エピローグ
【市の一員として再出発】
《来年度からK県小野原市に誕生する、新たな行政区が注目を集めている。実態はこれまで隣の郡に所属していた小さな町が編入されるだけだが、周囲がその行く末を気にかけるのも当然のこと。ずばり「幸浜町」と言えば、納得する方も多いだろう。
昨年来の、名簿不正利用に伴う町長の辞任と再出馬・再当選という騒動。そんな状態の町で、弱り目に祟り目とばかりに発生した連続殺人事件。不名誉な形で全国に名を知られることとなった過疎の町は、最寄りの中堅都市である小野原市に組み込まれる形で、来月から再スタートを切る。
先頭に立つ新町長は、長年に渡って町の教育長を務めてきた野木裕一氏(五十八歳)。何度も固辞したものの、名簿不正利用の当事者であると同時に、一連の殺人事件ではなんと被害者にもなりかけたという前町長を、「だからこそ、閉鎖的な田舎町の反省点、改善点を誰よりもわかっている」と相談役に据えることを条件に、意を決して引き受けたという。
「若い移住者の方も増えているので、とにかく町全体を刷新したい。豊かな自然や良い意味でのご近所付き合いなど、残すべきレガシーはもちろん残しつつ、〝時代に即した田舎〟として、小野原市の一員になれれば」
謙虚に語る町長の初仕事は、年度替わりに伴う外国人語学教師の受け入れ事業だという。
かつては「日本のリヴィエラ」とまで謳われた観光地、『小野原市幸浜町』の未来を、今後も見守っていきたい。》
(森長裕:フリージャーナリスト)
変わってないんだな、というのが駅に降り立っての第一印象だった。
離れていたのはたった五ヶ月なので、当然と言えば当然である。けれども一応は「市」の一部になったわけだし、ひょっとしたら何か――駅前が以前より開けているとか、小洒落た看板が目に入るとか――があるのでは、とちょっぴり期待していたのも正直なところだ。
だが二つしかない自動改札も、ほんの数台だけ客待ちしているタクシーも、幼稚園のグラウンド程度しかないロータリーも、何もかもが記憶のままだった。
自然と笑みが浮かんだところで、ロータリーに駐まった一台の軽自動車が、クラクションを鳴らしてきた。運転席から、見知った顔が同じく笑顔で手を振ってくる。
自分も手を振り返しながら、ケイトは駆け寄った。
「ハイ、杉野さん! ロングタイム・ノースィー!」
「お久しぶり、ケイ先生! あら、髪切ったの?」
「イエス。私もシンキイッテンです」
「あはは、相変わらず日本語が達者ね。さ、どうぞどうぞ」
わざわざ降りてドアを開けてくれる大家さんに恐縮しつつ、小型のキャリーケースをトランクに入れさせてもらってから助手席へ乗り込む。
「メールでも伝えたけど、お部屋は全部そのまんまにしてあるから安心してね。たまに掃除だけはさせてもらってたけど」
「サンキュー・ソーマッチ。とっても嬉しいです」
「嬉しいのは、それだけじゃないんじゃない?」
「す、杉野さん! ユー・アー・キディング!」
車をスタートさせながら横目でからかわれ、ケイトは声を上ずらせてしまった。
「うふふ、そーりー、そーりー」
思いっきり片仮名読みの謝罪も、明らかにおどけている。何はともあれ、住居そのものと同様に、以前と変わらない関係で面倒を見てもらえることは本当に嬉しい。
「裕ちゃん――じゃなかった、町長やお父さんへのご挨拶は、部屋に寄ってからでいいでしょう? 荷物も置きたいでしょうし」
「イエス。ありがとうございます」
信号待ちを経て、ロータリーに面した国道を車は斜めに横切ってゆく。杉野さんの向こう側に、これまた変わらないキャシーのガラス扉が流れていった瞬間、ケイトは懐かしい匂いに包まれた気がした。
五ヶ月前のあの夜。ケイトと古峰は間一髪のところで葉村を阻止し、合わせてテンと竹宮の救出にも成功した。
ただ、いろいろな意味で痛ましい事件の詳細が報道されてしまったこともあり、さすがにケイトの職務継続は困難となったのである。派遣元の自治体国際化協会からも一時帰国命令(もはや「命令」だった)が下され、翌十一月にはもう、メリーランド州の実家にいたほどだ。
それでもこうして新年度から復帰し、しかも同じ幸浜町に戻って来られたのは、自身の強い希望に加えて、野木新町長の素早いサポートが大きかった。
彼は町の人々、特にケイトと触れ合った子どもたちからの、
《ケイ先生の授業、大好きです!》
《ケイ先生、早く帰ってきてね》
《中学生になってもケイ先生のクラスがあると思っていたので、凄く寂しいです。絶対ケイ先生に戻ってきて欲しいです!》
