ルスト、新聞を読む
その後、地下階のバスルームでお湯を浴びて寝室で眠りにつく。久しぶりの何の気兼ねもない就寝に心から体が休まる気がした。
そして翌朝、目が覚めてメイラが用意してくれた朝食を食べた後に新聞に目を通す。プライベートでも情報収集は極めて重要だからだ。
何気ない記事の中に意外な重要情報が隠れていることが往々にしてあるからだ。
職業傭兵として実績を積んで、今の特殊部隊に配属されてから〝情報〟の重要性を改めて痛感させられていた。そして、情報というのは〝鮮度〟と言うのがあり新しく正確なものほど重要だという事も分かった。
私は可能な限り新聞に目を通すようにしていた。今日もいくつか気になる記事を見つける。
【密入国・不法越境者急増、国境警備部隊、稼働率急上昇】
「あいつらね?」
密入国・不法越境者、その文字を見たときに私はいままでに何度も戦ったあの黒鎖の連中の事を思い出さずにはいられなかった。
その次に目が留まったのはこの記事だ。
【北の街イベルタル、犯罪発生率上昇、粗暴犯罪、窃盗、殺人など特に目立つ】
犯罪が増える。それには治安の悪化が一番の利用になるが、なぜ治安が悪化するのか? と言えばさっきの記事と繋いで考えるのが妥当だろう。
「これってやっぱり、黒鎖が絡んでるのかしら?」
筋金入りの犯罪結社がフェンデリオルに活動拠点を築くとすれば、やはりそれは大規模な商業都市や派手な歓楽街を抱えている大都市の方が都合が良いのは言うまでもない。
なぜならその方が商売になるからだ。それに『木の葉を隠すなら森の中』と言う言葉があるように雑多な人間が多い都市の方が人間が紛れやすいものだ。
北の街に関連してこんな記事も見つけた。
【北の街イベルタル、外国人観光客過去最高ペース更新】
もっと分かりやすい事例で言えば一般観光客や商人に身をやつして紛れ込んでくるということも考えられる。こうなってくると自己防衛するのはかなり大変になるだろう。
だが私が最も目を引かれたのは次の記事だった。
【北の同盟国ヘルンハイトからフェンデリオルへ、学術研究者の移籍増える】
「えっ?」
さすがに私はその記事に驚きを隠せなかった。
「嘘でしょ? ヘルンハイトの方がフェンデリオルからの留学先としてはある種のステータスだったはずよ?」
自慢ではないが、私はこの国の最高学府で学んでいる。その経緯から、優秀な人材ほどヘルンハイトの科学アカデミーを目指して留学を果たしている、と言う事実を知っていた。
もっとも当時は軍学校に本籍を置いていたので、私には到底無理なので、心ならずもその事を羨ましいと思ったことすらあるのだが。
それが逆に向こうからこちら側へ移籍を望んでくるとなればただ事ではない。
「何か起きてるわね」
有り体に言えばヘルンハイトの最高学府で学術研究を続けたくない何らかの理由があるのだ。
私は更にヘルンハイト関連の記事を集中的に探した。
【ヘルンハイト西部農村地帯、流行病蔓延。医療処置間に合わず】
【ヘルンハイト公国、国家永世騎士団。退団者急増】
【フェンデリオル北部銀行業連合会、ヘルンハイト貴族層への金銭融資の審査基準をより厳格化へ】
【ヘルンハイト商業界報告、大規模倒産件数、過去10年で最高規模へ】
【フェンデリオル使用人協会連合会、ヘルンハイトへの越境就労への警告とアドバイスをまとめる】
大きい記事から小さい記事までヘルンハイト関連のものを抜き出しただけでこれだけが並んでいた。明らかにおかしい。
「何が起きているって言うの?」
一言で言うのなら〝政情不安〟
国の政がまともに機能していないのだ。
新聞記事の文面から状況を推察するとそうとしか考えられない。
その記事の内容から私はある予感に囚われた。
「もしかすると、次の任務は〝北〟かしら?」
次に部隊全員で拝命する任務があるとすればそうとしか考えられない。長い任務になるだろう。
私は覚悟を決める必要性を感じていた。
朝食を終えて、新聞を読み終える。
ふとそこで今日の予定が何もないことに気づいた。
「あ、そうか。今日は仕事がないんだ」
今日明日は休暇だ。何もすることがない。
すると朝食を片付け終えたメイラが現れる。
「お嬢様、もし今日ご予定が何も無いのでしたらおすすめしたい場所があるのですか」
「あら何かしら?」
「〝全身美容〟です。大きい邸宅の中で自前でやるのではなく、こちらから店舗に訪問してそこで施術してもらうんです」
「へぇ、職人による〝専門店〟ってやつね」
「はい。気軽に行けるので上流階級のご婦人方には評判だとか」
「いいわねそれ。気晴らしにもなりそうだし。予約お願いできるかしら?」
「はい。今すぐに」
「お願いね」
そんなふうに彼女とやり取りをしてふとあることに気づいた。
「ねえ、メイラ。よかったらあなたも一緒にどう?」
私ひとりで美容を楽しむのももったいない。日頃から多忙な私を支えてくれているのだからこれくらいあっても罰は当たらないだろう。
「よろしいのですか?」
彼女は明らかに驚いていた。
「ええ。私ひとりで楽しむより二人の方がいいでしょ?」
私は幼い頃から軍学校の寄宿生活をしていたおかげで、使用人にかしずかれる暮らしと言うのがどうも性に合わない。どうしても使用人たちを家族の一員と認識してしまうのだ。
もっともこの考え方は直すつもりはないのだが。
「ありがとうございます! 私も試してみたかったんです」
思わずポロリと本音が出る。彼女もやっぱり年相応の女性なのだ。
「それじゃ行きましょう。外出着を用意してちょうだい」
「いつものお仕事着ではなく?」
「ええ、エンパイアスタイルのドレスにしましょう。スペンサージャケットと合わせて」
「承知しました。では今すぐにご準備いたします」
それからすぐに私の衣装の準備と自らの着替えを速やかに終える。そして、呼び出し馬車の手配と美容店の予約を済ませる。もちろん2人ぶん。
私は彼女が用意してくれた薄水色のロングのエンパイアドレスと濃紺のスペンサージャケットと言うコーディネートで邸宅の外に出る。薄手の青色のハーフサイズのマントを羽織り、ボンネット帽を頭にかぶる。これにショートブーツを履けば出来上がりだ。
「それじゃあ行きましょう!」
「はい、お嬢様!」
メイラもリージェンシースタイルと呼ばれる、比較的質素なデザインのシュミーズドレスに着替えていた。私とメイラは二人連れだって馬車に乗り、出かけて行ったのだった。