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名前のない彼女たち

作者: 江藤ぴりか

 あの子には名前がなかった。

 でも、私たちはいつも彼女を呼んでいた。


 最初の出会いは、もう何年前だろう。

 深夜の匿名掲示板、スクロール手が止まったのは、たった一枚のイラスト。線が荒くて、配色も……正直に言うと、微妙だった。でも、どうしようもなく、目が離せない。

「誰?」というレスに、「わかんない。なんか見たことある気がする」と誰かが返していた。


 私もそう思った。どこかで見たことがある気がする。小豆色の髪は軽くウェーブしていて、軽やかな印象を受けた。そして、うぐいす色の瞳が暗めの髪に映えていた。

 アニメでも漫画でもない。でもどこか「懐かしい」気がするって、なんだろう。


 それから私は、あの子を描くようになった。目元を少し柔らかくして、髪を長くして、たぶん、私の中の理想みたいな何かが混ざっていた。

 いつしか「それ、あのキャラだよね」と言われるようになったけど、出典を聞かれても答えられない。


 あの子に名前がないのは、誰のものでもなかったからだ。

 私たちの中だけにいる。アキさんも、ナナセさんも、ユリも、それぞれ違う『あの子』を演じていたけど、不思議と分かりあえた。

 だって、あの子のことが、みんな好きだったから。



 きっかけは、あの子を描き始めて一年後の同人イベントだった。それまでは、ウェブ上の、二次イラストコミュニティでひっそりと活動していた。

 はじめの出会いはナナセさんだった。『#原作不明』『#女の子』このハッシュタグから、知り合った考察厨の字書きさん。彼女から挿絵の依頼があり、サークルを立ち上げた。

 一枚のイラストから性格や、口調、癖まで丁寧に言葉にしている。『彼女』を軸に繰り広げられる小説は、まるで生きているかのよう。『彼女』は作品の中で、この世に存在していた。


 とある深夜に、通話アプリでナナセさんは言っていた。

「なんか、あのイラストを見てると、インスピレーションが湧いたんだよね」

 私は大学のレポートもそぞろに、ナナセさんの小説の挿絵を描き、共有している。

「わかる。私もあのイラストから、絵描きを復活したもん」

「ミオも? あ、そこの『彼女』は驚いた表情にできる?」

「あいよー。こんな感じでどう?」


 ナナセさんは長い黒髪を編み込み、イベントに現れた。

「ミオ、おまたせ。設営、お願いしてごめんね」

「いいよ。頒布の本の搬入、任せてるちゃったし、これくらいさせてよ」

 搬入した本を丁寧に並べ、スマホで写真を撮る。ナナセさんと写真の共有した後、SNSに投稿した。

『二次頒布即売会、C111でお待ちしてます! #原作不明』

「はじめてオフラインでの参加なの。いつもはオンライン通販してるから、緊張してきたぁ」

 ナナセさんの切れ長の目がグッと閉じる。クールなお嬢様の崩れた表情に、私はドキドキした。

「私も。見てくれるかな? 売れなくても手に取ってくれるだけで、嬉しいかも」


 会場に一般参加者たちがなだれ込む。室温と湿度が一気に上がった気がする。熱気と勢いに圧倒され、私たちは椅子の上で緊張していた。

 ブースの前を何人もの人が通り過ぎる。何人かは立ち止まり、本をパラパラめくって戻した。その度に一喜一憂するも、会場の空気を同士たちで共有する空間が、最高だった。

 遠くから目立つ容姿の女の子が、こちらにまっすぐ向かってくる。周りの男性は色めき立っていた。なになに? という間もなく、美人さんが私たちの頒布本を買う。

「……あの、ピクから来ました。ええと、ミオさんのイラスト、めっちゃ好きです! それにナナセさんの小説も!」

 ピクというのは二次イラストコミュニティのサイト名だ。よく見ると『あの子』のコスプレをしている。他の作品に比べると服装や髪型が地味だが、それが特徴を捉えているとも言える。

