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戴冠式の騒動から数日が経過した。
疲れ切った顔のレイモンドが机の上に顔を乗せている。
「大変だったよ。と、いうか今も大変だけれど」
机の上には山のような書類が乗せられている。
戴冠式での事件にかかわったものの調査書は山の様に積み上がり、机の上を埋め尽くしていた。
顔色の悪いベアトリスがため息を付いてお茶を一口飲んだ。
「戴冠式の日は本当に大変だったわね」
「母上、途中で隠し通路から逃げましたよね」
恨めしそうにレイモンドに見られベアトリスは上品に笑った。
「おほほ、マドリーヌちゃんがナイフを持った時点で驚いてしまって」
「そう言えば途中からベアトリス王妃を見ませんでした!」
今思い出したとエマーリエが叫ぶと、ベアトリスはまた上品に笑う。
「エマーリエちゃん。もう私は王妃ではないわよ。お母さまって呼んでね」
まだ結婚をしていないのでお母さまなど呼べないとエマーリエは首を振る。
アラン王子はエマーリエの隣座り、書類の束を数枚捲ってため息を付いた。
「すべてに目を通すなど俺は無理だ。量が多すぎるな」
「僕だって無理だよ。目の下のクマを見てよ」
そう言って自分の目の下をレイモンドは指をさした。
顔色は悪いが目の下のクマは見えずエマーリエはよく見ようと身を乗り出す。
「兄上が不眠で仕事するわけがないだろう」
身を乗り出したエマーリエの腕を掴んでアラン王子は言った。
レイモンドの横に座っているジュリエットも頷いている。
「でも大変だよ。発端はマドリーヌちゃんのお父さんだったよ。どうしてもマドリーヌを王妃にしたかったみたいだね」
「そのために俺と兄上を殺す計画をしたのか。難儀なことだな」
アラン王子は両腕を組んだまま鼻で笑った。
「ジュリエットとエマーリエちゃんも狙われていたんだよ。マドリーヌの父親は昔から王になりたくて仕方なかった。しかし自分は王家には生まれていない、では娘を嫁がせよう。まぁ、そこまでは普通の貴族の間ではありそうな話だ」
「そうだな」
アラン王子が頷くと、レイモンドは机の上に顔を置いたまま話を続ける。
「しかし、娘は第三王子に嫁ぐ予定だ。あれ、王位まで遠いぞ。仕方ない、俺達を殺そうってなったらしい」
「安直すぎるだろう」
「そこだよ。普通なら一人の男の野望で終わるはずが、なぜか貴族の騎士の家の弱みを握りじわじわと仲間を増やしていった。反乱を起こした騎士や家族を調査して、わかったんだけれどね。その調査が大変で。芋ずる式に検挙しているわけよ。一回捕まるとみんな口が軽い軽い。嫌な貴族社会だよね。あいつも仲間だったと言ってくれるだけありがたいけれど」
そこまで言ってレイモンドはお茶を一口飲む。
「でも、マドリーヌちゃんはオズワルド君とお父さんのためにやったみたいなことを言っていたわよ」
ジュリエットが言うと、レイモンドは頷いた。
「それねー。まだ調査中だけれど、刷り込みや洗脳みたいなものじゃないかと思うんだよね。オズワルドは王になる方が幸せだとか、王になるべきだと信じて疑わないらしい。怖いよねー。何の躊躇もなく、人を殺そうとするんだから。心のどこかが欠落しているだろうね」
「私、殺されるところだったわ。それは夢で予知できないのね」
ジュリエットが呟くと、レイモンドもため息を付いた。
「僕達のこの能力も完ぺきではないという事だ。でも、未来は変わることは証明されたね」
「そうだな」
アラン王子は頷いた。
「まだまだ調査は続いていくけれど、一体どれだけの貴族が関わっていたいのかと思うとぞっとするね」
「マドリーヌちゃんはどうなるんですか?」
エマーリエが聞くとレイモンドは軽く笑って答えなかった。
隣居座るアラン王子を見上げると、肩をすくめる。
「軽くはない罪だろう。王妃の暗殺未遂。それと、多分だが・・・・」
アラン王子は言葉を切ってエマーリエの顔を見る。
「多分?」
