役場 3
ノートパソコンの脇に置いてあるタブレットを手に、ケイトは古峰の向かい側へと戻った。思いついたことは、あらかじめここにまとめてある。
「私の方から、先にいいですか」
「はい。どうぞ」
もう一度コーヒーを口にしてから、古峰も頷きを返してくる。「サンクス」と微笑んだケイトは、手元のお手製資料を確認しながら、事件についての自分なりの考えを説明していった。
「古峰さんが教えてくださった、それぞれの殺害現場にフォーカスしての考え方、私もジッセンしてみました」
「気付いたのは、野明さんですけどね」
謙遜するとともに、古峰は申し訳なさそうな表情で続ける。
「でも結局、各現場で大昔に暴行や恐喝が行われていたとか、最近でも被害者を目撃したなんて情報は、今のところ捜査員の誰も拾えていないんですが」
「ええ。だからこそ、さらに別の角度から考えてみたんです」
「さらに別の角度?」
怪訝な口調で繰り返す彼に、ケイトは「イエス」とタブレットの画面を向けてみせた。
「アルファベットや平仮名が多くてごめんなさい。とにかく、これを見てください」
「はあ」
要領を得ない様子ではあるが、横書きで箇条書きにした文面を、古峰の視線が丁寧に追いかけていく。けれども切れ長の目は、文字を辿るごとに見開かれていった。
「ケイ先生、これは……!」
「ジャスト・マイオピニオンですけど」
「いえ、お恥ずかしい話ですが、まったく気付きませんでした。……ああ、でもたしかに!」
「素人が勝手に調べただけですし、私こそ恥ずかしいです。けど、何かありそうな気がしませんか」
「はい、きっと何かあると思います。そうだ、こちらのデータ、いただいても構いませんか。見直しと清書をしてから、明日の会議でさっそく報告させてください」
「オフコース。お役に立てて良かったです」
即答したケイトは、さっそく古峰のアドレスに宛てて手元のファイルを送信した。
日本語で、《さつがいげんば:「まつり」がKey word ?》と題された文書ファイルを。
《① 神社の「まつり」=神様に祈ること。そのぎしき。
② お寺の「まつり」=本来はphantomをなぐさめたり、おそうしきをすること。みたまをなぐさめる行い。
③ 港の「まつり」=たてまつる、ささげる。りょうしさんが神様に海の幸をけんじょうする。
④ 役場の「まつり」=政治のこと。むかしの神道では、さいし(まつり)を司る者と政治を司る者は同じ意味。さいせいいっち。
すべて神様やsoul, phantomといったものにかかわる「まつり」の現場? だから、holy stoneの松竹石で?》
ケイトが発見したのは、これだった。今までの殺害現場はすべて、「祭り」や「政り」といった言葉に関係している。しかも「さいせいいっち」=祭政一致。
「つまり、もし次の殺人が起こるとすれば、同じように『まつり』という言葉に結び付けられる場所かも、ってわけですね」
初めて会ったときのようにデイパックから自分のタブレットを取り出した古峰も、画面を見て何度も頷いている。データは無事送信できたようだ。
「イエス。アイシンク・ソー」
英語での返事とともに、「なので」とケイトは重ねた。
「幸浜町内で、ガイトウする場所を探してみました」
「そこまでしてくれたんですか? ……あっ!」
目を丸くしてタブレットの画面をスクロールさせた古峰が、ハッとなった。次のページも確認してくれたからこその反応だった。
「こんな場所が……」
「はい。私も知らなかったんですけど、町の観光協会のウェブサイトで、小さく紹介されてました。探せば現地に看板も立っているそうです」
「ありがとうございます。こちらも、明日にでも行って確認してみます」
二人が揃って表示しているページには、一見するとなんの変哲もない砂浜の写真が載っている。もちろんケイトが貼り付けたものだ。
