ハリアー学長と、ケンツ博士の関わり合いについて
そこまで話が進んだところで私はある話題を切り出した。いや、むしろそちらの方が重要だ。
「先生、実は折り入ってお聞きしたいことがあったんです」
「なんだね? もっとも君の質問なら可能な限り応えるがね」
「ありがとうございます。まずはこの写真をご覧になっていただきたいのです」
話はそう語りながらレティキュールの中から一枚の写真を取り出した。あの製鉄工学の教授の写真だ。
「この写真の方をご存知ですか?」
「これは?」
先生は写真をじっと見つめていたがハッとした表情になり呟いていた。
「ケンツ博士? いや間違いない。ケンツ君だ」
そして先生の言葉は私の方へと向かう。
「ルスト君、君がなぜこの写真を持っているのだ?」
当然の疑問だった。私はそれに答えることにした。
「この写真は軍警察と正規軍防諜部により手配されたものです」
「正規軍だと?」
「はい」
先生はそこでしばらく沈黙していた。
何か胸の中に強く溜まった想いを慎重に解きほぐしているかのようだった。そしてゆっくりと言葉を吐いた。
「我が国と北の同盟国ヘルンハイトでは、敵国からの侵略リスクの度合いが格段に違う。当然それは住んでいる国民の戦争の危険に対する認識の違いとして現れる」
「そうですね。戦争の危険のある国と、そうでない国。住んでいる人間に〝危機意識〟に違いが現れるのは誰にでも起こり得ることです」
「普通なら誰でもわかる話だ」
「ええ」
そこで先生は苦虫を潰したような表情をした。
「だが、彼にはそれがわからなかった。青臭い平和の思想にしがみつき、ただひたすらそれを周りに押し付けようとする。ヘルンハイトで許されていたことが、我がフェンデリオルでも通じると思っていたのだろう。
そんなことを続けていれば疎まれるのは時間の問題だ。そして彼が生徒たちを相手に講義をしている時だった。あの事件は起きた」
「何があったんですか?」
「生徒達に対して講義中に、戦争継続の否定と和平条約締結に向けて全力を向けるべきだ、と話し始めたんだ」
嫌な予感がする。これはとんでもないことになったはずだ
「どうなったんですか?」
「当然生徒たちは激怒した。大きな抗議の声が上がり即日に授業をボイコットする者が続出した。大学の運営に対してもクレームが殺到する事態になった」
起こり得るべくして起こった事件だ。ケンツ博士なる人物、相当な問題人物のようだ。
「考えても見たまえ、生徒の中にはかつての君のように軍に在籍中の者もいる。親族に軍属が居るものもいれば、親や兄弟が戦死しているものも珍しくない。居住地を荒らされて、一次避難で中央首都に避難している聴講生も居る。そんな彼らに非戦主義の主張などケンカを売るようなものだ」
「当然です。私だって当事者だったら、激怒して抗議していると思います。それで、ケンツ博士への処分はどうなったんですか?」
「うむ、彼への処分は保留された」
「えっ?」
予想外の言葉に私はあっけにとられた。
「そんな? お咎め無しだったんですか?」
「ああ、当時の学長が彼をかばったんだ。何しろ彼をドーンフラウ大学へと招聘したのは前学長だからね。個人的な訓戒処分。言い換えれば、
『俺が怒っておくからもう許してやれ』
――と丸め込もうとしたんだ」
これにはさすがに呆れるしかない。
「そんなこと、許されるはずがないじゃないですか!」
「当然だ。最初に授業をボイコットした生徒たちの態度は硬化、他の生徒たちを抱き込んで〝大規模ストライキ〟の様相を呈し始めた。しかもものすごい勢いで。明らかに騒動が炎上をし始めていた」
こうなった原因は誰が見ても明らかだ。
「こうなったのは明らかに前学長の対応の甘さですよね?」
「そうだ。そこで私はある対応を講じた。前学長の責任を追及するために賛同者を集めた」
この先はなんとなくわかる。いわゆる〝外堀を埋める〟と言うやつだ。
「現実問題として大学の一部機能が運営困難になっていた。その原因を明らかにケンツにある。それを無意味に庇った事で事態を悪化させたのは明らかに学長だ。大学の大規模出資者、政財界、協力企業、様々な人物からの同意文を集めると、私は反学長派の教授陣を集めて〝学長解任動議〟の発動を行った」
「さきほどお話になられた前学長の追い出しですね?」
「そうだ」
先生の強い言葉が響く。
「結果、解任動議は了承され、前学長は辞任、ケンツに対しては大学内での全ての活動の凍結と言う重い処分が科された」
「研究者として死んだも同じですよね」
「ああ、研究室は残されたが、予算配分は大幅にカットされた。そのため彼は困窮することになる」
そこで全てが繋がった。
「だから彼は個人的に資金提供を募って歩いていたんですね?」
「そうとしか考えられない」
私の脳裏で全ての糸がひとつに繋がろうとしていた。