エマーリエが首を傾げるとアラン王子は頷く。
「多分だが、エマーリエが川で死んだ夢を見たと言ったが、あれはマドリーヌが突き落としたのかもしれない」
「なるほど。マドリーヌちゃんに誘われたら確かに川も見に行くかもしれないです」
エマーリエは頷いて、ゾッとした。
身近に命を狙っている人が居たという事だ。
可愛らしい16歳のマドリーヌが人を殺められるなど想像できるはずもない。
「そうなると、僕達の特殊な能力が発揮されたということだね。そしてこれからも」
レイモンドが言うと、ジュリエットとエマーリエは頷く。
「そうね。お互いを助け合って生きていく素晴らしいわね。王宮は恐ろしいところだから。そう思うとオズワルドはマドリーヌちゃんの事見えなかったもの。やっぱり結婚相手ではなかったのよ」
自分に言い聞かせるようにベアトリスが言う。
エマーリエは一同を見回した。
「オズワルド様はどうされているんですか?」
「ショックで寝込んでいるよ。可哀想に」
レイモンドは机にうつ伏して答えた。
「部屋から一歩も出られないほど落ち込んでいて見ているのも可愛そうよ」
ベアトリスはオズワルドの様子を思い出したのか涙をぬぐっている。
「そうですか・・・」
「オズワルドも前から異変は感じていたらしいよ。まさか俺達を殺して王にさせようとは思っていなかったってさ。可哀想に、ずっと俺達に謝るんだよねぇ」
レイモンドはため息を付いた。
「いつかきっと、未来が見えてお互い助け合うような素敵な人が見つかりますよ」
エマーリエが言うと、ジュリエットも頷く。
「絶対にそうよ。きっといい人が見つかるわ」
「そうだね」
アラン王子も頷いてエマーリエを見た。
「さぁ、俺はまた調査報告を聞きに行ってくるよ。全く、参っちゃうよ仕事が増えて」
ワザとらしく、大きなため息を付いてレイモンドが立ち上がった。
それを期に一同も立ち上がる。
「私はこの話を聞いているだけで疲れたわ。じゃ、また夕食でね」
「そうね、疲れたわ」
ジュリエットとベアトリスもため息を付きながらエマーリエに挨拶をして部屋から出て行く。
「アラン様は報告を聞きに行かなくていいんですか?」
部屋を出てエマーリエの横を歩くアラン王子を見上げる。
「聞いても仕方あるまい。部屋まで送る」
そう言ってエマーリエの腰に手をまわして歩き出した。
「のんびりと城の中を歩くのは久々ですね」
ゆっくりと歩きながら通り過ぎる騎士や侍女がエマーリエ達に頭を下げるのを見ながら言うと、アラン王子は頷いた。
「そうだな」
廊下の窓から城の裏庭の池が見えてエマーリエは立ち止まる。
池の中に小島があり、ガゼボが建てられているのが見えた。
「アラン様、少し時間があるのならあそこにいってみたいのですが」
エマーリエが指をさした先を見てアラン王子は顔をしかめた。
「あそこは寒いぞ」
「でも、行ってみたいんです」
エマーリエに懇願されてアラン王子は仕方なく頷く。
「行くからには防寒対策が必要だな」
「あ、お茶も持っていきましょうか」
お茶をするという一言にアラン王子の眉間の皺が深くなる。
「まさかあそこに行ってゆっくりするつもりか・・・」
呟くアラン王子にエマーリエは頷いた。
アラン王子はため息を付いた。
「わかった、エマーリエはコートを持ってこい」
「はーい」
エマーリエは返事をして速足で部屋まで戻り、フード付きのケープコートを手に戻る。
廊下に出るとすぐにアラン王子が立っていた。
黒いマントを騎士服の上につけていて、手には籠を持っている。
「すぐに冷めるだろうが、一応飲み物を用意した」
「素早いですね」
エマーリエは驚きながらもアラン王子と並んで歩き出した。
外に出ると、ひんやりとした空気に一瞬身を縮こませるも歩いているうちに少し暖かくなってくる。
「天気がいいから太陽が気持ちいいですね」
アラン王子の腕に手を置いてエマーリエは微笑んだ。
「そうだな」
「あっ、この橋を渡ってみたかったんです」
