古 小隆《グァ シェンロン》、嘆く
古は自らが寝床としている阿片窟の特別室から出ると一般客のたむろする阿片窟サロンを通り抜ける。東方系酒場風の丸テーブルが並ぶ薄暗い空間の中に酒とともに阿片に身を委ねている老若男女様々な客たちが怠惰に身を委ねていた。
阿片の紫煙が漂う空間の中を歩いて、古は反対側の壁に設けられた両開きの扉を自ら開ける。
阿片窟サロンは薄暗く明かりが落としたあったが、扉の向こうの特別室サロンは明かりが煌々と照っていた。その明るさの中で古はその部屋にいる人間たちに声をかけた。
「よう」
短くシンプルな言葉だがその部屋にいる全員が振り向く。
部屋の中には赤く大きな東方風の丸テーブルが据えられている。そのテーブルを囲むように、この部屋の見慣れた顔ぶれたちがそれぞれの席に腰を下ろしていた
真っ先に返事をしたのは丈の長い濃紺色の長袍姿の、切り裂かれたような目と口が描かれた仮面の男、淵 小丑だ。
「これはこれは、古大人お目覚めになられましたか?」
「ああ、いい加減に寝飽きた。そろそろ動いて良いものかと思ってな」
「それは重畳、頃合いとしましても申し分ないかと」
「ちなみに今何時だ」
「夜もふけました。午後9時頃かと思われます」
「そうか」
立ち話をしていたがそのまま部屋の中を歩いて古も自らの席に腰を下ろした。するとそのタイミングで別の人物が声をかける。
漆黒の長袍姿で、上衣の裾の長い漢服の一種だ。短めの髪に銀縁のメガネ、学者然とした風貌が特徴の正 橘安である。
「古大人、お耳に入れておきたいことがございます」
「なんだ?」
面倒そうに問い返すが正の表情が硬くいつにもまして冷静なので古は正の言葉に耳を傾けずにはいられなかった。
そんな古の反応を見ながら正は慎重に事実を告げた。
「猫大姐が討ち死になされました」
あまりにも衝撃的すぎる突然の言葉、それを耳にして古は何も答えなかった。愕然とした表情を浮かべゆっくりと正の方へと視線を向ける。
「猫大姐、討ち死にしてございます」
事実を伝え終えると正は手と手を水平にして重ねる拱手と呼ばれる所作で礼意を表した。
「お悔やみ申し上げます」
愕然とした表情を浮かべながら言葉を失っていた古だったがようやくに反応を返すことができるようになった。思わず正の襟元を掴んでしまう。
「何を言ってるんだお前! ガセネタを吹いてんじゃねえだろうな?」
襟を掴まれた正は、怒りを交えた言葉を投げかけられつつも冷静に対処し続けた。
「ガセではありません。事実です」
落ち着き払いながらも、襟元を掴む古の手を払って押し返す。そしてそれに続くように淵もまた事実を告げた。
「本日9時過ぎに、猫大姐は、シュウ・ヴェリタス女史の拠点である〝水晶宮〟へと、配下である紅蜂20名を率いて突入を果たし本懐を遂げることなく力及ばず討ち取られました。なお帰還者はありません」
淡々とした冷静な語り口を耳にして古は半ば呆然としていた。そしてようやくに言葉を絞り出す。
「何やってんだよ猫、お前だけは生かしてやろうと組織から外に出したじゃねえか、これから十分生きていけるだけの金もやった。生活を支える配下も残してやった。なんで、なんで――」
鉄面皮とも、冷血とも、噂されているはずの古が見せる狼狽の姿を、誰もが沈黙を守って見つめていた。
「何で自分から死にに行くんだよ――、お前の技量であの北の女帝に叶うわけがないだろうが!」
椅子に腰掛けたままがっくりと肩を落とす。右手で自分の額を覆う。涙こそ流さなかったがそれは明らかに嘆きの姿だった。
誰もが声をかけられない。
冷血で凶暴な男が初めて見せた愛情の片鱗だった。
そんな古に声をかけるものが1人いた。焼けた素肌の上に胸にさらしを巻いて、腰から下は男性物の褲褶のズボンを履き、その上に毛皮の上衣を羽織っている咥え煙草の長髪の女、女武侠の水 風火だ。
水はそれまで咥え煙管で紫煙を燻らせていたが、テーブルの上の丸く大きな灰盆の上にキセルを置きながら、古をたしなめるように声をかけた。
「古大人、あんた女の気持ちわかっちゃいないよ」







