ルスト、ご婦人の不安ごとを聞く
あまりの心地良さにすっかり眠りこけてしまっていて、先ほどの理美容師が起こしてくれるまで完全に夢の中だった。
「お客様? 終わりましたよ」
「えっ? あっはい」
職業病なのか私は慌てて起きようとしてしまう。そこで改めて自分がここにいる理由を思い出したのだ。
「お客様落ち着いてくださいまし。ここはお仕事場ではありませんよ?」
「あ、そうだった……申し訳ない」
おそらく似たようなことは他でも起きているのだろう。声を上げて笑うようなことは無い。
「待合室にてお飲み物をご用意いたします。お体をお休みになられてからお召し物をお着せいたします」
「ええ、そうさせてもらうわ」
「それではこちらへどうぞ」
寝台から降りるとガウンを着させられ頭にタオルを巻かれた。
彼女に案内されてガウン姿でサロン室に向かう。メイラもちょうど施術を終えたところだった。
「お嬢様」
「メイラ」
「お疲れ様でした」
「あなたもね」
メイラはメイラで、基礎的な美しさに磨きをかける方向で施術してもらったようだ。侍女という立場上、主人家族を超える装いは御法度とされている。それでいて人並み以上の美しさも要求される。それに見合った絶妙なさじ加減というところか。
革張りのロングのソファーに腰を下ろすと、店員がよく冷えた果実のジュースをグラスに入れて2名分持ってきてくれた。
「どうぞごゆっくり」
テーブルの上には菓子や果実もある。それをつまみながら少し休息してから帰ることになるのだろう。
大変に満足のいく内容に身も心もリラックスしながら喉を潤していた時だった。
不穏な会話が聞こえてきたのだ。
「それ本当ですの?」
「ええ、どうしても反対する意見が抑えきれなくて」
「困りましたわね。東方人の使用人はとても勤勉だから重宝してましたのに」
「ええ、本当困ったものです。このままでは東方人を雇用するのができなくなってしまいます」
「ただでさえ人手不足なのに」
ため息混じりの声が聞こえてきた。会話の内容から言って上流階級のお屋敷の使用人問題らしかった。私たちが座っているところから少し離れたところの席でガウン姿のご婦人2人が話し合っていた。
「お嬢様?」
私が真剣に彼女たちの言葉に耳を傾けているところにメイラが不思議そうに問いかけてきた。
「ちょっと待っててね」
「はい」
私は近くの店員を呼び寄せると自分の私物の入った小さなバッグを取り寄せる。そしてそれを手に立ち上がると悩み事を口にしていた二人のご婦人の所へと近づいて行く。
「あの失礼いたします」
「はい?」
「どちら様かしら?」
私の声にふたりのご婦人が反応する。白い肌にブロンド髪のフェンデリオル人だ。明らかにこれは上流階級の方たちだろう。
身分の高い人たちは身元の不確かな人間からの問いかけを嫌う。私は自分自身の身分を示す〝職業傭兵の認識票〟を取り出した。
「わたくしこういう者です。お二方のお話を耳にして私から何かご助言ができればと思いまして」
職業傭兵や軍人は人物識別のために認識票を必ず保有している。フェンデリオルでは細長いプレート状のものになる。
それを見せた時に彼女たちの困惑した表情が納得へと変わった。
「特級傭兵の方ですか?」
「それはそれは。ご助言いただけるのでしたら何よりです」
「ささ、お座りになって」
「はい、失礼いたします」
こういうときは私の肩書が物を言う。傭兵として最高位の特級という位は、相応の威厳をはらむのだ。
私は彼女たちと向かい合うように席に腰を下ろした。
「東方人の使用人の問題でいらっしゃいましたね?」
「ええ、当家でも東方人の使用人を何人か雇用しているのですが」
そのご婦人は大きくため息をついた。
「実は最近になり一部の使用人たちから東方人の使用人を使うのをやめてもらいたいと言う主旨の申し出を聞かされたんです」
「それにその――、今ちまたで問題になってますでしょう? たちの悪い犯罪組織の息のかかった東方人が多数入り込んでるって」
「黒い鎖とか言いましたかしら?」