「わわ、ありがとうございます! あの、それって『あの子』のコスプレですよね? 現実にいるー! すごいです!」

 お釣りと頒布本を、手持ちのカバンにしまいながら美人さんが、顔を真っ赤にしている。

「わたし、社会人で! えっと、現実から逃げるためにコスプレしてて。あ、名刺あるんで、受け取ってください!」

「アキ」と書かれたお手製の名刺はファンシーなデザインだった。

「名刺はないので簡単ですが、私はナナセ。こっちはミオ。『あの子』のコスプレって珍しいですよね。しかも原作そのままの姿でとか、リスペクト感じます!」

 アキさんは頬に両手を当て、恥ずかしそうにしている。

「うう、わかってくださるとは……! さすがです!」

 挙動不審に立ち去ろうとするのを止めて、ノベルティのしおりを二枚渡すと、全力で何度もお辞儀をしてくれた。



「アキさんの原作再現度、ヤバない?」

「ねー。まさか『あの子』が現実におわすとは」

「……ぷっ。今のめっちゃオタクっぽーい」

「いやぁ、だってだって! 人類はこうなるって! ナナセさんにはわからんでしょうけど」

「はいはい。ほんじゃま、イベントお疲れ会するよ。乾杯!」

「ウェーイ!」

「今度はパリピ!」

「大学生なんで」


 お疲れ会は二人で焼肉だ。頒布本の売れ行きは芳しくなかったけど、あの会場の空気感や、アキさんと話せただけで満足。

 私たちのアカウントのDMにアキさんから連絡があったのに気づいたのは、帰路につく途中だった。


『さっそく読みました! あの子が公園で子どもと会話するシーン、目に浮かぶようでした。それに、オリキャラのイケメンに迫られるシーンの挿絵、あの驚いた表情にキュンキュンしました! これからも二人を応援しています。あと、友達のVになる予定の子も渡しておいたんで、その子からDM来るかもしれません』


 初めてのサークル参加に、私たちだけじゃない同じ『好き』を共有できた喜び。DMはスクショして額縁に飾りたいほど、私は歓喜した。

 ノベルティのしおりは私の描いた『あの子』のミニキャラ。きっと、二人に届いているだろう。私は頒布本『心のどこかで』のページに挟んで、枕元に置いた。


『ありがとうございます! アキさんのコスプレも、原作再現度エグくてヤバかったです! あの挿絵は通話しながら描いたので、ナナセさんのこだわりも入ってます(笑)いつからあの子のコスプレを始めたんですか?』


 もう夜も遅い。返信は明日だろう。月曜という日常に戻るのは惜しい気もするけど、まぶたが重い。アラームを確認して、握ったままのスマホを横に睡魔に溺れた。



『ミオさん、はじめまして。Vになる予定のユリっていいます。アキに買いに行ってもらった頒布本、読みました。めっちゃ良かったです! 実は一ヶ月後に、あの子をモチーフにしたVチューバーとして活動する予定なんです。よかったら、今後も連絡とっても大丈夫ですか?』


 ブイチューバー? 確かイラストの立ち絵で動画配信する人たちのことだ。切り抜きなんかは見るけど、ちゃんとは見てないなぁ。などと、起き抜けでぼーっとした頭で考える。でも、『あの子』のVか。それなら興味はあるかも。

「ユリさん、か。一ヶ月後、楽しみだなぁ」

 原作から広がる人の輪に、胸が高鳴った。原作……あのイラストは何年前だっけ。『彼女』を見つけたのは一年前だけど、たしかログは十年前だった。まとめサイトに載っていて、見た瞬間、衝撃が走ったんだ。

 ナナセさんは、ユリさんのDM来てるのかな? あとで聞いてみよう。


 ナナセさんから先に連絡が来ていた。

『ミオ、アキさんの写真みた? アカウント見たら、あの子のコス写多めで癒されたわ。そうそう、ユリさんって人からそっちも連絡来てた? Vチューバーって今、人気のやつだよね。それでなりきるために私の小説から着想得てもいいかって来てたよ』


