正規軍防諜部・極秘幹部庁舎 Ⅰ ―黒鷹のブリゲン―
それから私は、馬車に乗ってフェンデリオルの中央首都郊外のとある場所に訪れていた。
周囲は雑木林が多く、衆目から逃れるには最適な場所だった。その雑木林の中に一軒の邸宅がある。2階建ての中規模な上流階級向けの邸宅――を装った偽装施設。
ある正規軍の諜報組織の幹部が所有する建物だ。
私は、あの密輸事件から2日後にその建物へとたどり着いていた。貸切の高級馬車を走らせてその邸宅の敷地にたどり着く。
まだ太陽の登り切らない午前、周囲は冬の寒さに真っ白になっていた。フェンデリオルは雪はさほど降らないが冷え込みは強い。
盆地と言う地形条件から、寒暖の差はとても激しい。私は白い息を吐きながらその邸宅の中へと入っていく。
正面玄関付近には守衛も馬番もいない。勝手知ったる風に正面扉を開けて中に入れば、現れたのは執事ではなく正規軍の将校だった。
鉄色と呼ばれるダスキーグリーンのフラックコート。腰回りのシルエットが後ろへと斜めにカットされているのが特徴だ。
鉄色はフェンデリオル正規軍のシンボルカラーだ。
私はその色に視線を向けながら正規軍将校が問いかけて来るのを待った。
「失礼いたします。ご芳名をいただけますでしょうか?」
いつもの傭兵としての黒装束に身を包んだ私は、正規軍将校の彼へと答えた。
「失礼いたします。軍外郭特殊部隊イリーザ隊長、特級傭兵エルスト・ターナーです。正規軍防諜部第一部局長にお目通り願いたいのですが。よろしいでしょうか?」
ダークブロンドヘアの彼は冷静な面持ちで私の言葉を聞いていた。
「かしこまりました。局長よりお話は承っております。どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」
そんな言葉を交わしながら、高級邸宅の執事と来客のように私はその邸宅の中を案内されていく。そして2階の中央とある場所にある執務室へと案内されていく。そこに私が話をしておきたい人物がいるからだ。
その部屋の重く分厚い両開きの木製扉。彼はそれを右の拳で軽くノックする。
扉の向こうから声がする。
「誰だ」
「私です。副官ブライセンです。エルスト・ターナー様をお連れいたしました」
「入れ」
彼の問いかけに部屋の主からの答えは速やかだった。迷いも淀みもないはっきりした言い方にその性格が現れている。
「失礼いたします」
彼がそう告げながら扉を開く。そしてその奥には分厚い天板と質実堅固な作りの巨大な机が据えられており、扉に向かい合う形で一人の人物が座していた。
身につけているのは濃紺のボタンシャツに黒いダブルボタンのベスト、上着として身につけているのはしっかりした仕立ての黒色のスペンサージャケットだ。
目元には茶色いレンズの楕円のメガネ。襟元には青いスカーフが巻かれている。徹底して黒系の衣装でまとめられていた。
こげ茶色の革コートも部屋の片隅の衣装掛けにかけられてあった。
彫りは深く、目つきは鋭く、よく手入れされたあごひげをうっすらと蓄えている。髪は黒、瞳は翠。黒髪の生え際には銀色がうっすらと現れている。地毛は私と同じプラチナブロンドなのだが、目立つのを避けるためにわざわざ染めているのだと以前聞いたことがあった。
その風貌は人ではなく1羽の〝鷹〟を思い起こさせる。
年の頃は50近くだろうか? 私の父親とほぼほぼ同じ世代の人だと言える。
それまで机の上に置かれた書類に目を通していたが、私たちが現れたことでそれから視線を外して私の方へと向けてくる。
「来たか」
余計な装飾は彼の言葉にも一切ない。必要な言葉だけを、必要な情報だけを、口にするのだ。
「エルスト・ターナー、出頭いたしました」
「ご苦労。お前のお仲間には悟られていないな?」
「はい、おそらくは」
少し苦笑しながら語る私に、彼――、局長も口元に笑みを浮かべていた。
「お前の仲間は無駄に優秀だからな」
「無駄に、は言い過ぎだと思いますが?」
「優秀すぎるのも、考えものなんだよ。組織の駒として制御が効かないからな」
「私のようにですか?」
自虐的にそう語る私に局長は声を上げて笑った。
「自分で言い切るか。まぁいい。優秀すぎるというところだけ否定しないでおくか」
そして彼は笑みを消して、冷静な面持ちで語った。
「本題に入れ」
「はっ」
コミュニケーションのためのリップサービスはそこまで。フェンデリオル正規軍防諜部のキレ者の姿がそこにあった。
フェンデリオル諜報組織・防諜部、第一局部局長、
――ブリゲン・ユウ・ミッタードルフ――
それが彼の名前だ。そして私の極秘の上司。
二つ名は〝黒鷹のブリゲン〟
仲間たちにも明かしていない間柄。
私は彼と対話をするためにここにやって来たのだ。