観光協会のウェブサイトから、そのままコピーしてきた説明文とともに。
《佐ヶ浜(すけがはま):鎌倉幕府の開祖・源頼朝は、一一八〇年に石橋山の戦いで平氏に敗れた後、幸浜へと落ち延びて海岸の洞窟に身を隠しました。町の人々に手厚く保護された彼が再起を賭けて旅立つ際、出港した場所と言われるのが通称「弁天島」に面した、ここ山石海岸の東端です。以来、山石海岸の東側は「佐殿」と呼ばれた頼朝にまつわる場所として、佐ヶ浜とも呼ばれてきました。》
「弁天島って、山石海岸にある岩でできた小島ですよね。小さな鳥居も建ってる」
「ええ。あのあたりを、佐ヶ浜って言うみたいです」
宙を見つめて古峰が思い出す通り、第三の殺人が起こった竜泉寺からもほど近い山石海岸には、海へ入ってすぐの場所に、巨大な岩でできた島がそびえ立っている。町の人々はそれを「弁天島」と呼び、ささやかな神域として敬っているそうだ。佐ヶ浜については知らなかったが、ケイトも弁天島に関しては沢山の人から聞いたことがあるし、実際に何度も目にしている。
「神様を祀る小島があって、源頼朝にも〝まつわる〟海岸、か」
「はい。つまり佐ヶ浜も『まつり』に関係する場所だと言えます」
「ですね」
「一応、他にも探してみましたけど、『まつり』に繋がるような場所は、あとは佐ヶ浜だけでした」
「じゃあ……!」
古峰が小さく身を乗り出す。佐ヶ浜を警戒していれば、次の殺人を防げるどころか、犯人確保にも繋がる可能性は大きい。もちろんケイトも、そこは同じ意見だ。
ただし。
眉間にしわを寄せたケイトは、「でも」といったんストップをかけた。こういう流れだからこそ、冷静にならなければ。
「佐ヶ浜に松竹石があるかどうかは、わかりません」
「あ、そうか」
指摘されて自身も気付いた様子の古峰だったが、「いや、ちょっと待ってください」と片手を差し出してきた。
「別に、その場に松竹石がなくても構わないんじゃないですか」
「え?」
「多少重いかもしれませんが、頭を殴る程度の石なら車や、なんだったら自転車の籠に入れてもじゅうぶんに持ち運びできます。というか山石海岸にだって、探せば松竹石の岩は転がっているかもしれない」
「たしかに……そうですね」
反論はせず、ケイトは目の前のフォークを手に取った。バウムクーヘンを切り分けると、外側をコーティングしているグレーズに亀裂が入り、パラパラと剥がれてゆく。
額のあたりに視線を感じながら、やっぱり誤魔化せないか、と思う。
同時に、どこかほっとした気持ちも湧き上がる。彼に――古峰に、隠しごとをせずに済んで良かったと。
「古峰さ――」
「ケイ先生」
無理しないで、とでも言うようにそっと声を被せられた。
顔を上げると、いつしか古峰の視線も、ひび割れたグレーズに注がれていた。
崩れてしまった、無垢なほどに白くて、甘くて、繊細なものに。
「すみません」
今度は完全に声が重なる。けれども意味が微妙に異なるのだということは、もうケイトにもわかっている。
彼のひとことは「気付いてしまって、すみません」。
そして自分は「ごまかそうとして、すみません」。
自分のバウムクーヘンを同じように切り分けた古峰が、小さな欠片をそっと味わう。愛おしむように。何かを胸の内へ取り込むように。
もう一度、コーヒーで口を湿らせてから、彼の唇が静かに告げた。
「わざと全部、平仮名にしたんですね」
「はい。仰る通りです」
視線を真っ直ぐに受け止めて、ケイトは頷いた。完璧な日本語で。
当然よね、と自嘲する。外国人にとって難しいと言われる敬語ですら、自分はこんな風に使いこなせてしまうのだ。たしかに苦手な漢字はまだまだ多いが、パソコンやスマートフォンの変換機能を使えば、日本人とほぼ遜色ない文章だって書くことができる。そして古峰は、それをよく知っている。何せこの国で一番、ケイト・ファフナーと日本語のメッセージをやり取りしている人なのだから。
