第9話 逃走
テントが見えた。
社長のテントに灯りがついているので、僕は更にスピードを上げて走った。
息を切らし走り続ける。
テントの入口近くでスピードを落としてテントの入口前で立ち止まる。
すると勢いよく閉まっていたテントの入口が開く、驚いて後退りすると石につまづきバランスを崩して尻もちをついてしまう。
痛!
すると彼女が近づいて来て、僕に手を差し出す。
差し出してくれた手を掴もうとした時、彼女と目が合った。
彼女は僕に出した手を引っ込めた。
転んで服についた汚れを手で払いながら立ち上がり、彼女に謝罪する。
「さっきはごめん。」
「何が?」
「何がって、僕を心配して来てくれたのに、あんな事言ってごめん」
「だから何が?」
えっ!
「いや、だから」
言い直そうとするが
「だから別に何とも思ってないから、いいって言ってるのよ!
別にアンタを助けるつもりで行ったんじゃ無いから!」
まさかこんな切り返しが来るとは思わなかった僕は、彼女の言葉に反発してしまう。
「じゃあ何で、あんな所に一人で行ったんだよ!」
「そんなの散歩よ、散歩」
まったく、本当に素直じゃない。
「そうなんだ。分かったよ。ただ取り敢えず謝りたかったから、勝手に謝らせてもらうよ。さっきは本当にごめん。」
何を言っても聞きそうも無かったので、それだけ言って戻ろうとする
彼女が急に訳の分からない事を言ってきた。
「アンタ、もう身長はもう伸びないわよ!」
えっ?
「アンタのお父さんも、手と足が大きいのに、背が小さいでしょ。アンタの手足が大きいのも遺伝よ。だから、もう背も伸びないのよ。」
何でいきなり?
まったく予想外の事を言ってきたので、訳が分からない。
「君には関係ないだろ!」
僕も薄々感じていて、実は凄く恐れていた事である。それを僕の事を知りもしない人間が言ってきたのだ。
僕は明らかに動揺していた。
彩香ちゃんの事、野球の事等、僕が思い描いていたプランが崩れ落ちていく感覚が襲う。
こんな何とも無い一言が僕の夢を崩していく。まだ今日会ったばかりの、一人の女の子に。
僕は、この場から逃げ出す様に走った。
宛など何も無く、ただ現実から逃げるかの如く、闇雲に走った。
キャンプ場のエリアを結ぶ車専用道路を奥に奥に全力で走る。
何となく分かっていたので、彼女に言われたからと言って何も変わらないのだが、それでも背が高くなる希望を持ち続けている自分の意思が、他人から指摘された事によって、簡単に揺らぎ、完全に希望を持ち続ける自分の意思が折れてしまった。
面と向かって背が伸びないと言われる事がこんなにも辛い事だったとは
僕はそんな事を考えながら、走る足を緩めてキャンプ場の奥に向かって車道を歩き始めた。
僕は背の高さも野球の上手さも、そして彩香ちゃんの恋愛においても祐輔(幼馴染)に負けてしまうのか?
せめて野球だけでも勝ちたいな
彼の長身から投げ下ろすストレートは、スピードも速いが球質も重い。高校野球の硬式ボールでは、更に彼の球質が生きる筈だ。
仮にプロ野球となれば、木製バットを使用しているので、更に更に球質は必要となる。
例えスピードが同じぐらいのであっても、角度のあるストレートと重い球質を持っている球には勝てない。
はあ~
何だか考えるのが馬鹿らしくなる。
背が大きくなれば、対等に勝負が出来ると考えていた。
投げるスピードも大野と同じくらいには、到達したと自分では思っている。
彩香ちゃんより背が低いけど、告白しようかな?
せめて彩香ちゃんより大きくなってから告白すると思ったのは、彩香ちゃんの好きなタイプと言う事もあるが、僕が彩香ちゃんへ告白するタイミングと願掛けでもあった。
そんな事を考えて歩いていると、キャンプ場の端まで来てしまったのだろう、車道の真ん中に大きな看板が置いてある。
「車両通行止め」と書かれた看板であったので、
「僕は車では無い!」と看板に言って、看板を避けて更に車道を突き進んだ。
そこから少し歩くと
ザー
音が聞こえてくる。
音は小さく、水の音かな?
僕はそのまま車道を音の鳴る方に歩き始める。
段々と音が大きくなってきた所で、また大きな看板が立ててある。その看板からは車道も途切れていた。
「立入禁止」
立入禁止かあ
僕は立ち止まり、看板の横にある大きな石に座った。
辺りは真っ暗で、懐中電灯が無ければ暗闇で道も分からない場所である。
ザー
音の方に懐中電灯を当てると。
大きな石2個分くらいの段差から、滝のように水が下に流れている。
大きな石の高さは一つが1mぐらいなので、2mぐらいの段差なので滝と呼べる程の物でも無いが、近くまで歩き、は滝の方へ進もうとしたが、まだ平地工事をしていない場所なので、木が行く先を邪魔して進めない。
僕は諦めて、大きな石に座り直して懐中電灯を滝に当てて眺めていた。
無心とは、この事を言うのだろう。
ただただ滝の水の流れを見ているだけで、何にも考える事も無く、気持ちが落ち着いてくる。
ポツン!
頭の上に雫が落ちた
雨?
そして、雨足は一気に激しさを増した
ザアー!
勢いよく雨が降り出し、熱くなっていた体と心を冷やし始める。
僕は降りしきる雨に打たれながら、今後の事を考える。
しばらく考え込み僕は覚悟を決めた。
どれくらい考えたのだろう?体も少し冷えてきた。
「もう、身長の事を考えるのは止めよう!」
「そうだ!身長なんて関係無い!」
ヨシッ!
告白するぞ!
僕の気持ちは固まった。
そしてテントに向かって歩き出す。
今まで胸につっかえていた何かが取れた感じがして、この時の僕は降りしきる雨さえも心地良かった。
少し歩くとさっき通り過ぎた「車両通行止め」の看板があった所が近づいてくる。
あれ?
真っ暗でよく分からないが、看板のところに誰か人が立っているような?
看板に近づくと、そこには何故か社長の娘が立っていた。
「アンタ何やってるのよ!」
?
雨の音で彼女が何を怒っているのかわからない。
「もう10時過ぎてるのよ!
私が言った事が、そんなに傷つけたのなら謝るわよ。だから帰って来なさいよ。」
その言葉で、彼女は身長の話の事を僕に反した事を気にしてたのだと気づいた。
「もう大丈夫だから、心配かけてごめんね。君が言った事は間違えて無いし、僕が現実から逃げてばかりいたから・・・
だから君は何も悪く無いよ」
すると、少し表情が和らぎ
「これ使いなさい」
傘を差し出して来た。
「ありがとう」
僕は傘を受け取った。
「みんな心配しているから、帰るわよ」
「うん」
僕は持って来てくれた傘を・・・傘を・・・
させない!
「何やってるのよ!」
「ごめん、壊れているみたいで、開かないんだ」
「えっ!」
懐中電灯で傘を照らすと、傘を開くボタンが真横に曲がっていて動かない。
一瞬、時が止まったが
「じゃあ、ここに入って!」
僕は彼女の言葉に従い、彼女の傘に入り、相合い傘でテントまで歩き出した。