枝だけになっているバラの庭園を抜けて、大きな泉の中にある島を渡す白い橋をエマーリエは指さした。
小さな橋だが、アーチ型になっていてその先には白いガゼボが建っている。
ゆっくりと橋を渡り、ガゼボへと向かう。
小さな机にアラン王子は手に持っていた籠を置いた。
アーチ形の屋根は一部がガラス張りになっていて青い空が透けて見えている。
エマーリエは椅子に座って上を眺めた。
「太陽の光が気持ちいいですね。風も無いから暖かいですね」
アラン王子は頷いて籠からポットとカップを取り出してお茶を注いだ。
カップをエマーリエに渡すと自らも隣に座る。
「ありがとうございます」
お茶を一口飲んでエマーリエは顔をしかめた。
「なんだ。まずいのか?」
アラン王子が聞くとエマーリエは首を振る。
「違います、凄く美味しいです。このお茶アラン様が淹れましたね」
「よくわかったな」
驚くアラン王子にエマーリエは頷く。
「誰よりもおいしいお茶だからですよ。アラン様に叶うものなど何もないですね」
少し落ち込むエマーリエにアラン王子は微かに微笑む。
「俺の命の危機を察知する能力は凄いと思うが」
「そりゃ、そうですよ。それぐらいしか私の能力はありませんから」
少し不貞腐れているエマーリエの肩をアラン王子は抱き寄せた。
カップのお茶がこぼれそうになりエマーリエは慌てて体制を整える。
「危ないですよ」
唇を尖らせるエマーリエにアラン王子は肩をすくめた。
「私の部屋からこの湖の中にある島が見えて一回ここでお茶を飲んでみたかったんです。バラに囲まれた秘密基地みたいな雰囲気で素敵でした。今、バラは無いけれどそれでも素敵ですね」
「バラが咲いたらまた来よう」
「そうですね。・・・オズワルド様、早く元気になるといいですね」
「すぐに良くなる」
「マドリーヌちゃん、なんだか可愛そうですね。お父様が普通の人だったら幸せになったんでしょうね」
笑顔が可愛かったマドリーヌの姿を思い出しもう、会うことも無いのだろうとエマーリエは顔を伏せた。
「エマーリエを川に落とすような女だぞ」
アラン王子は全く同情をせず吐き捨てるように言った。
「そうですかねぇ・・・エマーリエちゃん、本当は心が優しい人だと思いますよ。だって、私がアラン様と喧嘩したと聞いて心配してお見舞いに来てくれたんですよ」
エマーリエの言葉にアラン王子は肩眉を上げた。
「・・・あの雪の日か?」
「そうです・・・あっ!もしかして、盗賊が来たのはマドリーヌちゃんの手引きだったとか?そういえば、我が家の使用人の人数とか聞いてきました・・・」
一人驚いて青ざめるエマーリエにアラン王子はため息を付いた。
「その線が濃いだろうな。忙しくてそのあたりを調査するのを忘れていた。あとで兄上達に言っておこう」
これ以上マドリーヌがただの可愛い人間だったわけではないと知るのは少し怖い。
エマーリエはアラン王子の胸に頭を乗せる。
「マドリーヌちゃんが私を殺そうとしていたのは少しショックです」
「まだ分からないが。それでもオズワルドを王にしたいのなら俺達は邪魔ものでしかなかったのだろう」
アラン王子はエマーリエの髪の毛を撫でながら言う。
「みんな、無事で良かったです。あの戴冠式ではもうダメだと思っていました」
「兄上に感謝をしないと。随分苦労して騎士達を選別し配置したから」
アラン王子の胸に頭をすり寄せてエマーリエは目を瞑った。
「これからもアラン様をお助け出るように頑張りますね」
エマーリエの言葉にアラン王子は微かに笑う。
「それだと俺は何度も死にそうになるということか?それはご遠慮願いたいな」
「そうですね。お互い長生きしましょうね」
エマーリエも少し笑ってアラン王子にすり寄った。
暖かい日差しを浴びながらバラの花がいっぱいになった庭を想像してエマーリエはまたアラン王子とここに来ようと決意をする。
「暖かくなったら、オズワルド様も一緒にお茶をしましょうね」
エマーリエが言うと、アラン王子は静かにうなずいた。
お読みくださりありがとうございました。