グリムゲート監獄 Ⅶ ―第2監視所での一夜―
グリムゲート監獄を取り囲む立ち入り禁止領域。その中を走る通行路の途中には三つの監視所が設けられている。監獄に近い方から第1から第3まで存在している。
朝早くに出立したので第1監視所は昼前に通過する。途中の宿泊地点である第2監視所は夕方日暮れ近くにたどり着いた。
道は狭い谷間を進んでいたが少し開けた場所がありそこにゲートを築くように道の左右に建物が存在している。
片方が詰所兼事務所であり、もう片方が来訪者用宿舎となっている。
馬車を止めて事務所に向かい、駐在責任者に面会して彼だけに特別判断基準54号について通告する。この通告を受けた場合、54号の執行者が連れている人物については身元確認も滞在したという記録もする必要がない。
つまり、いない人間として扱われるのだ。
駐在責任者とのやり取りを終えて、馬車に戻るとパリスを降ろす。囚人服が目立たないように大きなシーツで彼女の体を隠してあげる。
そしてそのまま借り受けた宿舎の一室に彼女を案内した。部屋はとてもシンプルでベッドとテーブルと椅子があるだけだ。窓も木で作られた格子がはまっていて外からは中が見えない。
私はこの時のために予め持参しておいた着替えやら何やらを部屋に持ち込んだ。そしてパリスに言う。
「さ、脱いで」
「えっ?」
驚き戸惑っているのが分かる。顔を赤くしている彼女に私は言った。
「いつまでもそんな血糊のついた囚人服を着るわけにはいかないでしょ? それにあなたを別の施設に移動させるためには普通の服に着替えてもらわないとね」
「はい!」
着替える意味について理解した彼女は笑顔で自らすぐに着衣を脱いだ。
木綿のワンピースは厚手で暖かく作られているがお世辞にも着心地が良いとは言えない。ワンピースの下は肌着のシュミーズと下履きのズロースだ。
囚人として収監される際にそれまでの衣類は下着も含めて没収される。女性で囚人になったことがある人はこの下着が一番辛いと皆口を揃えて言う。
「パリス、それも着替えましょう」
彼女の体型を予測して若い人向けのブラレットとパンタレットを用意しておいた。色は白だがピンク色のレースのフリルがちゃんと付いている。
「え、いいんですか?」
「それ若い女の人には履き心地が悪すぎるって評判すごい悪いのよ」
「あ、やっぱり。生地がすごいゴワゴワするんでデリケートなところに擦れて痛いんです」
女性の股間の大事な場所が目の粗い布で擦れるのだ。まるで紙やすりで擦ったみたいになる。
私も一度、軍の駐屯所の警護任務のときに手持ちの着替えが足りなくなって借りたことがあるのだが、一日と耐えきれないほどひどいものだった。
「でしょ? さ、着替えて」
「はい」
無骨な下着を脱がせて年相応のものを履かせてあげる。娼婦をしていたというだけはありメリハリのある体つきをしている。肌は荒れているがきちんとお手入れをすればもっと綺麗になれるだろう。
それが出来なかったのは彼女の過酷なこれまでの日々のせいだ。
下着を着せて、膝までの長さのソックスを履かせる。木綿地のモスリンのキャソックを着せて、長袖のシルクのワンピースドレスを着せる。
さらにウエストラインを作るボディスジャケットを着させる。
この上に防寒用のショールと柔らかい布で作られたモップハットを被せれば出来上がりだ。
「靴も用意したけど履けるかしら?」
「はい。ちょうどいいです」
靴は長く歩くことを考えてショートブーツにした。
あとは髪型や顔を整えてあげる必要があるけどそれは明日の出発前でいいだろう。
「今日はここで一泊します。明日あなたを迎えに防諜部の人間がやってきます。54号案件の執行者です。明日からはその人にあなたを委ねることになります」
「はい、わかりました」
死の恐怖から解き放たれたからだろう彼女の表情はとても明るかった。以前とは比べものにならないくらいだ。
そうこうしているうちに夕食が用意されていた。部屋がノックされたのでドアを開けて外を見るとすでに誰も居なかったが、廊下には私と彼女の分が用意されていた。
パンとスープと簡単な肉料理、それと黒茶だ。
