出立の準備と、親友レミチカのもたらした予想外の報せ
それからその日の日中は、アルセラの学校が休みだったということもありお母様とアルセラと私の3人で買い物に出かけた。付き人としてついてきてくれたのは私の侍女のメイラだ。
ブティックを眺めて歩き、菓子店やカフェで食を楽しむ。大通りでは大道芸人が披露する芸を眺める。
ランチを高級店で食して帰路につき、出立の準備を始める。
「メイラ」
「はいお嬢様」
私が何を求めているのか彼女は既にわかっていた。傭兵としてのいつもの黒装束の詰められたトランクを持ってきてくれたのだ。
「こちらでらっしゃいますね?」
「ええ、ここから先は自分でやるから」
「承知いたしました」
傭兵装束への着替えは自分でする主義だ。これだけは誰の手も借りない。
髪型は結い上げずラフに降ろす。化粧もできるだけ薄めに仕上げる。
レギンス、ボタンシャツ、ロングスカートジャケット、ジゴ袖のボレロジャケット、腰にベルトポーチを巻き、これにロングコートを重ね、脚にはショートブーツを履く。髪にはカチューシャをはめる。
これに愛用の二つのペンダントをつけて出来上がりだ。
令嬢のエライアから、傭兵のエルストへと変わった瞬間だった。
「よし、これで出来上がり」
十分心と体を休めた。ならば次の仕事へと向かうのみだ。
するとその時だ。
私の荷物の中の念話装置がシグナルを発した。
「誰かしら?」
念話装置を操作して回線をつなぐ。
『はい、エルストです』
すると帰ってきた声は意外な人物からだった。
『もしもし、私よ』
『その声、もしかしてレミチカ?』
『ええ! そうよ。今お時間大丈夫かしら?』
『もちろん大丈夫よ。今出発の準備をしていたの』
念話の相手は親友のレミチカだった。彼女からの念話と言う事で疑問が湧いた。
『レミチカ、ただいまどうやって念話してるの?』
『そりゃもちろん自力でよ』
『えっ? 通信師を介してじゃなくて?』
『そうよ。私もともと自分で通信師資格持ってたの。いざという時に自分で使えると便利だし』
普段から情報のやり取りに慣れている投資家の彼女らしい振る舞いだった。
『それじゃ、念話装置は?』
『うふふ、さてどうでしょう?』
あ、これは当てて欲しがっている。そうなると普通の据え置き型や肩から下げるような大型の念話装置では無いだろう。
そこまで考えて私はピンと来た。
『まさか、私と同じ?』
『正解! あなたと同じモデルよ。超小型の携帯タイプを手に入れたのよ』
『え? 一体どうやって?』
これにはさすがに私も驚いた。正規軍の中でもまだまだ数は限定されているからだ。しかしそれに対する答えは意外なものだった。
『簡単よ、開発製造を行っている企業を割り出して、開発資金の提供を申し出たのよ』
経済投資に明るい彼女らしい振る舞いだが、私がこの念話装置について話したのはつい2・3日前だ。
『それと同時に株式を買って投資も行った。案の定、素材が非常に高価だということと加工技術の難しさから資金繰りが厳しかったらしいの。それで大口投資をこちらから申し出たら、とても喜んでくれたわ』
『やっぱり、あなたらしいわね』
『ええ、先方行ってたわよ。〝軍は予算が厳しい〟って』
『それを言われたらぐうの音も出ないわ』
私たちは声を上げて笑い合った。
『それにしてもどうやって手に入れたの?』
『ああ、新型の念話装置?』
『ええ、簡単よ。投資の申し出をした際に試作品を譲ってもらったのよ。豊富な資金が手に入るなら新しいものがいくらでも作れるし』
『そういうことだったんだ』
『ええ』
彼女はそこで会話に一区切りを置いた。
『さて本題に入りましょう』
『わかったわ』
『今回、あなたに念話したのは、他でもなくてあの〝ケンツ博士〟にまつわる情報がつかめたからなの』
『本当に?』
『ええ、彼について色々とわかったわ。彼がなぜヘルンハイトから、フェンデリオルに移動してきたかもね』
極めて重要な情報だ。私は彼女にお願いする。
『教えて』
『彼がなぜ私たちの国に来たかといえば、はっきり言えば〝夜逃げ〟してきたのよ』
『夜逃げ?』
この理由はさすがに私も驚いた。
『どういうこと?』
『知っての通り、彼は製鉄工学の権威、研究実績も大学や国家から与えられる予算規模も絶大なものがあった。彼に限らず科学者というのは研究活動のために来年度の予算を当て込んで借り入れをするものなの』
『借り入れ? 早い話借金ということね』
『そうよ。ところがヘルンハイト政府筋から大学経由で彼への予算分配額が減らされることが通達されたの』
『ちょっと待って、そんなことしたら!』