『アキさんのアカはまだ見てないよー。大学とバイト終わってから見てみる。今日、生きる糧が出来たわ(笑)ユリさんからの連絡も来てたよ。そっちには、許諾の連絡だったんだね。受諾、するんだよね? こっちは連絡取り続けてもいいかの連絡だった。この後、返信する予定。夜、空いてる? 個通しよ』


 教授の声が教室内に響く。ノーパソのタイピング音と、シャーペンを走らせる音が間を埋める。時折、スマホのシャッター音も。私は手元のノートに目をやった。やばい、ナナセさんとのやりとりに夢中で、講義の内容を書きとってない。隣の子に書き写しさせてもらおう。

 小レポートは内容のない感想文になってしまった。最近、ちょっと身が入ってないと指摘されたばかりなのに、これでは単位が取れないかも。反省は明日の私に任せて、バ先に向かった。



「つーかーれーたー」

 外はすっかり、夜だった。

 SNSでアキさんのアカウントを開く。目に飛び込んできたのは『あの子』が日常の風景に溶け込む写真。現実にいそうなキャラだからこそ出来るコス写真だった。

 かく言う私も茶髪だけどゆるふわパーマで『あの子』の概念コスっぽくしている。カラコンまでする勇気はないけど、服屋に行った時は『彼女』の似合う服を見つけては、試着してみたりしている。


 イベントでナナセさんにも言われるくらいには似ていた。

「今度、ショッピングする話でも作っちゃおうかな」

 そう言われて気恥かしい気持ちと嬉しさが混ざっていた。女の子ならありえるシチュエーションだけど、作品にされると私が混じりそうで……。


 スマホの未読通知をタップする。

『個通? いいよ。こっちもバイトは夜には終わるから』

 新作小説の脱稿まで、ほとんど毎日通話していたので繋がってないと不安になっていた。ナナセさんの声は落ち着いた雰囲気で、聞いていると眠たくなって寝落ちしてしまうほどだった。そんな癒し声に寄り添われたかったのかもしれない。


 アプリの通話ボタンをタップする。数コールの内にナナセさんは出てくれた。

「ミオ、今日もお疲れ様。このあいだ言ってたショッピング回のプロット、ちょっと見てくれる?」

「ナナセさんもお疲れ様。いいよ、画面共有とファイルの送信、お願い」


 長くて短い夜は今日も始まった。新作のプロットは日常回で、「山なし落ちなし意味なし」という二次創作ではありがちなキャラの掘り下げ回だった。私は『あの子』ならここでこんな風に思うとか、運命の一着に出会った時にこんな表情をするとか、妄想が止まらない。

