神社 1
「今年も祭りは無しかなあ」
「さすがに無理だろ」
ひそひそ声が飛び交うなか、ケイト・ファフナーの耳に、そんなやり取りが妙にはっきりと聞こえてきた。集まっているのは今のところ大人ばかりで、数は二十人ほどだろうか。
そういえば……と、町で働き始めた二ヶ月ちょっと前に、職員室で教えられたことを思い出す。何年にも渡って蔓延した感染症のお陰で、幸浜町が誇る『御林祭り』もずっと中止が続いていたらしい。御林祭りは、ご神体を乗せて華やかに飾られた「海船」という船を、屈強な男衆が漕ぐ小舟「伝馬舟」で引っ張り、最後は隣接するこの『御林神社』に奉納するという伝統祭事だ。なかなか盛大なお祭りで、「日本三大船祭り」の一つにも数えられているのだとか。
すると。
「すいません、下がってください! 写真撮影なども禁止です!」
小さな階段上に立つ鳥居の向こう、映画やドラマで見るような黄色いテープの内側から、若い男性がこちらに呼びかけてきた。ノーネクタイに半袖シャツ、スラックスという姿なので下っ端の刑事かもしれない。土曜日の、しかも朝早くから大変なことだ。背後にはブルーシートが、目隠しよろしく広がっている。
ショカツの人、かしら。
今はポニーテールにしている髪を揺らし、ケイトは聞いたことのある日本語を思い出した。刑事ドラマで覚えた知識だが、ホンチョウとか本店(これは漢字も知っている)と呼ばれる、大きな警察から出向している人の方が偉く、逆に地元の警官、すなわち「ショカツ」の人はアシスタントみたいな立場だったはずだ。日本のドラマもかなり面白いし、言葉に関してもリスニングは問題ないので、何を隠そうネットでよく視聴しているのである。
昨年もテレビで新シリーズがオンエアされたというその作品では、変わり者のベテラン刑事と、彼の性格に振り回されつつもたがいに信頼して動き回る、まさにアシスタント役の若手刑事というバディが、様々な思惑が絡んだ殺人事件を見事解決に導いていた。
てことは、サキョーさんみたいな人もいるのかな。
ファンの自分から見ても、odd=変わり者なベテラン刑事の役名を思い浮かべたケイトは、だが我に返って小さく首を振った。のほほんとしている場合ではない。
現実に、身近で殺人事件が起こったのだから。
二十六歳のアメリカ人であるケイトは、ここ幸浜町で今年度からALT=Assistant Language Teacherとして働いている。日本語では「外国語指導助手」と呼ばれる立場で、勤務先は町に一つずつしかない小・中学校の、幸浜小と幸浜中。いずれにおいても英会話クラスをはじめ、語学に関する授業や行事の諸々を担当する、れっきとした「先生」だ。
国から「過疎地域」指定を受けている幸浜町は、幸浜小が各学年たった一クラス、幸浜中も二クラスしかなく、さらに小学校では週に一度だけ英会話クラスを担当する形なので、じつは小中兼務でもそこまで忙しくはない。ちなみに雇用形態は多くのALTと同様、国が推し進めている『JETプログラム(外国語青年招致事業)』に則っての、町の任期制職員という形である。
子どもの頃、少しだけ日本に滞在した経験があり、さらに高校~大学と熱心に学んだお陰で、ケイトは日常会話程度なら問題なく日本語を話すことができる。加えてまだ二十代という若さや、日本人と同じ黒髪という見た目も手伝ってか、子どもたちもすぐに懐いてくれた。
小学校では、
「ケイ先生の授業、もっと増やして欲しいのに」
と生徒の皆が言ってくれるし、中学でも、
「ケイ先生、今度の週末、部活の試合があるんです! 観に来てください!」
などとよく誘われる。また、自身も町内にマンションを借りて住んでいるので、スーパーやコンビニ(町に二軒しかないが)で、教え子たちやその家族に出くわしてしまうこともしばしばだ。悪いことはできないな、と苦笑しつつも、田舎のコミュニティが狭いのはアメリカでも日本でも変わらないのかも、と実感して逆に楽しめてもいるので、幸浜での生活はおおむね順調だった。
そんななか。
六月半ばの土曜日、町の象徴とも言える御林神社の境内で、中年男性の死体が発見されたのである。
「殺されたの、高田谷さんとこの息子みたい」
「えっ!? 公務員になった?」
「じゃなくて、次男の方。ほら、あのずーっとフラフラしてた」
「ああ……。幸浜に戻ってきてたんだ」
先ほどとは違う声での会話も耳に入った直後。やはり潜めた感じの声で、ケイトは名前を呼ばれた。
「ケイ先生」
振り返ると見慣れた顔が三つ、神妙な表情でこちらを見つめている。幸浜中学二年生の教え子たちだ。
「あら、みんな。グッドモーニング」
殺人事件の現場で「グッド」も何もないはずだが、いつもクラスで口にしているため、ついするりと言葉が出てしまった。三人の子たちはと言えば、さすがに「グッド」な朝ではないことに気付いたのか、「おはようございます」と揃った日本語で返してくれる。
「ケイ先生も、誰かから聞いたんですか?」
三人のなかでただ一人の男の子が、なんのことかはあえて指摘しない上手な尋ね方をしてきた。頭の回転が速く、万事において気も利く彼――御森才は学級委員を務めており、成績も常に学年トップクラスの優等生だ。きりっとした顔立ちでルックスも良いので、「サイ」「サイ君」と仲間たちから慕われており、多くの同級生から人気があるらしい。