「そうそう、それ」
私は心の中で〝とうとうそれが来たか!〟と大きくため息をついていた。黒鎖のような闇社会の犯罪結社が蔓延すれば、黒鎖を構成している東方人に対して偏見の目が向けられるのは避けられないのは予想できたことだ。
だがこれをこのまま放置しておけばもっと深刻な問題になる。
私は一計を案じて彼女たちにアドバイスすることにした。
「つまり、東方人の使用人たちが、黒鎖と言う犯罪性結社に関わっていないことが証明できれば問題ないのですね?」
私のその一言に彼女たちははっきりと頷いた。しかも力強く。
「かなり深刻なご様子ですね」
「ええ、今はただでさえ若い子たちの職業の範囲が広がってフェンデリオル人の使用人志望者が少なくなり始めていて慢性的な人手不足なんです」
「そういう中で国を越えてやってくる東方人の使用人希望者の方たちはとても貴重な働き手なんです」
「礼儀正しくて勤勉で、主従関係というものに理解があり、契約さえしっかりしていれば不平不満も言わない」
「そして何より〝働かせてくれた恩〟と言う物を彼らは口にします。その意味でも私たち雇用する側にとってはものすごくありがたい存在なんです」
「だから、そうそう簡単に切り捨てたくはないんですが」
事情を語り終えた彼女たちは大きくため息を吐いた。相当に困っているようだ。
彼女たちの言葉からは相当に深刻な対立が起きていることが想像できた。
「そうだったんですか。それならば良い方法がありますよ?」
私は自分自身の経験の中からこういう時はどうすれば良いか? その答えを既に得ていた。
「どのようにすればよろしいのですか?」
「はい、順を追って説明させていただきます」
東方人へのいわれなき偏見を解決するにはやりかたがある。拙速には解決しないのだから。
「まずは人種を問わず全ての使用人たちの身体検査をするところから始めましょう」
「身体検査ですか?」
「ええ、契約書に追記事項として健康診断の必要性を明記した上で、医師の診察に乗じて体を見聞して〝刺青の有無〟を確かめるんです。流行病の検査や持病の有無の確認など名目はいくらでも作れます」
「確かにそれでした無理なく声をかけられますわ」
「医療費の補助なども提示すれば、なおさら受ける側も抵抗なくなりますわね」
「そう言うことです。なんとか理由と雰囲気を作り上げて、無理なく体の見聞をする状況に持っていくのです」
「なるほど、それでその次にどうすれば?」
「はい。黒鎖は構成員の体に東洋龍の刺青を彫るんです。まずはそういった刺青がないかどうかを確認します。これは東方人に限らず全ての使用人に対して行なってください」
「はい承知しました。でも1つだけ不安が」
「なんでしょう?」
片方のご婦人が市松の不安を口にする。
「健康診断を装うとはいえ、東方人以外の使用人にも広げたら、反発が起きませんかしら?」
「それはご安心ください。ちゃんと法的な根拠もありますから。軍警察が犯罪性の秘密結社構成員の鑑別情報を公開しています。また軍警察では東方風の人種でなくとも黒鎖の構成員が確認されたケースを公表しています。東方人でないからと言って安全確実だとは限らないんです。
軍警察が刺青の有無を確認することを推奨している、これは事実ですのでその一点から話を進めてください」
「はい」
「それでその次はどうすれば?」
「はい、刺青があっても即解雇となさらないでください。なぜ刺青を入れてるのか? 釈明と理由書の提出を求めてください。この時、釈明に筋が通らなかったり、理由書の提出を拒むようなことがあればその時改めて信頼関係が結べないということで解雇すればよろしいのです」
そして私は一呼吸おいた。
「信頼関係をしっかりと築き上げている使用人であれば理由の釈明など難しい問題ではないはずですから」
「なるほど、そういうことですか」
「もっともですわ。信頼あってのお屋敷勤めですからね」
「えぇ」
ふたりとも一番の不安の種に解決の糸口が見えたことで不安の色が和らいだようだ。でも不安はまだあるようだ。