第9話:Iron Descent
ゼロベイ最深部、脱出口まであとわずかというそのとき、ノアとミラは瓦礫の隙間から閃光を見た。
「……まだ戦ってる?」
彼らはカプセル群を駆け抜け、再び”棺の間”へと飛び込んだ。そこでは、アシュ、クリス、アンナの三人が、次々に現れるコード・アンゲルスと強化ドローンの群れに包囲され、持ちこたえていた。
「間に合ったな!」
ノアは銃型データインジェクターを起動、跳びかかってくる機械兵の装甲に撃ち込む。内部回路が焼き切れ、コード・アンゲルスの一体が仰向けに倒れた。
「ミラ、右を頼む!」
「了解ッ!」
EMPブレードが煌めき、ミラの動きが敵を切り裂いていく。
しかし、敵は止まらなかった。ハードギア社が誇る最新兵器。倒しても、倒しても、通信網を通じてすぐに別の個体が送り込まれてくる。
「……限界が近いな」
アシュが息を荒くし、ついにその膝を床に落とした。彼の背中で警告灯が点滅し、内部義肢の冷却ユニットが悲鳴のような音を立てていた。
「……そろそろ、退くか……」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、周囲に金属が軋むような音が響き渡った。
バンッ。バンッ──。
連鎖的に閉鎖されていく鋼鉄の扉。
赤い非常灯が点滅し、退路を塞ぐように光の鎖が走る。
「……閉じ込められた……?」
ノアが顔を上げた刹那、天井パネルが機械的な音と共に開いた。
瞬間、青白いホログラムが宙に浮かび上がる。光子の束が再構成され、一人の青年の姿が現れた。
白銀のコートに身を包み、完璧なまでに整った顔。無機質に整えられた黒曜の瞳は、生身の温度を一切感じさせなかった。
そして、その唇がゆっくりと、機械じみた曲線で笑みを刻んだ。
「君たちを、見定めさせてもらうよ」
声は静かだった。だが、その抑揚のない調子には、理性の裏に潜む何か冷たい“意図”がにじんでいた。
ノアの表情が凍りついた。
──あの男。スカイグロウ・ブロックの展望台で、写真を撮ってくれたただの青年のはずが……。
「……お前は……!」
ホログラムの青年が、まるで舞台俳優のように軽やかに一歩、前へと足を出す。ホログラムであるにもかかわらず、その動きには異常なまでの重みと実存感があった。
「僕の名前は、イーサン=ヴァレンティン。USIの総統──そして、《A.N.G.E.L.U.S》、《人類選別兵器計画》の創造者」
声が場内のマイクネットを通じて響いた瞬間、すべての空気が凍りついた。
「ようやくここまで辿り着いたね。君たちは確かに力を持っている。それは否定しない。だが──その力が、“未来を導くに足る意思”かどうかは、まだ確証が持てない」
ホログラムのイーサンは、まるで儀式の合図のように右手を上げ、指を鳴らした。
キンッ。
その音と同時に、天井の装甲が裂け、内部に仕込まれていた兵器群が降下を開始した。コード・アンゲルス。量産型ドローン。
そして、無機質な関節音を鳴らして降りてくる、新型の四脚戦術機兵。
それは軍事工学の悪夢が具現化したような光景だった。殺意が数値化され、プログラムに変換され、精密に投下されてくる。
「──試験を開始しよう。君たちの“選別に値する意思”を、確かめさせてもらう」
ホログラムは微動だにせず、ただその場で、ゆっくりと目を細める。
その表情には、期待でも怒りでもなく──
“確率の検証を見守る科学者”のような、冷酷な観察者の視線だけが宿っていた。
次の瞬間、前線が崩れた。
クリスの盾が過熱により分子単位で断裂し、装備が閃光とともに崩壊する。
アンナが背後から襲いかかったドローンの鋭利な腕に肩を裂かれ、悲鳴を上げた。
「くっ……どこまで……来るのよ……っ!」
ミラの剣の動きにも、明らかに鈍さが見えていた。
EMPブレードは閃光を放ち続けているが、起動時間は既に警戒域を超えている。
ノアもまた、肩口から流れる血を振り払うように銃を構え続けていた。
センサーは錯乱し、狙撃支援アルゴリズムが何度も再起動を繰り返す。
足取りは重く、思考はノイズまみれだった。
それでも──彼らは、戦場に立ち続ける。
だが、上空にただ浮かぶ“観測者”のようなイーサンのホログラムは、まるで別世界の存在のように、それを静かに見下ろしていた。
──これは、意思の選別だ。
そして、その“意思”に値しないものは、容赦なく排除される。
それが、USIの理想。人類選別兵器計画の本質。
そして、イーサン=ヴァレンティンという男が持つ、絶望的なまでの“確信”だった。
──
爆発音、火線、悲鳴。
金属の焼け焦げた臭いが鼻を刺し、視界は硝煙と塵で曇っていた。
「……もう、どれだけやった……?」
ミラの呼吸が乱れ、髪に焼けた鉄片が絡まっている。EMPブレードの光が弱々しく明滅していた。何体目のコード・アンゲルスを斬ったのか、もはや記憶にない。切っても、壊しても、間断なく再起動した個体が次の波として押し寄せてくる。
