ルスト、母に念話する
ブリゲン局長のところを離れて辻馬車を拾い旅客運河船の発着場へと向かう。
中央首都オルレアほどの大都市になると、東西の差し渡しの距離はかなりの大きさになるから簡単に徒歩で移動というわけにはいかない。多く用いられるのは馬車か運河船だ。
そもそも、我がフェンデリオルでは、人の移動や物資の運搬には昔から運河水路が大規模に普及している。
4大主要都市の間はもとより、国中のいたる所に水路が張り巡らされている。運河船が人や物を大量に運び、移動時間も昔とは比較にならないくらい早くなった。
たとえば、北部都市イベルタルと中央首都オルレアの間の移動は、徒歩なら7日か8日と言うところだが、運河船が就航してからは通常便で2日、直行便で丸1日で目的地に着いてしまう。
新しい文明の利器が普及すればするほど世界は狭くなると誰かが言っていたがそのとおりだと思う。
私はあまり人目につきたくなかったので、乗り合い船を避けて小型船をチャーターした。途中どこにも寄港しない直行便なので朝乗船すれば日の沈む頃には目的地に着くだろう。運河の水の流れに船が揺れる。その揺れが心地よくて私はいつしか眠り込んでしまっていた。
昼頃に船員に起こされる。船のサービスでパンとコーヒーの軽食が用意された。それを食し終えると私は念話装置を取り出した。
制圧作戦の時にも使ったクリスタルプレート風のあの念話装置だ。
そもそも――
念話装置とは、フェンデリオルの精霊科学である精術の応用で生まれた通信装備の事だ。
風精の効果の一つである〝念話〟
これをより効率よく通信相手を選択しやすくするために編み出された。
装置そのものにシリアル番号が設定してあり、送信の際にその番号を指定して発信する。
そして、その指定番号に該当する装置が反応して、使用者の思念波通信である念話を接続する――と言う仕組みだ。基本概念は400年前くらいから提唱されていたらしいが、実用化が果たされたのは250年前のときだ。
250年前、私たちの国は圧政から逃れるため独立戦争の真っ最中だったが、その際には、レジスタンス軍の活躍と躍進に多大な貢献をしたことは言うまでもない。
『隔絶した兵の相互の連携をなしうる』
その効力を持って、神出鬼没なゲリラ活動の後押しをしたのだ。
敵側にとっては不可解なほどに絶妙なタイミングで連携攻撃をしてくるので、恐慌状態になる敵部隊が続出したという逸話が残っている。
通常は番号指定はダイヤル式か押しボタン式で、全8桁ある番号をずらりと並んだダイヤル盤を回してセットするか、10×8桁分のボタンを押し込んでセットする。当然、番号を予め記憶させることなんて出来ないから、使用者の記憶に頼ることになる。
そのため、念話装置の使用と運用は職人芸の世界であり、国家資格とされる通信師の資格を取得して技術を磨いて運用するものとされていた。
そうこれまでは。
でも、私が今支給された全く新しい念話装置は違う。外見的に機械的な仕組みが無いのだ。それにそもそも大きさからして違う。
従来は据え置きで文机と同じくらい、可搬式でも百科事典1冊くらいの大きさのものを肩からベルトで下げて運用していた。当然、めちゃくちゃ重い。それが手のひらサイズ――、技術の進歩とは本当に凄まじいものだなぁ、と私はため息を吐いた。
腰のベルトポーチから取り出し、表面をタッチする。
画面の下半分に数字盤が光の像で浮き上がる。
それをタッチして番号を指定する。よく使う番号は記憶させることができるのだけど、私が念話を送ろうとしているのはまだ記憶させていない番号だった。
「ええと、モーデンハイムの宗家の連絡番号は――」
私は自分の実家の連絡先番号を入力した。
そののちに【elsend】の文字をタッチする。
内部機構が働いて信号を発信する。私の念話を経由してある場所へとつながる。
『はい。こちらモーデンハイム宗家、通信師でございます』
つないでもらった相手はモーデンハイム専属の通信師のところだ。
念話は使用者の言語中枢に直接作用する。蓄音機のラッパスピーカーのように音が出るわけではないのだ。
『失礼いたします。こちらエライア・フォン・モーデンハイムです。お母様はご在宅でしょうか? よろしければ中継をお願い致します』
『かしこまりました。お探しいたしますので少々お待ちください』
念話は念話装置を使用している者同士で行われるが、通信師が身近な人間に念話を中継送信することも可能だ。中継対象者に念話を送り、中継相手が発した声を通信師は耳で聞いて、それを念話相手に発信する。
この中継の機能があるおかげで商業や政治や軍隊や、あるいは上流階級の生活の中には、通信師の存在は大きいものになっている。だれでも遠く離れた人と会話を楽しむ事ができるのだから。
まさに一家に、あるいは一課に一人は通信師が居る時代なのだ。
少し時間をおいて反応が返ってくる。
『お待たせいたしました。ただいまお繋ぎいたします』
そして念話の向こうから聞き慣れた声がした。
『もしもし? エライアなの?』
とても柔和で優しい声、私の実家のお母様だ。
エライアは私の本名だ。エルストが別名で、ルストは愛称になる。
私は答えた。
『お久しぶりですお母様。最近新しく念話装置を手に入れたんで番号をお知らせしようと思いまして』
『あら? 通信師の資格をとったの?』
『はい。自分自身で持っていた方が何かと都合が良いので』
『そう! それじゃあこれからは気兼ねなくお話しできるわね』
『ええ、でも作戦行動中は出れない時もありますけど』
『ほほほ、それくらい分かってるわよ。あなたもお仕事が忙しいからなかなか顔を見れないけど、声が聞こえるだけでもほっとするわ』
『ええ、これからも時々、ご連絡させていただこうと思います』
『ええ、楽しみに待ってるわ』
『それではまた連絡しますので』
『はい。それではお仕事頑張ってね』
『はい。お母様もお元気で』
そして私は向こう側の通信師の人に語りかける。
『中継ありがとうございました。通信終了いたします』
『承知いたしました。お疲れ様でした』
そして、念話は終わる。
ほんの少しのやり取りだったが、お母様の声が聞けただけでもほっとするものがあった。
「成人の儀式もまだやってないもんなぁ」
私はため息をついた。今の軍外郭特殊部隊の仕事が始まってからなかなか時間が取れないため、本来ならば15歳の時に行うべき成人の儀式を、私は未だに行っていないのだ。
私たちフェンデリオル人は15歳で成人を迎える。市民階級も上流階級も、15歳になる時は盛大に成人の儀式を行うのが習わしだ。
しかし私はある事情があってその時実家に居なかった。なので未だに成人の儀式をやっていないのだ。
そのことはお母様も度々残念がっていた。
「次の大きい仕事が終わったら長期休暇を取ろう」
その時は実家のある人にお願いして、正規軍が仕事を持ち込まないように睨みを効かせてもらう必要があるだろうけど。
私はそこで再びため息をつく。仕事があるのは良いことだけど、頼りにされすぎるというのもなかなかしんどい物があった。