神社 3
ケイトが刑事の訪問を受けたのは、翌々日の午後、中学校の職員室で教材の準備をしているときだった。
「ケイ先生。今、お時間大丈夫ですか」
自身も英語科出身だという教頭に声をかけられた時点では、学校運営に関する頼みごとか何かだろうと思った。立場上は役場からの派遣職員ではあるものの、間もなく始まる夏休みでの当直業務なども、「先生」の一人として手伝わせてもらいたいと、事前に伝えてあったからだ。
じつはそうでなくとも、夏休み期間もケイトは学校に顔を出すつもりでいる。副顧問を担当している英語研究部の活動のためである。セイをはじめ女子ばかりの、部員数も十人に届かない小さな部だが、英語を学ぶことが好きなうえ性格も良い子ばかりなので、彼女たちの学習や自由研究を、できるだけ見守ってあげようと考えているのだった。
「あ、はい」
笑顔で教頭に答えると、彼は職員室内からも直接行ける、隣の応接室へとケイトを案内した。
「ではこちらで」
通された応接室には知らない男性が二人、律儀に立ったままで待っていた。
「教頭先生、こちらは?」
彼の返事より先に、向かって左側に立つ若い男性が笑顔で一歩前に出る。
「突然申し訳ありません。既にご存知だとは思いますが、昨日、御林神社で事件がありまして。我々はその捜査を担当している警察の者です。事件について、ちょっとお話を伺わせてください。私は小野原警察署の古峰、こちらは神奈川県警捜査一課の、野明と申します」
「野明です。お忙しいところ、申し訳ない」
古峰という男性と向かい合った時点で、あっ、とケイトは目を見開いていた。間違いない。昨日、御林神社で見かけた「ショカツの刑事さん」だ。
「あの、昨日も神社にいらっしゃいませんでしたか」
「え? ああ、はい。先生も現場にいらしてたんですね」
「はい。すみません、野次馬みたいな真似をしてしまって」
「いえいえ。あんな事件が起きてしまったわけですから。規制線も張らせてもらったし、僕らも現場に立っていましたので、どうぞお気になさらず」
変わらず愛想良く答える古峰の姿は、あらためて見ると、刑事というよりは自分たちと同じ教員のようだった。陽に焼けた精悍な風貌と、引き締まった長身。ポロシャツでも着ていれば、人気の若手体育教師といった感がある。見た限りだが、年齢も自分と近いのではないだろうか。
「古峰君」
こんな刑事さんもいるんだ、とケイトがやや場違いな感想を抱いていると、野明という方の男が彼を呼んだ。こちらは明らかに一回り以上は年配の、五十代前後だと思われる。くたびれた半袖シャツにネクタイ、にもかかわらずどこか鋭い眼光と、ルックスもいかにも刑事っぽい。
「こちらは任せてもいいか。私は現場付近で、もう一度聞き込みをしてくる」
「ええ、構いません。あ、車も乗っていっちゃっていいですよ。僕は徒歩で、町なかを回ってみるつもりなので」
「了解だ」
驚いたことに野明の方は、「では、私はこれで」とケイトたちに軽く頭を下げると、さっさと応接室を出ていってしまった。顔見せだけして、あとは言葉通り古峰に丸投げということらしい。
「……あの、いいんですか?」
思わずケイトが尋ねると、古峰は「ええ。他の場所でも、こんな感じですから」と苦笑とともに頷いた。
「あ、でも別に仲が悪いってわけじゃありませんよ。刑事ドラマだと、所轄と本部はいがみ合ってるのが定番ですけど」
ははは、と声も出して笑ってから本題に戻る。
「では、お待たせしました。一昨日の事件について、いくつか質問させていただいて構わないでしょうか。お手間を取らせて申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げたところで、教頭もタイミング良く「座りましょうか」と促してくれた。流れのままに、ガラスのローテーブルを挟んで部屋の奥側に古峰、手前にケイトと教頭という形でソファに着く。
まずは名前や職業といった型通りの質問をされたので、ケイトも正直に答えていった。
「ALTのケイト・ファフナーです。町からの派遣という形で、こちらの幸浜中学と、あとは幸浜小でも英会話のクラスを担当させてもらっています。日本語も日常会話は問題ないので、ご心配なく」
「たしかに。さっきから思ってましたけど、本当にお上手ですね」
「ありがとうございます」