ノアもまた、腕から油と血を混ぜたような液を垂らしながら、背中の壁に体重を預けるようにして銃を構えた。データインジェクターの回路は熱を持ちすぎて、握るたびに火傷しそうだった。
「四時間以上は経ってる……ここだけで」
アシュが低く呟いた。声はかすれ、喉から出ているのがやっとだった。バッテリーセルを使い切ったライフルが床に転がっている。既に五丁は潰した。今、彼の手にあるのは敵から奪った強化型パルスガン。だが、それも発射ごとに筐体が軋んでいた。
「……マニューバパターン、同じのが増えてきてる。AIの再計算時間に限界が見えてきたかもな……」
クリスが咳き込みながら報告した。彼の左の前腕は焼けただれ、装甲義肢の内部機構が露出していた。盾はすでに熔断し、腰に括り付けたドローン端末で応急対応を続けている。
「予備電源も底よ……制御ターミナルがハッキングされてる以上、支援はもう──」
「──ッ来るッ!」
アンナの叫びと同時に、天井からまた一体、四脚機兵が降下してきた。甲高い警告音と共に、白熱するレーザーラインが床を抉る。
ノアはとっさにミラを引き寄せ、柱の陰に身を隠した。壁が爆ぜ、振動で床がひび割れる。
「ッ……くそっ……! こんなの、何波目だよ……!」
「正確なカウントは──もう無意味だな」
アシュが呻く。彼の背中に溶接されたように貼りついた医療用バイオパッチから、煙があがっていた。
「体内インプラントが……オーバーヒートしてきてる……」
「ノア……もう、私たち、限界──」
ミラの手が震えていた。血と汗に濡れたその指先は、剣を握るたびに軋むような音を立てている。
ノアは、どこか遠くを見つめるような目で、なお銃を構え続けた。光学照準のインジケーターは、すでに正確な捕捉を諦めていた。ドローンの熱源が増えすぎ、センサーの処理が追いつかなくなっている。
「でも……まだ、倒れられねぇだろ……」
「ッ……!」
「俺たちは、あのホログラム野郎に“見定められてる”最中だ……だったら、最後まで……立ってなきゃなんねぇんだよ!」
その声に、ミラも、アシュも、クリスも、アンナも、最後の気力をかき集めるように顔を上げた。
──世界が壊れていく音がする。
けれど、まだ踏みとどまっている。まだ、折れていない。
しかし、その綱は、もはや一本の髪の毛ほどの細さだった。
──その瞬間だった。
施設南側の分厚い壁が、爆風と共に内側から爆ぜ飛んだ。鋼鉄が折れ、コンクリートが粉砕され、煙と熱風が戦場をかき乱す。
一瞬、敵味方の動きが止まった。誰もが、次に現れる脅威に身構えた。
だが──そこから現れたのは、漆黒の戦術装甲に身を包んだ部隊だった。反射する機械光の中で、彼らの装甲はどこか無骨で、しかし確実に鍛え抜かれた強者の歩みを刻んでいた。
その先頭──黒髪をなびかせ、真紅のスコープアイを備えた仮面を額に上げた女性が、わずかに顎を引く。
「ライブラ・ヘイヴン。元最高指揮官、レイヴン・カーライルだ」
その声は凍てつくように冷たく、それでいて信頼という名の温度を孕んでいた。
「……!」
ノアの瞳が見開く。
ミラも、息を呑んで言葉を失った。
その姿は──まさに“戦場そのもの”だった。
状況を読み、死線を超え、指揮し、突破する者。
戦術が人の形を取ったなら、それは間違いなくこの女だ。
「援護に入る! 全部隊、EX-REAPERフォーメーション──敵包囲網を撃ち砕け!」
レイヴンの一声が戦場に走ると同時に、彼女に従う兵たちが迷いなく突入した。無駄な動きの一切ない連携。パルス弾が精密に敵の急所を撃ち抜き、コード・アンゲルスたちの編成を一瞬で崩壊させる。
──それは圧倒的だった。
あれほど絶望的だった戦場が、まるで切り裂かれるように風向きを変えていく。
背後から響いた機械音の乱れに、ノアははっと息を呑んだ。
崩れかけていた仲間たちの視線にも、わずかながら光が戻っていく。
「……生きてる……まだ、生きられる……!」
その言葉は誰のものでもなかったが、戦場のすべてが、それに応えていた。
そして──その中央、浮かび続けていたホログラムのイーサンが、どこか興味深げに口元を吊り上げた。
「なるほど……これは想定外だな。やはり、“答え”は一つじゃないらしい」
彼の姿は、淡い光となって空間に散っていく。
──戦場に、静寂が戻る。
ミラは崩れかけた膝をようやく支え、ゆっくりとレイヴンに近づいた。
「どうして……あなたがここに?」
レイヴンはその問いに、あくまで淡々と答えた。
「お前たちがハードギア社に向かっていると聞いた。なら──行くしかなかった。私はもう組織に属していない。だが、まだ……守りたいものがある。まだ、戦い続ける理由がある」
その瞳に宿るものは、使命ではない。
怒りでもない。ただ、静かで深い“覚悟”だった。
ノアは拳を握りしめる。
全身が痛む。銃も、神経も限界だ。
だが──その横に、まだ立つ者がいる。
(この力が……この仲間たちがいれば──)
──きっと、抗える。アンゲルスにも、USIにも。
そう、まだ──終わらせないための、道がある。
静かに立ち上がるノアの目に、もはや迷いはなかった。




