霧の守衛警護官モイゼス現る
水晶宮の周囲の建物の屋上付近に21人はバラバラに散会した。それでいてリーダーである猫の仕草に注視している。対して猫は水晶宮の様子を注意深く伺っていた。猫の傍らにいる副官の鈴芳が語りかけてくる。
「猫大姐ご指示を」
「そうだね」
猫は自らが視界の中に捉えた水晶宮の様相をつぶやいた。
「思ったより建物の周囲に警備役や用心棒のような連中がうろついていないね」
「中に待機しているということでしょうか?」
「だろうね。逆に何か策を練っているのかもしれないね」
「いかがなさいますか?」
そこで猫は少し思案を巡らせた。
「小細工を弄しても時間の無駄だ。正面から一気に突入するよ」
「制圧ですね?」
「あぁ、全員に装備の準備を」
「御意」
すると鈴芳は右手を動かしてハンドサインを送る。それを受けて他の者たちは所有している武器の準備を始めた。
20人の部下たちが反応を返した後で鈴芳は猫に報告する。
「猫大姐準備整いました」
「よし」
猫はその顔に改めてマスクを被りなおした。他の紅蜂と同じように根元だけを露出させたマスクだ。他の紅蜂がその手に武器を持っているのに対して猫は武器を持っていない。その両腕に肘までの長さの大型の籠手をはめている。
その籠手をはめた右腕を振りかざして猫は告げた。
「進軍」
猫の右手が振り下ろされる。
猫をはじめとする21の黒装束の女たちは一斉に水晶宮の敷地へと足を踏み入れた。
水晶宮の建物は非常に大きく1つの区画の敷地をそのまま使っている。同じ敷地の中に別の建物が隣接しているということはない。その意味でも周囲から独立しているため警備能力は極めて高い。
母屋の建物の周囲に生垣や塀があり、敷地には庭木や芝生が植えられている。そして建物正面は馬車の停留所を兼ねたロータリーであり、そのロータリーの奥に正面入り口が据えられている。両開きの分厚い巨大な扉がそびえており、その入口扉の周囲には誰の姿もなかった。
「無警戒だな」
猫がつぶやくが不意に何かを感じて右手を横へと振り上げた。全員に伝える〝静止〟の合図だ。その動きに従って全員が足を止める。すると水晶宮の建物入り口の光景に変化が現れた。
蜃気楼のように光景が揺れる。そして、霧の中から姿を現すように1人の初老の男性が現れたのだ。
「お見事、よく気がつきましたな」
姿を現したのは水晶宮の守衛警備員、分厚いロングコートにツバ付きの制帽と隙のない装いの初老の男性だった。ルストがこの水晶宮に訪れた時に応対したのは彼だった。
「水晶宮、守衛警備員モイゼス・アルバ。お相手いたす」
そう明確に唱えると、右手にたずさえていた今日と同じ程の長さの金属製の竿で地面を軽く突いた。
――コンッ!――
その響きが侵入者たちを受け入れるつもりが全くないことを明確に表していた。
「愚かな、1人で我々を相手しようというのか」
「その通り。皆様方の相手は私1人で十分ですので」
そうはっきり明言するとモイゼスは右手に手にしていた竿を両手で水平に構える。
「精術駆動」
それは精術武具の発動の合図だ。
「蜃気楼の迷宮」
そう唱えると彼が手にしている竿から霧のような噴煙が一気に吹き出す。そして竿を勢いよく旋回し始める。
【銘:テシュブの戦棍】
【系統:水精風精亜種霧精系】
【形態:一見すると細長い、人の背丈と同じくらいの漆黒の戦棍に見え、戦闘には向いていないように思われる。しかし、霧を自由自在に生成し、敵の行動を撹乱することに特化した環境操作型の精術武具である】
「なぜこの水晶宮の警備が私1人なのか? よくお考えになられることですな」
その言葉とともに周囲には濃厚な霧が立ち込めた、それこそ数歩先の景色すら見えないほどに。
「では、ごきげんよう」
モイゼスはその言葉を残して完全に気配を断った。当然ながら猫の配下の者達は狼狽えるばかりだ。