かたわらのビジネスデイパックからタブレット端末を取り出した古峰は、ケイトの回答を確認したり、スタイラスペンで何かを書き加えたりしている。これまたドラマの影響で、アナログな手帳片手に聞き取りされる光景を勝手にイメージしていたのだが、どうやら違うらしい。
「差し支えなければで結構ですが」とわざわざ断ってくれてから、年齢や住所も確認した後、古峰はあらためて事件の概要を語り始めた。
「報道にもある通り昨日の朝、御林神社で、撲殺されたと見られる死体が発見されました。被害者は高田谷晶。五十三歳の男性で、今はもう廃業している『たかだや旅館』の人間です。殺されたのは深夜から早朝六時くらいまでの間で、近くには神社の力石と見られる、凶器に使った血まみれの大きな石も捨ててありました。ああ、力石っていうのは――」
「知っています。昔の人たちが力比べに使った、ダンベルとかバーベル代わりの石ですよね」
「ええ。その通りです」
大丈夫です、とばかりに微笑んでケイトが遮ると、古峰も同じ表情を返してくれた。いずれにせよサイが話していた通りだ。教頭もこのあたりの情報は把握しているようで、ケイトとともに無言で頷いている。
「で、被害者の高田谷晶に関してですが、こう言ってはなんですが、地域での評判はあまり良くない人物だったみたいですね。こちらの幸浜中学を卒業後、平川工科高校に進学するも中退、その後は土木作業員や住み込みの工場労働者などを転々として、現在は無職。幸浜には六年ほど前に帰ってきて、親の年金をかじって生活していたと見られます」
「仰る通りです。じつは私も彼の中学時代、一年だけ指導したことがありますが、いわゆる不良生徒というやつでした。喫煙やバイクの無免許運転、同級生や後輩への暴行、恐喝などで、似たような仲間と一緒にたびたび問題を起こしていたのを覚えています。学校としての指導力不足を晒すようで、お恥ずかしい限りですが……」
「なるほど」
古峰の相づちを聞きながら、そういえば、とケイトは思い出した。たしか教頭は正教員になる前、この幸浜中学でも、臨任教師として教壇に立った経験があると言っていた。
「じゃあ本当に、DQNのヤンキーだったんですね」
「え?」
亡くなった人には悪いけど、と思いつつ口を挟むと、古峰と教頭がきょとんとしている。
「け、ケイ先生。ええっと……」
どう答えたものか、といった様子の教頭とは対照的に、吹き出したのは古峰だった。
「あはは。ファフナーさん、本当に日本語ペラペラですね。そんなスラングまで使いこなせるなんて」
「あ……! す、すみません!」
二人の反応から、オフィシャルな場で使うには砕けすぎた言い回しらしいことを、ケイトは今になって理解した。顔が少しだけ熱い。
サイ君もホウちゃんも、あのとき教えてくれればいいのに……。
内心で二人の教え子に恨みごとまで言ってやりたくなるが、決して彼らの責任ではないともわかるので、ただただ恥ずかしい限りだった。
「言葉はどうあれ、教頭先生も認めてくださったように被害者の高田谷は、そういう人物だと周囲から認識されていたようです」
笑みを浮かべたままではあるが、古峰がきっぱりと言い切る形でいったん話をまとめた。
ということは、つまり――。
「つまり誰かに恨みを買っていた可能性は、じゅうぶんにある、と」
落ち着きを取り戻したケイトが続けると、「ええ」と古峰も深く頷いてくれる。隣の教頭は「いや、お恥ずかしい」と繰り返すばかりだ。
「そこで我々としては怨恨、ええっと――」
「わかります。恨みつらみのことですね」
「はい。殺害の動機はやはり怨恨と見て、情報を集めている次第です。今日こちらにお邪魔したのも、そのためでして。教頭先生をはじめ、高田谷の少年時代を知る先生が何人かいらっしゃると伺ったので、当時のお話を聞かせてもらえればというのが一つ」
古峰が指を立てたところで、ケイトは言葉を挟んだ。
「じゃあ私に関しては、別の理由があって呼ばれたってことですか」
「はい。仰る通りです」
察しのいい反応に、おっ、とばかりに眉を上げてから、古峰はその「別の理由」を明かしてくれた。
「じつは殺される数日前、高田谷の姿が複数回に渡って、ファフナーさんもお住まいのマンション付近で目撃されているんです」
「えっ!?」
今度はケイトが眉を跳ね上げる番だった。殺人事件の被害者で、地元の人からも恨みを買っていたであろう「DQN」が、自分の身近にいた?