『そうよ、借用金を返済することは不可能になるわ。もちろん彼だって抗議もしたし、別の手段で資金確保に動いたようね。でも全て万策が尽きた』
驚くような理由だった。国家級の才能を持つ科学者が、国家からの予算分配を切られると言う信じられない理由で金銭面で追い詰められて逃げ出さざるを得なかったのだ。
『それで破産して夜逃げしてきた!』
『そういうことよ。それに救いの手を差し伸べたのがドーンフラウ大学の前学長、彼ほどの才能を持つ人物ならと大学に招いたんだけど早速騒動起こしたようね』
『その騒動なら知ってるわ。ドーンフラウ大学内部で非戦平和主義を口にして学生連中から猛反発を食らったそうよ。講義授業のボイコットから、全学生を巻き込んでのストライキ、学長の責任問題にまで発展したそうよ』
『そこまで行っちゃったら、大学にいられなくなるわね』
『そういうことよ。それでいよいよ行き場がなくなった彼は新しい資金提供者を探している。そういうところでしょう?』
『ええ』
同意するレミチカだったが、その声は晴れやかではなかった。
『問題はその資金提供主として接触している人物たちよ』
『どういうこと? そんなにヤバい連中なの?』
『やばいなんてもんじゃないわ。下手すれば売国奴と言っても良いかもしれないわね。〝在外商人〟って聞いたことある?』
『言葉だけは聞いたことある』
『そう、在外商人って言うのは、フェンデリオル国籍を有しながら、フェンデリオルの国の外に活動拠点を置いている商人たちの事よ。彼らに共通しているのはフェンデリオル人として誰もが背負わなければならない〝市民義勇兵の兵役義務〟から逃れているということよ』
兵役義務――、フェンデリオルでは国土防衛のために全ての国民に対して兵役への参加が義務付けられる〝国民皆兵士制〟が存在している。
正規軍人でなかったとしても職業傭兵でなかったとしても、全ての国民には国土防衛への参加が義務付けられているのだ。
だがそれにも例外がある。
『国の外にいる役人や、フェンデリオル国外に活動拠点を置く大規模商人は兵役義務が免除されるはずよね』
『そういうこと。もともとフェンデリオル国への愛国心も忠誠心も薄いから、税逃れや利益隠しなども頻繁に行っているわ。海外系の犯罪組織とつるんでいる連中もいるというし、油断ならないわね』
そうなると気がかりはある。
『でもそうなるとケンツ博士の身辺状況大丈夫かしら?』
『そこよね。さすがに私もそれが心配だわ。あんなヤツ、どうなろうと知ったこっちゃないけど、彼は自分の妻子を連れ歩いている。最悪、奥さんや娘さんを困窮させている可能性もある。大学への復帰は無理でも彼らの生活を安定させてやる必要があると思うわ』
もっともな話だ。その家の父親がどんな思想を持とうが、彼の家族には責められる謂れは何もないのだから。
『それで彼らは今どこに?』
『北部都市イベルタルよ。イベルタルは在外商人が数多く滞在していることでも知られているの。向こうの商人ギルドに深く関わっている人間ならつきとめられるんじゃないかしら?』
大丈夫だそれならば心当たりがある。
〝あの人〟に相談するしかない。
『ありがとう。とても助かったわ』
『どういたしまして。私も新しい投資先を見つけられて助かったわ。それで、行くんでしょ? イベルタル』
『ええ、もちろんよ』
『くれぐれも気をつけてね。イベルタルに新興の裏社会勢力が活発に動いてるそうだから』
『ええ、肝に銘じておくわ』
『それじゃ、ご武運を』
そう言葉をやり取りして私たちの念話会話は終わった。
そして次に取るべき行動は決まった。
「行こう、イベルタルへ」
私はブリゲン局長に連絡を取ると正式にイベルタル行きの指令を口頭でもらった。そして、メイラを呼び寄せる。
「ご用でしょうかお嬢様?」
「ええ、早速出発よ。北部都市のイベルタルに向かうわ。馬車とチャーター船を用意してちょうだい」
「かしこまりました。夕刻4時頃には出発できるように調整いたします。イベルタルでの滞在先の準備のために私もご同行させていただきます」
「お願いね」
「それでは早速」
さあいよいよだ。大きな任務が本格的に動き出そうとしている。危険だと分かっているが気持ちが高まるのを感じずにはいられなかった。
そして夕刻4時。
私はお母様に挨拶をする。
「それでは行って参ります」
「道中くれぐれも気をつけてね」
「はい。それでは」
盛大な見送りはない。正面玄関からではなく、邸宅脇の予備玄関の方からの出立となった。
私を見送るお母様の視線は力強かった。私なら必ず生きて帰ってくるとそう信じているのだ。
ならば、それに応えるしかないだろう。
私はそう思うのだった。