ルスト、アポイントメントを入れる
あくる朝、朝6時に目を覚まし寝巻きから部屋着に身支度を整える。外の冷え込みは強く窓には霜が張っている。家の中でも吐く息は白い。
2階に降りてリビングで朝食を取り再び自室に戻る。
「お嬢様どうぞ」
「ありがとう、ここに置いといて」
「はい」
メイラが暖かい湯気ののぼる黒茶を持ってきてくれた。
黒茶は私たちフェンデリオルで広く飲まれている飲み物だ。
茶葉を非常に強く発酵させて、独特の酸味と甘味を強くしたものだ。一見すると珈琲とほとんど似ているほどの濃さだ。でも意外と飲みやすいので他国から来た人にも好評だ。
私は自室にある文机の席に腰掛けながら、念話装置を操作する。
今からある箇所にアポイントを入れるためだ。
まずは一つ目、
番号を指定して発信する。ほどなくして先方が出てくれる。
『はいこちら、アルトム・ハリアー研究室です』
私の恩師、ハリアー教授だ。声の主はハリアー教授の専属秘書の人だろう。
『失礼いたします。こちらエルスト・ターナーと申します。ハリアー教授はご在室でしょうか?』
『申し訳ございません。教授はただいま席を外しております。どのようなご用件でしょうか』
『はい。ハリアー教授に普段からのお礼かたがたお酒の席にお誘いしたいと思いまして。今夜、お時間を頂けませんでしょうか?』
『今夜は学会筋との会合がございます。明日夜でしたら、スケジュールに余裕ございますので対応可能と思われます。お店をご指定いただければそちらに伺わせていただきます』
『では、中央繁華街のウエストウッドストリートにあるラウンジバー〝青鹿亭〟にてお待ちしております』
『承知いたしました。必ず訪問させていただきます』
『ありがとうございます。それではよしなに』
アポイントがまず一件終わった。さて次だ。
こちらは登録簿に保存されている番号を指定する。
【ミルセルド本家、通信師】
発信するとすぐに反応がある。
『はいこちら、ミルセルド本家通信師ジロールでございます。どちら様でしょうか』
通信師の受け答えも通信対象となる人の社会的身分によって微妙に異なってくる。
私が話をしている相手は、候族と呼ばれる上流階級の中でも、特に最上格である〝十三上級候族〟の一つ【ミルセルド家】なので受け答えはことさら丁寧だった。
『失礼いたします。そちらのご息女レミチカ様の親友のエルスト・ターナーと申します。本日、レミチカ様の所にご訪問させていただきたいのですがよろしいでしょうか?』
『はい少々お待ちください。ただいま予定を確認させていただきますので』
少し間を置いて返事が返ってきた。
『本日午後でしたらお嬢様はご在宅でらっしゃいます』
『ありがとうございますそれではご訪問させていただきますのでよしなにお伝えください』
『ご丁寧にありがとうございます。それではお待ち申し上げております』
そして通信は丁寧に切れる。
相手が相手なのでとにかく丁寧なことこの上ない。そしてこちら側もそれに見合った問いかけをする必要があるのだ。言い間違いや失礼があれば通信を切られることもあるのだ。
「まずは一件目ね。どんな話が聞けるかしら」
少し休憩した後、訪問着に着替えた。
薄クリーム色のシルクのリージェンシードレスだ。シュミーズドレスの一種だが、胸のデコルテの露出が無いのと、ボーンのない柔らかいコルセットを用いるのが特徴だ。
先日の全身美容サロンに行く時にメイラが着用していたのもこれだ。
上着にメスジャケットとハーフマントを重ね、頭にはボンネット帽、それに手提げカバンを持てば出来上がりだ。着付けを終えると出発する。
今回は辻馬車ではなく呼び出し馬車を使う。馬車にもいくつか格があり訪問先に相応の馬車で伺う必要があるのだ。
「行ってらっしゃいませ」
私はメイラに見送られて出発したのだった。