老舗のラウンジバーと、恩師『アルトム・ハリアー教授』
私を乗せた馬車はオルレアの街を一路中央市街区へと向かう。
オルレアの街は広く、さまざまな街区がある。
中央市街区は政府施設や巨大宗教施設が立ち並ぶ中心地だ。
そうした場所にも人間の生活に必要な基本的な施設や商業施設、あるいは飲食店も立ち並んでいる。
その中でも高級店が立ち並び、ハイソサエティな上流階級や富裕層が行き来するエリアがある。
――中央繁華街のウエストウッドストリート――
高級にして豪奢なクラレンス馬車が行き交い、豪華にして華麗なドレスやスーツを身につけた紳士淑女がそこかしこに佇んでいる。
馬車の窓から空を仰げば冬の澄んだ空に星空がきらめきはじめている。
私は自分が手にしているレティキュールから懐中時計を取り出した。極めて小さく作られた銀細工でドレスに合わせても違和感のないものだ。
ボタンを押して蓋を開ける。針は夕方6時を指していた。
「そろそろね」
窓から外を眺めれば大通りの道沿いに目的とするお店がある。
ラウンジバー『青鹿亭』
ウエストウッドストリートでも古い歴史の店だ。バーと言ってもカウンター席で楽しむスタイルではなく、丸テーブルを囲んで語らい合いながら、ゆったりと飲食を楽しむ、そういうお店だ。
当然ながら富裕層の利用が多く、また、地位の高い人を接待する時などにも用いられる。
青鹿亭はその中でも一流店に数えられている。私が今から会おうとする人の立場や地位を考えればこれくらいの対応は当然だった。
馬車が店の前に横付けする。
店の入り口にはドアボーイが2名控えており、そのうちの一人が馬車から降りる準備を速やかに行う。ドアが開けられて声がかけられる。
「どうぞお客様」
「ありがとう」
馬車から降りていけば、ステップを降りる途中ドアボーイの方から片手を差し出してくる。それを頼りに降りて行けばドアボーイが早速に声をかけてきた。
「お客様、ご予約はお有りでございますか?」
「ええ、エルスト・ターナーの名前で2名ほど」
「お連れのお方は?」
「お店で待ち合わせることにしてるの、後から来るはずよ」
「承知いたしました。どうぞ店内へ、ギャリソンがお席までご案内いたします」
「ありがとう」
そう言いながらレティキュールの中から金銀合金貨を1枚取り出して手渡す。いわゆるチップだ。
私が前に進めばドアが開けられてそのすぐそばで、ボタンシャツにクラバット、黒のスペンサージャケット上下に身を包んだギャリソンが私を待っていた。
「お待ちしてました。どうぞこちらへ」
案内されるままに広い店内を歩く。
カウンター席もあるが、それよりもたくさんの丸テーブルとそれを囲むように革張りのソファーが多数並んでいる。
すでに店内にはまだ夜も早いというのに、豪奢なドレスやスーツに身を包んだ男女がそこかしこで酒杯を傾けている。
私が案内されたのは人目につきにくい一番奥の席だ。こういう店では関係のない客同士が不用意に距離を近づけないための配慮がなされている。
これなら周りに気兼ねせずに会話を楽しむこともできる。
「こちらでございます」
「ありがとう」
ここでもまたチップを1枚渡す。チップが必要というわけではないがこういう配慮しておいた方が、後からいろいろ頼む時に都合が良いのだ。
「お飲み物は?」
「おすすめでシャンパンを。グラスは二つ。それと軽くつまめるものは何か」
「承知いたしました」
うやうやしく頭を垂れてギャリソンが去っていく。
そしてちょうどそれと入れ替わるように別なギャリソンが私が招待していた人物を連れてきてくれた。
「来た」
視線を向ければそこにいたのは、壮年の一人の紳士。ボタンシャツにウエストコートを重ね、さらにその上にルタンゴトコートを身につけている。頭にかぶっているのは三角帽で手には大理石の頭のついたステッキを握りしめていた。
襟元は純白のクラバットでしっかりと飾り立てている。
プロアのスペンサールックやキッシームさんのネッカチーフネクタイスタイルと並んで、根強い人気のあるウエストコートとルタンゴトコートの装いだ。
むしろ装いの時代としては、ルタンゴトコート系の方が歴史が古く伝統に裏打ちされている。
私はすかさず立ち上がりその人を迎えた。
「先生!」
私はその人を呼べば笑顔が帰ってきた。
「やぁ、待たせたね」
「いえ、私も先ほど来たばかりですので」
「そうか、ともあれ間に合って良かった」
「はい!」
席から出て通路に立ち改めて迎える。
「お久しぶりです! ハリアー先生」
「ああ、実に久しぶりだね。君も健勝そうで何よりだ」
その人――先生が差し出す右手に私も右手を差し出す。握手を交わして交流が始まった。
その人の名前は、
――アルトム・ハリアー――
私の学問の師匠であり偉大なる恩人だ。