夜戦争LⅧ 幻 淑妮《ファン シューニー》の工房にて
古たちが拠点としている堕天楼閣、その堕天楼閣のある雑居街のさらに北側には低産労働者が働く工場が立ち並ぶ工業地帯が広がっている。決して環境の良いところではなく、マッチ工場やメッキ工場、製鉄場や、薬品製造施設などが立ち並ぶ場所もあり、危険な廃液が捨てられることも珍しくない。
当然、居住するには向いていないが貧しい世帯の住民たちは工場に隣接するあばら家のようなところで暮らしている家庭もあるという。
それだけに治安も悪く、誰が行き来していても気に留めないため、堕天楼閣のある雑居街とほぼ変わらぬ治安状況で有ることはよく知られていた。
その工場地帯の片隅、雑居街からほど近いところに、とある倉庫がある。黒いレンガ造りであり堅牢な作りで、中の様子を窺い知ることはできない。だが、物資倉庫と言う表向きの作りのその裏では、明らかに不穏な人の出入りがあるのも事実だった。
外からは伺いしれない、建物内部には〝秘密の工房〟が設けられている。
そして、その工房の主は一人の少女だった。
その名を幻 淑妮と言う。
女性ながら丈の短い、道袍を愛用し、華やかな漢服のドレスのような物は好まない。髪は黒くくせっ毛で、とんぼ眼鏡を愛用している。それでも髪は普段からこまめに手入れがされており、襟元には彼女なりのおしゃれなのだろう、18金製のチェーンのネックレスがかけられている。
顔には化粧っけはないが、意外と素肌は綺麗で肌色も血色も良くこれで愛想笑いができるなら素直に可愛らしいと呼んでもらえるだろう。
でも残念ながら、朴訥かつ無愛想で、発言も独特であり時には辛辣であるから彼女を評するならば『可愛げがない』の一言で終わってしまう。
それでも彼女を1人の女性として真摯に接している人物もいた。
今、その工房の中では、幻自身と、彼女を女性として尊重している1人の紳士が2人きりで対話をしていた。
工房の中は所狭しと作業用の機械や器具が並んでいる。雑然とはしておらず、それらの道具類の他、材料や素材、設計図面や様々な資料などが、適切に整然と分類され並べられている。その工房の主である幻の几帳面さが知れようというものだ。
幅広の木製の作業机の上に複数のランプが並べられ机の上を煌々と照らしている。その明かりの下で彼女は自らが作り出したある〝精術武具〟をメンテナンスしているところだった。
形状は入れ歯のようでもある。口の中に納めて口蓋の上側に貼り付けるようにして使う代物だ。大きさは口の中に入れて邪魔にならないほど巧みな大きさであり、精術武具としての大きさや形状としては非常に精密かつ精緻だと言わざるを得なかった。
それを、一度分解して驚くような速さで手入れをしながら再組み立てしていく。その姿を見て彼女の傍らにいた仮面の男が驚嘆の声をあげた。
「相変わらず、驚くような神がかりな速さですねぇ」
だが褒められても幻はニコリともしない。
「おだてても何も出ないよ」
「ほほほ、あなたらしい答えだ」
そう言いながらも幻の口元の端にかすかな笑みが浮かんでいたのを淵は見逃さなかった。
無口かつ無愛想な幻の真意を正しく掴めるのはほぼほぼ淵だけだったのだ。
仮面の男の名は淵 小丑、黒鎖の中で実動戦闘部隊である蒙面を総括する男である。
「淵だけは一緒にいて安心するの」
「そう言っていただけると光栄です」
「だって、あなたは私を押さえつけずありのままの私を受け入れてくれたから」
性格的にも、人間的にも、取り繕うこともできない不器用な人間なのだ。その意味でも懐深く見守ってくれるタイプの淵は幻と言う人物にとっては理想的な相手なのだろう。