「本当は全部書けました。『まつり』の字。仮に書けなくても、元の資料からコピペすればいいんですしね。ごめんなさい」
唇を噛みながら、ああ、また日本語のスラングがさらりと出てしまった、と思う。コピペ、だなんて。「なかに日本人が入ってる」とまで評された記憶が甦る。
「謝らないでください。別に法に触れることをしたわけじゃない。それに――」
一瞬だけ言葉を切ってから、古峰は穏やかに続けた。
「逆の立場だったら、俺だってきっとそうしてます」
自分の前で初めて「俺」と言ってくれたことに、少し遅れてケイトは気が付いた。でも、今はまったく喜べない。むしろ胸が痛くて、苦しい。
「神社の『祀り』はシ。お寺の『祭り』はサイ。港の『奉り』はホウ。そして、役場の『政り』はセイ」
漢字の音読みとともに向けられる、凪いだような優しい眼差し。男性にしては長い睫毛だな、羨ましいな、となぜか場違いなことを頭の片隅で想う。
同じく静かな視線を返したケイトは、古峰の言葉を補足した。
「はい。そして佐ヶ浜の『まつわる』は、きっと『纏わる』です。まきつく、とか、からまる、っていう意味もある糸偏の。アルケイク・ワードの『まつり』が語源ていうのも、同じだそうです」
すっと息を吸い、彼に倣って音読みも続ける。
「つまり、『纏り』。テン」
「……それぞれのあだ名に見立てた犯行、というわけか」
誰の、とは古峰もあえて言わないでくれる。だけど、こういうことだった。こういう事実にケイトは気付いてしまった。
少なくともこれまでの殺人事件は『まつり』に関わる場所で行われており、そしていずれもが、四人の教え子たちの名前に繋がってしまうこと。そして似たような場所が、町内にもう一箇所存在すること。さらに言えば事件のすぐあと、捜査の進捗について古峰から何か聞いていないか、さり気なく探られたこともあった。あれはたしか、セイだったろうか。
「だとするとたしかに、四件の犯行時刻がすべて休日の前夜から早朝にかけてだったのも、納得がいきます。翌日も学校がある日のそんな時間に、中学生が自由に出歩くのは難しい」
「イエス」
「御林神社も竜泉寺も、幸浜港も町役場も、踏み台になる階段や石、ブロックなどは沢山ありますし」
「ええ」
変わらず優しい声のままでしてくれる辻褄合わせに、ケイトは小さく頷き続けた。古峰が語る通りだ。相手が大人の男性でも、そういった場所を利用して逆に自分の方が高い位置を取り、さらに背後から思い切りの一撃を加えれば、昏倒させるくらいはじゅうぶんに可能だろう。あとは倒れたところを重ねて殴り続け、息の根を止めればいい。
「いつも、あの子たちが、いたんです」
あれ、と思いながらケイトは再び自分から唇を開いた。なんだか息が苦しい。
「事件が、起こるたびに、あの子たちの全員か、もしくは誰かが、現場に……」
「子どもたちだけですか」
確認とともに、タブレットを置いた古峰が席を立つ。テーブルを回り込み、隣に寄り添ってくれる。
「いえ」
ゆるゆると首を振ったタイミングで、何かが頬を伝い落ちていった。ああ、と今さらながらにわかった。私、泣いてるんだ。ちゃんと泣けてるんだ。良かった。
「葉村、先生も、事件のあと必ず現場に、来ていました。二回目のとき、だけじゃなくて。きっと、事件を起こした子と、直後はいつも、一緒だったんです。先生は、先生が、先生に、先生と……」
あっという間に苦しさが増していく。胸が上下して、何かがしゃくり上げて、言葉にならない。鼻の奥が、喉が、ヒリヒリする。視界がぼやけていく。
「ごめん、なさい、古峰さん。私、日本語、なんか、おかしく――」
「いいんだ。もう、いいんだ」
そこから先は声が出なかった。古峰が、ぎゅっと自分の上半身を抱き寄せてくれたから。
暖かい胸のなかで、ケイトは大粒の涙を流し続けた。