 ナナセさんも考察厨なだけあって、私の意見をメモってくれていた。解釈違いがあっても、納得のいく文章にしてくれる。彼女の字書きとしての才能を感じた。

 ナナセさんのマイク越しにタイピング音が漏れていた。温もりのある声とタイピング音。私のまぶたは重い。

「ん? もう深夜三時じゃん。この辺で切り上げよっか。ミオ? ミーオー?」

 午前休だから夜更かししても、大丈夫……。口が回らない。

「ちゃんとお布団で寝なさい! また寝落ちしたら、ダメだからね」

 お母さんかとツッコミたかったけど、なんとか返事をしてベットにダイブした。水の中に沈むように、意識が私から離れていった。



 夢の中で『あの子』と私は友達だった。出会ったときからこうして次元を越えてアイに来てくれる。

「――ちゃん、これ着てみてよ」

 私の持っていたハンガーを手に、『彼女』が笑う。

「えー、ミオちゃんの方が似合いそう。そうだ、一緒に着てみよ? 店員さーん、コレ試着してみていいですか?」

 スタイルのいい店員さんが試着室に案内してくれた。私たちは隣同士で入る。


「じゃーん! どうかな?」

「やっぱり、――ちゃんに似合う! 私は……どうかな?」

 オフショルダーなんて、ガラじゃない。でも、心配は彼女の反応で明らかだった。

「なんか、ヘルシーでいいね! これ、買っちゃおうよ。それでさ、今度の遊びの時、着て双子コーデしようよ!」

 店員さんも「いいですね、すごく可愛くてお似合いです」なんて言ってくれて、私は有頂天になった。


 おそろいのショッピングバッグには、おそろいの服。ふわふわの髪を揺らす、二人の影は本当の双子みたいだった。



 雀が元気に鳴いている。耳障りに聞こえたのは、『あの子』との逢瀬を邪魔されたからだろうか。

 ……違う、一限があるからだ。私のスマホには誰かから連絡が来ていたみたい。それは置いといて、バタバタと朝の支度を始める。

 電車の中でアキさんの写真に癒されたり、ナナセさんと彼女でグループ通話したり、私の日常は充実していた。こんなにも幸せな日々に出会えたのは、『あの子』のおかげ。

 大学生活に不安を感じていたけど、こんなにも楽しいんだね。



 大学、バイト、夜の通話。そんな日々を過ごしていたら、一ヶ月が過ぎた。

 小さなカフェでレポートの作成をしていると、ユリさんから連絡が来た。

『ついに、ついに、Vチューバーとして今夜、デビューします! アーカイブも残すので、ぜひ見てくださーい!』

 テンション高めの文章に、思わず吹き出してしまった。

『やったね! 忙しかった甲斐があったね! 今度、グル通できそう? 時間出来たらしよ』


 今夜十八時、この時間はバイトだ。色々していたら二十三時になりそう。みんなもそのくらいに集まれるから、アーカイブ視聴会を開こうかな。ユリさんに追加で、提案のメッセを送った。

『リアタイ出来なさそうなので、二十三時ごろにアーカイブ視聴会しようと思います。一応、グルチャの方にも送っときますので、よければ』


『みんな知ってると思うけど、ユリさんが十八時にVチューバーデビューするんだって。リアタイ出来ないから今夜、二十三時にアーカイブ視聴会しよう!』


 OKのスタンプが二人から来た。ユリさんは、きっと悩んでいるのかも。自分の動画見るって、勇気いりそう。高校の時に撮ったショート動画なんて、再生できなかったもの。

「軽率な提案だったかなぁ。やっちゃったかも、私」

 ため息が出た。こんな時、『あの子』ならどうするのかな。謝る? 気にしないで前に進む? 自問自答しても、答えは出なかった。



   ◆

 こんな顔だから。こんな体型だから。言い訳並べて、見苦しい。ああ、性格が見た目に出ちゃったんだ。でも、見た目のせいで歪められたのもある。男子も女子も大嫌い。

 ――でも。

『リアタイ出来なさそうなので、二十三時ごろにアーカイブ視聴会しようと思います。一応、グルチャの方にも送っときますので、よければ』


 ワタシのリアルを知るのはアキだけ。ミオもナナセも知らない。

 今夜のサムネイルはこれに決まり。『あの子』なら、『あの子』しか救ってくれるものはなかった。ホントはナナセの小説に惹かれて知った世界だけど、原作のイラストは輝いて見えた。

 ワタシは『彼女』の友達だった。通販で買ったナナセの小説の中の話だけど。

『あの子』は明るくて、みんなに愛される存在だ。そして、『彼女』も周りの人間を愛している。もちろん、ワタシのことも。


 だから、ナナセと繋がれたのは天にも登る思いだった。

 グルチャの方ではミオのメッセにスタンプが二つ。ミオ、あなたはナナセと一番仲がいいよね。羨ましい。憧れの人に繋がれると、その周りの人に嫉妬しちゃうんだね。知らなかった。