といった内容の手紙を、協会と、さらには「知り合いの知り合い」の議員を通じて、なんと外務省や文部科学省にまで届けてくれたのである。
かくして《来年度より一年間、K県小野原市幸浜町へ、英語教育をサポートするALTとして赴任を命ずる》というあらためての辞令を受けたケイトは、晴れて今日を迎えたというわけだった。もちろん住居も杉野さんのマンションで、しかも彼女は「絶対にケイ先生を取り返してやるんだから!」と豪語して、先ほどの言葉通り、家具などをそのままにしておいてくれていた。
「キャシーの二人も、ハマユウの春夫君と美智絵ちゃんも、内藤さんとこのご夫婦も、みーんな早く会いたがってたわよ。落ち着いたら顔出してあげて」
五分と経たずに到着したマンションの駐車場で、にこにこと杉野さんが言う。
「オフコース! 役場の帰りにでも行ってみます」
ケイトもにっこりと返して、それぞれの顔を思い浮かべた。
葉村と、そして子どもたちの異変を察して、さり気なく彼らを気遣っていた移住組を初めとする面々は、だが詳細な計画は何も知らなかったのだという。ただ純粋に「閉鎖的な町の空気を憂えている、葉村先生や竹宮町長が好きで」親しくしていただけであり、すべてが明るみに出たときには、むしろ大きなショックも受けたそうだ。
「それでも幸浜に残ってくれたのは、自分たち若い世代の手で本当に、町の良くないところを変えていきたいって思ってるからでしょうね。……って話をすると新町長様が、僕もまだまだ若いです! とかって妙に仲間に入りたがるんだけど」
と杉野さんは、どこか遠くを見るようにして笑っていた。なんだかんだで、町の顔役たる彼女も、新しい風が吹くことを強く期待しているのだろう。
車を降りスーツケースも出したところで、杉野さんが「あ、これを渡しとかなくちゃね」と穿いているデニムのポケットから何かを取り出した。
「あっ!」
「ふふ、これもそのまんまよ。嫌だった?」
「いえ、ありがとうございます!」
差し出されたのは部屋のキーだった。繋がった鎖の先には小さな、けれども美しく磨き上げられたキーホルダーがついている。かつてこの町を豊かにした、由緒正しい石でできたキーホルダーが。
「私はこのまま役場へ行っちゃうけど、いい?」
「はい。いろいろと本当にありがとうございます、杉野さん」
言葉を切ったケイトは、日本風にぺこりと深く頭も下げた。
「あらためまして、またよろしくお願いします」
「いいえ、こちらこそ」
軽やかに手を振った杉野さんだが、素早く戻った運転席のウインドウを下げて、「そうそう」と付け加えた。
「お隣さん、今日は部屋にいるみたいよ。ケイ先生が帰ってくるからって、わざわざお休みを取ったんですって」
「えっ!?」
予想外のことを告げられ目を丸くすると、再びからかうように言われてしまう。
「愛されてるわね」
「な、何を言ってるんですか!」
必死の抗議も空しく、聞こえていないふりをして、あっという間に車が遠ざかってゆく。頬が熱いのを自覚したまま、それでもケイトはいそいそとエレベーターホールに向かった。
階数表示が《5》の数字を示し、エレベーターの箱が停止する。懐かしい501号室に向かって、ゴロゴロとキャリーケースを転がしながら進んでいくと――。
音が聞こえたのだろうか、手前に位置する502号室の扉がそっと開いた。
「あっ!」
心の準備はできていたはずなのに、声が出てしまう。喜びと、驚きと、本当に再会できたのだという安堵と、いろいろな気持ちがごちゃまぜになって。胸の中身が自然と形になって。
「お久しぶりです、ケイ先生」
変わらない精悍な顔に、はにかんだ笑みが浮かんでいる。自分が幸浜に帰ってくると知った彼は、何かと便利なはずの警察寮を出て、このマンションについ最近引っ越してきてくれたそうだ。部屋が空いているかどうか、杉野さんにわざわざ確かめて。
《一度事件が起きてしまうと、なかなか会えないので。……って、ストーカーみたいですみません! 嫌ならもちろんやめますので!》
おたがいの気持ちはわかっているはずなのに、いちいちメールで断ってくれるのがまた、ウブなこの人らしいと笑ったものである。
ダディにもそのうち、きちんと紹介しなきゃ。ていうか、もうとっくに顔見知りだけど。
おかしく思いながら、キャリーケースを放り出して廊下を蹴る。驚く彼の顔が近付いてくる。
「ハイ、古峰さん! アイム・バック!」
晴れやかな気持ちのままに、ケイトは勢い良く彼の胸へ飛び込んだ。
Fin.




