ルスト自らの足跡を語り、ハリアーは学び舎の未来を語る
先生は私に更に尋ねてくる。
「今はどんな仕事をしてるんだね?」
「今は職業傭兵ですが最高位の特級資格を拝命いたしました、今では正規軍と協力し合いながら国土防衛のために東奔西走しております」
「そうか。しかし、正規軍の将校にでもなるのかなと思っていた君がよもや〝国家の英雄〟だからね。世の中どうなるか分からないものだよ」
「はい。でもこうして先生をお迎えできる立場になったのですから、世の中はまだ捨てたものではないと思います」
「ああ、そうだね。もっともそれは君自身の不断の努力あってのものだということだ」
そして先生は私に微笑みかけながらこう言ってくれた。
「君の背中の向こうに今までの努力の跡が見えてくる。よく頑張ったね」
その言葉が私の胸の中に強く迫ってくる。たまらなく嬉しい言葉だ。
「ありがとうございます――」
不意に胸の奥から込み上げてくるものがある。
15の夜に図らずも旅立った私、あの時、自分が積み重ねてきたものを何もかも捨て去ってしまった。もう自分には何も残っていないのだと強い諦念の中で、旅路を歩いていた。
それが今こうして、ひとつの地位を得て、一番の恩師に再会できたのだ。思わず涙が出そうになる。
「すいません、色々と思い出してしまって」
レティキュールからハンカチーフを取り出すと目元の涙を拭う。
「ルスト君」
「はい」
「一つ覚えておきたまえ、
『幸せだけが己の血肉となるのではない。禍福を全て交えてこそ、自らの血肉となる』
――君が積み重ねた苦労こそ君の力の源なのだ。胸を張って誇りたまえ」
その言葉はやっぱり私の師に相応しいものだった。彼の教鞭を受けたことを誇りに思うのだった。
それから実にたくさんの色々なことを話した。
先生の前から失踪していた2年間、軍と関わるようになり多忙極めたこの1年間、失われた日々を取り戻すかのように実にたくさんのことを湯水のように話し合った。
2年間の職業傭兵としての歩み、
「16で職業傭兵の2級資格を?」
「はい、軍学校での経験を生かして試験に臨んだのですが、あまりに手慣れていると色々と疑われました」
「それは仕方あるまい! 何の裏打ちもない一人の少女が最年少で荒くれ男たちを追い越して資格試験を突破ということになれば、騒ぎにするなと言う方がどうかしている」
「しかしそれでも、当時の私の経済事情の改善には繋がりませんでしたが」
「そうか、やはり資格よりも実績というわけか」
「はい。世の中は厳しいです」
私と共に歩む仲間のこと、
「ほう? ではワルアイユ動乱で知り合った彼らと今でも行動を共にしてるのかね?」
「はい、軍からの直命で特別特殊部隊を作り上げて、今でも一つのチームとして行動しています」
「そして君がその隊長というわけか」
「はい。しかし、私一人で成し得たことではありません。仲間との協力あってのものです」
「仲間と部下に恵まれるのは、どんな仕事をしていても素晴らしい財産となるものだ。君は昔から立場上孤立しやすかったが、それからも苦労していないか心配だったのだが、どうやらそれは杞憂に終わったようだ」
「はい、おかげさまで!」
大学を離れたアリエッタの事、
「そういえば、アリエッタの事は覚えてらっしゃいますか?」
「アリエッタ・ビーンゼルガーのことかね? 無論、覚えているとも」
「先日彼女に会いました」
彼女の名前を出した時、先生の表情が変わった。
「それで彼女は今どこに?」
「最も大きな民間市場のひとつである〝泥棒市場〟の片隅で代書屋を営んでいました」
「そんなところに」
「はい、ですが今は一か月ほど旅に出ています」
「その――、彼女は戻ってくるのかね?」
「おそらく戻ってくると思います。彼女が旅に出る際に先生が学長になられると言うことを伝えておきました。今後の身の振り方を考えると言ってました」
「そうか、思えば彼女は、大学の古株どもにいいように食い物にされてしまった。そんな彼女が大学での実績や、言語学博士としての称号も捨て去って姿を消したことを常々残念に思っていたのだが」
「大丈夫ですよ先生、彼女はまだ学問を諦めていません。今はただ考える時間が必要なだけです。その時が来れば彼女自身の方から先生へと話に来ると思います」
「君のようにかね?」
「はい」
「そうか、ならば私は彼女が帰ってくるべき場所を作って待っていることにしよう」
「その時は是非お願い致します。彼女ほどの才覚を持っている人間が埋もれてしまうほど、社会の損失はありませんから」
そして先生はある想いを口にした。
「彼女の一件で骨身に染みたのだが、学問の世界が男女双方に開かれたものになるのはまだ時間がかかる」
「先生――」
そこから先の先生の言葉は苦労に満ちたものだった。
「私が学長選を勝ち抜いて、ドーンフラウの頂点を掌握するようになるまで、あの大学の中は古い慣習でがんじがらめになっていた」
「やはり性差別や年功序列が?」
「そうだ。特に一番問題になっていたのは年寄り連中だ。大した研究もせずに、若い研究者から研究成果を〝上納〟させる〝差し上げ〟と言う行為を行っていた」
「差し上げ?」
その言葉のニュアンスに嫌なものを感じつつ、その悪習の排除のために先生がどれだけ苦労したかわかるような気がした。
「それ大した実績のない老害が居座るためのものですよね?」
「そうだ、このままではドーンフラウは駄目になってしまう。そう考えた私は大学の外に、学会や政財界、軍部、あるいは技術者ギルドのような組織に少しずつ味方になってもらい、逃げようのない具体的な証拠を押さえた上で教授会を動かして老害連中を追い払ったんだ」
「そして大学改革に成功した?」
「そうだ。ある人物からは『これは革命だ』とも言われたけどね、まぁ、そこまで事態を動かした張本人として最後まで責任を取る必要があったから学長の座を引き受けることになったんだ」
「えっ?」
私は先生の言葉に思わず驚いた。
「ご自身で望まれて学長になったんじゃないんですか?」
「はは、私はそこまで野心家ではないよ。ただ、あの時の空気として年を食っているというだけで頂点は任せられないという雰囲気が大勢を占めていたから、周りの推す声に答える形で総責任者を引き受けた――、というところだ」
「なるほどそういうことだったんですか。でしたらなおさら、責任重大ですよね」
「ああ、ドーンフラウの未来と、この国に住む若者たちの将来のためにもな」
そう語る先生の言葉はとても力強いものだったのだ。