浜 2
「ハロー」
「ケイト先生ですか。幸浜町長の竹宮です」
電話に出る前こそ焦ったケイトだが、声を聞いた瞬間それがあっさりと消え失せて、むしろイラッとさせられた。たしかに、ずっと他人として暮らしてきた。今だって同じ町にいるというのに、まともに会ったのは最初の一回だけだ。けれどもあまりに他人行儀すぎないか。この瞬間は公の場ではないし、母はどうだか知らないが、少なくとも自分はいがみ合って別れたわけではない。というか、離れ離れになった幼い娘の記憶が残っているならばもっとこう、優しかったり、どこか照れていたりという、可愛げのある挨拶をしてくれてもいいのに。
「お父さん」
気付けば、ズバリとそう呼びかけていた。
「は、はい」
なんで敬語なのよ、あなた父親でしかも町長でしょう、と厳しくつっこみそうになったが踏みとどまる。代わりに早口で、さらにズバズバとまくし立ててしまった。
「私たちの関係はとりあえずあとにして、大事なことから先に言うわね」
「あ、ああ」
なんとか普通のリアクションになってきた実父に、ケイトは自分たちの推理と疑問点をストレートに伝えていった。
「幸浜で起きてる連続殺人、おそらくは最後になる五人目のターゲットが、お父さんかもしれないの。いつ狙われるかはわからないけど」
テン君の誕生日とかはもう関係ないはずだし、と頭のなかで再確認しながら説明してゆく。
「それでこの際だから、聞いておきたいことがあって」
「うん」
「何か狙われる覚えはある? 知っての通り、これまでの被害者四人はDQNで、沢山の人から恨みを買っていた。けど、少なくとも私には、お父さんがそういう人だとは思えない。三歳までの記憶しかないけど、誰かに暴力をふるったり、お金を脅し取るような最低の人間には」
「ありがとう」
間髪入れずに感謝されて、ケイトはどう返すべきか困ってしまった。別に褒めたわけじゃなくて事実を述べただけなんだけどな、と複雑な顔をしていると、なんとなくやり取りを察したのか、隣で古峰が頬を緩めている。ちょっと恥ずかしい。
「と、とにかくそういうわけだから、恨みを買うような心当たりとか、DQNの人たちとの共通点があるんだったら教えて欲しいの。今、警察の人もそばにいるから」
「ああ、古峰刑事だね。町の人たちからも評判がいいし、私も何度かお会いしたよ」
どうやら竹宮は、自分と彼が近しい間柄ということを把握済みらしい。田舎の情報網、恐るべしである。
「ケイト。……いや、ケイって呼ばせてもらってもいいかな。そんな資格がないのは重々わかっているけど」
口調をあらためた父は、「オフコース」というケイトの返事を受けて、静かに語り出した。
「ありがとう。私が電話したのは、まさに同じ件でなんだ」
「えっ! じゃあやっぱり、何か思い当たることが?」
「ああ。本当に恥ずかしい話だが……」
ほんの二秒ほど言葉を切ってからの、懺悔するような告白。
「私もまた、葉村さんに恨まれても仕方のない人間なんだよ」
「…………」
何をやったの、と訊くべきか訊くまいか迷っている間に、竹宮の告白は続く。
「直接的に暴力をふるったり、恐喝をしたわけじゃない。学年だって彼の方が一年上だしね。ただ、私も共犯だ。中学生のとき、葉村さんに対する犯罪の片棒を担いでしまっていた」
「どういうこと!? 何をしたの?」
いじめの片棒を担いだ、という言葉に、ケイトは心臓を鷲づかみにされたような痛みを覚えた。いったいこの人は、父は、葉村に対してどんな卑劣な行為を行ったのだろう。
「高田谷や金分、佐田、柳井に脅されてとはいえ、体育館裏に呼び出す役をしたり、嫌がらせのために、彼の鞄を勝手に持ってくるようなことをしてしまっていた。要するに、君の言うDQNたちの、犯罪者たちの、使いっ走りのような真似をしていたんだ。逆らうことも大人に相談することもせずにね。今もだけど、心の弱い姑息な小悪党なんだよ、私は」
「そんな……」
ひどい、とつぶやきそうになったところで、なんとかケイトは言葉を飲み込んだ。ひどいのは葉村への仕打ちだけではなく、同じように暴力で父を脅して、犯罪行為を強制した高田谷たちだ。けれども今の言い草からすれば、父は必ず自分自身も「ひどい」という意味だと受け取ってしまうだろう。
