第2-32 祐輔の夏の始まり
7月24日
西東京大会の準々決勝
稲川実業対九応高校
相手はノーシードの都立高校が相手だが、シード校を破って勝ち抜いてきた高校野球ではありがちな、勢いを感じるチームだ。
相手の投手は、多彩な変化球を使い要所要所を丁寧に投げて失点を防いでいる。打線も4番の是永を中心に1試合4、5点を取ってきていた。
これまでは、黒川、田村が投げて打線も大量得点を取って、危なげない内容で勝ち進んできたが、残り3試合は、大野が先発として試合を構成することになっている。
試合開始時刻である13時になった。
今日も7月とは思えない灼熱の太陽の下、両チームがホームベースを挟み整列して試合が開始される。
「よろしくお願いします!」
稲川実業が先攻の為、一旦ベンチに戻る。
相手投手の投球練習を見た限り、特別これといった凄い球を持っている様には見えないが、ノーシードのチームが勝ち上がってくるには勢いがあるチームが多く、その勢いを醸し出す何かがあるのだが
このチームは投手では無いのか?
1番打者2年ショートの紺野が左打席に入る。足も早く守備の要となる選手だ。
プレイボールの声と共に第一球を投げた。
アウトコースの低めにストレートが投げられる。
低い!
しかし審判のコールは、打者の思いと違った。
ストライク!
えっ?紺野は首を捻り、次の投球を待ち構える。
第二球目
同じコースと高さにボールが投げられる。
低いとは思ったが、バットをボールに向けてスイングすると、微妙に球が変化する。
バットがボールに当たったが、芯から外れてショートゴロに倒れた。
2番セカンドの米田が右打席に入る。
第一球目
アウトコース低めにストレートが投げられる。
あっ低い
米田は見送るがストライクの判定
この判定に、守っている九応高校の選手達の表情が変わった。
!
何だろう?あの喜びようは?
打者の米田は、セカンドゴロに倒れた。
続く足利が左打席に入る。
稲川実業のクリーンアップには小細工は通用しない。
さあどうする?
第一球
ツーシームだろうか?外角低めから更に下に落ちる。
慌ててバットを止める。
次の球はアウトコース低めのストレートでストライク
しかし続くアウトコースのボール球を上手く流し打ちをレフト前には立った。
そして4番の松原が右打席に入る。
松原は第一級目をライト前に流し打つ。
1塁ランナーの足利は、一気に3塁まで到達した。
ツーアウト1、3塁
しかし5番の川崎はファーストゴロに倒れて、1回表は0点で終わった。
松原が戻り間際に、
「ストレートも握りを変えて、微妙に変化させてる。意外と厄介かも知れんぞ」
本来なら中指と人差し指を縫い目に引っ掛けてボールを回転させるのだが、回転をずらしたり、回転を少なくする為に縫い目に指を掛けない。
すると微妙にストレートの軌道が変わるのだ。
ただ甘い球ならば問題無いのだが、九応高校の投手は寸分狂わず、ストライクとボールの境界に投げ込んでくる。更に低めのストライクゾーンが広い審判の癖も見抜いた事で、バッターにとっては長打を放つのは難しい。
これはしんどい試合になるかも知れない
と呟きながらマウンドに向かった。
俺の夏が始まる。
マウンドに上がり、一回大きく深呼吸をしてから、高校で完全にマスターしたトルネード投法で投球練習に入る。
1番打者が左打席に入り、「プレイボール」と審判の声が掛かり、投球モーションに入る。第一球目、大きく振りかぶり、ミットを目掛けて投げ込む。
するとバッターはセーフティーバントを試みる。バットに当たったものの打球はホームベース真上の小フライになり、キャッチャーが難なく補球した。
続く2番打者がバッターボックスに入って構えると、そのバッターの構えを見て驚いた。
なんだ?
バットを短く持ち、まるでボードゲームの野球盤みたくバットを寝かして、ボールに当てにいく事だけを考えた構えだった。
しかし金属バットだと、ボールを芯で捉えれば球は飛んでいき、ヒットになってしまう事もある。
それが金属バットの怖いところである。
それにしても、やりづらいな
ファーストの松原がマウンドに近寄ってくる。
「バットごと吹き飛ばしちゃえ!」
「分かった!」
松原の言葉で吹っ切れた。
俺は全力で投げるだけだ。
ミットを目掛けて投げ込むと、ファールされて、2球連続でファールを打たれたが、カウントはツーストライクとなり、最後はフォークボールを投げてバットは空を切り三振に切って落とす。
そして3番打者が打席に入る。
このチームは、3、4番の打率が他の選手より群を抜いていると、データーで情報を得ている。
さすがに1、2番と違い3番打者は普通に構える。
ヨシ!
