恩師、ルストを称賛する
「先生、大学の学長に内定だそうですね」
私がそのことを問えば、先生は静かに微笑んでくれた。
「ほう、情報が早いね。まだ外部には公には知らせてないのだけどね?」
「うふふ、私も仕事柄、世の中の情報というのにはものすごく敏感なんです。何しろ知らないことをそのまま放置していると痛い目を見ますので」
「うむ、無知は死を招くからな。良い心がけだ!」
先生は学者、大学教授だ。フェンデリオルの最高学府であるドーンフラウ大学で教鞭を執るかたわら、自らの専門である〝精術学〟の研究に日夜いそしんでいる。
その時、先生が私の姿を眺めながらこう話しかけてきた。
「それにしても、本当に美しくなったね」
しみじみと語られる言葉に私は思わず頬が熱くなるのを感じずにはいられなかった。先生の言葉はなおも続いた。
「17の時の帰還歓迎会の時のエンパイアドレスも美しかったが、あの時はまだ可愛らしいという言葉が見合っていたように思う」
先生の視線は私の容姿を頭からつま先までゆっくりと眺めている。その視線が嬉しくもありどこかこそばゆい。
「それでは今の私は?」
「そうだな、大人の美しさだな。女性というのは16から18にかけて急速に大人になっていく。子供として親から庇護されるべき立場から、独立して一人で世の中へと歩み出すために成熟した人間になることが求められる。それが18という年齢だと私は思う」
そして先生は私に歩み寄ると私の肩をそっと叩いた。
「立派になったな。エライア君、いや、エルスト君か」
「ありがとうございます。どちらでもご随意にお呼びくださいな。先生、立ち話もなんです。さ、お座りになって」
「ああ、早速、乾杯といこうじゃないか」
「はい!」
そう言いながら私と先生はそれぞれに席に着く。
私たちのやり取りを遠巻きに見ていたギャリソンが事前のオーダー通り、シャンパンとグラスと、チーズと高級ハムの盛り合わせを持ってきてくれた。
そして、シャンパンのボトルの封を切ると、軽い音を立ててコルク栓を抜き、グラスにそれぞれ泡立つ琥珀色のシャンパンを注いでくれた。
そしてテーブルの上にボトルを置いて言う。
「どうぞごゆっくり」
私は先生にシャンパンのグラスを勧めた。
「先生」
「うむ」
先生は席に着くと頭にかぶっていた三角帽を脱いで開いている別の席に置く。ブロンドの髪は今のフサフサとしており、いつでも若々しい。毅然とした態度と相まって歳相応の威厳をその身にまとっていた。そして純白の手袋を脱いでグラスを手に取った。
私もそれに続いてグラスを手にする。
先生が私に尋ねてくる。
「何のために乾杯する?」
「先生の今後の活躍と健康を祈って」
「ならば私は君の活躍と無事を祈って」
そしてグラスを高く掲げる。
「乾杯!」
「乾杯!」
掛け声の後にグラスを口に運んでシャンパンを少し喉に流し込む。グラスをテーブルに置いて再び会話が始まった。
先に声を発してきたのは先生だ。
「それにしても、実に美しくなった」
かつての私を教導した人物としてしみじみと語る。
「つい1年前までまだまだ子供だとばかり思っていたが、こんなに女らしくなるとは」
「ありがとうございます。今回は初めて私が先生をお招きするので饗応するにふさわしい装いをと思いまして腕によりをかけて準備いたしました」
そう言いながら肩に羽織っていたショールをおろす。磨き上げた肌があらわになる。
シャンデリアから灯される光の下で、私の白い素肌は輝きを帯びていた。
「正直あまりにも美しいので目のやりどころに困るよ」
「まぁ、先生ったら。うふふ」
グラスの中のシャンパンを少しずつ飲みながら会話は進む。
「何歳になった」
「18です」
「道理で大人らしい理由だ。君のことは12か13ぐらいの時から――、いやそれ以前か、それくらいの時からずっと見守ってきたからね」
その時先生はしみじみとした顔でこう語った。
「君が15の時の失踪事件。あの時は本当に残念に思ったものだ」
「私が実家の父親と縁を切るために離れた一件ですね」
「ああ、あの時以来、私は常に生徒の親の横暴というものに対して強く考えるようになった。君以外にも、本人に学問の意思があっても、その親たちが独断を押し付けて大学を辞めさせてしまうケースがたびたびあったからね」
私はその言葉に少なからず驚いていた。
「そのような事があるのですか?」
「ああ、割と頻繁にね。生徒たち本人は必死になって勉強を重ねて大学に入ってくるのだが、経済的理由はともかく、やはり君と同じように結婚をさせるとか、あるいは親元を離れて自らの才覚で世の中へと動き出すのが気に食わないとか、実にくだらない理由で大学をやめさせようとするのだ」
意外だった。私と同じように親の理不尽に振り回されている人は少なくないのだ。
「以前なら、保護者の意見ということで、退学届を受理していたのだが、今ではあくまでも本人意思にのみ基づいて出された案件だけを受理するように規約を変えた。
加えて親の一存で大学を辞めさせようとした事が分かった時、その家系の一族全員に対して入学希望時の判断を優先順位を大きく下げると通達した」
「随分と思い切った処置をしましたね」
「まぁ、一部から強い反発を受けたが、
『ご不満がおありでしたら生徒本人を説得の上で辞めさせれば良い。ただしその時、ご子息ご息女との信頼の絆を断ち切ることになると思いますが、それでもよろしいか?』
――と切り替えしてやった」
「それで? どうなりました?」
「無言で帰って行ったり、苦し紛れの捨て台詞を吐いたり、ぶつぶつと言い訳をしながらお帰りになられたり色々だよ。だが少なくとも、自らの子供に中退を強要するような愚か者がいなかったことだけは確かだね」
「それは何よりです。本人の意思とは無関係に学問を辞めさせられるのはこの上ない不幸ですから」
「もっともだ」