 それにしても、アーカイブ視聴会か。自分の声は配信で聞き慣れているけど、ミオは提案に後悔してそう。そういう子だよね、あの子は。だから嫌いになれない。

 ナナセもミオも、本当のワタシを見たら態度が変わるのかな。太ってて、顔も下の下。もし、ビデオ通話なんて言われたらどうしようか。


「え? そういうのしないタイプだよ? ユリは考え過ぎだって」

「でも二人とも大学生でしょ? キラキラしてるから……ほら、自撮りあげちゃうくらいには華やかだし」

 十二時半。アキの昼休みに通話をしていた。そこで、相談をしてみた。

 SNSでは、ナナセはネイルした白い手と物撮り。ミオは有名コーヒー店のカップと自撮りしたり、絵描きのタイムラプスを載せたりと、雑多なアカウントだった。

「アキはすごいよ。ちゃんと働いててさ」

「えー、いやいや。たまたまだよ。ユリみたく実家太いわけじゃないから、世間の流れに乗ってるだけ」

 たしかに実家は裕福な方かもしれない。ワタシを飼うくらいには困っていないし、親もこの状況を是としてくれている。


「ともかく、会いたくなったら、会えばいいし、嫌だったら断ればいい。断られても二人は気にしないよ」

「うーん。……わかった。とりあえずミオに返信しとく。就業中にごめんね」

「いいよ、昼休みに声聞けて、こっちも元気でた。ありがとね」

 通話を終えると、メッセージが来ていた。

『今日、仕事でミスしちゃったから、落ち込んでいたんだ。だから、わたしもありがとう、だよ』

 ワタシは膝を抱えて少しだけ泣いた。



『OK。ワタシもみんなと一緒に見たいから、グル通に参加するね』

 これで、よし。ミオにも心配かけたらダメだよね。そしたら、配信開始まで一寝入りしておこう。今日は夜遅にみんなと喋れる。



   ◆

 ユリさんからの返信に気づいたのは家に着いてからだった。文面にほっと一安心した。もし、嫌われちゃったら悲しいから。同じものが好きなのにギスギスするなんて、嫌だから。


