8
館に戻ると、アラン王子の部屋の前で騎士達が揉めていた。
「何があった」
エマーリエの肩を抱いたまま騎士達にアラン王子は声をかけた。
騎士達は心底困った顔をして敬礼をする。
「失礼いたしました。この女性がアラン王子の部屋に入れろと言われまして」
騎士達の間から出てきたメリッサはアラン王子の姿を見つけると目を輝かせた。
「あら、本当に部屋に居なかったのね」
メリッサの姿を見てアラン王子の顔が険しくなった。
「何か御用でも?」
「少しお話したいなぁと思って。部屋に入れてくれません?」
甘ったるい雰囲気を出しながら近づくメリッサに険しい顔をしてアラン王子は睨みつけた。
明日結婚式を挙げる新婦は思えない態度だ。
「もし、用事があるようならランドル殿を通してもらいたい。では失礼」
エマーリエの肩を抱いて部屋に入ろうとするアラン王子の前にメリッサは立ちはだかった。
「私が誘っているのよ」
隣に居るエマーリエの姿など見えていない様に振舞うメリッサも恐ろしいが、アラン王子が発する不機嫌な雰囲気も恐ろしい。
肩を抱かれたまま気配を消してエマーリエはアラン王子の服にそっと触った。
触った指先から痺れたような感覚が走り、映像が脳裏に流れ始める。
あの感覚だ。
エマーリエはとっさに目を瞑って視える映像に集中した。
ザラザラした荒い映像はいつもと同じ白黒だ。
素朴な町の教会の聖堂に隣座るアラン王子。
新郎のサンディーと新婦のメリッサが主祭壇の前に立っている。
アラン王子は新婦のすぐ近くの通路に座っておりその隣がどうやら自分らしい。
前に立っていたはずのメリッサがアラン王子に顔を向けた、ベール越しの彼女の表情は見えない。
メリッサはアラン王子に倒れ込むように覆いかぶさった。
とっさにメリッサの手を掴むアラン王子、彼女の手にはナイフが握られていた。
ステンドグラスの光に当たりナイフが輝き刀身には血が付いている。
音は何も聞こえない。
アラン王子はメリッサを抑え込んでいたが力なく倒れた。
床の上には血だまりが出来ており駆けつけた騎士達がアラン王子を囲み怪我の様子を見ている。
騎士の一人がアラン王子の首に懐から出した白い布を当てた。
みるみる血に染まる布。
どうやら首を切られたのだろう。
「エマーリエ?」
アラン王子の声にエマーリエの視界が戻る。
メリッサはまだアラン王子に色目を使って近づいてこようとしているのを騎士達が防いでいた。
そんな彼女が恐ろしくなりエマーリエはアラン王子の背に隠れた。
様子の可笑しいエマーリエにアラン王子の顔がますます険しくなる。
「その女をこの階に入れるな。オズワルドにも近づけされるなよ」
「はい」
メリッサを無視して、騎士に命ずるとアラン王子はエマーリエの腰を抱いて部屋へと入った。
部屋の中には誰もおらず、エマーリエをソファーに座らせると茶器からお茶を淹れてエマーリエの前に置いた。
意外そうな顔をするエマーリエに、アラン王子は微かに笑う。
「俺がお茶を入れたらおかしいか」
「王子様はお付きの人が居るからやらないものだと思っていました」
正直に言うエマーリエに、アラン王子は鼻で笑った。
「傍に他人がいると煩わしくてかなわん。何があった?何を見た?」
エマーリエが何かを見たと言うのはお見通しらしい。
緊張でカラカラになった喉を潤すために、アラン王子が入れてくれたお茶を一口飲んだ。
暖かいお茶が冷え切った心を溶かしてくれるようでエマーリエは息を吐いた。
「私が淹れるよりも美味しい・・・。茶葉?蒸らす時間?」
自分で淹れるよりも匂いや味が美味しく感じて驚くエマーリエ。
「淹れる人間だろう。で、何を見たんだ?」
「アラン様が明日の結婚式でメリッサに首を刺されるのを見ました」
暗い顔をして言うエマーリエにアラン王子は信じられないと言う顔をしている。
「俺があの女に刺されるだと?そんな隙をみせるはずがない」
「でも、見えたんですよ。こう、メリッサが倒れるように覆いかぶさって、アラン様はすぐにメリッサの手を取り押さえましたけれど多分倒れた時にナイフが首を掠ったのかもしれないです。すぐに騎士の人が応急処置をしていましたけれどみるみる血が床に溜まっていました」
エマーリエの説明にアラン王子は額に手を置いてため息を付いた。
「なぜ俺があんな女に殺されなきゃならないんだ。それも情けない死に方を・・・」
「やっぱり死んじゃうんですか・・・」
白黒だが血を流して倒れているアラン王子を思いだしてエマーリエは涙目になった。
「まだ死んでいないし、その予定もない!」
「でも、私視たんですよ・・・。力なく倒れるアラン様を」
「回避できるし、回避する。そのためにお前が視たのだろう?」
アラン王子の言葉にエマーリエははっとして涙をひっこめた。