「な、なら私も容疑者ってことですか?」
思わず口に手を当てると、古峰は「いえいえ」と両手を大きく振って否定してくれた。
「そんなことはないので、安心してください。正直に申し上げれば、可能性が完全にゼロというわけではありませんが、それを言い始めたら、殺害時刻の別行動が証明できないすべての人間が当てはまってしまいます。先ほどお伝えした通り、怨恨による殺人という線が濃いですから、むしろ幸浜にいらっしゃったばかりのファフナーさんは、もっとも可能性が低い町民のお一人と言えます」
「あ、そうか。良かった……」
素直に胸をなで下ろす姿に、古峰はなぜか微笑ましそうな顔をしている。
「すみません、驚かせてしまって。というわけで、もしご自宅付近で高田谷らしき人物に遭遇していたり、他にも不審な人物を見かけていたら、教えていただきたいんです。大体、ここ一週間ぐらいの間で。これが高田谷の写真になります」
「はあ」
タブレットを素早く操作した古峰が、被害者の高田谷某という男性の顔写真を表示した。どこかの飲み屋で撮影したものをトリミングしたのだろうか、頬のこけた中年男性が、ビールジョッキ片手に不格好なピースサインをこちらへ向けている。髪は短髪でさっぱりしているが、どうにもくたびれた感じの男だった。
「すみません、まったく知らない人です。ひょっとしたら、どこかですれ違ったりしているのかもしれませんけど、記憶にはありません」
眉をハの字にして明確に否定すると、古峰も「そうですか。まあ正直、ダメもとでしたから」と素直に納得してくれた。
「不審者の方はどうですか? なぜか同じ場所をうろうろしていたり、あからさまに人目を避けようとしているような人物を、目にしたとかは」
「う~ん、そちらも今のところは。あとから何か思い出すかもしれませんけど。ソーリー」
なんだか申し訳なくなってきたので、ぽろりと英語が出てしまった。しかし古峰は気にした様子もなく、これまた素直に頷いている。
「わかりました。では何かあれば些細なことでも、こちらまでご遠慮なくお知らせください」
言いながら、鮮やかなライトブルーの名刺入れから自分のそれを一枚取り出し、丁寧に両手で差し出してくる。見ると、手書きで携帯番号も記されていた。
《小野原警察署 刑事課 巡査長 古峰登》
「ノボルさん、でよろしいんですか?」
「え? ああ、はい。ノボルです。それこそDQNネームじゃないんで、普通の読み方ですよ」
予想外の質問だったのか、一瞬ぽかんとなった古峰だが、すぐに表情を崩し軽い調子で教えてくれた。笑うと案外、少年のような感じにもなる。刑事らしくないと言っては失礼だが、清潔感のある風貌も相まって、本当に体育の先生やスポーツ指導者のようで、思わずケイトも微笑んでしまった。
緊張が和らいだ流れのまま、聞き慣れない日本語についても訊いてみる。
「DQNネームって、どういう意味ですか?」
「あ、すみません。ええっと、要するに本来の読み方じゃない漢字を充てた名前のことです。普通はキラキラネームとかって言うんですが、あまりにも子どもが可哀想な当て字とかの、それこそ教養の無いDQNが付けそうな名前のことを、スラングでそう呼ぶんです」
「なるほど」
「最近、増えてるやつですな」
どうやら教頭も知らなかったようで、ケイトと一緒に頷いている。彼が言うように、若い人の間だけで使われるスラングなのかもしれない。
「ファフナーさんは、ここまでで結構です。あとは教頭先生にお話を伺わせてください。お忙しいところ、どうもありがとうございました」
「いえ。ユー・アー・ウェルカム」
先ほどと同じくするりと英語が出てしまったが、爽やかな古峰の笑顔は、全然いいですよ、と答えてくれるようでもあった。
こんな刑事さんもいるのね。
もう一度、胸の内で感心して、ケイトは「失礼します」と応接室をあとにした。
職員室に戻ったケイトは、支給されているノートパソコンで、あらためて事件について調べてみた。といっても古峰から説明された内容以上のことは、ほとんど載っていなかったが。
・被害者は幸浜町内にある『たかだや旅館』の次男、高田谷晶(五十三歳:無職)
・殺害現場は御林神社の境内(つまり死体は、大きく動かされたりはしていない)
・死体の第一発見者は御林神社の神主夫人、真壁美保さん(四十歳)
・殺害方法は、複数置いてある力石の一つによる撲殺。後頭部を複数回にわたって殴打した痕跡あり。凶器と見られる血痕が付着した大きな石も、そのまま残されていた
・死亡推定時刻は、深夜から明け方にかけて
事件の概要はこんなところである。第一発見者である神主夫人の名前だけは、古峰からも聞きそびれていたが、《御林神社》《奥さん》などの単語で検索をかけたところ、地元のタウン誌に掲載されたインタビュー記事が引っかかったのですぐにわかった。
ちなみにネットニュースのなかには、昨年起きた幸浜町での不祥事と合わせて、《呪われた過疎の町》なる失礼な言葉を使っているものもあった。
「あれは関係ないはずだけど……」
ケイトもその不祥事については散々聞かされているし、自分でも今回と同じように調べてみたことがあるので、まるで当時から幸浜に住んでいるかのように事態を把握している。たしかに外から見れば、あんな騒ぎがあってから一年も経たないうちでの、しかも今度は殺人事件である。呪われた町などとレッテルを貼りたくなるのも、正直わからないではない。
これでますます、全国区になっちゃったわけか。
小さく肩をすくめ、赴任した日に挨拶した町長の顔を思い浮かべる。
昨年、まさに全国規模で報道された不祥事の当事者たる、竹宮正彦町長の顔を。