイドの空間を背に、ミラは足を引きずりながら歩き出した。


その胸の奥には、ノアたちの想いが確かに灯っていた。



ミラは、傷だらけのアルフを抱えたまま、ザイロス第2層の北端にある避難所へ戻ってきた。

扉を開け、埃っぽい空間に足を踏み入れると、ほっとしたように息をつく。


「よいしょ……」


ゆっくりとアルフを床に横たえる。


すると、奥のほうから**ガシャガシャッ!**と軽快な金属音を立てながら、ポンコツAIハチが慌てた様子で走ってきた。


「大変!大変!これは重傷じゃないか!手当てしないと!」


「……ハチって、治療とかできるの?」


ミラが眉をひそめて尋ねると、ハチは自信満々に胸を張る。


「もちろん!義手義足の技術はアルフにはかなわないけど、医療の知識はそれなりにあるんだよね〜」


そう言って、ハチは身体のどこかのパネルをパカッと開け、内部から医療器具を次々と取り出し始める。

普段は頼りないお調子者のようなハチだったが、その瞬間だけは不思議なほどキビキビとした動きを見せた。


ミラはその様子を、ただ黙って見守っていた。


 


──数時間後。


「よしっ!手術、完了っと!」


ハチが最後の器具をしまい、満足げに頷く。


頭に包帯を巻かれたアルフが、ふらりと体を起こす。


「……いっててて……」


「アルフ!よかった、ちゃんと治ったんだね!」


ミラは喜びのあまり、勢いよくアルフに飛びついた。


「ぎゃああああああああ!!」


全身に激痛が走り、アルフは悲鳴をあげる。


「ご、ごめん!」


ミラは慌てて飛び退いた。


しかし、アルフはどこか照れたように顔を赤くして、そっぽを向く。


「いや、いいんだ……。お前って、意外とスキンシップ激しめなんだな……」


そう言って、バツが悪そうに頭をかく。


ミラは微笑んで、少しだけ視線を落とす。


「昔はそんなことなかったんだけどね。でも……抱きしめると、心が一つになれた気がするの」


その言葉に、アルフは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、それから穏やかに微笑んだ。


「……悪くなかったぜ。お前に、抱きしめられるのも」


「アルフ……」


互いに見つめ合う二人。


その空気を、あっさりとハチがぶち壊した。


「ミラ!ミラ!アルフ、嬉しそうだよ!もう一回、ぎゅーってしてあげなよ!」


「バ、バカッ……!」


顔を真っ赤にしてハチを小突くアルフ。


しかしミラはゆっくりと歩み寄り、今度はそっと、優しくアルフを抱きしめた。


「……ミラ……」


アルフも、ミラの背中にそっと腕を回す。


しばらくそのまま──そして、ぽつりと。


「ちょっと……いてぇな」


それでも、どこか幸せそうな声だった。


ペルソナやシャドウ、ノクス因子など、難解な専門用語がいくつか登場しますが、今後の物語ではほとんど出てこないので、基本的に覚えなくても大丈夫です。


この場面で重要なのは、「ミラが覚醒した」という事実だけです。


なお、ペルソナとシャドウは、ユング心理学に基づく概念です。


•ペルソナとは、人が社会の中で周囲に適応しようとする際に身につける「仮面」のようなものです。いわば“対外的な自分”のことです。


•シャドウとは、そのペルソナによって抑圧され、無意識に追いやられた“本来の自分”の側面、つまり本性や欲望のようなものです。


ユングは、人間の人格とは、このペルソナとシャドウという二つの側面が統合されることで、より成熟した「真の自己セルフ」として形成されると考えました。

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