「お父さんは悪くないじゃない。脅迫されて仕方なくなんでしょう。そんなときに立ち向かえる子どもなんて、むしろ少ないはずよ。もし正しい振る舞いをしても、今度は自分がいじめのターゲットにされるかもしれない。葉村先生だってもっとひどい目に遭わされるかもしれない。実際、そういう風にも言われたんじゃない?」
「ああ。けど、事実は事実だ。葉村さんにとっては、私もまた連中の一味にすぎない。理不尽に人を傷つける、クズみたいな人間の一人なんだよ。彼の気持ちはじゅうぶんに理解できる」
「そんな……」
再びうめいたあと、無意識のうちに声が漏れる。
「……殺されて、当然だわ」
いきなりの物騒な言葉に、古峰がぎょっとした顔をしている。ごめんなさい、と頭の片隅で思いながらも、ケイトは怒りを吐き出していった。
「その高田谷も金分も佐田も柳井も、殺されて当然よ。葉村先生だけじゃなくお父さんの心も傷付けて、まともな謝罪もしないまま大人になって。他にも沢山の人に迷惑をかけてきた、まごうかたなき犯罪者じゃない。DQNでチンピラの、それこそクズじゃない。生きてる価値なんてない。子どもだからって、ううん、子どもだからこそやられた方は忘れないわよ。私だって教師だから、それぐらいわかる。ピュアで、イノセントで、センシティブな年頃にそんな傷を付けられたら、私だって絶対に忘れない。許さない。同じように殺してやりたいって思うかもしれない。だから――」
何が「だから」なのかもわからないまま、語り続ける。だから絶対に。だからきっと。だからせめて。
「お父さんは悪くない。お父さんだって被害者だよ。むしろ葉村先生と同じ側だよ。クズみたいなDQNを、殺してやりたいって思ってもいいくらいだよ」
「ケイ……」
言葉を探すように黙ってしまった竹宮の顔を、思い浮かべる。この人が本当にそんな不正を働いたのだろうか、と思うような大人しそうな風貌を。一方で、意外に上手いんだ、と感心させられた演説時の堂々たる表情を。
「あっ!」
二種類の父をイメージした瞬間。ケイトは理解した。これまた単なる憶測だが、間違いないと確信する。なぜなら自分たちは親子だから。血が繋がっているから。私が考え付くことなら、この人だって絶対にそうしたはず。
「お父さん」
「なんだ?」
「お父さんが最初の選挙で名簿を持ち出したのって、そういう過去があったからなの?」
スマートフォンの向こうで、息を呑む気配がした。やっぱり、と目を閉じる。
まぶたを開き、古峰にも「聞いていてください」とアイコンタクトを送ってから、ケイトは確信とともに告げた。
「お父さんは、あの四人の住所や現在の職業を確認するために、町民名簿を持ち出したのね。葉村先生と同じで、いつか罰を与えるために。自分が町長になれてもなれなくても、ああいうDQNを駆除して町をクリーンナップするために」
「さすがだね」
あっさりと竹宮は認めた。不思議なことにその声音は、どこか嬉しそうでもあった。
「ケイの言う通りだよ。私もこの町の人間として、ましてや役場で行政に携わってきた人間として、ああいうクズどもはいつか排除しなければとずっと思っていたんだ。こんな性格だから、誰かに相談することもできずにね。子どもの頃から何も成長していなくて、恥ずかしいけど」
「…………」
沈黙で先を促すと、意志が伝わったかのように良いタイミングで説明が続く。
「役場で私は、ずっと福祉課――ああ、今は健康長寿課か、なんにせよ高齢者のお世話をするような部署にいたんだ。だから残念ながら、あいつらみたいな成人男性の個人情報に触れる機会は、まったくと言っていいほどなかった。誰かに尋ねようにも、いきなりそんなことを訊いたら不審に思われるし」
「まさか、そのために町長に?」
ケイトが目を丸くすると、「うーん、半分だけ当たりかな」と、やはり何かが吹っ切れたような明るい声が返ってくる。