2ストライク1ボール後の4球目
インコースにストレートを投げ込み、ミットに収まる。
ストライクバッターアウト!
1回の裏が終了した。
そして2回表、稲川実業の攻撃
6番から始まる打線も内野安打で一人出たが、0点に終わる。
2回裏の九応高校の攻撃
4番の新谷(1年)
左打席に入り、いかにも打ちそうな構えをしている。
1球目は様子を見てカーブから入る。
しかし、初球からカーブをフルスイングした。
カキーン
打球はファールだったが、飛距離は充分スタンドに届く大きな当たりだった。
やばいやばい、気を抜いたら持っていかれる。
続く2球目はアウトコースいっぱいに入るストレート。
新谷は見送り、ツーストライク
3球目、キャッチャーのサインは内角ストレート
強気だな
ここは全力でミットに向かって投げ込んだ。
ミットから激しい音が響く
ストライクバッターアウト!
スタンドが騒ぐ。何故なら電光掲示板には147kmの数字が表示されていたからである。
相手チームもどよめいている。
そして5番と6番は、2番打者と同じ小さい構えで立ち向かってきたが、5番はショートゴロ、6番は三振に切って落とす。
ふう
久し振りの先発で疲れるのだが、マウンドで投げる快感が、この疲れも暑ささえも心地良い。それほど投げる事に飢えていたのだと、自分でも初めて味合う感覚に驚きを感じた。
そして3回表
1番から始まる好打順。1打席目は打ち取られたものの、2打席目は綺麗に流し打ちを決めた。
2番打者が送りバントを決める。
ここで3番の足利が打席に入る。
アウトコース低めのギリギリストライクゾーンから、微妙に球は落ちてボールになる。普通ならバットを振ってしまうのだが、足利は冷静にボールを見極める。
結局足利はフォアボールを選び、1塁に向かった。
1アウト1、2塁
4番の松原が右打席に向かう。
ここは、とりあえずヒットで1点を取りに行くぞ!
どうせアウトコース低めしか投げないだろう。もしインコースに投げてきても対応は出来る!
バットを強く握り、投手が投げるのを待つ。
そして第一球目を思った通りのアウトコース低めのストレートが投げられた。
思った通りの球にライト前を狙ってバットスイングを始めた、その時
「清ちゃん!」
えっ!
その声は、紛れもない小鳥の声だ。
俺は振りかけたバットを止めた。
ストライク
声がしただろう、バックネット裏を見渡すが、広い神宮球場で満員の状況では、どこにいるのか分からない。
一旦打席を外し、もう一度スタンドを見る。
すると審判が
「君、打席に入りなさい!」
その言葉で我に帰り
「あっすいません」
謝罪して右打席に入る。
小鳥・・・
続く第二球目
再度アウトコース低めのボールだが、ボールは落ちてストライクゾーンから外れていく。
小鳥、見ててくれ!
ボールゾーンに落ちていくボールに向かってフルスイングする。
見送れば完全にボールになる球の下側をバットがとらえた。
打球はライトへ高く舞い上がる。
ライトは打球を見ながら下がっていく。
そしてフェンスまで下がるが、滞空時間の長い打球はライトの頭上を遥かに越えて行く。
ボールはライトスタンド上段まで飛んでいった。
松原のスリーラン本塁打に、スタンドの歓声が響き渡った。
1塁ベース、2塁ベースそして3塁ベースを回ってホームベースまで行く間、バックネット裏を見ながら走る。
!
一人の女性が背を向けてスタンドの出入口から、球場を後にしようとしている姿が目に入る。
直感的に小鳥だと感じる。
それを見た俺は全力でホームベースを踏み、そのままバックネットまで走り、球場を後にしようとしている女性に大声で叫ぶ
「小鳥!」
一瞬止まったが、再度動き出し姿が見えなくなった。