「さ、いただきましょう」
「はい!」
彼女にとって本当にホッとする夕食だったに違いない。心から食べ物の味を噛み締めながら味わっているのが分かる。
「美味しい?」
そう尋ねれば満面の笑顔でパリスは言った。
「はい、とても」
その笑顔に、私は彼女を助けて本当に良かったと思うのだった。
† † †
翌朝、目覚めてすぐに監視所の一般兵卒の一人がやってくる。宿泊施設に簡易式の風呂場があるので使うことを勧められた。
当然ながらパリスを一人で入浴させるわけにはいかないので、私も一緒に入ることになる。朝一番最初に案内されたのは、男が先に入ったものに女性を入れるのはいかがなものかと配慮してくれたようだ。
宿泊施設の建物の半地下階に木で作られた大きく丸い浴槽がある。川から引いた水を風呂釜で沸かしてかけ湯にしているのだ。
そこに2人で入り、彼女の体を洗ってあげる。
よくよく見ると背中やお尻や至る所に生傷の跡がある。過酷な折檻の証拠だ。さらに右の脇腹には焼きごてを押し付けたような火傷の跡がある。
私が気付いたことを察してパリスは理由を教えてくれた。
「娼婦にさせられる時に娼館の店主に焼きごてを押し付けられたんです。わざと傷物にして他に行けないようにするんです。こうすると女としての価値が下がるから他で働けなくなる――って」
この傷一つを取っても彼女がいかに人として扱ってもらえなかったのがよく分かる。慰めにならないかもしれないけど私は彼女に言った。
「大丈夫よ。あなたはこれから幸せになるの。別人として一からやり直すの。だからいつまでも過去にとらわれていてはダメよ」
「はい」
私の言葉に彼女は泣きながら頷いていたのだった。
お湯から上がり、服を着て髪型やお化粧を整えてあげる。今日から別人になるのならとことんやった方がいい。彼女の過去を振り切るように。
そしてすべての準備終えて待機していると監視所の兵卒が声をかけてくる。
「お迎えが参りました」
「ご苦労様です。今参ります」
いよいよだ。
「さあ行きましょう」
「はい!」
着替えを終えて生まれ変わったパリスを連れて建物の外に出る。すると一般用馬車に似た軍用乗用馬車が控えていた。
そこに正規軍の制服姿の女性士官が待機している。
私はパリスを伴って、彼女のところへ行った。
「お待たせしました。エルスト特級です。54号案件の執行者の方ですね?」
「はい。正規軍防諜部第一局の者です。対象者の方をお迎えに参りました」
「ご苦労様です。こちらがその54号案件対象者です」
「承知いたしました。これからは私が所定の手続きに従い別人として再起を図るためのお手伝いをさせていただきます」
そしてその執行者はパリスに向き合いこう述べた。
「これより、あなたが完全に別人として暮らしていくために、その準備として向こう数ヶ月をめどにある施設に滞在していただきます。新しい名前にも慣れていただかないといけませんので」
「はいよろしくお願いいたします」
私の役目はここで終わりだ。
パリスと言う女性は処刑されて死んだ。ここにいる彼女は全くの別人なのだ。だが彼女の新しい名前を私が知ることはない。彼女の今後に関する情報は徹底して秘匿されることになるのだ。
執行者が彼女にさらに言う。
「あなたのお母さんも、裁判の際に事実認定に間違いがあったと判断され、裁判のやり直しが行われるそうです。特赦対象となり、早く刑を終えることにもなるでしょう。そうなればお母さんと会えるのもそう遠い話ではありません」
「はい。頑張ります」
かつてパリスだったその女性は馬車の中へと二人で乗り込む。
窓際越しにいかにも嬉しそうな彼女の表情が見える。
窓を開けて私に何かを言おうとしたが、同行する執行者に静止された。引き渡しが完了した以上、会話も制限されるのだ。
でも、仕草で挨拶することだけは許された。
窓越しに私にふかぶかと頭を下げている。
扉が閉められ馬車が走り去る。
窓越しに振り向く彼女の顔が見える。
馬車がその姿を消すまで、パリスは私をじっと見つめていた。
願わくば、彼女のこれからが幸せになるように願わずにはいられなかった。