「今言ったように、人に迷惑をかけるだけのああいうクズに罰を与えたい、排除したいっていうのはたしかに理由の一つ。ただ、それだけじゃない。綺麗事や言い訳に聞こえるかもしれないけど、幸浜の人間としてこの町を良くしたい、衰退していくばかりの故郷をなんとかしたいっていう気持ち自体が、抑えきれなくなっちゃったんだ」
「抑えきれなくなっちゃった、って……」
あ然としながらもケイトは、この人らしいと納得もしてしまっていた。ずっと離れて暮らしていて、もはや赤の他人みたいな関係だけどわかる。わかってしまう。
普段は押しが弱そうなのに、いざとなると拳を握って熱弁を奮えてしまうキャラクター。どういった経緯で恋に落ちたのかは知らないけど(恋愛結婚とだけは聞いている)、ここ一番になると「カジバノバカヂカラ」が出せる性格。
きっと竹宮は、父は、どこかでそのスイッチが入った、いや、彼の言葉に倣うならば「入っちゃった」のだろう。だから役場職員という安定した職業を辞してまで、町長に立候補した。緩やかに滅びつつあるこの田舎町を、県内唯一の過疎認定すらされてしまった故郷を、なんとかするために。
「にもかかわらず名簿の選挙利用に関して、手書きの写しはOKでコピーは駄目、みたいな細かいルールを見落としちゃってたわけだから、本当に恥ずかしい限りだけど。ああ、当たり前だけど、公選葉書の郵送以外には名簿は使っていないよ。ついでに言うと高田谷たちみたいな、逆に応援して欲しくない人間のところにも葉書は出してない。あんな奴らには、紙一枚すらもったいないからね」
「……町の人たちは、それを知っているの? お父さんが幸浜を良くしたいって、本気で思っていることを」
「どうなんだろう。お陰様で町長にはなれたから、まあそれなりに多くの人は私に期待してくれてるんじゃないかな。ぶっちゃけ、町民の大多数を占める高齢者が、ほとんど顔見知りっていうのが大きかったんだけど」
成長した娘と会話できるのが楽しいのか、明るく語り続けていた竹宮だが、「ケイ」と再び声をあらためた。
「さっきの話に戻るけど」
「え?」
なんの話だったっけ、とケイトは思案をめぐらせてしまった。なんだかんだで自分もそれだけ、父とのやり取りに夢中になっていたのかもしれない。
「私自身に、復讐の対象として狙われる覚えがあるのかって話」
「ああ、うん」
頷いたところで、「もう一つ」と竹宮は重ねる。
「いつ狙われるかわからないとも、ケイは言ったよね」
どこか達観したような、凪いだ口調だった。だからこそ察することができたのだろうか。
「お父さん――」
ひょっとして、という言葉をケイトは言わせてもらえなかった。
なんでもない口調で竹宮が告げる。まるで、ずっと一緒に暮らしてきた親子みたいに。行ってくるよ、と朝、玄関で愛娘に手を振るみたいに。
「多分、今夜なんだ」
「駄目! 行っちゃ駄目!」
空いていた右手も添えて、ケイトは叫んでいた。駄目、駄目、駄目。そんなの駄目。
「葉村さんにとっては、私もクズの一人なんだ。そしてその気持ちは、さっきも言った通り痛いほどわかる。だから罰を受けなきゃならない。今度こそ、町の長として範を示さなきゃならない」
「葉村先生に佐ヶ浜へ呼び出されたのね!? 駄目! 行ったら殺されちゃう! 古峰さん、お父さんが!」
最後の台詞は、古峰に向けてすがるように投げかけた。彼もやり取りを理解していたようで、既に自分のスマートフォンを取り出している。バディの野明か、もしくは捜査本部に連絡を入れてくれるのだろう。
しかし事態は、ケイトの想いよりも遙か先を動いていた。
「そうか、そこまで掴んでいたのか。うん、もう佐ヶ浜に着くところなんだ。今夜は波も静かだなあ。牡蠣の養殖場、もっと広げないとな。せっかくふるさと納税の返礼品にもしたんだし……って、ごめんごめん。そんなわけで、もう来ちゃったよ」
落ち着いた台詞が耳元から流れ続ける。「お父さん!」という呼びかけが、少しも届いていないかのように。
「ケイ」
もう一度、彼が名前を呼ぶ。父の声で。娘を思いやる温かな声で。
「素敵な女性になった君に会えて、本当に嬉しかった。お母さんにもよろしく。ありがとう」
「ダディ!」
無意識のまま英語で叫んだときには、通話は切れていた。