『ナナセさん、おつかれです。ご飯とかお風呂とか入ってからグル通、しようね』

『おっけい。こっちもご飯食べてるとこ。ユリさん、参加できそなカンジ?』

『うん。さっき返信見たけど、OKしてくれたよ』

『やったね。本人と一緒に見るなんて、出来ない経験だよねー』


 アキさんからの既読は夕方以降、ついていない。仕事が忙しいのかな。

「社会人かぁ。想像できないや」

 自分と『あの子』が就活して、それぞれの会社に就く。別業種だからこそ話せる愚痴なんかを飲み会で話して、お互いを励ましあって……。いけない、また妄想してた。

 そうこうしている内にアキさんから連絡が来ていた。


『ごめん、仕事が立て込んでた。二十三時だよね、いそいで用事済ませるから、待ってて』

『急ぎませんよー。私も家に着いたばかりです(笑)』

『大学生も大変ねー。こっちは飲み会(義務)だったから、ちょいほろ酔い(笑)』

『わあ、義務ってとこに仕事感あるぅ。あ、お風呂行ってきます』

『いてらー。わたしもシャワー行ってくる!』



 二十三時はあっという間にやってきた。

 私はアプリを立ち上げ、グループ通話をオンにする。

『グル通、オンにしたよ。集まり次第、視聴会!』

 チャットに文言を打って少ししてみんなが集まってきた。動画の画面を共有して、再生ボタンを押す。

「おお、『あの子』が動いてる。髪がふわふわ動いてるー!」

「少し髪が長めだね。ミオのイラストを参考にしたの?」

「……うん。揺れる髪を表現したいってママに言ったら、こうなったんだ」

 ママというのはVチューバーの立ち絵を描いたイラストレーターのことだ。私の画風とは雰囲気は違うけど、これも良いと思った。


『みんな、はじめまして、こんばんは! デビューしたてホヤホヤのVです』

 チャット欄には、「『あの子』じゃん」「なんか見たことあるけど、原作はなんだっけ」といった反応が見られる。

『名前? ないよ。これは十年くらい前の、掲示板のイラストをモチーフにしてるんだ』

「ふーん。立ち絵込みのユリさんの声もいいかも」

 ナナセさんの反応も上々だった。

「いいじゃん、いいじゃん。ユリ、やっぱV向きだよー。声も可愛いし、コメにも反応出来てる!」

 手放しで褒めるアキさんに私は思うことがあった。

 私の気持ちにリンクするかのようにコメントでは「あのキャラか、でもなんか違うかも」という声も。画面の中の『あの子』はこのコメにスルーする。


『今日は自己紹介の場ということで、このくらいで終わりにします! また、配信とか横動画とかショートも作る予定だから、チャンネル登録とグッドボタン、よろしくね』

 両手をヒラヒラさせる『あの子』はイキイキしていた。ユリさんの言葉にコメントがたくさん流れていく。「登録しました。またね」「おつー」、笑顔の絵文字。


 私は……自分の中の『彼女』と、ユリさんの中の『彼女』とのギャップに終始、無言だった。


「自分の動画、見るってハズいなー。明日以降、ショート向けの撮影と配信の準備するから、忙しくなるかも」

「動く『あの子』とか、超未来感あって良かった。当時、描いた人は思いもよらないだろうねー」

 ユリさんとナナセさんが話している。

「わたしもコス写で、Vの衣装、再現したいかも。手芸屋にハシゴしなきゃ」

 アキさんも同調している。

 私はこの会話についていかけなかった。


『黙ってるけど、どした? 解釈違いだった?』

 ナナセさんから個人チャットが飛ぶ。

『うん。もっと大人っぽい声で、オフィカジュ系の服を想像していたからかも。ひらひらの服は違うかなって』


「ごめん、みんな。明日は一限あるから、抜けるね」

「朝早いもんね。じゃあ、解散ってことで」

 ナナセさんは嘘をつく。みんなが落ちて、私も最後に落ちた。そしてナナセさんから個通が来る。


「『あの子』のVはダメだった?」

「ううん、違う。私の中で妄想をふくらませ過ぎたせいだよ……」

「そっか……。私もちょっと違うなって思った部分があったよ。服装とか、対応の仕方とか。でも、解釈は人それぞれだからさ、あれはユリさんの中の『あの子』で、ミオの中の『あの子』は別と割り切るしかないよ」

「……わかってる」

「ミオは気持ちと考えが落ち着くまで、少し動画を見るのは止めとこ? 視聴の催促が来るようなら、リアルが忙しいで通そう」

 ナナセさんの言葉がじんわりと心に沁みる。暖かで穏やかな声に、いつも支えられていた。



 ユリさんはその後も精力的にVチューバー活動をしていた。横動画、ショート動画、ゲーム配信と忙しそうだった。

 そしてとある横動画がバズる。

【『あの子』と一緒にショッピング】

 再生回数は公開から数日で万バズ。この動画は私とナナセさんの会話を元にした、ナナセさんの小説のストーリーだった。

「許可、しちゃったんだ……」

 ナナセさんに裏切られた気分だった。せめて私にも話をしてくれたらいいのに。でもこの小説はナナセさんのものでもある。でも、でも……。


『あの子』はそんな風にしないよ。そんな服、『あの子』は選ばないよ。ベンチで飲むのはミルクコーヒーだよ。『彼女』は孤独でコミュ障なんかじゃない。


 どうして、どうして! ちがうちがうちがう!


 私の『あの子』を汚すんじゃない! 夢の中では、本当の『彼女』に会える。でも、具現化するなら、ちゃんとしてよ。

「おれも服屋の店員の声かけ、苦手だからわかるわ」

「ブラックコーヒーって意外とオトナー!」

「やっぱり『あの子』は地雷系だよね。でも、ストゼロをストローでチューチューするイメージないから、ブラックは◯」

 コメントも動画の『彼女』に肯定的だった。ふと、スクロールする手が止まる。

「名前、つけないの? いい加減『あの子』呼びはメンドイ」


 ――どうして? 名前がないからこそ、解釈の幅が広がるのに。世界的な白猫の口がないのも、解釈の幅のためだよ? どうして、『あの子』だけ輪郭を作ろうとするの?

「名前ですか……。どうしようかなぁ」

 どうして、ユリさんはそんな返信しちゃうの?