「ええ、大家さんが――」
答えながらケイトは、ハッとなった。
「あ、見ちゃ駄目だからね!」
子どもたちに正対したまま、通せんぼするように両手を広げてみせる。
「警察がテープの向こうで捜査中だし、ここから動かないで」
びしっと続けたところで、今度は女の子の声が「大丈夫ですよ、ケイ先生」と、からりと呼びかけてきた。
「来る途中で、サイからも言われてましたから。そもそも無理だろうけど、死体を見ようなんて真似はするなよって」
ね? とばかりに隣のサイに視線を向けるのは、同級生の青木詩織。皆からは「シー」と呼ばれる女の子である。中学ではダンス部に所属する快活な子で、大きな目とポニーテールがチャーミングな、これまた人気者だ。サイと並んでいると、ジュニアモデルの撮影会みたいにも見える。
「サイがクラスのグループメッセージでも、神社で事件があったらしいけど野次馬めいた行動はしないように、ってみんなに送ってくれたんです」
「しかも《そんなこと言っても、どうせおまえらは行っちゃうだろうから》って、わざわざホウんちの前で、私たちを待ち伏せしてたんですよ? 信用ないなあ、もう」
「でも実際、図星だったよね。私は近所だし、シーちゃんが誘うだろうっていうのもバレバレでした」
残るもう一人の女の子が、シーに苦笑を向けつつ話に加わってきた。ロングヘアを結んで眼鏡をかけている彼女は、「ホウ」こと相馬法子。シーとは正反対の落ち着いた雰囲気をまとっており、実際、性格も見た目通りだったりする。自宅はこの御林神社から徒歩五分程度のところにある『相泉』という旅館で、普段から家の手伝いもしている真面目な子だ。学校でもサイとともに学級委員を務めている。
「セイちゃんと、テン君は?」
リーダー役のサイに視線を戻して、ケイトは尋ねた。この三人といつも一緒の「セイ」=五味セイラと、サイの従兄弟で皆が「テン」と呼ぶ小学四年生、露木纏の姿が見えないからだった。幼稚園からの幼馴染みで、幸浜中学二年一組の仲良し四人組として知られるサイ、シー、ホウ、セイは、放課後や休日の時間を利用して、テンの面倒もよく見ているのである。
大人しいうえに人見知りの激しいテンは、完全な不登校というほどではないが、小学校にも来たり来なかったりらしい。ケイトの授業は今のところ一度も欠席していないが、むしろそれはめずらしいことだそうで、
「英語自体にも前から興味があった感じですけど、何よりケイ先生がお気に入りみたいです。綺麗で優しいから、憧れてるのかもしれませんね」
と、サイも以前に言っていた。まったくの余談だが、十四歳にしてさらりと女性を褒めることができる彼に苦笑しつつ、悪い気がしなかったのはここだけの話である。
「セイとテンも、すぐに来ると思います。叔父さんの家にはセイが一番近いから、行きがけに寄ってくって返信がありました。どうせシーとホウもいるんでしょ、とも。僕ら四人が揃ってるのに自分だけ呼ばれなかったって知ると、テンのやつ、さり気なく拗ねるんですよ」
ホウと同じように笑って、はきはきとサイは教えてくれた。クラスメイトに釘を刺しておきながらも、結局はこうなることを織り込み済みだったようだ。本当にしっかりしている。
「僕とシーよりは近いし、港からもすぐだからぼちぼち――あ、来ました!」
言いながら後ろを振り返った彼が、声のトーンを上げた。視線の方向に軽く右手も振ってみせる。
一分と経たないうちに、色白の男の子を連れた、こちらは褐色の肌が印象的な女の子が「あ、ケイ先生! おはようございまーす!」と笑顔とともに現れた。セイだ。ショートヘアに、大胆なノースリーブのシャツがよく似合っている。
「おはよう。セイちゃん、テン君」
「おはようございます」
声量こそ小さいが、手を引かれたままテンも素直に挨拶を返し、ぺこりと頭まで下げてくれる。ケイトもこの三ヶ月で確信するようになったが、人一倍大人しいというだけで、兄代わりのサイと同様、テンも礼儀正しくて賢い少年なのである。
あらためて、そしてずばりと質問してきたのは、そのテンだった。
「あそこに死体があるんですか?」
スポーツブランドのロゴ入りTシャツから、女の子のように細い腕が伸び、ブルーシートのあたりを指差す。「テン!」と慌ててサイが腕を下げさせる眼前で、だがケイトは正直に答えるしかなかった。
「うん、そうみたい。今、警察の人が確認してるの。だからテン君もこれ以上近付いたり、ホトケサマを見ようとしたら駄目だよ」
「はい」
聡いテンは素直に頷いてくれた。彼の左右でシーとセイが小さく笑っているのは、自分が「ホトケサマ」という、難しい(はずだ)日本語を発したからだろう。
案の定、ホウがおかしそうな顔のまま褒めてくれた。
「ケイ先生ってほんと、日本語ペラペラですね」
「サンクス。ステーツでもずっと勉強してたから」
得意げに胸を張り、口調も極力明るくしてケイトは答えた。殺人現場という認識を少しでも薄れさせ、ついでに彼女たちをいち早くこの場から遠ざけなければ、と思いながら。
でもなんで、こんな事件が……。
今はもう視界に入っていない背後、鳥居の向こう側を気にしつつ、ケイトは自宅マンションで聞いたばかりの話を思い返した。