第10話:Night Ash
ザイロス北部、かつて工業区域として使われていた崩壊した配送倉庫群の一角。
その廃墟を拠点としていたライブラ・ヘイヴンの簡易基地では、今夜だけの例外的な“饗宴”が開かれていた。
鉄骨むき出しの柱にスピーカーが取り付けられ、音楽が流れている。シンセドラムの軽快なリズムに合わせて、レジスタンスの兵士たちが瓶を掲げ、喉を鳴らしながらどんちゃん騒ぎをしていた。
「おい! ミラ嬢にビール持ってけーッ! 飲め飲め!」
「おい誰か! ドローンの頭を焼き網にすんなバカ、煙が目にしみる!」
「へっへっへ、今日こそあたしの“量産型モーションダンス”見せてやらァ!」
焚き火の周囲では、即席の鉄板で合成肉が焼かれ、甘く焦げた匂いが立ち上る。音楽と笑い声、酒の匂い、そしてありったけの“生”の実感が、夜空に満ちていた。
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ミラは兵士たちに連れられて中央に座り、両手に怪しげな紫色のボトルを持たされていた。
「ね、ねえこれ本当に飲んで大丈夫なの……?」
「安心しろって! それ、ザイロスの《ラストシャン》って伝説の酒だから! 記憶が5分間くらい飛ぶだけだ!」
「よくねぇーッ!」
とクリスが割り込んできて即座にボトルをひったくった。
「こいつら、俺がいないとすぐこれだ……!」
「へーへー、保護者お疲れ様でーす!」
「ガキ共じゃねぇんだぞッ!」
「うわっ、怒った怒った!」
アンナは片手にスパイス焼きを持ったまま飛び跳ねて回避し、笑いながら兵士たちと追いかけっこをしていた。
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その中心で、レイヴン=カーライルはやや離れた位置に立ち、腰に手を当てながら小さく笑っていた。
「……生きてる実感ってやつは、案外こういう時にしか湧かないもんだな」
「こんな夜が、もっと……あればいいのにね」
と、隣に立つノアが呟いた。
「だが、夢は見るから意味がある。叶った瞬間に、それは夢ではなくなる」
レイヴンはそう静かに告げ、背後で酒を被って踊る部下たちを一瞥した。
「奴らはね。もう長くないってわかってる。けど、それでも笑えるうちは……私は、あいつらを指揮するよ」
ノアは、彼女の背に確かな覚悟を見た。
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ミラは少し離れた場所で、火を見つめているアシュのもとへ近づいた。
「……賑やかだね。こんなの、久しぶり」
「ああ……」
アシュの返事は短かった。焚き火の明かりが、その目にわずかに陰を落とす。
「嫌い?」
「いや、そうじゃない……。ただ、俺は……この騒がしさに、ちゃんとついていけてるのか、自信がないんだ」
「でも、アシュがいなかったら、今ここにみんなはいないよ」
ミラはそう言って、そっとアシュの横に腰を下ろした。
焚き火の火花がぱちぱちと弾け、音楽と笑い声が夜を満たす。
アシュは、しばらく黙ってその音に耳を傾けたのち、ぽつりと呟いた。
「……守りたいものが、またひとつ増えた。それが、少し怖いんだよ」
その言葉は、ミラの心に静かに沈んだ。
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その夜、アシュとミラは倉庫屋上に上がり、二人きりで夜風に吹かれていた。
「ミラ。俺の妹……名前は“リサ”って言った。あの子がいた頃のこと、最近よく夢に見るんだ」
「夢?」
「火の中で、助けようとしても手が届かない。叫んでも声が出ない。……何度も、何度も見る」
アシュはそっとミラの手を取った。
「ミラ、お前がそばにいてくれてよかった。お前を見てると、また“守れる”気がするんだ。二度と……失わなくていい気がする」
ミラは戸惑った表情を浮かべながらも、アシュの手を握り返した。
「ありがとう。でも……私はリサさんじゃない。私は、私だよ」
アシュは静かに笑った。だがその目は、どこか“現実”から離れつつあった。
⸻翌朝。
簡易拠点の中心部、昨日まで兵士たちの笑い声が響いていた広場に、今は全員が整列し、静かにひとりの男の言葉を待っていた。
ノアは、その中央に立つ。
風が吹き抜け、朝霧がうっすらと地面を覆っていた。
空はまだ完全に明けきらず、戦火にくすんだ空のように鈍く灰色がかっている。
ノアはゆっくりと前を見渡す。
アシュ、ミラ、アンナ、クリス。
そして、ライブラ・ヘイヴンの兵士たち。
かつてはバラバラだった意志が、今ここに一つに集まっていた。
ノアは一度、深く息を吸い、そして言った。
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「……昨日、俺たちはようやく“人類の敵”の正体に辿り着いた」
声が、静かに広がる。
「それは、AIでもなければ、どこかの国家でもない。《終末を許容したこの世界》そのものだ」
兵士たちの目が光る。
「俺たちはただ戦ってきたわけじゃない。奪われ、壊され、忘れられた世界の中で、“選ばれなかった者”として、必死に足掻いてきた!」
拳を握る。
「けどな――俺は、もう終わらせたい。
ザイロスの闇も、USIの支配も、アンゲルスが示す絶望の未来も。全部、終わらせたいんだ!」
その声に、一人、また一人と背筋が伸びていく。
「俺たちには、武器がある。力がある。……そして、過去も痛みも、全部抱えた“今”がある!」
ノアは一歩、前に出る。
「だが一番強いのは、“選ばれなかった俺たち”が、“選ぶ側”に立つってことだ!」
──沈黙。
次の瞬間、ノアは叫ぶように言った。
「俺たちが選ぶんだ! 何を壊すかじゃない、何を残すかを!!」
「ザイロスを守る。
ミラを、アシュを、アンナを、クリスを、レイヴンたちを、
――この世界の最後の命を、俺たちが繋いでみせる!」
声が、天に届くかのように響き渡った。
「次の戦場は、USIの中枢だ!