 それは違うでしょ。『あの子』はユリさんだけのものじゃない。名前をつけたら、それはあなたが『原作』になっちゃうでしょ? 原作ありきで私たちは表現しているのに、そんな風に迷う素振り見せたらダメだよ。


『ちょっと相談したいから、空いている時間、おしえて』

 ――来た。

 ユリさんからチャットに、私は「夜の二十時以降なら」とだけ返信した。



 夜の十一時半。私はグループチャットを見つめていた。

『グル通、立ち上げました。参加できる人はぜひ』

 胸の鼓動が大きい。耳の奥で鳴り響いていた。


「……さっそくですが、本題入るね。ショッピングの横動画にこんなコメントがあったの」

 グルチャに先のコメントのスクショが貼られる。

「それでね、ワタシは名前をつけたいって思ってる」

「それはダメ。原作はあのイラストだから、描いた人に許諾が取れない以上、つけるべきではないよ」

 思ったより大きな声で自分でも驚く。震えてて、ユリさんに感情が伝わるんじゃないかと、不安だ。

「私は名付けに賛成よりの中立かな。呼びにくいのは、コメの通り。だけど、ミオの言うように、名付けは慎重になるべきかも。ナナセは?」

 アキさんが真剣な声色で反応する。呼ばれたナナセさんは、少しの無言のあと、口を開いた。

「……反対寄りの中立。名前はみんなの中にあって、他の二次創作者の活動に支障が出る」

 私は冷静で、毅然とした声にハッとさせられた。感情的な自分が少し恥ずかしい。


「……そっか。あのコメには曖昧な返事しておいて、よかったよ。万バズしてワタシ、舞い上がってた」

 甘い声が低く聞こえる。ユリさんは落ち込んでいるみたいだ。私も強く言い過ぎたかもと、言葉を紡ぐ。

「強く言い過ぎちゃって、ごめんなさい。でも、みんなの中に『あの子』がいて、それぞれの解釈や、呼び方があっていいと思うんだ」

 頭の中で『あの子』を思い浮かべる。

「SNSでは少ないけど、たしかにいろんな人が『あの子』を表現してくれている。私のようにイラストにしたり、ナナセさんみたいに小説にしたり、アキさんのようにコスプレしている人もいる」


 小説に心躍らされて、夢に出てきたこともあった。コス写のままの『彼女』が夢に会いに来てくれることも。

 それをイメージして、イラストに思いを乗せる。知名度こそないけれど、私たちは『あの子』という概念を愛していた。

「『あの子』には名前がないまま、たくさんの誰かに呼ばれていた。思い出の中でたしかに生きている。だからそれを、大切にしてほしい」

 私は素直な思いをみんなに伝える。その言葉に無言が流れた。


「……ありがとう。ワタシ、ホントに舞い上がっていたみたい。これから、動画を作るよ。……名前はないまま、愛してほしいって」

 頬に涙が伝った。鼻をひくつかせないよう、感情を抑える。

「ううん。これからもVチューバーの活動、応援してるよ」

「ミオ、泣いてるでしょ? バレバレだって。ホントに『あの子』のこと、好きなんだねぇ」

 ナナセさんにはお見通しだ。

「たしかに、バレバレじゃん! わたしももちろん、ユリを応援しているんだからね」

 アキさんも応える。

「ありがと。ワタシもイラスト見て萌えたり、小説読んで空想したりしてたの、忘れてたよ」

 ユリさんとの『あの子』の妄想話に花を咲かせたあと、日付はとうに翌日を過ぎていた。

 通話終了の効果音のあと、充実感が私を襲った。今日はたくさん『あの子』の話が出来て、楽しかったなぁ。



 数日後、ネットミームを紹介するショート動画が共有されていた。

『今日はVチューバー〝あの子〟さんの横動画を紹介するで』

『〝あの子〟って?』

『十年ほど前に巨大掲示板のスレで公開されたイラストの呼称や。それが現代になってVチューバーになってるんやから、分からんもんよな』

『この動画は数日で万バズしてましたよね』

『せや、Vの他にイラストや小説、コスプレまであらゆるジャンルでの幅があったんやけど、この動画で知名度が一気に上がったみたいやな』

『みんなに愛されていたんですね』

『これからの広がりに期待やな』

 桃髪の関西弁と、青髪の標準語キャラが織りなす動画の最後にはテロップが表示されていた。

『MAD動画やボカロ曲もおすすめです』



『あの子』のこれからに期待をしつつ、私はイラストを描く。

 私たちの中で生きる『彼女』は、名前を持たないまま誰かの元に届くのだろう。

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