オーセンティックバー『スイレント』とお誘いの裏の意図
それから小半時ほど馬車は走る。中央市街区のやや北側、繁華街でも夜の盛り上がりが賑やかなところであり、食に酒にと道楽には事欠かないそういう街区だ。
その中でも高級店の特に多いスクツェーノ・ストリートがある。そこから脇路地に一つ入った場所に目的の店はあった。
店の前で馬車が停まる。彼が先に降りて、私が降りるのを補助してくれる。彼はその上で、馬車の料金としては少し多い金額を馭者に渡していた。
「これで飯でも食ってきてくれ。飲み終わる頃にまた迎えに来てくれよ」
「こりゃどうも。ありがとうございます旦那」
馭者は挨拶もそこそこにそこから去っていった。
振り返れば店の入り口の扉がある。樫の木の高級木材で作られた黒い扉だ。金メッキの施された取っ手が付けられていて、彼がそれを開けてくれた。
「ありがとう」
こういう社交の場ではごく当たり前なレディーファーストの礼儀作法も彼は心得ていた。
私が先に入り、彼が後に続く。
店内で佇んでいる私に左の肘を差し出してくる。私はそれに右手を絡める。そして彼に手を引かれて店の奥へと向かう。
店の中はカウンター席と、丸テーブルが三つほど。そう大きくない店内だが格調は高く、少し暗めに灯されているランプが店内を雰囲気たっぷりに醸し出している。
そう、ここはいわゆる〝オーセンティックバー〟
カウンターの向こうにバーテンダーが待機しているスタイルの店だ。
店の名前は〝スイレント〟清寂を意味している。
慣れた足取りの彼にエスコートされて二人並んでカウンター席に着く。
私たちが席に座ったその時から、初老のバーテンダーの仕事が始まっていた。
「ご注文を」
その言葉に私は落ち着いて答えた。
「おまかせで」
こういう時は下手に好みを言うより、本職に任せてしまったほうがいい。対してプロアは、
「俺はボイラーメーカー」
「承知いたしました少々お待ちを」
まず私に作ってくれたのは、見慣れない異国の無色透明のお酒にライムの果汁を効かせたものだ。
ロングのタンブラーグラスに氷を数個入れてステアする。
出来上がったものを私の方へとそっと差し出してきた。
「どうぞ、〝サムライ〟です」
「サムライ? 変わった名前のカクテルね」
サムライと言う名前には聞き覚えがある。
「確か海を越えた東の最果て、エントラタと言う国に住む戦士階級の名前ね」
「はい、彼らと同じ国で作られる和酒をベースとしてお作りしました。和酒にライムが効かせてあります。職業傭兵をなさってらっしゃるあなた様には相応しいかと」
その言葉に私は思わず驚いた。
「知ってるの?」
「はい、以前お見かけしたもので」
私は驚きよりも感心する気持ちの方が大きくなった。
「ありがとう飲ませていただくわ」
「光栄です」
感謝の言葉にバーテンダーの彼は静かに微笑む。
続いて、少し大きめのタンブラーグラスにビールを注ぐ。そして小さなショットグラスを用意するとそこにブランデーを注いでいく。
それをどうするのかと見ていたら、
「えっ?」
私は思わず驚いた。ビールの入ったタンブラーグラスの中に、ウイスキーの注がれたショットグラスを入れたのだ。
驚くような作り方にびっくりしていると、そのタンブラーグラスをプロアの所へと差し出した。
「どうぞ。それではごゆっくり」
たったそれだけを答えてバーテンダーは私たちから距離を置く。この店ではひたすら静けさを提供することに重きを置いているのだ。
出されたカクテルの名前を彼が説明してくれた。
「ボイラーメイカーと言ってな、元々は船乗りや鉱山労働者の間で手っ取り早く酔うために作られたカクテルなんだ。ビールにブランデーを強引に足すことで、酒精の度数を上げるんだ。ボイラーで火を焚いたみたいに体が熱くなるからボイラーメイカーって呼ばれるなんていう説もあるな」
「面白いわね。でもそういうの飲んで酔い過ぎない?」
「俺、酒は強いんだ。あんまり酔わないんでこれくらい強いのイカないとつまんなくてよ」
彼がお酒に強いことは知っていたが、酒豪というのもそれはそれで大変かもしれない。
「悪酔いだけはしないでね」
「わかってるさ。お前を無事に送り届けずに酔いつぶれるわけにはいかないよ」
「信用してるわよ」
「ああ」
彼とは以前二人きりで飲んだ時に、予想外のアクシデントで彼以外の人物に泥酔させられて死にかけたことがある。その時も最後まで私をかばい助けてくれたのは彼だったのだ。
懐かしい記憶を掘り起こしていると彼の声が聞こえてきた。
「そういえば、前の仕事の作戦で捕まえた首領の少女がいたじゃねえか。俺がサマードレスを渡したやつだ」
「そう言えばそんな人いたわね」
「ああ、あれ今どうなったんだ?」
おそらくは私が助命に成功したパリスの事だ。彼女のことはまだ誰にも明かせないのだ。さすがにこれは私も迷う。
そんな迷いが顔に浮かんだのだろう。彼はそっと耳打ちしてくれた。
「ここなら他のやつは来ない。バーテンダーの旦那も沈黙は守り通す主義だ」
「そう……」
ここまで言われてしまっては沈黙し続けるわけにはいかない。
「絶対に他に口外しないでね」
「ああ、約束は守る」
今までの経験から言って間違いなく彼は恐ろしく口が堅い。名斥候の呼び声は伊達ではないのだ。
「彼女は、パリスは生きているわ」
「彼女死刑になったんじゃないのか?」
「表向きはね」
表向き、その言葉の意味を彼は気づいた。
「別人として生きている可能性か?」
「そういうことよ。彼女、私たちの知らない情報を提供する代償として証人保護を含むあらゆる処置を受けることになったわ」
「証人保護?」
「ええ、パリスと言う女は死んで、別な名前の女がどこかで生きているの。でもその人の名前と素性は一切明かされることはない。全くの新天地で人生をやり直すのよ」
「人生のやり直しか」
「ええ」
「うまくいくと良いな」
「そうなると信じてるわ」
彼はグラスを傾けて言葉を続ける。
「なにしろ彼女の生い立ち悲惨すぎるものな」
「これからよ。彼女が幸せになるのは」
私たちの知らない場所で人生をやり直しているパリスに思いを巡らせずにはいられなかった。
そんな時、彼が意外な言葉を口にした。
「そうだ。雑談だけをしに来たわけじゃなかったんだ」
「えっ?」
驚く私に彼は語りはじめた。
「この間の強制制圧で壊滅させた〝闇夜のフクロウ〟について俺の方でもあのあと調べたんだ」
「調べたって、まさか個人的に?」
これにはさすがに私も驚いた。
「大丈夫なの?」
「なぁに、暇つぶし半分さ。それに壊滅した組織の裏取りをするくらいなら俺の古巣の連中もやかましくは言わないさ」
彼の古巣、彼はもともと闇社会における地下オークション組織のエージェントだ。世の中の裏側に関しては私なんかよりもはるかに詳しい。
「それで何がわかったの?」
私の問いかけに彼は一呼吸おいて答えた。
「闇夜のフクロウの本当の黒幕だ」
私はその言葉にパリスから引き出した情報とのつながりのようなものを直感した。さすがに聴かないわけにはいかなかった。