枝が落ちてきたときに助けることができたのだから今回も出来るはずだ。
「そうですね!また、私が何とかします!」
「止めてくれ。その手の様に大怪我をされたら敵わん。あの女が明日何をするか分かったら防ぐことができる」
「どうするんですか?」
「まずは、席順を変える。そして俺はいつでも戦える準備をしておけばあんな女ごときにナイフで殺されるはずはない」
「なるほど」
頷いたエマーリエだったが、先ほどの事もあってかメリッサに対して怒りを抑えられずにいるアラン王子の殺気が伝わってくる。
「殺したりしないですよね?」
念のために聞くエマーリエにアラン王子は怒りを込めた目を向ける。
「状況次第だ。先ほどの廊下でのやり取りを覚えているだろう?お前と言う婚約者が居るのに俺に近寄ってくるとは命が惜しくないと見える」
「私たちより、サンディーが可愛そうですよね。明日結婚式だって言うのに・・・」
「結婚式の前日に別の男に色目を使い、挙句の果てに思惑通りにならない俺を殺そうとするヤツに同情する気もしない。サンディーも女を見る目が無いな」
怒りに燃えているアラン王子の瞳を見ながらエマーリエは頷いた。
「仕方なく結婚させられるのかしらね・・・私たちは違いますよね?」
王妃に言われて仕方なく結婚したと結果的になっているような気がして不安になるエマーリエに、怒りを込めた瞳が見つめる。
「あいつらと一緒にするな!」
大きな声で言われてエマーリエは首をすくめた。
「いいか、エマーリエ。今夜は誰に言われても絶対に外に出るな。俺が迎えに行くまで部屋から出るなよ」
「解りました」
アラン王子の迫力にエマーリエは首をすくめて聞いているとドアがノックされた。
アラン王子が返事をすると申し訳なさそうに侍女がドアを開けて頭を下げた。
「お取込み中申し訳ございません。お食事のお時間ですが・・・」
怒りに燃えているアラン王子の気迫に恐れおののきながら侍女は頭を下げ続けている。
「食事か。仕方ない。行くぞ、エマーリエ」
「はい」
やっと解放されるとほっと息を吐いて席を立った。
当然のようにアラン王子が腕を差し出してくるので手を絡めて廊下へと出る。
廊下にはオズワルドとマドリーヌが何とも言えない顔をして立っていた。
「えっと、揉めていました?」
心配そうに聞いてくるオズワルドにアラン王子は怒りを込めて頷いた。
「オズワルド、あの女には気を付けろ。とんでもないあばずれ女だ」
「えっ?あばずれ?誰の事?」
あまりの言いようにオズワルドが驚いてアラン王子とエマーリエを交互に見る。
「私じゃないですよ。メリッサさんの事です」
周りにブロッグ家の人が居ないか確認をしてエマーリエが言うとオズワルドとマドリーヌは顔を見合わせて頷いた。
「アラン兄様に色目使いしていましたね。それで怒っていたんですか?」
アラン王子の代りにエマーリエが頷く。
「そうですよ。凄い怒ってこの階に来ることが禁止されました」
「あー・・・。異様に騎士達の警護が厳しいのはそういう事なんですのね」
マドリーヌも廊下に居る騎士を見て可愛い顔で微笑んだ。
アラン王子にエスコートされて食堂に行くとすでにブロッグ家の人達は集まっていた。
館の主であるランドルと妻のサマンサが冷や汗をかきながらアラン王子に頭を下げた。
「メリッサがご迷惑をおかけしまして申し訳ございません」
「あの女は居ないのか?花婿も居ないようだが」
食堂に集まっている人たちを見回してアラン王子が言うとランドルはハンカチで汗を拭きながら乾いた笑みを浮かべた。
「明日の結婚式の準備がありますので、席を外しております」
「そうか。安心して夕食が食べられそうだ」
エマーリエに向かってアラン王子が言うと、ブロッグ家の人達は安心したのか息を吐いた。
メリッサの姿が見えないことでアラン王子の怒りもだいぶ収まったようだ。
エマーリエも安心して、アラン王子の隣に座る。
それでも気まずい雰囲気のまま夕食を食べ終わり、それぞれ部屋に戻る。
侍女たちも追い払い、エマーリエはやっと部屋で一人になった。
「はぁー疲れたぁ」
ベッドの上で大の字に横になる。
一日のうちにいろいろ起こり、疲労困憊だ。
疲労のせいで、右手の怪我が痛むような気がして手を持ちあげて眺めた。
「結婚式の前日に別の男に色目を使うなんてとんでもない女だけれど、アラン王子を殺そうとするなんてまったく意味が分からないわ」
あくびをしながら呟くエマーリエはハッとして眠気が冷めた。
「そうよ、アラン王子が殺されそうになるんだった。明日は気を引き締めないと」
アラン王子を守ることができるのは自分だと強い決心をし、また大きなあくびをした。
どうしてアラン王子を殺そうとするのかエマーリエにはさっぱり分からない。
考えているウチにエマーリエは眠りについた。