正規軍防諜部・極秘幹部庁舎 Ⅴ ―無詠唱発動―
「仮想刃?」
風精や地精の力の応用で得られる目に見えない仮想実態の刃だ。私の無銘の戦杖でも可能だ。
マントコートの左肩がかすかに切り裂かれたことがそれが事実だと告げている。
――これをただのナイフだと思い込んだら命取りになる!――
私は迷うことなく両手でガイアの御柱をしっかりと構えた。こちらも手持ちの武器をフル回転させて全力で対応する必要がある。
私が考えるのと同時に局長は次の攻撃を繰り出した。
ナイフを左肩の上に構えると横薙ぎに一気に振り払う。
――ヒュオッ!――
風を切る音がして、横にサイズの大きい斬撃が飛んでくる。
ナイフという武器の小ささを全く不利にさせない、恐るべき威力だ。だがそれよりも恐ろしいのは――
「無詠唱!?」
――無詠唱発動――
それは精術武具を用いる上で極めて高度な技法だ。
精術武具にはそもそも、機能発動には三つの要素がある。
精術力発動のコアとなる〝ミスリル素材〟
精術力発動の詳細な動きや効力を確定する〝術者の認識と思考〟
そしてもう一つが、
精術力発動のトリガーとなる〝聖句詠唱〟だ。
私が無銘の戦杖や三重円環の銀蛍を使用する時に唱えたようにだ。
だが、局長は一切聖句を口にしない。無言のまま精術を発動させているのだ。聖句詠唱の代わりに、自らの認識と集中力だけで精術を発動させているのだ。
やろうと思って出来るスキルではない。だが局長の狙いは極めて理にかなったものだ。
――これが〝諜報捜査官〟の戦い方!――
私は傭兵だ。様々な局面で集団で敵の軍隊や敵対集団と戦うことを任務としている。だから声を発しての聖句詠唱はさほど問題にならない。
だが、ブリゲン局長は正規軍の防諜部と言う諜報部門に身を置いている。いわば諜報のプロ中のプロだ。私が知っている戦いのセオリーから、ことごとくはみ出ていると考えるべきだ。一切、詠唱をしないことで自分の行動や攻撃を相手に読ませないのだ。
飛来する斬撃をかわすのと同時に、私も精術を発動させる。無詠唱発動は得意とは言えないが、可能な限り声を潜めて発動することはできる。
「……超高速起動」
ガイアの御柱の能力を引き出す。自分自身の体にかかる〝慣性〟を制御し移動速度を何倍にも引き上げる。
局長との距離を一気に詰める。
そしてさらに――
「銀蛍の閃光」
左手の内側に収めていた三重円環の銀蛍を光らせる。眩い光がほとばしり相手の視界を奪う。
その隙をついて私はブリゲン局長が右手に握りしめていたあの黒いナイフを叩き落とした。
「もらった!」
私は思わず叫んだ。だが、局長はこう告げた。
「馬鹿者」
「えっ?」
驚きを認識する暇もなく、局長の反対側の左の皮手袋が何かを握りしめていた。そしてそこから弾き出されたのは――
「ベアリング?!」
鋼鉄のベアリング、それが重い力を伴って散弾のように撃ち出されたのだ。
――ドドドンッ!――
小指の先ほどの大きさの鋼鉄のベアリングは私の全身にぶち当たり衝撃を食らわせる。地精系の精術なら物の質量を操作して、見かけ以上の重さにすることは雑作もないことだ。それを全身にくらったのだ巨大なハンマーで打ち据えられたようなものだ。
私の意識は瞬間的に吹き飛んだ。
そして認識した。
――武器はナイフじゃなくて〝手袋〟!――
私は大きな思い違いをしていたのだ。
そのことに気づいた時、私の意識はブラックアウトした。
完璧な敗北だった。
† † †
それからどれほどの時間が経ったのだろう。
気が付いてみれば私はゲストルームのベッドの上で横たえられていた。体の上に寝具がかけられている。
着衣がボレロジャケットまで脱がされて、ボタンシャツの襟元も少し緩められている。私はゆっくりと体を起こした。
全身に鈍い痛みが走る。痛みに顔をしかめていると、部屋の入り口のドアが開いて現れたのはブライセン副官だった。
「お目覚めになられましたね? 少々お待ちください」
踵を返して部屋から出て行く。そしてすぐに入れ替わるように局長が姿を現した。
すでに闘争心は感じられず、物静かに私を見守っていた。
「気づいたか」
「局長」
私はとっさに体を起こしたが全身に鈍い痛みを感じた。
「痛っ」
「痛むか?」
「はい、少し」
「一応加減はしたんだがな。本気でやれば全身の骨を一気に砕くことも可能だ」
そう答えて局長は笑う。
「もっとも模擬戦でそこまではやらんがな」
私はなんとか体を起こして局長の顔を見つめた。
「まいりました。完全に裏をかかれました」
「そうだな」
局長はつぶやきながら、ベッドサイドにあるスツール椅子の一つに腰を下ろす。そしてゆっくりと語り始める。
「ルスト、お前は極めて優れた能力を持っている。軍人としても傭兵としても第一級の資質を持っている」
「ありがとうございます」
「だが、お前は裏をかかれやすい。なぜだかわかるか?」
なんとなくわかるけどここは敢えて自分で口にしたほうがいいだろう。私は頭を下げて教えを請うた。
「ご教授、お願い致します」
局長は教えてくれた。
「お前は目が良すぎる。それに頭の回転が人より早いがゆえに自分自身の認識と思い込みを過信するのだ」
その言葉が何を意味しているのかよくわかった。
「何の反論もできません」
大きくため息をついて私は言う。
「先ほどの戦闘で局長の攻撃を見た時にナイフが精術武具だと思い込んでしまいました。そしてそれを前提に戦闘手順を組み立ててしまった」
「そうだな。こちらの仕掛けた罠にまんまとハマったというわけだ」
一区切りおいて局長は言う。手袋をはめた右手をこれみよがしに示しながら。
【銘:黒翼の籠手】
【系統:地精系】
【形式:手袋型、機能付与特化】
「俺の所有する精術武具はナイフじゃない。こっちの革手袋の方だ。系統は地精系、銘は『黒翼の籠手』、これで握りしめた他の武器に地精系の特性を付与するものだ」
静かに語る局長は口元に笑みを浮かべる。
「大抵のやつは特性を理解できずにまんまと騙されるんだ」
その微笑みには、今までに相当の数の人間が引っかかったであろうことが想像できた。局長も案外に無邪気なところもあるようだ。