あの冷たい鉄の心臓を、この手で止めにいく!」
「最終決戦だ!! 全員、生きて帰ろう!!」
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その瞬間、沈黙していた兵士たちから、爆発のような歓声が上がった。
「ウォォォォーーーッ!!」
「ザイロスの意地、見せてやろうぜェェ!!」
「選ばれなかった者たちの、反逆だぁぁッ!!」
「ノアぁぁーーーッ!! 行くぞぉぉ!!」
ミラは静かに目を細め、ノアを見つめた。
「……あんた、ほんとに変わったね」
ノアは小さく笑った。
「変わったんじゃない。……思い出しただけだ。
この世界が、本当はこんなにも、愛おしかったってことを」
ノアの熱に満ちた声が空に消え、全員の士気が最高潮に達した。
その喧騒の片隅――
ひとり、輪から外れた場所で静かに拳を握り締めていた男がいた。
アシュ・レインフォール。
歓声に包まれる仲間たちとは裏腹に、その表情はどこか陰っている。
高ぶる感情に追いつけないように、いや……別の感情が、心の奥からこみ上げているように。
「……全部、繋ぐ……か」
彼は小さく呟いた。
その瞳は、戦意でも期待でもない、別の何か⸻かすかな葛藤に揺れていた。
隣に立っていたミラが、ふと彼の異変に気づく。
「アシュ? 大丈夫……?」
その声に、アシュは瞬間的に笑顔を作る。
「……ああ、もちろん。行こうぜ、ミラ。終わらせに行こう。すべてをな」
だが、笑ったはずのその目は、どこか空虚だった。
握りしめた右手が、微かに震えていたことに気づいた者は、まだいなかった。
──心の奥底で疼くもの。
「妹が死んだ時も、こんな騒ぎのあとだったな……」
誰にも届かない声が、風に紛れて消えていった。
──夜。
拠点に静寂が戻るころ、かすかな風が瓦礫の隙間を抜けていった。
残された焚き火は赤々と燃え、黒煙を空に吐き出している。
ノアは空を見上げていた。
あの星空の向こうに、アンゲルスはいる。
そして、ゼータユグドは……今もこの世界の全てを観測している。
(本当に止められるのか……あの“未来”を)
ふと、遠くで誰かの足音がした。
振り向くと、そこにはミラの姿があった。
だがその表情には、いつものような無邪気さはない。
「ノア、さっき……アシュ、ちょっと様子が変だった」
「変、って?」
「うまく言えない。でも……あの人、泣きそうな顔してた。誰にも見られないように、すごく……遠くを見てた」
ノアは眉をひそめた。
あれだけ戦場を共にした仲間。それでも、アシュの過去には、いまだ触れられていない闇があった。
「……明日から、本当に危険な場所に行く。USIの中枢だ。俺たち全員……どこか壊れてもおかしくない」
ミラは黙って頷いた。
その沈黙を切り裂くように、拠点の通信機が点滅した。
レイヴンの部隊からの暗号通信。
内容はひとつ──
《USI中枢突入作戦、開始準備整う》
ノアは静かに目を閉じた。
「……行こう、ミラ。“運命”に抗いに」
そして誰も知らなかった。
このときすでに、彼らのうちの誰かが、“運命”そのものになりつつあったことを――




